Episode 31「優しさと暖かさ」
ヴィルムの領主であるカッシャマルサ伯爵の屋敷に滞在するようになって、二日が経過した頃。
意識不明だったフィメリアが、遂に目を覚ました。
その報せを聞いた瞬間、俺は彼女がようやく目覚めた事に安堵したが、その一方でヤミカゲの件をはじめとする事を彼女にどう伝えたら良いのか、という不安の塊に襲われた。
安堵と不安。真逆である二つの感情を抱えながら、俺は静かに彼女のいる部屋へと入っていく。
「あ……ライゴ……」
俺の姿が視界に入るなり、安静になっていたフィメリアは身体をゆっくりと起こした。
「おう。身体の調子はどうだ」
彼女の側近くまで歩いた俺は、寝床の近くに置いてあった、高そうな椅子に腰を掛ける。
「大丈夫。そういう貴方こそ、怪我はないの?」
そう問い返してくる声は、いつもよりとても弱々しいものだった。気長に振る舞ってはいるが、彼女の身体は確実に弱っている。
「ああ、お前のお陰でな。礼を言う」
「それなら良かった」
フィメリアはそう言って安堵の表情を浮かべる。
だが、俺の心配だけをして自分を心配しないというのがどうも気に食わない。
気掛かりになるのは分かるが、少しは自分の身を労わるべきではないのか。
「良くねーよ。俺が至らんばかりにお前は怪我したんだぞ。他人の心配する余裕があるなら、自分の事を少しでも心配しろ」
「……心配、してくれてるの?」
ほんの僅かな沈黙の後、フィメリアは猫撫で声で尋ねてきた。
「当たり前だ。自分のせいで女に怪我させておいて、心配すらしねーなんて人としてどうにかしてるだろ。厚かましいにも程があるぞ」
生意気だの口が悪いだのとガキの頃から言われてきた俺だが、自分の過失によって誰かに害が及び、ヘラヘラしている程落ちぶれてはいない。
それどころか、テルやマロンに案じられる程、この事について頭を抱えていた。
「……優しいのね、貴方」
唐突な彼女の呟きに、ほんの一瞬、目を見開いて動揺する。
「俺が、優しい?」
「ええ」
「んな訳あるか。本当に心の優しい人間なら、お前に対してもう少しまともな対応をしてるだろうよ」
赤の他人である俺に対しても最初から友好的に接し、何かと世話を焼いてくれている伯爵とかがその良い例だ。
それに比べて、俺はそんな人間じゃない。この女と出会って一月近く経つが、こいつに対する警戒心のようなものを未だ拭えずにいる。
「そう?わたしが目覚めたと聞いて、貴方はこうやって真っ先に来てくれた。十分優しいと思うけど」
「どうなんだか。テルもマロンもそのうち来る。俺が一足早く来れたのは、あいつらと違って暇を持て余してたからってだけだ」
「は、はぁ。二人は今何してるの?」
「確かテルは自室に篭って俺とマロンのソルディアを調べてる。マロンはここから聖都までの移動経路を決めるために、ペンギン共々地図と睨めっこしてるな」
「それなのに貴方は何もしていなかったの?年長者としてそれで良いのかしら」
耳の痛い事を言われ、つい顔を顰める。だが事実である以上、ぐうの音も出てこない。
「悪かったな、頼りない年長者で」
自虐的にそう吐くと、彼女は即座に否定した。
「いいえ、貴方は頼れる人よ。ここ一、二週間一緒に行動してきてそれは明言できるわ。遺跡探検の時とか、セラムからここまで来る時とか」
「って事は、あの骸骨共の件も含めてか。お前、あの時ずーっと俺にくっついたままだったからな」
「う……それは言わないで」
あの時の事を思い出したのか、フィメリアは顔を赤くしながら気まずそうな顔を見せる。
そして。
「そういえば、あの後──わたしが気を失った後、どうなったの?」
できれば訊かれたくなかった事を、口にした。
思わず口を閉ざす。どうしたものか。
何から何まで包み隠さず話して不安にさせる訳にはいかないし、かと言って下手に伏せて勘繰られても面倒だ。
しかも、あの一件には得体の知れない「何か」が深く関わっている。一言二言では到底説明し切れない「何か」が。
とはいえ、またいつ奴に襲撃されるかも分からない。ある程度の事は共有しておこう。
「お前が俺を庇って気を失った後、馬車は真っ先にこの屋敷に向かった。一方で馬車を襲った光線の発生源を叩こうと残った俺は、ヤミカゲと名乗る男と出会し、一戦交えた。……だが、奴には全く歯が立たなかった」
「えっ……」
驚き、返す言葉を失うフィメリア。
不安が見え隠れし始めた彼女に対し、情報を共有するという名目で現実を突きつけなければならないと思うと、胸が痛くなった。
「しかも奴の言う限りでは、馬車を襲ったのは俺が──天田雷吾がいたからなんだとよ。テルが帝国軍を率いて駆けつけてくれたからあの場は何とかなったが、色々と大変な事になっちまった。最悪、そう遠くないうちに誰かが俺のせいで死んじまうかもしれねぇ」
「うそ……っ」
「いいや、この耳で確とよく聞いた。俺だって信じたくねーし、あまり考えたくないがな」
またもやこの場に沈黙が訪れ、空気は重苦しくなる。
やはり、彼女を不安にさせてしまった。もう少し違う言葉を掛けられたかもしれないのに。
……駄目だ。悪い考えばかりが頭をグルグルと回ってしまう──
「……ねぇライゴ。わたしに何かできる事はある?」
何と言葉を返そうか、この短い間で悩みに悩み抜いたのだろう。重々しい空気を壊すフィメリアの優しい一声が、耳の奥まで響いた。
彼女にできる事。その上で、俺が彼女に望む事。それは。
「……生きてくれ。お前に、お前らに死なれたら困るからな」
フィメリアが俺を庇って倒れた、あの時。
過去の苦々しい記憶達が次々と頭を過ぎり、とてつもない不安に駆られた。
また、目の前で女を喪ってしまうのではないか、と。
俺が今の彼女に望む事は、それだけだ。
「えっ、それ以外は何かないの?できる事ならなんでも……」
「特にねーな。死なずに五体満足でいてくれたらそれで結構だ。……すまん。あんな目に遭わせた上、変に気を遣わせちまって」
申し訳なさのあまり、首を垂れる。
フィメリアは少し戸惑う様子を見せたが、すぐに普段の態度に戻った。
「いいのよ。わたしは自分の役目を全うしただけ。今のわたしは貴方を監視し、護衛する義務がある。それは貴方もよく分かっているでしょう?それより、辛気臭い顔をしないの。貴方にそんな表情は似合わないわ」
「……しょうがねーだろ、あんな事があったんだ。落ち込むなと言われても困る」
すると、フィメリアはこちらに身体を寄せてきては俺を優しく抱きしめた。
「⁉︎」
「わたしは大丈夫だから、そんな顔をしないで。それに、不安を一人で抱え込もうとしないで。少しくらいはわたしを頼って」
「…………」
突然の事態に、言葉がまるで出てこない。
だが、彼女の身体からは暖かさと心地良さがひしひしと伝わってくる。何故だろう。
不思議に思いながら、暫くの間、彼女の抱擁に身を任せた。
「……落ち着いた?」
やがて密着していた身体が離れていき、元の姿勢に戻った彼女からそんな事を問われる。
「ああ。まさか抱きしめられるとは思わなかったが」
「良かった。やっぱり、貴方に辛気臭い顔は似合わないわね」
……そんなに辛気臭かったのか、俺の表情。
「あと、こ、この事は、誰にも言わない事。いい?」
「……恥ずかしいからか?」
「なっ……⁉︎」
まさかと思い訊き返すと、図星だったのか、フィメリアは一気に頬を真っ赤に染めて。
「そ、そんな事ないわ!別に恥ずかしくないもの!男の人に抱きついた事くらい、別に……」
恥ずかしさが増すと共に、徐々に小さくなっていく声。
「それなのによくスッと抱きついて来れたなお前」
「いや、別に変な意図があって抱きついた訳じゃないから!貴方が一番よく分かってるでしょ⁉︎」
先程までの雰囲気と暖かさは何処へやら、すっかり慌てふためいていた。
「分かってるって。誰にもこの事は言わねーよ。……さて、俺はこの辺りで失礼するわ。マロン達来てるっぽいしな」
フィメリアが「えっ」と口にした瞬間、部屋の扉が勢いよく開く。ようやくご到着のようだ。
「フィメリア、体調大丈夫⁉︎」
「……うるさいわよガキンチョ。ライゴから体調とかの話は聞いてたでしょ。フィメリア、見舞いに来たわよー」
「にゃー」
二人と一匹が次々に入ってきた事で、部屋が一遍に騒がしくなる。
さっきの件を口止めしてきたフィメリアのためにも、ここはさっさと立ち去るとしよう。
「じゃあ俺はこれで。また来るわ」
「ええ。来てくれてありがとう」
「では御免」
席を立ち、こちらに向かってきたテル達と入れ替わりに部屋を出る。
扉を閉めると、それまでと一転して周囲は静かな空気に包まれた。
「『優しい』……か。俺なんかよりあいつの方がずっとか優しいと思うんだがな」
それに──
「……まだ、暖かいし」
不安で凍りついていた心が、あの暖かさで少しは溶かされた気がした。




