第三十七話 鼻寅野緖と巳手菖蒲
「璃映先輩。お久しぶりです。お元気そうで良かったです」
「うん。久しぶり、野緖。ごめんね、騒がしくしちゃって」
どうやら、母親も鼻寅さんのことを知ってるみたい。
それに、母親のことも『先輩』を付けて呼んでる。
つまり、鼻寅さんがここに勤め始めた時。
まだ母親もここに勤めていたってことになる。
今の所、別に他の人と仲が悪いように見えない。
逆に凄く仲がいいように見えるくらい。
けど、なら尚更わからない。
それは……。
――母親がここ、冒険者組合の受付嬢を辞めた理由。
誰もそのことに触れてないから。
何か言いにくいことなのかもしれない。
なら、無理に聞かない方がいいのかもな。
「いえいえ。そんなことないです。それに、私も他の先輩方と同じで、感動して泣きそうになりました。あ、それと、浸夜くん元気になってるみたいで安心しました。いつ目が覚めたんですか?」
「今日の昼頃よ。念の為、安静にって言われてるんだけど、浸夜が今日行われてた冒険者資格試験を見に行きたそうだったから、ちょっと外に連れて来たの」
「そうだったんですね」
「そっかー。浸夜くん、元気になって良かったね」
すると、ついさっき奥に入って行った巳手さんが戻って来た。
鼻寅さんに背後からガシッと抱きついて、顎を右肩に乗せている。
因みに、両手は鼻寅さんの腹部にあります。
巳手さんが抱きついた瞬間。
鼻寅さんがビクッと反応。
目をハッと見開いた。
言うまでもないが、酷く驚いてる。
「あ、菖蒲先輩。本当にお速いですね。あと、急に後ろから抱き付かないで下さい。ビックリするので」
「いや〜、つい癖でね。璃映が居た時は、いっつも抱きついてたからさ」
ん?
いつも母親に抱きついていた、だと……。
どうやら、巳手さんはスキンシップが凄いみたいだな。
いや、女性同士ってそんな感じなのか?
まあ、とりあえず……。
眼福ですな。
僕は両眼を瞑り、スリスリと手のひらを擦り合わせた。
「そういえば、そうでしたね……。けど、なんで野緖に抱きつく時は、いつもお腹ばっかり触るんですか? くすぐったいのでやめて欲しいです」
鼻寅さんは少し照れ臭そうにしている。
あと、鼻寅さんの第一人称は名前呼びらしい。
てか、ん??
鼻寅さんの時だけ、お腹に手を……。
ということは、母親に抱きつく時は、どこに手があったんだ?
いや、間違いなく胸だな……。
羨まし。
「え〜。だって、野緖のお腹ってぷにぷになんだもん。可能なら、ずっと触ってたいくらいだよ」
巳手さんはそう言いながら。
鼻寅さんのお腹をさすさすしたり。
ムニムニと揉み始めた。
確かによく見ると……。
鼻寅さんの胸はまな板みたいにぺったんこだ。
つまり、胸がないから。
脂肪が集中しているお腹に手を置いているってことだな。
凄い失礼なことを堂々と言ってるけど。
これも仲がいいから言えることなのかな?
そう思いながら、僕は鼻寅さんの顔に目線を向けた。
だが、それを聞いた鼻寅さんの額には、怒筋が浮き出ている。
目を尖らせ、睨むように巳手さんの顔を見てる。
「は? なんですかそれ、喧嘩売ってるんですか? それとも嫌味ですか? そんなに触ってたいなら、自分の胸でも触ってて下さいよ」
鼻寅さんは、明らかに口調が荒々しくなっている。
相当怒ってる証拠だ。
「いやいや、違うよ。野緖のお腹は……、なんかこう弾力が凄くてさ。指が包み込まれるんだよ。私の胸なんかじゃ歯が立たない」
巳手さんの表情は至って真剣。
なんの悪気もなく、失礼気周りないことをポンポンと口にしてる。
「張り倒しますよ?」
「ち、違うって〜。それに胸が大きくても肩が凝るだけで、何もいいことないよ?」
「へー、そうですか。野緖は違う意味で、いつも肩がガッチガチですけどね。ほんと誰かさんのお陰で」
「え? なんで? もしかして、何か悩み事でもあるの? 僕で良かったら話聞くよ? なんでも言ってよ」
「マジコイツ……。いや、本当ですか、菖蒲先輩? 絶対に、言うこと聞いてくれますか?」
「うん。なんでも言っていいよ。忘れてるかもだけど、こう見えて僕先輩だからさ」
「じゃあ、今すぐに野緖から離れてもらっていいですか? そして、一生野緖に抱きつかないで下さい」
「え……。あ、はい……」
巳手さんはゆっくりと鼻寅さんから離れた。
ちょっと落ち込んでるっぽい。




