第050話 ローラさんの兄
目が覚めるとシャツとズボンのままベッドに寝かせられていた。
誰が運んでくれたの?と朝食の席で皆に聞いたらミアが見つけてトッドが運んでくれたらしい。
「最初、お嬢様にタック様のお着替えとベッドへの移動をお願いしたのですが、顔を真っ赤にして拒否されましたので、せめてベッドにとトッド様にお願いしました。」
と給仕をしてくれていたミアが実情をばらしてくれた。
こういう時ヘリウムのように軽い口はありがたい。
トリィが真っ赤な顔をしてミアを睨んでいたが本当の事なので何も言わないようだ。
からかうのはやぶへびなのであえて触れるようなことはしない。
「すまないね、トッド。」
「別に気にすんな。護衛対象の健康管理も仕事のうちさ。」
「ところでドリル家の方は?」
「そのことなんだが、リール様に相談したら、一緒にローラさんのところに連れて行ってくれとさ。」
「リール様ってローラさんのお兄さんの?ここにいるの?」
「そりゃ、自領で療養中なんだから、ここにいるだろ。」
リール・イニレ。ローラさんのお兄さんだ。
優秀な人でイニレ家の後継者に決定してたそうだが、第一王子の側近という立場を狙った悪い奴らに”思考低下?”の魔道具で利用されてしまった。
責任を取ってイニレ家の後継を降りることになり、さらに魔道具の後遺症があるので自領で療養することになった運の悪い人である。
僕とトリィは魔道具で利用されてた時しか知らないので、彼の人となりはよく知らない。
でもトッドとビッキーの話し方を聞く限りだと悪い人ではなさそうだ。
「ごめん、リールさんの方が気になったからそっち聞いたけど、リッキーをどうしろって?」
「ローラ様が裏で何をしたかはリール様も知らないから、一緒に連れてってローラ様に処分もまかせてしまえってさ。」
「なるほど。」
「あと俺らの人数少なすぎるから一時的に配下にして御者として使えってさ。」
「途中でいなくなったらどうするのさ。」
「そんときゃ、周辺の貴族に自称貴族を名乗る不届き者がいるって注意喚起するだけだな。少なくともイニレ領兵には勘当中って伝えてあるから次捕まったら間違いなく牢屋にぶち込まれる。」
「それなら、逃げ出すこともないか。」
「今リール様がリッキーにそこらへん申し送りしてくれてる。」
「了解。」
と食事をしながら横のトッドと話を進める。
同席しているトリィとヒビキはそれを聞きながら黙って食事していた。
「そういえば、今日はアニストン領までだろ?食事したらすぐに出発か?」
「いや、出発前に挨拶も兼ねて面会がある。」
「面会?」
「リール様がお前と話がしたいんだってさ。」
「えー?リールさんを叩きのめしたんだよ、僕。」
「そりゃそうなんだが、洗脳状態から解放してもらったことを感謝したいって言ってたぞ。」
「トッド、僕はこの短い期間に貴族の本音と建て前は違うことを学んだんだ。」
「なんだ、いきなり?」
「貴族にしてやるって言われて、借金まみれの男爵家を押し付けられたり。」
「遠回しに俺を非難してる?」
「寄親として面倒見てやると言われて、男除けに使われたり。」
「感謝したいって呼びつけといて、何か頼まれたりするかもって心配してる?」
と食事を終えたヒビキが僕の心配事を口にする。
「そのとおり。」我が意を得たり。
「考えすぎだ。そもそも屋敷に泊っておいて当主代行に何も言わずに出るなんてできないだろ。」
「当主代行?」
「今、前当主様は王城、ローラ様は帝国に遠征中。なのでリール様がイニレ領の当主代行さ。」
「療養とは?」
「方便だな。ラナ王女ほど軽くはなかったけど、ほとんど後遺症らしきものもない。あえて代行と明言されてはいないそうだが、ローラ様は”何かあったらリール兄様に相談して”と言って出立されたそうだぜ。」
「貴族のそういう本音と建て前を使い分けるところが僕は苦手なんだ。」
「貴族だけに限った話じゃない。そもそもお前ももう貴族なんだからグダグダいうな。」
しつこいぞ。とばかりにちょうど食べ終わった皿にフォークとスプーンを置き、食事の終了を給仕に告げるトッド。
立ち振る舞いとか食事の所作とか、こいつもしっかり貴族っぽいのである。
食事を単なる栄養補給としか考えてなかった僕とは経験値が違う。
ここらへんもなんとかしなきゃなあと思いながら、僕はトッドの所作を完コピして食事の終了を告げた。
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館の一室でリールさんと2人きりで面会したのはそれからすぐのことだ。
「リール・イニレです。治してもらった際はきちんと挨拶できずに申し訳ない。」
と言って目の前の目元の涼しげな美丈夫はそう名乗って、僕に一礼してきた。
屋敷で空弾を食らった傷はラナ王女に治してもらったそうだ。
ローラさんと同じ黒髪だ。以前あった時も同じ色だった気もするがイメージが全く違う。
「タック・タッキナルディです。先日は失礼しました。」
ととまどいながら僕も一礼する。
以前、突然現れたラナ王女に狼狽していた姿が嘘のように堂々とした振る舞いだった。
こっちが本当のリールさんだとすると、”思考低下”おそるべしである。
「失礼だなんてとんでもない。逆です。あの場でラナ王女に何かあれば私はもうこの世にいなかったでしょうから、男爵には感謝しかない。」
「そう言っていただけると助かります。」
「さらにはアニストン家も再興していただいた上に、王家のパーティでは妹の相手役もつとめてもらったそうで大変ありがとうございます。」
「そちらは成り行きです。あと申し訳ない。叙爵したばかりですのであまりかしこまらずに話していただけると助かります。」
もと伯爵の嫡子だけあって、言葉がよどみない。
こっちが気疲れしてしまうので、無礼講とさせてもらった。
「そうですか。引き続きローラを支えていただけるとうれしいです。」
「はい、寄子の男爵として支える所存です。」
限りなく正解に近いはずの回答を答えたはずだが、ここでリールさんの顔が少し曇り、
「ちょっと座って話をしましょう。」
と横にあるテーブルを指さした。
イニレ家のメイドが飲み物を置き、一礼し引き下がったあと、リールさんは話をつづけた。
「我が家の恩人であるあなたにこんなことを頼むのは大変心苦しいのですが・・・」
まさか、僕の予感があたるのか?
魔道具の融通だったら待ってもらうしかない。予約待ちはかなりの数だ。
「なんでしょう。私にできることでしたら。」
と思ってもいないことを口にする。僕も貴族ナイズされているのかもしれない。
「ローラのことなのです。」
うん、できることは限られる。黙ってうなずき続きを促す。
「実は何かしら理由をつけて私に家督を返そうとしているようでして。」
「それは・・・。」
と口を開きかけるが、その先を口にすることがたばかられ黙る。
世間一般的にはリールさんは被害者となっている。
だが実情を知っているものからすると、優秀ではあるが、王族を危険にさらすという過失があった男と言うレッテルを張られてしまっている。
当主に返り咲くとなると、それなりの反発が予想された。
「それは難しいということは私も言ったのですが、あの子がぼそりと”私に子がいなければお兄様は難しくてもお兄様のお子に譲ることはできますわ。”と言ったのです。」
「一案として言われたのではないですか?甥、姪に譲ることは珍しくはないでしょう。」
「それはよほど優秀な場合です。」
と僕自身信じてない案をリールさんは冷静に否定する。
「あの子が母親にならないことを選択するのは良いでしょう。あの子の意思だから尊重もします。ただその理由が私に家督を戻すため、というのであれば、私はそれを阻止したい。」
とリールさんは断言した。
「リールさんのお考えはわかりました。それで私に頼みと言うのは?」
「はい、妹は王子との婚約解消後の釣書の束にすっかり辟易してしまいまして。すっかり男嫌いになってしまいました。」
「はい・・・、そうですね。」
汚物を見るかのように釣書の束をながめていたローラさんの顔を思い出しながら返事する。
「ただ、肉親をのぞいて唯一平気で話せる男性がいるそうなのです。それもさほど年も離れていない。」
「はい・・・、そうですね。でも寄子ですよ。」
リールさんが誰のことを言っているのかがわかってしまった。
「ローラもその男性を憎からず思っているようでして。」
「そう・・・、なんですかぁ?」
そこに関しては自信はない。
「少なくともここに帰ってきて私と話した雑談のほとんどはあなたの話でした。パーティの時に第三夫人に名乗りをあげたことを楽しそうに話しておりました。」
「そこまで話したんですか・・・でも僕には婚約者がすでにいますし。」
「それも知っています。あなたの気持ちをないがしろにする意図はありません。」
とリールさんは微笑む。ここにいて自領から出れなかったはずだが、かなり情報を抑えている。
ローラさんから聞いた部分はあるだろうが、他にも情報源があるかのように言葉に迷いがない。
「ただ、この後状況が変わって、あなたが複数人と結婚するのならば、妹にも意思確認をしてほしいのです。」
「そんなことにはならないと思いますけど・・・」
「はい、あなたがベアトリクス様を一番大事だと宣言されたことも存じております。」
「知ってるんですか?じゃあなんで?」
「一番大事な人がいるということは二番目に大事な人や三番目に大事な人ができてもおかしくないでしょう?」
「大切な妹さんが三番目でいいんですか?」
というとリールさんは一瞬真顔になった後、笑いだした。
「ふふふ、失礼。タック殿もおかしなところを気にされますね。もともとローラは第一王子の第三夫人の予定だったのですよ。」
「いや、王子と一男爵を同列に扱うのは・・・」
「ローラも言ってましたが、あなたは自己評価が低いのですね。ただの一男爵にオーグパイムの中将殿がご執心なわけがないでしょう。」
「あれは商家の縁と言いますかなんというか・・・」
僕がポヨンによく懐いたからとは言いづらい。
「謙虚さをなくされないのは良いことだと思います。私からのお願いは以上です。タック殿。」
言いたいことは言い終えた。そう言わんばかりにリールさんは満足そうに手元のカップに手を伸ばした。




