〜四大天使の憂鬱〜
天上天下唯我独尊。
釈迦が生まれた際に放った言葉と言われている。
その解釈に関しては様々な憶測を呼んでいるが、
一説には【この世で私が最も尊い】 という意味もあると謂う。
「ね〜お兄ちゃんガイジンさ〜ん?」
「パツキンパツキン〜超イケメンって感じ〜」
わらわらと人の声がまとわりつく。
うざいどころの騒ぎではない。
こざかしいのだ。
「どこから来たの〜」
「今暇〜?遊びに行かなぁい?」
この
いかにも作った色合いの茶髪がこざかしい。
他にも眼や鼻、しわまで
彼らは引き伸ばしたり大きくしたりして
作っている。
自然の倫理に逆らっているではないか。
右手首のスナップを利かせて
この人工物を薙いでしまいたいが、
神に仕える者として
救いを求める手を払ってはならない。
仕方もないので
愛おしいあの人 から習った手を使うとする。
「オオ〜スイマセ〜ン!
ワタシハジョセイニ興味ナイデース!」
全員クラウチングスタートで逃げていきやがった。
少し安堵して、苦笑を口元で殺す。
すると唇は顔に一つ線を引いた具合になり、残りはこの顔に蒼い眼がどっぷり浸かって鼻先を見ているだけだ。
鼻は高くそびえた後尖っている。
町に出ると今のように
女は
この私を 美術品と呼んで群がる。
あるいは
老人達は道に寝そべって
「お迎えが来なすった」と悦び勇む者もある。
くすす と細く息を漏らす。
「今日はその仕事を承っていないのだ」
私は足早にビル群を抜け、
やたらに湿った空気の街へ着いた。
いかがわしい看板がそこいらに
乱立している。
ここを行く男女は皆顔を俯けるくせがあるらしい。
しかし どんなに顔を背けようとも
ごまかせるはずもない。
千年経とうとも
私はあの方を忘れはしないのだ。
前方に2つ影がある。
女の方は
看板を幾つか見て
恥ずかしそうに制服の裾を掴んでいる。
黒真珠のように艶やかな長髪。
お白粉を塗りたくったような肌。
何よりあの制服は―…。
「結さまあぁあああああああああ!」
私は飛び上がって坂を駆けた。
いや、もはや飛んでしまいたかった。
そしたらもっと早く
あの澄んだ黒目に捕まえられるだろう。
「結さま!あんたって人はぁああ!」
私は頬を叩きたくなる衝動をこらえ、
その藍色の制服の肩を掴んだ。
くるりと女のスカートが返る。
落ち窪んで細い瞳。
―違う。
高く始まっていたのに後半に
座り込んでしまった鼻。
―違う。
ぷっくりと膨らんでよく食べそうな口。
―違う。
「なんだおめー!俺のさっちゃんに何か用かよ!?」
「やめてよたっちゃん!この人とはもう何の関係もないの!私の為に争わないで!」
男の方は
瞼の締まりがなっていなかった 。
しかし
そこから温い眼差しが絡んで来たので、
「あんたって人は!もう!心配したのよ!」
と転がっていた猫を抱きかかえて逃げた。
超逃げた。
「私、人間違えをしたようだ」
黒猫は赤い口をにやつかせている。
「くっ…くくくっ、あははははは」
そして黒猫は笑った。
肉色を半円に切り上げて
笑った。
しかし
声は絶え間なく後ろから飛んで来る。
振り返ったら彼女がいた。
夜海のように広く黒い眼をして、
猫のように可愛い口をして。
彼女の黒髪がうねうねと空気を泳ぐ。
「結―…」
「ミカエル、今日の仕事は私のお守りか」
口の内の肉色が見えている。
そこは言葉が登って生まれて来る場所なのに、
極めて静かで動じない。
その神聖さは神にも似ている。
「結は帰る。供をせい」
―いや、
親に似ているのは、当然の事なのだ。
神は全智万能である。
迷える人に救いを与え、
永遠の安らぎを与える。
その方がなぜ、禁忌を犯したのか。
今の俺には分からない。
「ウリエル、ポテトが冷めてしまうぞ」
曰く先祖返り、を起こした人間がいると知らされた。
目の前でポテトの一番長いのを探しているこの女。
自分が千年も昔、禁忌を犯した際の
その子孫であると。
神は俺達四大天使にそう謂われた。
「よし…せいっ!」
ポテトの箱内から一つを引き抜き、
それが短い奴だった時の彼女の顔。
それに神の血が混じっているなど、
悪い冗談にも思われず。
ミカエルはやたらに
こいつ、いや結を気にかけているが
ジュースを床にぶちまけて
「エイドリアーン!」と叫ぶ女に
何を求めるのか。
神と揃いの金の髪一糸も
こいつは持っていないじゃないか。
それどころか
サタンと同じ、烏の羽のような
黒髪を垂れ下げて―…。
「ひでぶっ!」
がやがやと人の行き交うファーストフードの、その一角で事件は起こった。
神の子である結に
ウリエルが疑心を起こした為、
神に代わって僕が天誅を下したのである。
どこからともなく降り落ちて来た
フライパンに、金の髪を一つに結わえた
馬鹿は驚嘆す。
「てめっ、ガブリエル!光臨して来いこらぁ!」
取っ手の部分がハンパなく痛かったと
後のウリエルは語る。
僕もまた神と同じ金髪が、
うねりを帯びて耳の上で止まっているから
少しだけウリエルの気持ちは分かる。
全てを救い得る、あるいは再生し得る神が、過ちを犯したなど日本神話のような事はなかなか信じ難い。
それでもあの神が震えたのだ。
ただ事ではないのだって すぐに分かる。
「私の血を持つ者は、私を殺す事も出来る」
神はあの日そう謂われた。
神の子を殺す事は出来ない。
生きている人間を天上には連れて行けない。
それでも魔王や悪魔達は
愉しそうに日夜彼女を狙っている。
だから僕達大天使達はくるくると日毎廻って、彼女を守らなくてはならない。
神の血が再び強く出てしまった、
彼女の為に。
薔薇が何百か、家々の壁に沿って
咲き誇っている。
さして香りは強くない。
花弁がぽとり と石畳の割れ目に落ちると、彼女はくすくすと声を漏らした。
「薔薇がお好きなのか、ラファエル」
幾度か私は眼をこすって、首を傾げてみた。
「バレましたか、結さま」
「君に似合うものな」
真っ赤な薔薇が首毎落ちているのを、
不気味がりもせず
「ラッシー!」と彼女は拾い上げた。
赤い顔の緑の首もとが斜めに寸断されている。
悪魔達からのプレゼントであろう。
私は少し表情を固くしたが、
それを見つけた彼女は微笑む。
「大丈夫だよラファエル。君達やお父様を裏切ったりはしないから」
その声はまるで
弧を描いたように弾んでいる。
「しかしせっかくバラ園に来たんだ。もう少し笑ってくれないか」
花弁が厚く巻かれたその花を
彼女はすぃ と風に乗せて落とした。
散らばった花弁が一斉に
曇り空を飛ぶ。
それはあまりに、
美しかった。
「あ、笑った」
彼女の口元が綺麗に上がる。
私は彼女の為にもう少し、
バラの行く末を見ていようと思った。