君臨すれども統治はせず
5話で終えるつもりだったんですよね…。でも、まだちょっとだけ続きます。
私はクレシェンド王国宰相のトルステンだ。公爵家当主であり、肥沃な海の町シートピアを領有している。当家が離反すれば王国は海を持たない国となり、王族とて当家には逆らえない。
しかし、その驕りは禁物と祖父と父よりくどいくらいに戒められた。公爵家を疎んじ、かつ海を欲した王室が何をしてくるか分からない。もし地震が起きて津波の被害を受けてしまったら王国の支援なしでは我がシートピアの民は飢え死にする。今の持ちつ持たれつの関係が一番なのだと。
そう思って若いころから父について文官として懸命に働いた。王子ドラグナとは主従を越えた友だ。
やがて父から宰相を継ぎ、国王となったドラグナを支えた。
ドラグナは凡庸だが誠実だ。戦時ではない現状、一番適した為政者と言える。仕えがいがある君主だ。
しかし、跡継ぎが壊滅的に駄目だ。あの父と母から、どうしてこんな馬鹿が生まれたのか。
母のロネットは北のカイザル辺境伯の娘で武を尊ぶ家柄。立派な武人のロネット。誠実な夫、武人の妻、さぞや英邁な若君が生まれると期待していれば無能と言うのも生ぬるい馬鹿だった。
国王と王妃には悪いが、トルステン公爵家独立を本気で考えだした。父祖の言う『海の町に津波が来たら』ということで独立が難しいなら長大な堤防を作ればいい。あの馬鹿王子が王になったら他国に攻め滅ぼされる。あんな愚王と共倒れなんてまっぴらだ。
そして、我が国クレシェンド王国の防備を支えてくれた聖女アメリア嬢との婚約を破棄し、国外に追放したのが決定的だ。
世の中、これほどの馬鹿がいるのかと信じられなかった。
馬鹿は聖女に殴られ、みっともなく気を失った。私はもうトルステン公爵家独立を宣言するつもりだった。
あの馬鹿には、それがどれほどの国家存亡の危機なのかも分かるまいが。
…………
こいつは誰だ?途方もない魔力、そして父のドラグナ、いや私さえ黙らせた一喝。
『所詮、殴られなきゃ分からなかった愚か者ってことです』
そう言って結界魔法を放つ魔導水晶の元に行き、トルステン公爵家領を含むクレシェンド王国全土に結界を張った。これで我が町シートピアも守られる。恐ろしい海洋モンスターから我が町を。
とはいえ、そう気持ちを切り替えられるものではない。
当たり前だが魔力量と君主の器は別だ。そう簡単に次代の王とは認めない……ってなに?
『マリス様の赤ん坊を殿下が取り上げた?』
執務室にいた私は王妃様に仕える女官の報告に驚いた。
『はいっ、殿下が突如乱入してきたのは驚いたのですが、私たち女官やメイドたちに実に正確な指示を出され、最初は戸惑っていたマリス様も、その手際の良さから殿下の処置を受け入れられ、何より、あの華奢なマリス様がさほど苦しまず!殿下は出産の補助をしながら治癒の魔法を施しに!』
『…………』
『殿下は私たち女たちにとって希望の光です!出産に伴う地獄の苦しみ、死の恐怖から救って下される方かもしれないのですっ!』
…………
王妃様に仕える女官アンナ、彼女も私と同程度に馬鹿王子を見限っていた女だ。
それが今はどうか、観劇の二枚目役者の名演を称賛するかのように、うっとりとしている。
城内には多くの女官、メイド、下女が勤める。殿下は下女の出産も補助したという。惜しみなく治癒魔法を使って。信じられない、つい最近まで馬鹿や無能と云うのも生ぬるかった若者が…。
ある日、廊下を王妃様と殿下が歩いていた。私が途中の部屋で資料を探していたと知らず、親子はその部屋の前を通り過ぎた。会話が聞こえた。
『それにしてもレンドル、どうしたの、いきなりそんなに変っちゃって。もしかしてお馬鹿さんのふりをしていたの?』
そう、それは気になっていた。王になりたくないとか、他の次代の王の座を狙う者から殺されたくないとか、いくらでも馬鹿のふりをする理由はある。
『いや母上、おそらくですが私は心の病であったと思います。馬鹿やるたびに心の中で『おいよせ』と言う制止がかかるものの、それが押さえきれない。荒療治という言葉がありますがアメリア嬢の鉄拳はまさにそれで、私を叩き直してくれたと思います。何せ聖なるエネルギーがたっぷり含まれた渾身の一撃でしたからね。まさに薬となったのですよ』
親子はそう笑いながら歩いて行った。それが正しいのかは分からない。嘘かもしれない。
ならば、賭けだ。トルステン公爵一世一代の。馬鹿王子と共に栄光の道か、破滅か。
どのみち我が公爵家はクレシェンド王国と共に生きていくしかないのだから。
そして…その賭けは見事に私の敗北だった。悪疾で顔が崩れた娘と言わずに婚約を受け入れさせ、そのあとに告げると殿下は顔色一つ変えず
『しかし、花と動物を愛する心優しい女性と聞いています。伴侶にしたい理由はそれで十分です』
知っていたのだ。そのうえで妻にすると。完敗だ。見事なまでに。
しかし、この心地よさは何なのだ。
私がこの世で一番愛するものは娘のソフィアだ。悪疾で顔が崩れたなんて親にとって、そんなものは関係ない。娘はいくつになっても目に入れても痛くないほど可愛いのだ。
誰が予想したろうか、その娘の顔を美しく戻し、娘が殿下に夢中になる未来など。
女官の知らせでは殿下、いやいや陛下は娘ソフィアをたいそうお気に召したようで、それは激しかったそうな。若いとは素晴らしい!
…そして私は考えた。
陛下は、その膨大な魔力量から、モンスターからこの国を守る結界を張るという国防最優先を担っている。
アメリア嬢もそうだったが、陛下もその役目を行うに特にお辛そうには見えない。並の者がやれば、アッと云う間に魔力が尽きてしまうのに。
しかし、この役目は当の陛下を含め、国民誰もが軽視してはならぬこと。
明日陛下に万一あればクレシェンド王国はモンスターに対して防備を失い、空、山、海、地中からモンスターが寄せて、この国は滅ぶ。
私は息子たちと重臣たちと話し合い、一つの結論を出した。
『君臨すれども統治はせず』
レンドル陛下にはクレシェンド王国国王として君臨し、国防の象徴となっていただこうと思う。
政治は我ら家臣団が担う。もちろん最重要事項の最終的な決裁は陛下に願うであろうが。
しかし、これはレンドル陛下と王族をないがしろにするわけでもないし、おそらくレンドル陛下一代限りの政治体制となるだろう。
加えて、陛下がお持ちの治癒魔法、これを人に教えることは難しいと陛下は仰っていたが、出産補助の技術は教えられると言っていた。
二十歳にも満たなかった当時の陛下が、どうしてあんな高等な出産補助の知識と技術を持っていたのか。陛下は話したがらない。ただ一言『何故か、頭と体で覚えているんだ。理由は分からない。俺はそれを治癒魔法と融合して行っているだけ』と仰った。
以来、王族や家臣たちも遠慮して訊かないようにしている。これ以上の追及は不忠になると思ったのだ。
我ら家臣団は結界魔法を使える者の育成を第一に陛下にしていただくこと。出産補助の技術を国内の優れた女子に指導してもらうことを第二に。
どうか、この二点だけに集中して下さい。あとはみな我ら家臣団が行います、そう具申しようと思うのだ。
だが、これは君主として難色を示すだろう。要約すれば『貴方は飾りでいい。政治は我ら家臣でやるから、そちらは弟子を取って先生をやれ』というもの。
「ですが宰相閣下…。その案は陛下にぜひ飲んでいただかねばならぬことかと」
「いかにも、政治は我らが手を携えて知恵を出し合えば何とかなると思います。しかし結界魔法の後継者を育てられるのは現状陛下のみかと。国民の安全は結界あってのこと」
各大臣も賛成してくれた。
「明日の朝議で私から切り出す。一応岳父でもあるゆえな。陛下が難色を示したら卿ら、援護を頼む」
「「ははっ」」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝議は国王と王妃も出席、先日はソフィアが足腰立たずに無理だったが、今は大丈夫だ。エッチを夜だけにしたのが間違いだった。一気にラブラブしちゃうと君も疲れちゃうよね。昼にもしてラブラブを二度にすれば良かったんだ。俺ってば諸葛孔明顔負けの天才だな。
俺とソフィアが大会議室に入ると待機していた重臣たちが立ち上がり敬礼を。俺たちが座ると重臣たちも腰かける。
クレシェンド王国内に各領地をもつ貴族、点在する漁師町や農村の長から次々と報告が入り、俺は簡単にメモを取りながら聞いていく。江戸時代の老中水野忠邦はメモも取らず、部下たちの報告を記憶し、聞き終えた後すべての項目に対して答えたという逸話もあるが、俺には無理だ。
一通り、議題となる項目が出ると、それぞれ話し合いが始まる。
無論、俺とソフィアも積極的に加わる。いい傾向だ。宰相や俺の鶴の一声で決まるなんてよくないからな。
充実した朝議、いったん休憩を入れてお茶を飲む。
「疲れてないかソフィア」
「ううん、大丈夫よ」
若い俺たち夫婦の会話にうるさ型の重臣たちも茶を飲みながら微笑む。
アンタらだって新婚当時はそうだったろぉ?いいですよね、嫁さんいるってのは!
そして休憩も終わり、最初の議題に入る前のことだった。
「陛下」
「ん、何だ岳父ど…いや宰相」
「これは我ら重臣一同の願いと思って聴いて下さい」
「「…………」」
俺とソフィアは思わず身構えるように姿勢を正した。そして
「陛下には人を育ててほしいのです」
「え?」
ソフィアと顔を見合った。意味が分かりかねたのだ。そしてソフィアが
「父上…いえ宰相どういうことです?人材育成など国王の政務の片手間に出来ることとは思えませんが」
「その通りです妃殿下。ですから国王陛下には政務を離れていただき、後進の指導に当たっていただきたいのです。結界魔法と、そしてこの国の優れた女子に出産補助の知識と技術を」
「は?」
「…………」
なるほど、君臨すれども統治はせず、か…。結界魔法はいま俺が死んだら術者がいない。万一政務と国王の重責で体を蝕み倒れでもしたら国が亡ぶ。何としても結界魔法の後継者は必要…。
そして思い切って治癒魔法の伝授は考えず、出産補助の知識と技術を伝えることが、後のこの国に必要ということか…。しかも優れた女子に、と言うのがいい。本来出産は妊娠してからも色々な診察や検査が必要だ。その都度、俺や男の医師に秘所を見られるのは女たちには耐え難い羞恥だろう…。
「ちょっ、ちょっと待って下さい宰相、それは陛下を政治から完全に切り離して指導者になれと言うことですよね。それは危険では?国政の大事が陛下の判断なしで決まって…」
「ソフィア」
「はっ、はい」
「心配するな。これは『君臨すれども統治はせず』という立派な政治体制だ。それにおそらくは余一代限りのものとなる」
「その通りにございます。この政治体制はレンドル陛下一代限りのものと相成りましょう」
「卿らの具申を是とする。どうしても卿らの手に負えぬ時は余の元に話を持ってまいれ」
「「ははっ!」」
「陛下…」
不安そうな顔をしているソフィア、何となくだが考えていることは分かる。いずれ彼女が生む子供。男の子を生んだら当然世継ぎになってもらいたいのが母親だ。そして世継ぎになり次代の王となったはいいが政権を家臣たちに奪われたまま傀儡のような存在になるのも、これまた母親として受け入れ難い。
「ソフィア、時間は有限だ。結界魔法の後継者を育てなきゃならないのは急務。そなたの言う通り政務の片手間に出来ることではない」
「…………」
俺一代限りの政治体制と言われても、ソフィアは聞いたこともない仕組みに納得できないのだろう。後見人や家臣が玉座を乗っ取った話なんて、いくらでもあるのだから。
俺はソフィアの頭を撫でて、かつ小声で
「頼もしいな。君はもう母親として、まだ見ぬ子供を守ろうとしているのだから」
驚いたように俺を見るソフィア。
「だが、この余一代の政治体制は、そのまだ見ぬ子により良き国を引き継ぐためのものだ。安心していいよ」
「レンドル…」
「そなたの父上と兄上たち、重臣たちは余にまたとない仕事をくれたのだ。みな、その心遣い、感謝するぞ!」
「「ありがたき幸せ!」」
こうして後にクレシェンド王国中興の祖と呼ばれる仁師王レンドルの黄金治世が始まっていくのである。