第009話 禁句
「やっぱり楽しいことになってるじゃない。」
と開発室で、これまでのいきさつを話したアド姉の第一声がこれだった。
「楽しくないわよ。」
と面白くなさそうにトリィが返す。
開発室の丸テーブルにアド姉、トリィ、僕の3人が座っている。
扉付近にはアレックスとミアが控えている状況だ。
「もしベアちゃんが王子様に取られちゃったら、お姉さんのところにお婿にいらっしゃい。」
と僕の右手を両手で包むように握りながらアド姉が言う。
僕の手のひらで指をゆっくりと滑らせるのはくすぐったいからやめてほしい。
「取られませんから。タックがアド姉さんのところに行くこともありません。」
と余っている僕の左手を引っ張りながらトリィが言う。
骨がきしんでいるのでやめてほしい。
「そうなの。残念。」
と全然残念そうでない顔をしながら、アド姉さんは僕の手を離した。
「で、ターちゃんはどうするの?明日。」
「明日?」
「そう。午前はベアちゃんを側室に迎えようとしている王子様のお父様と、午後はベアちゃんと別れさせようとしている貴族様に呼ばれているのでしょう?」
「うーん、まあそうだけど。王様には魔道具見せろって言われてるだけだし、午後は呼ばれただけで用件わからないし。実は道具作ってくれって個別の相談の可能性もあるよ。」
そうなのだ。シャワーをはじめとして魔道具を作成&カスタマイズしたことが口コミで広がり、個別に作成依頼を受けることはある。今回ほど失礼な呼び出しは初めてだけど。
「不用心ねぇ。」
とアド姉さんに呆れられてしまった。
いや、可能性が低いのはわかるけど、否定してかかることもないと思うのだ。
「まあ、逃げだすくらいならどうとでもできると思うし。」
と明日王様に見せるために準備していた魔道具群を見ながら答える。
そう、いざという時のために備えるのは大事だ。
特に僕はその場その場で最適な魔法を自由に使えない以上、備えておく必要はある。
「そう?ならいいけど。何かあったらお姉さんが助けてあげるからね。」
とアド姉さんが僕の右手を再び握りながら言う。だから指でなぞるとくすぐったいから。
何かあったらって、そもそも商人のアド姉がどうするつもりなのだ。
「アド姉さんの助けは必要ありません。何かあったら私が助けます。」
と僕の左手を握りながらトリィが言う。指先が青白くなってるからそろそろ緩めようぜ。
一騎士であるトリィが、何かあったとしてどうするのか。
「わかった。何かあったら、二人に助けてもらうよ。」
と限界が近くなった両手を強引に引っぱり、テーブルの下で左手をもみほぐし血行の再開を促す。
「ところで自称が”余”の方は今回の件、知ってるのかしら。」
とアド姉がいう。
「知ってるかもしれないけど。子供のなすことに特に口出ししないみたい。」
「今回の件をとりなしてもらうのは?」
「まずは自分でなんとかしてみよ。って言われる気がする。子供のことに限らず基本放任っぽいんだよね。」
うん、最初に会った時からそんな感じだった。
「あれがあるなら大丈夫だと思うけど、それでもお姉さんは心配なのよねぇ。」
とアド姉はあれ=魔道具の山を見ながら言う。
「一応お姉さんも打てる手は打っておくわ。」
とこちらを振り返りながらアド姉さんがにこりと微笑む。
さわやかな笑顔なんだけど、打てる手ってのが気になる。やりすぎないでほしい。
アド姉の商会は貴重品を取り扱っていることもあり、いろいろな貴族に伝手があると聞いたことはある。
だが、あくまで商人の立場だ。最悪この国での取引を禁止されたりしたらアド姉も困るだろう。
「アド姉さんは何もしなくてもいいです。タックは私が守ります。」
アド姉の打てる手とやらに、僕と同じように嫌な予感がしたらしいトリィが慌てて言う。
「でもベアちゃんはこの国の騎士さんでしょ。守るべき国のトップにわがまま言えないじゃない。」
ニコニコしながらアド姉さんがトリィに応える。
これは慌てた様子のトリィをからかっている感じだ。
「私にもいろいろ伝手はあります!それにわがままじゃありません!王国民の安全を守るのは国に仕える者の責務です!それがたまたま婚約者だっただけです。」
と言い返すトリィ。
「えー、でもー。」
と完全にからかう顔になっているアド姉。だが、
「”アドおばさん”は何もしなくていいいです!!!」
トリィが放った一言にその場の時間が止まった。
おまっ、子供の頃にその禁句を言ってお尻が一週間ほど腫れあがる羽目になったのを忘れたのか!
とトリィを見やる。
トリィも一瞬、しまったという顔をしたが、気を取り直し、アド姉をにらむ。
打てる手に気を取られすぎて地雷を踏んでしまったか・・・
アド姉は何も言わない。さわやかに浮かべていた笑顔のままゆっくりと立ち上がる。
だが、瞳孔が普段の丸目から横長の羊目に変化している。
ハイライトも消えていた。昔一度だけ見たことのあるあの目だった。
「いま、なんて言ったのかしら。お姉さんよく聞こえなかったわ・・・」
殺気というか、殺意の塊の中にいきなり放り込まれたような緊張感にさらされる。
この人本当に商人かしら・・・
「私、訂正しませんから!」
訂正しろーーー!!! 、言い間違いだと言えーーー!!!
とトリィに突っ込もうとしたが、耐えるのにいっぱいで口を開くこともできない。
視界の片隅では、ミアが崩れ落ちていて、アレックスもそのミアを支えながら片膝をついていた。
えっ、アレックスが耐えられないぐらい? なんで僕耐えれてるの。
とふと疑問に思ったが、精神耐性の腕輪を付けていたことを思い出した。
不測の事態に人事不省にならないように、と各種耐性を備えた腕輪を作っていたことが幸いしたようだ。まさか自室で実地検証ができようとは。
だが、その腕輪を見ると、魔法陣が魔力不足を示す点滅状態になっていた。
すぐに魔力を補充しなおそうとするが、すでに目がくらみ始めていて、間に合いそうにない。
どうやら僕はここまでのようだ。
「私の方が先だったのに!」
「子供のころの約束なんて無効です!」
「子供だからとか関係ないわ。契約だもの。」
「卑怯だわ。余裕がない人は大変ね。」
「第一夫人になんてこと言うのかしら、この泥棒猫!」
「誰が第一夫人じゃ、このばばぁ!」
殺気や殺意を放ちながら、口汚く言い争う二人の声を耳にしながら、僕は気を失った。
トリィはこれに耐えられるまでに成長したんだな。と妙な関心をしながら。