ep2「認識変容攻撃<ECM>」
「こちら小林、了解。弾頭はスーパーキャビテーション魚雷を選択、音波誘導方式はパッシブ。艦首魚雷発射管より発射開始!」
小林はモニター内に表示されている<くじら>の黒い影を睨みつつ、操縦桿のトリガーボタンを押し込んだ。すると、<いさなぎ級>の艦首――すなわち人型形態の胸部――付近に設けられた発射口が即座に展開し、シュッという軽い音と共に6本の魚雷が海面に放り出された。
100m以上の落差を経て頭から海面下に突っ込んだ魚雷群は、<いさなぎ級>が巻き上げる白波に紛れて見えなくなる。しかし、次の瞬間には弾かれたような勢いで艦体を追い抜き、おぼろげな黒い影に向けて一直線に白い航跡を伸ばしていった。水中用ロケットモーターによる爆発的な加速だ。
ガスに包まれた弾頭は水中抵抗をほとんど無視し、200ノットもの超高速で海中を突き進む。
「よし……!」
この距離でこの投射量ならばほぼ必殺だ。そこに居るならば当たる。<いさなぎ級>ですら避けきれるものではない。魚雷群の予測軌道を見つめる小林は、初陣の案外呆気ない幕引きに小さく息を吐いた。
だが、着弾寸前になって、小林艦の艦橋には攻撃失敗を告げるアラートが鳴った。音波誘導のシグナルを喪失。目標ロスト。自動的に自爆した魚雷群が海面に6本の水柱を立てる。
「これは……全ての魚雷が目標をロスト!全弾頭の自爆を確認」
『小林くん、防御姿勢を!』
「はい!」
佐藤の警告に困惑する間もなく、小林は<いさなぎ級>の胴体を守るために両腕を盾のごとく上げさせた。それはちょうどボクサーのガード姿勢に近い。最も装甲が厚い喫水線付近の装甲部を敵に向ける構えだ。
直後、艦体に鈍い衝撃が走った。少なく見積もって戦車砲弾に匹敵する質量物体がぶつかってきたような衝撃だった。
艦載コンピュータが即座に攻撃元の座標特定を始めるも解析失敗、既知の攻撃パターンとの照合にも失敗。なにがどこから着弾したのかは一切不明。そもそもレーダーにも反応が無い。
「コンピュータが死んだのか!? いや、違うな」
小林は咄嗟に艦の対空迎撃システムをマニュアルで作動させつつ、恐らく何かの手段で攻撃してきたのであろう<くじら>に艦体頭部のセンサー群を向けた。
つい先ほどまで艦首方向にいたはずの<くじら>は、いつの間にか右の3時方向に姿を現していた。
しかし、<くじら>が瞬間的に移動したような音響反応や衝撃波は一切ない。ドップラーレーダーもそんな兆候は捉えていない。つまり、<くじら>は恐らく移動などしていないということだ。
だから、この一連の現象を、『雷撃が避けられた後に反撃された』と表現するのは相応しくなかった。避けられたというよりも、むしろ『初めからその場所に存在しなかったから、当然のように攻撃が当たらなかった。そして反撃された』と表現すべき状況だった。
「そうか、これが……」
小林の掌にいやな汗がにじむ。訓練であらかじめ<くじら>の能力を聞かされていなければ、何が起こったのかさえ理解できていないはずだった。
だが、訓練でその現象の名前だけは嫌というほど聞かされている。
「佐藤先輩、これがあのECMですか」
『そう、これが認識変容攻撃。<くじら>の非物理的な攻撃パターンだよ。あいつらは自由自在にこの空間の事象を書き換えるんだ。やろうと思えば、初めからその場所に居なかったことにして攻撃を避けることもできる。私たちの真似をして砲弾みたいなモノを作って飛ばすことだってできる』
異海はあくまで<くじら>たちの空間――――そう言われるのは、彼らがこうして空間的・時間的な制約さえ無視した超現実的な事象を引き起こすからだ。
座標の跳躍、物質の創造、空間の書き換えによってそれを可能とするのが認識変容攻撃。まさしく人智を超えたほとんど奇蹟のような攻撃方法だった。
しかし、そんな奇蹟の一端を目にしてもなお、スピーカーから聞こえる佐藤の声は落ち着いていた。
『でもね、大事なのはその事象に名前が付いていることだよ! 訓練を思い出して』
「はい!」
的確に<くじら>の攻撃を認識して防御しているらしい佐藤艦を横目に、小林は艦に搭載されている中枢コンピュータのダイレクト・インターフェイスシステムを起動させた。
入力形式は自然音声認識モード。艦体という巨大なシステムを駆動させる中枢部たるコンピュータに、人間の言葉を吹き込む準備を整える。
神域たる異海において重要なのは、人間がこの超常的な状況をどう認識し、言葉によって定義するかだ。状況を見失っているコンピュータにも、それを伝えてやる必要があった。
「パイロット小林より中枢コンピュータへ宣言を開始。自然音声入力による状況の再定義を開始する。現在、本艦は<くじら>による認識変容攻撃を受けていると判断。以降の交戦行動に伴う被弾は同種の攻撃と定義。状況を再認識し、対処せよ。これは攻撃だ」
これは攻撃だ。混乱したコンピュータシステムの思考を発火させるために必要とされたのは、あるいはそのたった一言だけなのかも知れない。
小林の言葉を火種として、中枢コンピュータの内部で凄まじい勢いの演算処理が連鎖し始めた。
――戦闘の続行可否を判断せよ――
中枢コンピュータが状況認識を更新し、装甲裏の感圧センサーと加速度センサーの計測結果より艦体への被弾を認識。自己監視システムにも異常なし。損害は軽微につき戦闘続行可能と判断。
――攻撃元の座標を算出せよ――
並行して攻撃元の特定を開始。敵砲弾が古典物理的な運動法則に従って飛翔してきたものと仮定して弾道計算を実施し、高精度の軌道シミュレート結果を抽出完了。
さらにシミュレートを基に発射地点の確率密度分布を算出終了。高い確率で本艦からおよそ11km先に攻撃元が存在すると推定完了。
――敵影を再捕捉せよ――
続けて走査を開始したドップラーレーダーが、当該エリアで微弱ながらも反応を検知。
広域レーダーから情報を共有されたFCSは、より精密な火器管制レーダーの照射を開始。その結果、ミリ波帯域の電磁波でも同じエリアに敵影を再捕捉。これが攻撃元である可能性は極めて高いと同定。ターゲット再セット完了。
この間、全ての演算処理に要した時間は約700ミリ秒。
直後、コンソールパネル上に『入力完了』の文字が躍り、艦橋内にはレーダー警報の鋭い音が鳴り響く。亜音速で飛来する飛翔体についての警告だ。
「システムの再チェック完了、よし……今度は認識している!」
どうやら状況の再定義を行った結果、システム側でもようやく<くじら>の攻撃を認識するようになったらしかった。
通常空間以上に言葉が力を持つ神域において、コンピュータ群もまた、この物理的な制約を超越した現象を定義し、正確に認識するための言葉を欲していたらしい。
「認識できさえすれば当たるもんかよ!」
小林がフットペダルを踏み込むと、ズンという重たいGと共に艦体が瞬間的に増速。上半身を捻るような動作と併せて、敵が飛ばして来た砲弾めいた物体から身をかわしてみせる。
認識変容攻撃はたしかに驚異的だ。ただし、どこかの誰かによって名前が付けられた時点で、それは既に未知ではなくなっている。
名前を付けることで、未知は既知となる。
既知であるからには、対抗することも出来る。
すなわち名前を付けるという行いそのものが、人類側にとって最初の、そして最大の<くじら>への対抗手段であると言っても過言ではない。
これは人と同様に現世の言葉によって駆動するコンピュータ群も交えた、極めて原始的な呪術戦――――さらに言えば言語戦とでも呼ぶべき戦いなのだ。
『そう、これが<くじら>の攻撃だと認識することが大事なの。認識して。そして言語化して。それが言葉を武器にするということ。私たちの戦いだよ』
「やっとその意味が分かってきたような気がします!」
『じゃ、セットアップも終わったみたいだし、そろそろ本番を始めるよ!』
初陣のパイロットが状況に慣れるための準備運動はここまで、ということらしかった。
佐藤艦との間に構築された戦術データリンクシステムから、一連の攻撃パターンが共有される。小林もそれを理解すると即座にデータを入力、改めて操縦桿を握り直した。
『艦尾VLSより1番から10番までのドローンポッドを射出、続いて短魚雷を斉射の後に距離を詰める!』
伐鯨艦たる<いさなぎ級>が本領を発揮するのは、やはり白兵戦だ。<くじら>への銛撃ちが遂に始まろうとしていた。
(ep3でこの戦いは決着予定!いよいよ本格的な戦闘です)




