第二章番外編「香寺式ノ丞と音信城の姫様・後編」
番外編後編です。
ある情報を持って音信城に登城した虎親は、果たして幸に伝えるべき事を伝えられるのか。
音信城の一角にある、十二畳程の広さの部屋。
「姫様、お久しゅうございます」
香寺虎親は、「音信城の姫様」こと天田幸と対面していた。
だが、その幸の顔色はあからさまなまでに悪い。
叔父の一件以降、悲しむあまり食事を拒み、床に臥せる事が増えたが故であった。
「……ええ。今日は、どうしてこちらに……?」
幸の落ち込み切った返事から、虎親は事態の異常さを改めて感じ取った。感情の起伏が人一倍激しい娘ではあるが、ここまで沈んでいる事は殆どなかった。
彼は少しの間を置いて、幸の質問に答える。
「今日登城した訳は二つあります。一つは、留向での我が軍の戦果のご報告。そしてもう一つは、去る九月十七日の件についてです」
「殿下の事……」
「ええ。その件について一つ、この式ノ丞から姫様にお伝えしたき事が──」
「虎親」
最後まで言い切らないうちに、虎親の言葉は幸に掻き消される。
「……まさか、貴方も皆のような事を言うのですか。『早まるな、今は堪え忍べ』と」
何かを恐れるように発せられた幸の声。
その紅い瞳には、怒りとも怯えとも取れる感情が渦巻いていた。
恐らく、周囲から嫌という程「堪えろ」と言われたのだろう。
「否定は致しませぬ。ですが、俺が姫様にお伝えしたいのはその事だけではございません」
「どういう事ですか」
「姫様は雷吾が──殿が失踪したとの報告を聞いた際、何処かおかしいとは思われませんでしたか」
虎親の問い掛けに、幸は目を見開く。
「……思いました。殿下は刺客や紅蓮馬諸共崖に落ち、音もなく忽然と姿を消したと聞きました。ですが、普通なら崖下に落ちた時に何らかの音が聞こえる筈ですし、政親達が早々に見つけているでしょう。それに、有直達に阿弥野付近の捜索を連日、徹底的に行わせても、一つも手掛かりは見つからない。おかしいとしか言いようがありません」
「なるほど」
(となると、やはり曲矢守様の仰っていた通りか。しかし──姫様にそれをお伝えした所で、果たして聞き入れて頂けるのか)
虎親は、頭の中で一つの結論に辿り着いていた。
だがそれと同時に、葛藤が頭を過ぎる。
(……いや、ここで二の足を踏んでいてはいかんな)
彼は一瞬の葛藤を振り払い、続きの言葉を口にした。
「姫様、『神隠し』というものはご存知ですか」
「……幼い頃、お宇海から少し聞いた事はあります。人が突然姿を消すとかどうとか」
「はい、まさにその通りです。そして、殿もほんの一瞬のうちに忽然と姿を消した」
「──まさか」
幸はとてつもない不安に駆られた。
「……そのまさかです。殿が姿を消されたのは、襲撃を受けた際に『神隠し』に遭ったが故だと考えられます」
「……っ!そんな、そんな訳……っ!」
己の無力さに、幸は力なく首を前に垂らす事しかできない。
「殿下が、神隠しに遭うなんて……そんなの……っ」
声は次第に薄れ、最後の方はよもや声にすらなっていなかった。
「誠に信じ難い事ではありますが、紛うとなき事実です。先刻、ここに登城する前に郊外御屋敷におられる曲矢守様にも御意見を伺いましたが、やはり同じ結論に至りました。『神隠し』に遭った、と」
暫くの沈黙が訪れた後、今にも泣きそうな顔になりながら幸は口を開いた。
「……結論からして、殿下はどうなったんですか」
「殿は『神隠し』によって常世──この現世とは異なる所へと飛ばされました。断言は致しませぬが、恐らく殿は無事です」
その言葉を聞き、幸はほんの一瞬だが安堵の表情を見せた。しかし、彼女の表情は依然として沈んだままである。
「……でもどうして、曽祖父様も貴方も、そんな事を言えるのですか」
当然とも言える疑問が飛ぶ。
すぐさま、虎親はその答えを返した。
「詳しく話せば長くなりますが……曲矢守様は殿のように『神隠し』に遭われた事があります。それも二度。曲矢守様はその際、この書物を作られました。これに常世の事や、常世から現世への帰還方法等々が書かれております」
幸が目を丸くする中、虎親は小袖の懐から一冊の本を取り出す。
本の表紙には、達筆な字で『帰還之術』と書かれていた。
「曲矢守様が姫様に渡すように、との事です。お暇な時にでもお読み下さい」
「あ、ありがとうございます……」
戸惑いながら、幸は差し出された本を受け取り、感謝の言葉を述べる。
「でも……何故虎親はこの事を?」
首を傾げた幸の問いに、虎親はオホン、と咳をして。
「実を言うと、曲矢守様が二度目の『神隠し』に遭った際、当時曲矢守様の近習として仕えていた亡き父・香寺格ノ丞も曲矢守様と共に常世へと飛ばされたのです。俺は、父が常世にいる間に生まれました」
「──えっ」
「俺のこの耳が、その証です」
虎親は自らの耳を指さしながら、そう断言する。
彼の両耳は、他の人よりも少し尖っていた。
「姫様からしたら荒唐無稽に聞こえるお話かもしれませんが、俺や曲矢守様が殿の行方についてそう結論づけたのは、それが故でございます」
「……!殿下は、この事をご存知なのですか」
「いいえ。この事を知るのは当事者である曲矢守様や俺くらいです。そもそも、他人に話せるような事ではありませんので」
「もしや、わざわざお宇海や侍女小姓達をこの場から去らせたのはそのため……」
虎親は深く頷いた。
「はい。この話は乳母殿をはじめ、他の者には内密にして頂きたく存じます。在らぬ疑いを掛けられたら、ただでさえややこしい話が更にややこしくなりましょう」
「わ、分かりました。あ、あの、殿下がいつ戻られるかとかは……」
「それは俺にも分かりかねます。戻るか戻らまいか、戻るとしていつ戻るか。それは殿次第、としか言いようがありませぬ」
「戻らない……かもしれないんですよね……」
またもや幸は表情を曇らせ、俯いた。
それに対して、虎親は一層真剣な眼になって彼女を見つめ。
「姫様。ご存知だとは思いますが、殿はよく『面倒臭え』とぼやいている割には責任感の強い男です。そんな殿が天田の氏長者という責任を放り出して戻らない事を選択する、とは到底考えられません。たとえ時間が掛かったとしても、殿は戻って来る。それだけは断言できます」
少年期からの幼馴染、且つ親友であるが故の確信だった。
「ですから姫様、今暫くはご辛抱下さい」
そして結論づける。
それを聞いた幸の表情に、曇りはなくなっていた。
「心得ました。……くよくよしてはいられませんね」
吹っ切れたように久しぶりに見せた、柔らかな笑顔。
その笑顔に、虎親は胸のつかえが取れた気がした。
「そういえば、留向での戦果がどうとか仰っていましたが……その件はどうなったんですか?」
もう一つの報告を思い出し、虎親は「そういやその事もありましたな」と口にして。
「この二月で我が軍は学形・真嶋・珠縢の三城を落とし、留向の平定は目前の状況となりました。留向攻略を始めて一年、ようやく完遂できます」
「そうですか……もうそんなに経つんですね。その後は志暮や和墺の方に?」
「ええ。とはいえ、度重なる戦で将兵の多くは疲弊しております。その上、あちらの方ではそろそろ雪が降り始めるので、当分は軍を動かさず戦線を維持する事になるでしょう。そこで誠に勝手ながら、現地の指揮は暫く義父殿や義弟らに任せ、俺は来年の春頃までこの音信で一息吐かせて頂きます。この音信城で何かあれば速急に参りますので、ご理解の程宜しくお願い致します」
虎親は深々と頭を下げた。
「はい。お務めご苦労様でした。また何かあれば、色々とお願いしますね」
「はっ。では、俺はこれで失礼致します」
「あっ。最後に一つ、余計なお世話かもしれませんが、宜しいでしょうか」
部屋から出るため立ち上がろうとした所、幸から待ったが掛かった。
「……?どうされました」
「いえ……少々申し上げ難いのですが……顎髭がない方が素敵ですよ」
「え」
申し訳なさそうな顔で発せられた一言に、虎親は驚くあまり立ち上がる事ができなかった。
綺麗に整えられた顎髭は、彼にとっては強さの象徴、且つ武将としての誇りのようなものだったからだ。
「あ、あの……姫様、今、何と?」
「その顎髭がない方が素敵ですよと言いました。前にお会いした時は髭を生やしていなかったので、幸が慣れていないだけかもしれませんが」
「は、はぁ。そうでございますか」
辛うじて平静を保つ虎親だが、声には戸惑いと動揺が混じっていた。
「すみません、やはり余計なお世話でしたね」
「いえ……お気になさらず。では俺はこれで失礼致します」
「はい」
複雑な気持ちになりながら、虎親は城を後にした。
なお、帰宅後に妻にも幸と全く同じ事を言われ、一年以上伸ばしては整えてきた顎髭を剃る事を渋々決めたのは、また別の話である。
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自らの屋敷へと帰る道中、馬上にあった虎親はふと空を見上げた。
昼過ぎに城を出たが、気づけば陽は落ちかけている。
「……おい雷吾。お前は知らんだろうがな、お前が忽然と消えたせいでこっちは色々と厄介な事になってんだ。曲矢守様は病の床に伏せられ、姫様は自刃寸前までお心が追い詰められた。お前が帰って来ねえと、天田の御家はそう遠くないうちに滅ぶ事になるぞ。さっさと『あの場所』から音信へと帰って来やがれ」
吐き捨てるように発せられた言葉は、空へと消えていく。そして。
「間違っても死んだり、帰るのを諦めるんじゃねえぞ。皆待ってるからな」
常世の果てへと消えた親友に向けて叫んだ彼は、馬の腹を軽く蹴り、走らせては妻子の待つ屋敷へと帰っていった。




