Prologue 2「祖父から贈られしもの」
「悪いな、ついて来て貰って」
真希と出会した小道から屋敷へと戻る道中の事だった。
「まったくです。気まずいのは分かりますが、それに他人を巻き込まないで下さい」
そう文句を言って頬を膨らます真希。
彼女に事の顛末を話した後、彼女は「仕方ないですね、それならついて行ってあげますよ」と言っては俺と共に屋敷へと向かっていた。
「はいはい、悪かったよ。今度神社に色々奉納するからそれで勘弁してくれ」
「そういうのは父様に言って下さい。言伝くらいはしますが、従兄様自らが言わないと意味がないんですよ」
言伝くらいはしてくれるんだな。
「へいへい。……そういや叔父貴はもう還暦だろ?身体ぶっ壊したりはしてないよな?」
「その点はご心配なく。『義父上やご家老殿が壮健であられるのに、先に私が死んでは末代までの恥だ』とあの人は言っていましたから」
俺は思わず苦笑いする。
「ははは……爺ちゃんは今年で卒寿を迎えたし、政親の奴もとうに古希を過ぎてる。人間五十年と言われる世の中だ、還暦辺りで死んでも末代までの恥にはならねーだろ……」
叔父貴、ウチの頑固で女好きな祖父や、口うるさい家老が無駄なまでに長生きしてるだけだから気にしないでくれ。
「ですよね……。それはともかく、そろそろお屋敷に着きますが、お祖父様やご家老殿からお叱りを受ける覚悟はできてますか?」
「……ガキん頃から説教食らうのには慣れてる」
ガキの頃はやんちゃばかりしていて、月奈に「こらっ」と言われてはよく叱られたものだ。
そう思っているうちに屋敷に到着し、小さな門を潜ると、玄関で灰色髪の老いた大男が仁王立ちしながらこちらを見ていた。
「ひっ……!」
男の眼力に真希は思わず身体を震わせる。
俺も思わず戦慄する。
その男は俺を捜していた筈の家老、香寺政親だった。
彼は、祖父の代から六十年以上天田家に仕える古参の将で、「剣老」と渾名される剣の達人である。
ただ、他の武辺者とは異なり、軍事や政治にも明るく、俺が屋敷に引き篭もるようになってからは家老として他の家臣達と共に政務を引き受けてくれていた。
老いてなお六尺の身長を維持し、剣の腕も衰えを見せない彼からは、凄まじい程の気迫が溢れていた。
「流石、『剣老』と呼ばれただけはあるな……。つか真希、お前ビビってる場合じゃねーぞ。お前は脇差渡さなきゃ行けねーだろうが」
「そ、そうですね!……というか従兄様が渡せばいいのでは⁉︎私はもう帰りますよ!」
真希が慌てて政親や俺に背を向けてはこの場から逃げ出そうとするが、俺は彼女の白い小袖の襟をがっちりと掴み。
「帰らせてたまるか!ここまで来たら渡せよ!それにどうせ神社戻っても暇なんだろ⁉︎」
「ひ、暇とは何ですかっ!これでも忙しい身なんですよ⁉︎」
「嘘つけ!本当に忙しかったら、あの時俺に無理にでも脇差渡してさっさと神社に戻ってるだろーが!」
「うっ」
口うるさい家老を目前にしながら少し怖気つき、二人してギャーギャーと言い合っている所、その口うるさい家老が近づいて来て。
「殿も杣森殿も、この老いぼれを目前にしながら何を言い合っておられるか、見苦しいですぞ」
「「す、すみません……」」
一喝された際に感じた、武人としての貫禄と凄まじい程の気迫に押され、俺も真希も謝るしかなくなる。
政親は気難しい表情を崩さず。
「謝る事はありませぬ。それよりも殿、曲矢守様が怒り心頭に発しておりますので、早めに戻られた方が宜しいかと」
「……マジで?」
少し焦った俺の問いに対し、政親は首を縦に振る。
「終わったな俺……完全に終わったじゃねーか」
一言で言うと、詰んだ。さぁ、なんて言い訳しよう。
「に、従兄様っ、お気を落とさず!ちゃんと事情を説明すればお祖父様も許してくれますよ!きっと!」
真希がしどろもどろになりながらもそう励ましてくれるが、現実は甘くない。
「なぁ真希、お前本気でそう思ってんのか?嘘偽りなく事情を説明して、爺ちゃんが許してくれた事なんて一度たりともないんだぞ?孫の一人であるお前も、あの人が自分本位な所がある事を知ってるだろうが」
俺がガキの頃からそうだった。
まだ五、六歳だった頃に不可抗力で祖父の盆栽を壊してしまった事があったのだが、祖父は俺の言い分を聞くことなく問答無用で拳骨を食らわせてきたのだ。
現場に居合わせていた月奈が意見しても祖父は耳を傾けようとせず、俺を殴る事を正当化しては月奈を本気で怒らせ、ちょっとした騒動になった記憶がある。
「確かにそうですね……」
「だろ?……そういや真希、お前政親に脇差渡さなきゃいけなかったんじゃないのか?」
短時間ですっかり忘れていたのか、真希は「そういえばそうでした!」と言っては、慌てて懐から政親の黒い柄の脇差を取り出し。
「ご家老殿、神社に脇差を落としておりました。大事な物は落とさないように、と父から伝言です」
政親は少し驚きながら脇差を受け取り。
「これは申し訳ありませぬ、杣森殿。落とした事にすら気づきませんでした」
おい。
「いやはや、年は取りたくないものですな……」
「古希過ぎてるしな。家督は三年そこら前に虎親の奴に譲ってるだろ?引き篭もってお前らに仕事を押し付けちまってる俺がどうこう言えた立場じゃねーが、お前そろそろ隠居した方が良いんじゃないか?」
俺にとっては二歳年上の幼馴染でもある、政親の孫の名を挙げてそう提案するも、政親は即座に却下して。
「いいえ、そういう訳にもいきませぬ。曲矢守様──輝登公の代から天田の御家に仕えしこの老いぼれ、歳を取ったからと言って隠居するのは言語道断。病で妻を若くして亡くし、先の戦で一人息子が死に、家督を孫に譲り曽孫も既に三人いる以上、この老いぼれにできるのは御家の繁栄に尽力する事のみ。それが故、この身が朽ち果てるまでこの老いぼれは御家や殿を支えたく思っております」
そう、ハッキリと言い切った。
これを無碍にするのは俺には無理だ。
「……分かった、ありがとう。念のために聞くが、今日来たのは俺を宇治月に連れて行くため……だよな?」
真剣な表情で訊く。
「否定は致しませぬ。先の戦が終わり既に一年半の時が経ち、殿のお身体は以前から大幅に回復されておられます。そうとなれば、殿を政務や軍事から遠ざける理由は何処にもありませぬ。これまでは殿の我儘を聞き入れてきましたが、今回ばかりは一つたりとも譲りませぬぞ」
政親の蒼く、鋭い目が光る。
こうなるとこの男は意地でも自らの意見を押し通してくる上、ぐうの音も出ない正論を言うため、俺はこの男の意見を聞き入れざるを得なくなる。
「だよなぁ……ま、いずれはこうなる事は分かってたから仕方ねぇか。今日のうちにここを出るべきか?」
「別に今日にとは言いませぬが、早めに向かわれた方が宜しいかと。東西南北各方面の戦線や街の税など、御家の問題は山積みですからな」
「うーん……どうしたものかな……」
山積みの問題を少しでも早く片付けるために今日のうちに出るか、それとも準備をしっかり整えて明日に出るか。
眉を潜ませていると、俺の隣で話を聞いていた真希が口を出してきた。
「どうせ従兄様のことですから、明日になると『行きたくない』とか言って動きません。早いうちに向かわれた方が良いかと思うのですが」
「おいテメェ何言ってんだ、って政親お前も頷くな」
真希に耳の痛いことを言われ、思わず喧嘩腰で返すが本人は素知らぬ顔をし、政親は真希に同調する始末。
……どれだけ俺は信頼されてないんだよ。
「従兄様はお祖父様からお説教を受けた後に出立、ということで良いですね?」
「良くねーよ!政親、お前もそこで頷くな!……って、ちょっと待てよ」
「どうかしました?」
「かなりの時間、爺ちゃんを待たせてるような気がするのは俺だけか……?」
「「あっ」」
怒り心頭に発しているであろう祖父を待たせている事を思い出したのは、その時だった。
──────────────────
穏やかな秋の日の昼の事。
屋敷にて、祖父・天田曲矢守輝登の怒号が周囲に響き渡った。
「儂を待たせるとはどういうつもりじゃ雷吾……いや慎鷲郎!使者を送ってお主に来ると伝えた筈じゃぞ!」
「あー、はいはい、ちゃんと使者からあんたが来るって話は楓鶹を通して聞いたよ。遅れて悪かったって」
適当に流そうとするが、今年で卒寿を迎えた祖父は眉間に皺を寄せたまま怒鳴ってくる。
「本気で思っておるのか⁉︎うつけにも程があるぞ!それでも天田の長かお主は!二十歳を過ぎても正室は迎えんわ、後継は作らんわ、屋敷に引き篭もるわ、お主が率先してやらねばならん事を政親達に押し付けるわ!話にならん!」
色々と耳の痛い事を次々に言われるが、俺もすかさず言い返す。
「かく言うあんたもあんただろう!とうに隠居してるくせに俺のやり方に無駄なまでに口を出すわ、卒寿を迎えた身で女に現を抜かすわ、先の戦では都で足止め食らってロクに動けず下崎に戻って来れなかったくせに何偉そうな口効いてんだ!つか、俺が今の生活を送ってる理由をあんたも知ってるだろうが!……ったく、わざわざ口出しに来るんじゃねーよクソジジイ!あと妾をこの場に連れて来るな!」
どういうつもりなのか、祖父は俺と対して歳の変わらない妾を連れて来ており、俺に怒鳴り散らす間もその妾を侍らせていた。
この場に部外者がいるのはどうも胸糞悪くなる。
「これは儂のじゃ!お主にやらんぞ!」
「要らねーよ別に!本当、いい年して女に現を抜かしやがって」
俺は祖父共々その妾を睨みつけた。
「ふん、女子の良さが分からぬのかお主は。二十一にもなって嫁を迎えぬお主にどうこう言われる筋合いはないわ!今や男子で生き残っておるのは当主のお主と雷天家の達望だけじゃぞ!自覚はあるのか⁉︎」
怯えた妾を抱きながらまたもや耳の痛いことを言い返してくるが、俺は面倒臭いと言う代わりにため息を吐き。
「……自覚はあるさ。だが、今の俺には無理な話だ。あんたもその理由は知ってるだろ。俺に万が一の事があれば幸や影輝、あとはその達望殿に何とかするように言ってあるからな」
「まったく……身内に後継者問題を委ねるなど、お主は他力本願にも程があるぞ!もう少し天田の長としての自覚を持たんか!」
うるせえなこのジジイ。肝心な時に何もしない癖に。
「勝手に言ってろ。……政親、この妾を一旦部屋の外に出してくれ。俺と輝登公だけにしろ」
「心得ました殿下。お京殿、こちらへ」
部屋の外にいる政親を呼びつけ、政親は妾に部屋から出るように促すが。
「政親!どういうつもりじゃ!」
不服に思った祖父が止めに入ってくる。妾も動こうとしない。
すると、政親は爺ちゃんや妾を侮蔑の情を含んだ目で睨んだ。
「……曲矢守様、今日音信に来られたのは何のためかお忘れか。殿と大して歳の変わらない妾と戯れるために来たのならば、私は曲矢守様を軽蔑するのみでございます。これからの話に部外者たる妾なぞ、不要そのもの。それでも口答えされるのならば、この老いぼれは容赦なくこの場でお京殿を斬り殺すのみ──」
「そういう訳だ。良いよな、爺ちゃん──いや、輝登公」
物騒な話になってきたため、一気に緊迫した空気になる。
脅しに近い政親の意見を聞いた祖父はムッとしたが、それ以上は文句を言わず、「仕方ない」と言っては怯えていた妾を退室させた。
「……慎鷲郎──いや、敢えて雷忠と呼ぼう。お主は何が訊きたい?」
政親も即座に退室し、俺と祖父だけの二人だけになった空間で、祖父は深刻な顔になって訊いてきた。
俺は暫く沈黙した後、その口を開く。
「ついさっき政親が言った事だが、あんたは何のために屋敷に来た?単に俺を宇治月に行かせたいのなら、政親だけで十分な筈だ。普段正月と盆の時にしかここに来ないあんたが、九月の今に来るのはどうもおかしい。……真面目な話をしに来たんだろう?」
一月前の盆の時にも会ったばかりだと言うのに、何故今来たのか。
この人は気軽に屋敷を出入りするような人ではない。そうとなると真面目な話をする以外、理由はない筈だ。
「……『下崎の龍』と呼ばれた謀略家の儂が孫すら欺けぬとは。儂も歳を取ったか」
「ハッ、何だよ急に。生憎にも俺はあんたが思ってるほど馬鹿じゃねーんだわ。図星って事で良いんだな?」
俺にそう言われ、強気な態度を取っていた祖父は青菜に塩のようになり。
「勝手に言うとれ。儂が今日ここに来たのは、お主に渡す物があるからじゃ」
祖父はそう言って、太刀の側に置いてあった格子柄の風呂敷から何かを取り出しては、それを俺に見せてくる。
それは、籠手のようなものだった。
重々しい金属で作られているであろう、漆黒を基調とした本体。
本体の所々に刻まれている、蛍光の如く光る黄色い線。
本体の中央部に嵌め込まれ、障子から差し込まれる光を浴びて淡く光っている紅い玉石。
一目見ただけで、この葦原の産物ではないと悟る。
「……なんだこれ。南蛮の商人から買ったのか?」
祖父は首を横に振った。
「いいや、これは儂が若い頃──六十年程前に異国の地で過ごしておった頃に手に入れたものじゃな」
「ちょっと待て、それ初耳だぞ。その異国の地ってのは南蛮か?それとも震旦か天竺か蒙古か?」
思いつく限りの異国の名を挙げるが、祖父はまたもや首を横に振り否定する。
「違う。だが、お主に言うた所でどうせ理解できまい。そこは気にしてはならぬ」
「はぐらかしやがって。……まぁ今は考えるだけ無駄か。で、これが何なんだ?」
俺がその『代物』を見ながら問うと、祖父は『代物』を俺の目の前にスッと差し出した。
「お主にやる。卒寿というこの歳まで生きてきた儂もただの人じゃ、人間五十年という以上、いつポックリ逝ってもおかしくはない。今日明日のうちに儂も死ぬかもしれんからな」
「あんたはその倍近く生きてきたがな。ポックリ逝くのが怖いのか?」
揶揄うように言った俺の言葉に、祖父は口をへの字に曲げ。
「お主は人の情を考えずに物を言うのか。もう少し口を慎むべきじゃな」
「はいはい。俺、生まれは良いが育ちは悪い自覚はあるからな。……まぁ、気をつけるよ。で、話は戻すがこの『代物』は俺が貰っていいんだな?」
「うむ。そこに腕を通せるから通して着けてみよ」
俺は祖父の指示に従い、『代物』を右腕に通してみる。
一番重い部分が肘の近くまできたところで、装着完了と言わんばかりにガシャンと金属音のようなものが鳴り響いた。
しかし、思いの外重い。赤子くらいの重さは余裕である。
「……重いんだが」
「ふん、大層な刀を二振も携えておきながらそんな事をほざくか。まぁ最初はそんなもんじゃ、着けておるうちに慣れてくるじゃろう」
「着けておく意味あんのかね……まぁいいか」
祖父から譲られた、この『代物』。
名前も、使い方も、何処で手に入れたのかも一切分からない、得体の知れない物。そんな物を装備しておく意味を考えた所で分かる訳がない。
……これ以上考えた所で無駄だ。
頭の中でそう呟いていると、足音が聞こえてくる。程なくして、部屋の障子が開き。
「従兄様、お祖父様。失礼します。お食事の用意ができましたよ」
厨房で昼飯を作っていたのか、姿を見せていなかった真希が現れ、そう口にしたのだった。