Episode 32「故郷に帰るには」
紅蓮という、雄の馬がいる。
小柄な個体の多い葦原の馬にしては珍しく巨体で、赤黒い体毛を持ち、一日に五十里もの距離を駆ける事のできる名馬である。
しかし、気性が荒いためか乗りこなすどころか大人しくさせるのですら難しく、乗るのも世話をするのも人を選ぶ。
だが、どういう事か俺はこの名馬に乗る事が許され、共に数多の戦場を駆けて戦ってきた。一緒にこの異世界に飛ばされてからも、それは変わらない。
先の件で負傷したフィメリアが回復した矢先、戦友且つ相棒のような存在であるこの名馬は、突如体調を崩したのである。
「……征魔術によって発生した、高濃度の属素をかなり取り込んでしまっています。あと少し属素を取り込んでしまっていたら、魔物になっていましたね」
伯爵の屋敷の馬舎にて、弱り切っていた紅蓮の体調を一通り確認した壮齢の医者は、何とも信じ難い事を口にする。
「……マジなのか」
「マジです。ですが、この状態で魔物化していないのはある意味奇跡ですよ。それも、属素の耐性が全くなく、環境の変化にあまり適応できてないであろう異国の馬が」
「紅蓮は治るのか?」
「取り込んだ大量の属素を少しずつ放出する事で完治はしますが、それでも放出に一、二ヶ月は時間を要します。ですから当分は、この屋敷で治療をしなければなりません」
当分はこの屋敷で治療しなければならない。
即ち、紅蓮をここに預け、置いていかなければならないという事だ。
それを理解した瞬間、己の無力さを改めて自覚する。
この状態の紅蓮を癒す術を他に持たない以上、ここに預けるしかできないのだが。
モヤモヤとした感情が渦巻いてくる。
「そうか……治療費とか、餌代はどれ程掛かる?」
「かなりの高額ではありますが、旦那様にこの件を報告した所、旦那様は即座に『お金は私が出す!』と仰っておりましたので、アマダさんが治療費を払って頂く必要はありません」
……マジか。
伯爵、あんたは優しさの塊かよ。
「……本当、申し訳ないの一言に尽きるな。伯爵にもあんたにも」
呟くように口にすると、医者は首を横に振り。
「いいえ、そんな事はありません。伯爵はあのようなお人柄ですし、私は医師としてやるだけの事をやっているに過ぎません」
謙虚な人だ、とつくづく思う。
「それなら当分、紅蓮の事は頼んでいいか?人と馬とはいえ、こいつとは苦楽を共にしてきた間柄なんだ。ここで死なれたら敵わん」
「勿論です。お任せ下さい」
落ち着いた口調ながらも、何処か自信の有り気な医者の弁を聞いた俺は、思わず紅蓮の方に顔を向けて。
「……紅蓮、しっかり養生しろよ」
回復を願うあまり、そのような言葉をかけずにはいられなかった。
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「おーいテル、ライゴだ。部屋入るぞー」
扉を三度コンコンと叩き、彼女の声が聞こえてくると共に扉を開けてはその奥へと入る。
「いらっしゃーい……って、なんでオカマ伯爵までいるのよ。帰って」
大量の本や器械が部屋中に散乱している中、テルは寝床でゴロゴロとしながら本を読んでいた。
そんな彼女は、俺の背後にいた伯爵の姿を見るなり、さぞ不機嫌そうに眉を顰める。
対する伯爵はそんな事お構いなしで。
「当然、テルたんとお話しするために決まってるわ!テルたん、あれから全然口を利いてくれないもの!」
「あれってもしや、俺が初めて伯爵と顔を合わせた時か?」
「そう!あの時からこの娘は全然口を利いてくれないのよ!私はいっぱい話したい事あるのに!」
そう言って、伯爵はまるで子供のように不満を漏らす。
すると、テルは不機嫌な表情のまま俺と伯爵を睨みつけ。
「ライゴ、とりあえずそのうるさいおっさんを追い出しなさい。話はその後よ」
断言と共に、こちらへと圧力が迫ってくる。
こうなるとやむを得まい。
「……分かった。悪いな伯爵」
「えっ」
いつの間にか部屋に入っていた伯爵を軽く突き飛ばし、彼を部屋から追い出してすぐに扉を閉めては、急いで鍵を掛ける。
「ラ、ライゴちゃんの裏切り者ーーっ!私も一緒に入ってテルたんとお話しする、ってさっき決めたわよね⁉︎」
扉を強く叩いては、必死になって悲痛の叫びをあげる伯爵。
……誠に申し訳ない。
が、こうでもしないと話が進まんのだよ。
「すまん伯爵。少し待っててくれ」
テルは清々したと言わんばかりにフゥ、と一息吐き。
「さ、まずはあんたに預かってたソルディア返すわ」
テルは読んでいた本を置いては寝床から起き上がり、部屋の一角に安置されていた俺のソルディアをこちらへと持ってきた。
俺はソルディアを受け取っては、右腕にそれを通し、暫くぶりに身につける。
「やっぱ重いな、これ」
「細い見た目の割に重いあの剣……刀とかいったっけ?それをブンブンと自分の手のように振り回してるのに?」
「刀とこいつじゃ訳が違うんだよ。本当、何で爺ちゃんは俺にこいつを渡したんだか」
ふと、祖父の事を思い出す。
ヤミカゲの件といい、このソルディアといい、あの人の過去については謎が深まるばかりだ。
「で、次にあんたのソルディアについて報告。調べてたら奇妙な事になってたわ」
「奇妙な事?」
「そ。以前にも言ったと思うけど、あんたのそのソルディアは火属性を司っているわ。それだから火属性の攻撃に強いし、本来なら征魔術の使えないあんたがブレイズショートやラーヴァランスといった火属性の征魔術を使う事だってできる。それだけなら気になる事もないんだけど、どういう事かこのソルディアに闇属性の耐性がついてたのよ」
「闇属性──もしや先日の件のせいか」
闇属性となると、思い当たるのはこれしかない。
あの戦いで奴が闇属性の征魔術を使ってきた事からも、それは明白だ。
だが、それが分かったところでどうなるというのか。
「……どうなんでしょうね。後日もうちょっと調べてみるから、そこんとこ宜しく」
「ああ。それにしても、悩み事が尽きねーな……」
「そうねー。次から次へと、訳の分かんない事が起こってるし」
「だな……」
二人揃って、深いため息が出てくる。
何故こうも、面倒事や悩み事が絶えず舞い込んでくるのか。迷惑でしかない。
……話を変えよう。答えが出る筈もない事を考えたってしょうがない。
「話は変えるが、いつここを出る?」
「明後日くらいね。……ん?何の音?」
何処からか、カタカタと物音が聞こえてきた。
俺もそれに気づいた次の瞬間、鍵を閉めた筈の扉がガチャリと開く。
「な、何とか開いたわ……テルたんもライゴちゃんも酷い!私も仲間に入れてちょうだい!」
先程追い出したばかりの伯爵が現れた。
親鍵らしきものを手にしていた彼は、とても悲しそうな顔をしていた──
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衝撃の事実が発覚した。
なんと、伯爵が祖父・天田曲矢守と知己の間柄だったというのだ。
当然、それが果たして本当なのかと疑ったが、祖父らしき男と若かりし頃の伯爵が描かれた大きな絵とその絵の裏に書かれていた祖父の花押を見せられた以上、信じざるを得なくなったのである。
その話の後、俺は屋敷の書庫で『ある物』を求め探していた──
「駄目だ。全く見つかりそうもない」
が、書庫に篭る事、半日。
目的の本が見つからず、嘆息していた。このままだと成果を得る事なく一日を終えてしまう。
「……何処にいたのかと思えば、こんな所にいたのね。何してるの?」
疲れて腰を下ろすと、フィメリアの姿が目に入ってきた。
彼女の口振りからは恐らく、何らかの用があって俺を探しに来たのだろう。
「本探しだ。伯爵から聞いた話なんだが、この書庫の何処かに俺の爺ちゃんが書いた本があるんだと」
「それでその本を探してる、と」
「ああ。葦原への帰り方が書いてあるらしい」
「えっ」
フィメリアは目を丸くして。
「嘘でしょう⁉︎貴方、葦原に帰るの⁉︎」
何を勘違いしているのか、そんな事を口にしてきたのである。
「嘘じゃねーよ。この世界に骨を埋めるなんて俺は一言たりとも言ってねーぞ」
一応、これでも俺は葦原において立場と責任のある身だ。何としてでもあちら側に帰って、やらなければならない事が沢山ある。
異世界で骨を埋めるなんて御免だ。
「そ、それもそうよね……」
言葉を詰まらせるフィメリア。
その表情は、少しばかり困惑しているように見えた。
「ま、そういう訳で血眼になってずっと探してるんだが、全然見つからなくてな」
「そう……一応訊くけど、貴方、カンフラントの文字は読める?」
……げっ。すっかり失念していた。
一文字たりとも読めない。
「……全然。けど葦原語で書いてあるらしいし、問題ねーだろ。そういやお前は何しに来た?用でもあるのか?」
「いいえ、特に何もないわ。ただ強いて言うなら、貴方の監視かしら。体調も良くなったし」
フィメリアは即座に否定した。
その言葉を聞いた瞬間、面倒臭えと思ったが、すぐに寧ろ好都合だという事に気づく。
人手は多い方がいい。
「なるほど。暇だってんなら、本を探すのを手伝ってくれよ。この調子だと明後日の出立に間に合わなくなるからな」
「えっ、確かに暇ではあるけれど、わたしはあくまでも貴方の監視に来ただけ──」
「良いだろ別に。昨日、少しくらいは頼ってくれって言ってただろ」
腰を上げては昨日の言葉を持ち出すと、彼女は痛い所を突かれたと言いたそうな顔をして。
「う……分かったわ。けど、今日の夕食までに見つからなければ諦める事。いい?」
「ああ。じゃあ宜しく頼む」
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フィメリアの手を借りる事に成功し、本探しを再開してからは順調に事が進んだ。
「本が有りそうなのはこの棚ね。パッと背表紙を見る限りでも、恐らくここみたい」
「凄えな、これまた短時間で場所の目星をつけられるとは」
「書庫の配架図を見ただけよ。文字が読めないからって、まさか書庫の片っ端から探してるだなんて思いもしなかったわ。それも昼食後から三時間以上」
「ははは……ぐうの音も出ねぇ」
呆れながらの指摘に対し、苦笑いしかできない。
近いうちに暇な時間でも見つけて、文字の勉強でもするか。
「……ふぇっくしゅ!」
いきなり鼻がムズムズし始め、その勢いのままくしゃみが出てきた。そして無意識のうちに鼻を啜る。
「大丈夫?風邪でも引いた?」
「多分違う、気にすんな」
何か以前にも、こんな事があったような気がする。
「ならいいのだけれど。本の特徴とかは分かる?」
「特徴?葦原語で書かれている本だという事以外、俺も伯爵も知らねーぞ」
「葦原語で書かれている……か。棚の上側にそれらしきものが何冊かあるみたいから、とりあえずそれを見てみましょう。わたしが本を取っていくから、貴方はそれに目を通して」
「上側……俺が本を取った方が良くないか?」
床から棚の上側までの高さは、ざっと見る限りでも七尺はある。一方でフィメリアの身丈は五尺四寸程。そのままだと、幾ら足掻いた所で届きはしない。
近くに置いてある小さな足踏み台を使っても、彼女だとギリギリ手が届くか届かないかといった所だ。
「いえ、葦原語の解読ならわたしなんかより母国語である貴方の方が良いわ。あの難解且つ大量の種類の文字を迅速に読み書きするのには、思いの外時間掛かるもの」
そう言い切った彼女は、近くの足踏み台を持って来ては本棚の側に置き、上に乗る。
背伸びしながら腕を伸ばし、一冊の本に手を掛けた時だった。
「……っ⁉︎」
彼女の身体が蹌踉めき、こちらへと倒れて来たのである。
「……ヤバい!」
考える暇もなく、体が動いた。
すかさず、倒れて来た彼女を抱きかかえる。
「おい、大丈夫か!怪我はないな⁉︎」
「え、ええ……大丈夫……」
俺の呼び掛けにフィメリアは反応したが、どうやら意識は朦朧としている様子だった。
体調は良くなったと言ってはいたが、やはりまだ完治してはいないのか。
出発を明後日に控えている以上、今のこいつに無理をさせる訳にはいかない。
「とにかく部屋で休め。部屋まで背負って行ってやるから」
「えっ、けど……」
フィメリアが口を噤む。
その時ふと、彼女が棚から取った本の題名が目に入ってくる。
「──これだ」
「……えっ?」
表紙に書いてある題名の文字を見て、探していた本がこれである事を確信する。
この字は、紛れもなく爺ちゃんの字だ。
「『帰還之術』──今お前が手に取ってるその本だ。探してたのは」
「そう……なの?」
「ああ。助かった、恩に着る」
「い、いいえ、どういたしまして……」
フィメリアは何とか立とうとして俺から離れるが、またもや脚が蹌踉めき、今度こそ倒れそうになる。
「無理に立とうとするなって。部屋まで連れて行くから、とにかく俺の背に乗れ」
「で、でも……」
「何を躊躇してんだ。さっさと乗れ」
彼女にも思う所はあるのだろう。
だが、ここで無理して倒れられても困るのだ。
「う……分かった……」
暫く迷った末に折れ、彼女はようやく背に負ぶってきた。
「お、重くない?」
これ、何処かで聞いた言葉だな。
「いや?それよりもちゃんと乗ったな?」
「うん……」
一言呟いては押し黙るフィメリア。
恥じらいを隠すかの如く、彼女は強めの力で抱きしめてきた。
「よし、じゃあ部屋まで行くぞ」
背中越しから伝わってきた彼女の鼓動は、少しずつ速くなっていた。
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──二日後。屋敷から少し離れた、港にて。
「何かとかたじけない伯爵。六日あまり世話になった挙句、紅蓮を預けたり爺ちゃんの残した本を借りたりする事になっちまって」
「しかも船まで手配して貰っちゃったしね。こんなに大きな船に乗るなんて中々ないよ!」
「でかいー!」
船の方に目を向けては興奮する様子を見せるマロンとペンギン。
伯爵は笑みを浮かべたまま、首を横に振り。
「気にしないでちょうだい♪寧ろ、もっとお屋敷にいてもいいのに」
「それはどうも。だが、俺らには色々とやる事があるんでね」
気持ちは有り難いが、マロンの用事もあってここに留まっている時間はもうない。
厚意だけ貰っておくとしよう。
「それなら、また時間ができたら来て頂戴な。私はいつでもライゴちゃん達を迎え入れる準備をしておくからね。あとテルたん、たまにはお屋敷までお手紙を送ってよね!心配なんだから!」
伯爵に言われたテルは、心底面倒臭そうな顔をして。
「送らないわよー。あたしが手紙書くの嫌いって事、あんたはよく知ってるでしょうが」
「うぐぐ……ライゴちゃん!何としてでも、テルたんに一通でもいいから手紙を書かせて!お礼は弾むから!」
伯爵の迫りように、俺は思わず苦笑いする。
「……分かった、覚えとくわ。では伯爵、俺らはこれにて」
「六日間、お世話になりました」
俺とフィメリアは伯爵に頭を下げる。
「どういたしまして。マロンちゃんもオヤマちゃんも元気でね」
「うん!ありがとう伯爵!」
「にゃー」
「テルたんも。必ず手紙書いて送ってちょうだい」
「……分かったわよ。ったく……」
心の底から面倒なのか、それとも照れているのか。
テルの頬は少しばかり赤くなっていた。
気づけば、初投稿から一年経ってました。
これからも応援宜しくお願いします。




