Episode 33「大海を渡る途上にて」
何処からか、波の音が聞こえてくる。
それに呼応するかのように床が揺れる。
床が揺れると共に、何故か俺の側にちょこんといるペンギンもゆらゆらと動く。
俺達は帝都に向かうため、数日間滞在したヴィルムの街から離れ、大海を渡る船の中にいた。
──船内の一室にて。
「ねぇライゴ、船に乗り込んでからずーっとその本読んでるけど、いったい何が書いてあるのさそれ?」
『帰還之術』を読んでいた所、床で胡座をかいていたマロンにそんな事を問われた。
俺は本を読むのを一旦止め、マロンの方へと目を向ける。
「この世界の事や葦原への帰り方についてだな。特に葦原への帰り方については、何十枚にも渡って書かれてるぞ」
「アシハラって、確かライゴの故郷の国だっけ?」
「ああ。だが、あそこはここ百年の間は戦ばかりだ。何とかして帰るつもりだが、帰ったとてあまり良い事はないな」
「えっ、じゃあなんでわざわざ帰ろうとするのさ」
理解できないと言わんばかりにそう言われた瞬間、葦原にいる身内や、家臣達の顔が次々と浮かんだ。
「……やるべき事があるからな。それに、俺の帰りを待つ人間が何人もいる。それだけで帰ろうとする理由としては十分だろ」
とはいえ、あの状況だ。政親らに死んだと思われていても何らおかしくはない。
かつて同じ経験をしたであろう祖父・天田曲矢守も、まさか孫が同じ経験をしているとは到底思わないだろう。正直な所、生い先の短いあの人が今この瞬間、生きているかどうかも分からない。
だが、それでも帰らないという選択をするつもりは一切なかった。
「そっかー。家族とか友達とかいるもんね」
「ああ。……ってどうしたペンギン。じーっと俺の方を見て」
ふと、船の動きにつられるかのようにゆらゆらと揺れていたペンギンの熱い視線に気づく。
「なんかさみしそう」
「寂しそう?俺が?」
発せられた一言に、思わず問い返す。
「うん。そんなかんじする」
そんな感じ、か。
俺がどんな表情をしているのかは分からないが、この小動物には俺が寂しそうに見えたのだろう。
しかし、何故かそれを否定する気にはならなかった。
「そうか。確かに少しは寂しいかもな……そういや、フィメリアとテルの奴は何処行った?」
二人の姿がない事に気づく。
『帰還之術』を夢中になって読んでいたからか、その事に全く気がつかなかった。
「え?二人なら結構前に『外の風を浴びてくる』って言って、船の甲板の方に行っちゃったよ?船酔いでもしたんじゃないかな」
船酔い……ねぇ。
思いの外、この船は揺れている。二人が船酔いしていたとしても、何らおかしくはない。
「なるほど。だとしたら大丈夫なのかあいつら」
「うーん……多分大丈夫だと思うよ?二人とも顔色はあまり悪くなさそうだったし。というか、こんな中でよく本を読んでられたねライゴ。船酔いしないの?」
「しないな。かく言うお前やペンギンも結構平気そうだが」
「そうだね。なんでだろ──」
「にゃっ」
ここで突然、ペンギンが鳴き声をあげた。
「どうしたのオヤマ」
「なんかきてる」
「……来てる?どういう事なのさ」
「やなよかんする」
「「‼︎」」
俺もマロンも、一瞬で鳥肌が立った。
こいつのこの発言の後、ロクな事が起こった試しがない。
「……なぁマロン、一応聞いておくが海の上でも魔物とかって出るのか?」
「出ない事はないと思うけど、出るとしても稀だよ」
「稀か。……まさかな」
「まさかそんな事ないよね」
二人揃って苦笑いしていた所で、部屋と船内通路を繋ぐ扉が勢いよく開く。
「ライゴ!マロン!」
現れたのは、甲板にいる筈のフィメリアだった。
俺やマロンが用件を聞く間もなく、彼女は少し焦った表情で続きを口にする。
「魔物の群れが襲撃してきたわ!二人とも、武器を持って甲板まで来て!」
「……マジか」
「……マジだね」
この小動物の「やなよかん」は、またもや当たったのである。
──────────────────
魔物の群れが船を襲撃した。
その知らせが俺達に伝えられた頃には、船は混乱状態にあった。
甲板にいた者の多くは慌てて部屋へと逃げ戻り、船員達は必死な表情で連絡を取り合っている。
そんな中、甲板ではテルがただ一人、征魔術を武器に鷹のような見た目の魔物達と対峙していた。ざっと見ただけでも、船の周辺に二十羽はいる。
「テル、無事か⁉︎」
「今んとこは無事よー」
背中越しから、気怠げそうな返事がくる。
「けど、かなりの数ね。しかもあの鷹達、連携しながら次々に襲いかかってくるから思ってるより厄介よー。……『ヴォルティング』!」
次の瞬間、こちらへと向かって来る群れの中に、一発の雷が落とされた。
テルは間髪入れず追撃する。
「雷で造られし嵐よ、彼の者を呑み込み裁きを与えよ!『サンダーストーム』!」
詠唱が終わると共に現れた竜巻状の雷は、鷹達を次々に巻き込んでいく。
程なくして鷹達は一羽残らず黒く焦げた屍となり、海の藻屑になっていった。
「厄介とか言う割には平気そうだな……」
苦戦するどころか、余裕かましてるぞこいつ。
慌てて損したじゃねーか。
「そうねー。ま、こいつらは雷属性が弱点だからこうしてしまえば大した事……うっぷ」
テルの身体が少しふらつく。
すぐさま口を右手で覆った彼女の顔は、ガッツリと青褪めていた。
「……マロンの予想通り、船酔いしてたみたいだな」
「だね。テル、無理しない方がいいよ?」
「な、何とでも言いなさい……う……」
今にも吐きそうな感じの返事。
この様子だと、色々マズい事になるかもしれない──
「うおっ⁉︎」
俺達の不意を突くように、船が大きく傾いた。それを皮切りに、揺れは徐々に大きくなっていく。
気を緩めれば、船から振り落とされそうだ。
どうも嫌な予感しかしないと思った矢先、海中から赤い触手のようなものが幾つか現れて。
「「‼︎」」
それらは、次々と船に乗り込んできた。それも五体。
人の身丈を上回る程の大きさに、蛸と烏賊を足して二で割ったような風貌。蛸烏賊擬きとでも言おうか。
魔物に関する知識が皆無に等しい俺でも、こいつらが魔物である事はすぐに理解していた。
「テル、征魔術は──」
彼女の方に視線を向けると、ただでさえ悪かった顔色は更に悪くなっている。
負傷や船からの落下といった諸々の危険を回避するためにも、ここは船に退避させた方が良さそうだ。
「──無理そうだな。マロン、テルを船の中に退避させろ!こいつらは俺とフィメリアで叩く!」
「えっ⁉︎あ、うん、分かった!テル、戻ろう!」
テルが口を覆ったままこくりと頷く。
二人が船内に退避したのを見届けた俺は、いつの間にか小刀を取り出して戦う準備を整えていたフィメリアの方に顔を向けた。
「……よし。フィメリア、悪いが援護を頼む。この世界に飛ばされてから一月程経つが、未だに魔物との戦いには慣れてねーんだ」
「分かったわ。とにかく、刀を構えて!来るわよ!」
「ああ。さて……今から貴様らは刺身にしてやる。美味いか如何かは知らんがな!」
鞘から志剛天賦守を抜刀し、構える。
そして、目の前にまで迫ってきた一体の蛸烏賊擬きの脚を一本、二本と斬り落としていく。奴に反撃の隙を与える事なく、残りの脚も全て断ち斬って。
「おらあっ‼︎」
止めに頭を叩き潰し、最初の一体を無力化させた。
勢いそのまま、一番近くにいた蛸烏賊擬きへと斬り掛かる。
「ライゴ!右から来てるわ!」
背後から飛んでくるフィメリアの声。
彼女の言葉通り、右方には蛸烏賊擬きの赤い触手があった。
「……危ねっ‼︎」
触手による打撃を間一髪で避け、反撃に転じる。
「奥義、紅蓮千撃!」
刃に赤黒い焔が纏わりつき、そこからの一閃。
瞬く間に蛸烏賊擬きは燃え上がり、二体目も討ち取った。
しかし、それと同時に木製の甲板まで燃え始める。
「げっ」
「ちょっ、貴方、なんて事してるの⁉︎」
俺とした事がやってしまった。早々に消火しないと厄介な事になるのは、火を見るよりも明らかだ。
「悪い!何とかして消してくれ!」
「言われずとも消すわよ!『アクアストリーク』!」
フィメリアの右手から勢いよく水流が放たれる。火は瞬時に消え失せ、その場には焼け跡が残った。
「助かった!かたじけない!」
「そんな事言ってる暇があったら、目の前のクラーケンに集中して!来てるわよ!」
「やべっ」
気づけば、蛸烏賊擬きが二体、目前まで迫っていた。
「左に避けてっ!」
「‼︎」
フィメリアの指示に従い、大慌てで避ける。
避けてすぐ、彼女が投擲した何本もの小刀が二体の蛸烏賊擬きにグサグサと突き刺さった。
一体は深傷を負ったのか、青い血が数多の傷口から流れ出て、徐々に弱っている。屍となるのも時間の問題だろう。それと比べて、もう一体の方はあまり傷を負っていないようだが──
「……隙塗れだ!」
深傷を負わなかった方の蛸烏賊擬きの頭を、志剛天賦守で力強く叩き割る。
それと同時に青い血が周囲に飛び散り、間もなく蛸烏賊擬きは一切動かなくなった。
フィメリアの投擲攻撃で深傷を負った個体は既に虫の息。残り一体だ。
「……今目の前にいる、こいつが最後だな」
「ええ」
甲板の端の方でこれまでの攻防を傍観していた、最後の一体。
既に力尽きた四体よりも一回り大きく、体は人の血の如く赤黒い。普通の人間なら、その見た目だけで圧倒されてしまうだろう。
さて、これを如何に倒すか。
「恐らくこいつが親玉だ。フィメリア、お前ならどう倒す」
「どう倒すって……さっきと同じような方法で問題ないと思うわ」
何か仕掛けてきそうな気はするが、それが無難か。
「まずはわたしが投擲であのクラーケンを足止めするから、その隙に貴方は接近して脚を斬り落として。そこから更に弱らせて、最後に止め。止めを刺す時はくれぐれも甲板や船体を燃やさないように。いい?」
フィメリアに念を押され、つい言葉を詰まらせる。
分かってるっての。
「へいへい。そう言うお前もヘマすんなよ」
そう言って、俺もフィメリアも目の前の敵に視線を向け、構えた。
「はぁっ!」
やがて、フィメリアが仕掛ける。
投擲された五本の小刀は全て蛸烏賊擬きへと突き刺さり、ジリジリと近づいてきていた蛸烏賊擬きは怯んで動きを止めた。
投擲を続けるフィメリアが攻撃の手を緩めないうちに、俺は奴の懐へと入り込む。
そして作戦通り、奴の脚を次々と斬り落とした。
「よし!止めを──」
「待って!下がって!」
フィメリアの必死の呼び掛けに不審なものを感じた、その時。
切断した脚が全て、凄まじい勢いで再生した。
「「‼︎」」
驚く暇もなく、脚が俺の足下に強く叩きつけられる。
ギリギリの所で回避するも、俺は心の何処かで動揺していた。
「マジか!また生えてきやがったぞ!気色悪い!」
「まさか自己再生するなんて……きゃあっ!」
今度はフィメリアめがけて墨のようなものを噴き出してきた。直撃こそしなかったものの、彼女の着ている水色の軍服の袖と甲板の一部が黒く染まる。
「大丈夫か⁉︎」
「ええ……けど、このままだと手も足も出なくなる。早めに突破口を見つけないと」
「そうは言ってもな……」
近づけば脚で叩きつけられる。かといって離れれば墨を放たれる。
先程のように懐に入り込んで脚を斬り落としても、瞬時に生えてきて反撃されるのがオチだ。
木造船という事もあり、火を司る俺の征魔術は使えない。奴が蛸か烏賊かは未だに分からないが、どちらにせよ水生動物である以上、フィメリアの『アクアストリーク』もあまり効かないだろう。
船の揺れも中々収まらない。
俺らが為す術なく倒され、船が奴によって破壊されるのが先か、それとも奴が倒されるのが先か。
奴の弱点は一体何だ──
汗が一滴、額から流れ落ちた。