第十六話 新たな女性
母親はひとしきり笑った後、椅子から立ち上がった。
ベットの上にある鏡を両手で掴んで、ちょうど胸部の前で抱えた。
その鏡が元あった机まで移動。
その机の上に鏡を戻した。
またベットの方に戻った。
両手を僕の両脇に入れて優しく掴み、そのまま抱き上げた。
母親は僕を包み込むように、自分の胸にピッタリとくっつけている。
落ちないように両腕でしっかりと支えている。
その瞬間、僕は咄嗟に母親にしがみついた。
落ちないって頭ではわかっている。
なのに、体が勝手に動いてしまった。
恐らく子供の本能的な行動なのだろう。
あ。
因みに、しがみついたって言っても、母親の袖にですよ?
決して胸ではありません。
流石にどさくさに紛れてそんなことはしませんよ。
もちろん、今後も。多分。
うん、多分ね……。
てか、子供と大人の目線ってこんなに違うのか。
さっきまでベットの上から見ていた目線から、急に大人と同じ目線に変わった。
そのことに、少しばかり動揺した。
それに、今の自分が子供だってわかってたけど、こうも軽々と抱き上げられるとは……。
本当に子供なんだな、と僕はしみじみ感じた。
けど、なんでだろう。
なぜか懐かしいような……、そんな感じがする。
僕が懐かしさに浸っていた。
すると、母親は僕を抱き抱えた状態で扉を開けて部屋を出た。
部屋を出ると、そこには広くて長い廊下が見えた。
更に、他の部屋がいくつかあるのを確認。
母親はそのまま廊下を歩き、左側の曲がり角の先にある部屋に向かっていた。
その部屋の扉を開けて、中に足を踏み入れた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、様々な衣服が辺り一面に並んでいる光景。
まるで、お店のようなところだった。
部屋の形は四角形。
大きなハンガーラックが、左右に六列程度並んでる。
右側には女性ものの衣服。
左側には男性ものの衣服が並んでいる。
衣服は、アウター・パンツ・トップス・スカート・ワンピース・オーバーオール・パジャマ。
他にも小物があり、靴下・手袋・マスク・バッグ・アクセサリー・帽子などが目に入った。
天井にはスポットライトが設置してある。
その照明で部屋を照らし、奥行きのある空間になっている。
右側に黒色のスポットライトが九個。
左側に白色のスポットライトが六個ある。
左側にはレジカウンターテーブルと椅子がある。
そのテーブルの上にはレジスターとパソコンが設置されている。
これは、どうやら間違いなさそう。
ここは……。
――お店だ。
更に言えば、衣服屋。
普通、こんなに衣服があるわけない。
それに、レジスターがある=お店だと思う……。
多分。
てか、本当に広いな。
さっき居た部屋の六……、いや十倍以上の広さはある。
僕はその部屋を見渡しながら分析をしていた。
と同時に、広さと衣服の多さに驚いていた。
すると、一人の女性がこちらに背を向けて立っているのを発見。
今まで全く気づかなかったほど、凄く陰が薄い女性。
白色の髪を鎖骨くらいまでの長さにして、瞳は――。
前髪が鼻背程度まで伸びているため、完全に隠れて全く見えない。
更に、耳当て付きのニット帽を被っているから耳すら見えない。
それに、ニット帽もそうだが、この女性はなんというか……。
そう。ファッション性のある服を着てる。
黒色のワイシャツの上に、蒼色のデニムジャケットを着てる。
下には、白色のロングスカートに、黒色の革製でできた厚底ブーツを履いてる。
僕にはよくわからないけど、これがこの世界の流行りの服装ってやつなのだろうか。
それとも、そういう年頃?
正直、僕はファッション性というのがいまいちわからない。
なぜかというと、前世で黒色や灰色のような暗めの衣服しか着なかったから。
だから、そこら辺は全くの無頓着。
何が良くて何が悪いのかもよくわからない。
きっと、それはこれからも変わらないと思う。
というか、それを変える気は……、ない!
僕がファッションに目覚める時が来るとしたら、それは彼女ができた時。
それ以外はあり得ないと断言できる。
それはそうと、やはり前髪に隠れて顔はあまりわからない。
けど、その着ている服装から見て、恐らく歳は二十代前半くらいだと思う。
それに、この家に居るってことは身内の可能性が高い。
となると、考えられるのは母親の妹さんとかだな。
「塞養さん、ごめんなさい。少し浸夜と一緒に試験闘技場に行ってくるから、もう少しだけ店番をお願いしてもいいかしら?」
母親がその女性に近づきながら声をかけた。
その女性がピクッと反応し、こちらを振り向いた。
まず、母親が言った『店番』という言葉。
その言葉から、やっぱりここはお店で間違いない。
そして、母親の呼びかけに反応したこの女性。
なら、この女性がその『塞養さん』だな。
でも、さん付けで呼んでる。
ということは、身内でもなければ妹でもなさそう。
じゃあ、可能性は低いけど義妹か?
義妹なら少し他人行儀でもおかしくない。
「はい。もちろん、大丈夫ですよ。お店のことは私に任せて下さい。それに、無事に浸夜くんが目覚めて、璃映さんも嬉しいでしょうし、存分に楽しんできて下さい」
塞養さんは何一つ嫌な顔をせず、ただニッコリと笑みを浮かべていた。
嬉しそうなのは口元でしか判断できないけど。
話の流れ的に、『璃映さん』っていうのは母親のこと。
つまり、母親の名前だ。
なら、義妹の可能性もない。
もしも、義妹ならお姉さんって呼ぶだろうし。
ん?
二人はどういう関係なんだ?
今の時点だと、赤の他人っぽいけど。
赤の他人を家に住まわせてるってこと?
僕は自分の考えがことごとく外れて、眉間に皺を寄せ始めた。
本当なら、この場面で両腕を組みたい。
けど、今そうしたら地面に落ちそうでできない。
そう思うと、僕は無意識に母親の袖を更にギュッと掴んだ。
「ありがとう、塞養さん。じゃあ、お言葉に甘えて。少しの間、お願いね」
「はい、お任せ下さい。お気を付けて」
どうやら、二人の会話が終わったみたい。
僕は二人が話していた内容を頭の中で巻き戻し、再度考えた。
えっと、まず母親と塞養さんは妹でも義妹ではない。
更に言えば、血族の可能性は限りなくゼロに近い。
……、ん?
そうか、わかった。
そもそも考え方自体が間違ってたんだ。
僕は最初から身内や知り合いとして考えていた。
だから、答えに繋がる大切なワードを聞き逃していた。
それは……。
――ここがお店だということ。
お店ということは、身内で経営している場合もある。
けど、人を雇っている可能性もある。
そう。
恐らく、塞養さんはこの店で働いている。
そして、二人の話し方から見て、多分母親の方が立場は上。
つまり、塞養さんと母親は雇用関係にあるという訳だ。
よし、これで一件落着。
僕は答えを導き出せたことで、疑問が消えた。
と同時に、眉間の皺は消えて誇らしげな笑みを浮かべた。




