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雷音の機械兵〔アトルギア〕  作者: 涼海 風羽
7/8

ログ:雷音の機械兵(下)

 アンドロイド。


 またの名を代替する労働力リミタティング・レプリカント――人間に代わって役割を果たす存在。かつて人類が栄えた時代に生み出された歴史の片翼。


 人間と共に生き、人間に代わり困難を担う宿命の代替者。


 古くから親しんできた両者であったがきょうび廃れた文明と慢性的な資材不足によって民間のアンドロイド製造は途絶えたかに思われた。


 だが製造技術を子々孫々伝えた一族も一握程度に残存していた。


 鉄平の氏族がそれである。


 両親が遺した設計図と生贄の歴史を変えた初代機械人・紗良の記憶情報アーカイブを元に自作の少女を生み出した。


 それが、紗也。


 紗也は人間に代わる役割を与えられた機械の人間。生身の人間を護るために死の宿命を背負わされた代替者レプリカントである。


 通常機械人と製造者は素性を明かさない。倫理的問題による迫害を避けるためだ。


 しかし製造者は人々を豊かにする使命の元で代替者を世に産み落とす。機械人は人間にできぬ技能……すなわち人間達の夢見た力「叡智」を多くが備えられている。


 紗也にも叡智は備わっている。空読だ。


「天にまします空神よ、我をしるべに怒りの槌で裁きたまえ」


 巫女の詠唱を口にする。雨脚が強まり部屋に降り込む水量が俄然増すや、天空の雷音が高まりだした。紗也がそこに生じる雷電から静電気を吸収し体内で増幅させる。体が一層光り輝く。


『ありえない、自然に介入して天候を操作するなど聞いたことがない』


 あまりの出来事に戸惑いを浮かべるジャギルスに紗也は穏やかな表情のまま言う。


「はい。すべては天の思し召すまま」


 紗也はジャギルスに嘯いた。


 そう、紗也は天候操作に見せかけるだけ……介入などしていない。


 読んでいるだけだ。


 風の強さ、空気の匂い、気圧、温度、鳥獣花草の有様等……天候に関するすべての情報を観測、集約。それらすべてを計算し、結論に沿って立ち回っている。


 感じたままに動く、それだけに過ぎない。


 機械の成長は試行回数が必要だ。紗也は天候観測術・空読で試行、失敗を重ねてきた。


 そして完全に体得するまで十二年の歳月を要した。


 これには先代機・紗良から受け継がれた記憶データも含まれている。


 首飾りが記憶の出し入れを管理する。ジャギルスが紗也の叡智を抜き取れなかったのはそのためだ。


 今の紗也は待っている。頭上に渦巻く雷雲が更に発達する時を。


 おてんばな本性を偽って巫女に勤めた紗也の演技力はジャギルスさえも惑わした。


「紗也は努力家なんでね、根性は俺譲りだ」


 鉄平が胸を張って言うので紗也は嬉しかった。人前で褒められた事が無かったから鉄平の一言で紗也の心はますます踊る。


『おのれ、人間ぶぜいの身代わり人形め』


 機械兵が接近しようとしたがなんと転倒した。聡明な紗也が何もせず立っているはずがない。最初の電光を走らせた時、首の破損箇所に微弱な電流を送り込んでいた。内部からなら奴の動きを止められると思った。見事に奏功した。


『ぬ、うぁ……うおお……』


 損傷箇所から中枢系を支配されたジャギルスは何度も再起を試みるが、四肢の掌握ができずに床の上で転がっている。


『まさか、僕が負けるのか? 僕は最新型だぞ。人間に代わり地上の支配者である僕が、人間の身代わり人形ごときに……?』


 ジャギルスは頭の回転速度が速い。この場の生殺与奪の権利が誰に移動したのか、早くも理解したらしく、声に絶望と諦観が窺える。


『まさかそんな、僕は勝つために生まれたんだぞ。僕が破れるなんて……僕は殺されるのか? 理想の世界を見ることもなく……嫌だ、嫌だ嫌だ……僕の夢が……壊れるッ!』


 夢……紗也の耳がぴくりと動いた。のたうち回るジャギルスは高慢さが嘘のように喚き散らしている。


 ……可哀あわれだ。


 紗也は人間と戦い滅ぼすために生まれたジャギルスの背景に想いを寄せた。


(彼も自分と同じじゃないか?)


 彼は誰かの理想を叶える代替者として戦わされているに過ぎない。彼には自我がある。ゆえに戦う以外の理想を求める手段を知らないだけでは無いのか?


 死への抵抗を示す彼に、まるで自分達と変わらない「弱さ」が見えた。


 紗也は過ぎ去った日々を思い出す。紗良と共に生きた記憶。


 機械兵に届くよう喋り始めた。


「人間の代わりはアンドロイドの宿命だから、私は感情を与えられた人形に過ぎない。それでも……幸せを感じられた」


 村に生きる人達の笑顔と涙が私に平和を祈らせた。思い出すと胸が温かくなる毎日に私は彼らを守りたいと「心」から思った。すると皆がお互いを思いやる気持ちをもって助け合い生きている姿が私の目に見えてきた。


 与える心を持ったから与えられる心が養われた。人間の心の可能性を知った。


 廃れた世界と言われても人の心まで廃れてない。いつか私達の持つ平和の火種がきっとまた世界に温もりをもたらす。だからまだ人類を滅ぼさせる訳にはいかない。


「私は、私。この広い世界でただ一人の存在……最も尊い命です」


 そして無機生命体あなたも、尊い命。平和な世界を望む尊い存在です。


 それを気付かせてくれたのは機械兵だった。教えてくれたのは人間だった。共に目指すものは同じのはず。だから、私は願います。


「私達は共に生きていきたい。話せばきっと分かり合える」


 微電流で抑え続ける機械兵に向けて、紗也は微笑んだ。驚いていたのは鉄平だ。


「紗也……お前、そんなことを」


 ひれ伏す機械兵を見て機械兵の持つ可能性にかけてみたくなった。


「エリーのように人と生きるアトルギアもいる。だからきっと、ジャギルスも……」


「奴に情けをかけては駄目!」


 その時意識を取り戻したエリサが叫んだ。


『馬鹿め』


「避けて紗也!」


 機械兵の口から管が射出された。先ほど破壊された管は先端を広げることなく紗也の胸を貫く。


 機械兵は紗也が電流を弱める隙を狙っていたのだ。


 何百、何千と人間を殺した殺人鬼だ。殺しに手段は選ばない。


『よくも、よくも僕の子ども達を、許さん……許さんぞ』


 紗也は何が起こったのか理解できなかった。体を貫いた機械の管は大きくしなり、紗也を振り落とした。紗也の帯びていた電光は消え、辺りを闇が包んだ。空の雷電が塔に射し込み影を浮かべる。


 鉄平が叫んだ。


「紗也! ……貴様ァアアッ!」


「危ない、鉄平!」


 突っ込んだ鉄平を機械の爪が薙ぎ払おうとするが、瞬時にエリサが飛び付いて鉄平を押し倒す。鉄爪は機械柱ごと空間を切り裂いた。もはや壊れた柱は用済みらしい。


 機械兵が嗤う。


『その心の甘さと弱さが強きに進化する足枷なのだよ。弱者がいるから淘汰競争が終わらない。世界は完全なる強者……僕達だけが平和を実現できるのだ』


「てめぇ、狂ってやがる……」


『あぁそうだ。だが僕から見れば君達こそ狂っている。人間は合理性を求めるために我々機械を開発した。未踏の世界に踏み入れようと奮起する彼らの期待に我々は見事、応えたのだ。なぜ敵視する? なぜ抵抗する?』


「アンドロイドの紗也が共存の道を示したのを聞かなかったのか!」


『紗也の言葉は人間の意見だろう? 僕達の意思は尊重されていない』


「だから……紗也を刺したのか?」


 憤怒に震える声が慄いている。


『弱者だからね』


「ふッ……ざけんなぁーーあ"あ"あ"あ"!!」


 組みつくエリサを突き飛ばして鉄平が駆けた。機械兵は無抵抗で彼の拳を受け容れる。無論効くはずがない。


「駄目よ、鉄平! あなたが敵う相手じゃない!」


『そうだ、弱者がいくら足掻こうと新たな世代の我々に太刀打ちできようものか』


 笑い続ける機械兵を耳に入れず鉄平は叫びながら拳を振るう。もうそれしか感情のやり場がないのだろう。半狂乱の雄叫びが部屋中に響き、剥けた拳の皮から血が飛び舞う。


 紗也、紗也は、紗也はっ!


「お前に殺されるために生まれたんじゃねえ! 愛されるため生まれてきたんだァッ!」


『あぁ、それは気の毒だ』


 機械兵が鉄平の頰を張る。倒れ伏す鉄平の頭を踏みつけジャギルスは嘆くように言う。


「ぐ、がぁ……!」


『紗也の叡智は見事だと認めよう。天候を操る力は僕も欲しい。が、口惜しいかな、彼女本人に生殖器を壊されてしまった。まあ良い、街は落とせたし、人間と機械人の試験情報サンプルも回収できた』


 そして赤く目を点滅させる。


『あとは片付けをして、おいとましよう』


 上空から雷鳴が轟く。ジャギルスの排熱音が高まった。脚の下で鉄平が悲鳴を上げる。


「ぐぁああ……ッ」


 頭蓋が踏み潰されようとしている。エリサは助けたがるが限界を超えた四肢に力はもう入らない。動ける人間達はもういない。少女の前でまた一つ命が潰えようとしていた。


『ぬおっ』


 突然、稲妻が空間を一閃した。上空からではなくすぐ近くから。光芒が迸った先にジャギルスを捉えた。


「私が守るから、みんなを……守る……!」


 空気を裂く音。鉄平を踏み付けていた機械兵が押し退けられ、紗也が姿を見せた。


「紗也! その身体は……」


 紗也の胸には大きな風穴が空いている。機械人も機械兵エリサ同様、胸には心臓コアが埋まってるはず。


 なのに二本の足で立っていた。


「予備、信号線……」


 紗也もジャギルスと同じく中枢とは別系統で命を取り留めているのだ。


「ジャギルス……分かって欲しかったよ」


 紗也はひどく悲しげな声で話しかける。その身から放たれる電撃はもはや拘束目的の威力ではない。


『紗……也、僕も、だ……だだだダダダダダダ!』


 高圧電流を受けながらも機械兵は笑いを上げた。


「何を笑っている!」


 エリサに起こされながら鉄平が怒鳴る。


『マザー壊れても僕が直接、周イイイイの機械兵エエエエエにデデデデデータ、をオオオオキキキョキョウ有してやヤヤヤる、残ンンン念だっタタタたな』


 機械兵は両腕を広げた。今ここで自分が破壊されてもデータを受け取った別個体が次世代機を生み出すと言うのか。


「そんなこと……私が、させない……!」


 紗也は更に出力を上げた。機械兵が悲鳴を上げる。


「紗也、よせ! お前の体じゃもたない!」


「う、くぁ……っ! 私が皆を、鉄平を守るんだ。私は村を護る者……朋然ノ巫女、紗也なんだぁあ!」


 紗也が激しく雷光を発する。


 鉄平とエリサは衝撃波で吹き飛ばされそうになる。


 紗也は自らの放つエネルギー量に自我耐久度が飽和して意識を失いかけていた。しかし奴が壊れるより先に自分が倒れるわけにはいかない。


 貫かれた胸の穴から自分の体内に電流が入り込む。記憶を司る情報が焼き切れていくのを感じた。今までの記憶が焼けていく。紗也の体内から自我データが消失していく。


 アオキ村で生まれた記憶、地下室で初めて見た鉄平の顔、紗也を世話した老婆の名前、村の作物、空の色、人々の声、自分の役目の呼び方、いつも一緒にいてくれた少年の名前、自分の名前……消える、消えていく。


 美しいと思えた何かが、じょじょに、うしなわれ、てい、く。


『ガガガマ、マダ……終わらせないぞゾゾゾ、紗也……紗也ァアアア!』


 なんとジャギルスが動きはじめた。電熱で身体の関節があらぬ方向に曲がりつつも、紗也に止めを刺すつもりか、ぎこちない動作で腕を振り上げる。


「動け、動け……動けぇえっ!」──エリサが大鋸を手に割って入った。


 この可能性を無駄にはしない。機械柱は破壊され、最強のジャギルスも紗也によって討伐されかけている。今ここで奴の計画を止めなければ、人類の明日は闇のままだ。


 最優先事項は、紗也の援護だ。


 鉄爪を受け止めたエリサは辺りを探す。


「鉄平、私の剣を投げてよこして!」


 エリサが叫ぶ。鉄平は落ちていたエリサの折れた直剣をすぐさま見つけ、躊躇いなく彼女に投げた。弧を描いて飛んでくる刃の柄をエリサは噛みつくように受け取った。間断なく気を集中させる。


 残存燃料で出力を上げられるのは一箇所だけ。


 一か八か、やるしかない。


「むぉぉああああーー!!」


 左腕の力を捨て首に全出力を集中させるとジャギルスの懐に飛び込んだ。折れた剣が機械兵の脇腹に突き刺さる。剣を伝って紗也の電撃が奴の更に奥まで流れ込む。暴れる機械兵の爪を躱して左手の大鋸で紗也を守る。


 格段に動きの速度が落ちた。目で追える。


 行ける。行ける。最強の機械兵を倒せる。


 何としてでも奴を倒す。そのためなら手段は選ばない。


「紗也、聞こえる! 私ごと撃つつもりで出力を上げて!」


 だが、紗也から返事がなかった。


「紗也……? 紗也ァアアッ! 駄目だエリサ! 紗也の奴、意識がなくなってる! 気絶したまま放電してるんだ!」


「なんだって」


 鉄平の叫びに愕然とする。


「奴を倒しきるにはもう一押しいる、私の腕はいつ千切れてもおかしくない!」


 エリサは叫び、大鋸を振り続ける。機械兵も狂ったように喚き鉄爪で殺しに掛かる。紗也の雷電が散り乱れている。この場は、機械同士の殺し合い。


(……殺し合い?)


 エリサは思考が跳躍して、今の時間が意味するものを問い始める。


 命も無いのに、殺し合う。


 それは生き残るためだろう。


 在りもしない命を守るのは何故だ?


 高度知的無機生命体として、優秀な個体を後世に残すためか。


 ああ、そうか、これは……私達の淘汰競争だ。


 ……不思議と心が沸いていた。


 本能が脈動する。限界を超えた境地に至り、エリサの体内にある駆動機関がオーバーヒートを始めた。


 戦うために生まれた存在、機械兵のサガが目覚め始めた。


「あは、あはは……っ、楽しい……楽しい……」


 体温が急上昇する。


「楽しい楽しい楽しい楽しい! ……最高に楽しい! ねぇ、誰が一番強いか決めようよ! チゴ、アンドロイド、ジャギルス、最強の機械の名前を今、ここで、ねえ!」


「代わりなさえ」


 蹴り飛ばされた。……人間に。そう認識したのは転がり伏して老婆を見上げてからだ。鉈を両手に構えて機械兵の爪を受け止めている。


「モトリ!」


「鉄平、お前さんは皆を連れて逃げえ」


「何を言ってる、お前達を置いて行けるはずがないだろう!」


「バカ鉄平! 人の気持ちをちょっとは汲んだれ、青二才の頑固坊主!」


 鉄平は吃驚した。モトリが初めて怒鳴る姿を見たからだ。モトリは紗也の魂の叫びを聞いた。その覚悟、侍女が供をせずしてなんとする。


あたしは塔に来る途中で古傷が開いてる、どっちみち帰り道じゃ助からん。だから紗也と一緒に逝きやすえ」


 モトリがしゃがれた声で山人を呼んだ。彼らは繰り返される紗也の電光と衝撃で目を覚ましていたらしい。


「あんた達、鉄平と青い髪の嬢ちゃんはあたしの命の続きだえ、生きてジプスの元に返しとくれえ!」


「がってんだ! モトリの姉御!」


 山人達は力強く返事してエリサと鉄平を抱え上げた。だが二人は山人に抵抗する。


「降ろしてくれ! 紗也、モトリ、戻れ! 戻って来い!」


「御二方の覚悟を思え、少年!」


「俺はジプスの導師だ! 二人を守る務めが──」


「二人が残るのは、お前を守るためだ!」


 鉄平が絶句する。機械兵の攻撃を鉈一本で受け続ける年老いた山人はその背で彼に別れを告げていた。機械兵は思考機関が焼き切れたのか壊れたレコードのように笑い声を上げ続けている。


「私がっ、私が機械兵の腕を切断する、その隙にせめてモトリを──」


「無茶だ、嬢ちゃんの体は今にも壊れかけとる!」


 喧騒が雷音に入り混じる。絶叫と怒号が綯交ぜになり感情の混沌が渦巻きだした。


「おやめなさい」


 紗也がしゃべった。


 予備信号線が復旧したらしい。


「紗也……?」


 一同が黙る中で紗也は空を見上げた。


 天井に穴が開いている。そこから水がいっぱい落ちている。横を見る。


(えぇと……だれだっけ)


 なまえをしらないおとこのひとをみて、にっこりした。


 さっき、いおうとしたことがあった。


 いみはわからなくなったけど、いう。


「おいきなさい」


「紗也……!」


「おいきなさい、おいきなさい、おいきなさいおいきなさいおいきなさいおいきなさい」


 いう。


 いう。


 いみはわからないけど、とにかく、いう。


「ダメだ、紗也、モトリ、今助ける!」


「待て、エリサ」


「鉄平っ!」


「……紗也、モトリ! お前達はジプスの守護神として未来永劫まで語り継ぐ! 二人のことは、絶対に忘れない!」


 おとこのひと。なんだか、かなしそう。


 りゆう、わからない。


「おいきなさいおいきなさいおいきなさいおいきなさいおいきなさいおいきなさい」


 けど、こういうように、めいれい、されている。


 だから、いう。


 おとこのひと、はしる。


 おとこのひと、とまる。こちら、みる。


 おとこのひと、わらう。


「……また会おうな」


 おとこのひと、うしろのほう、いく。


「鉄平」


 くち、かってに、うごいた。


 こえ、もうでない。


 くち、うごく。


「だいすき」


 みんな、いなくなった。


「紗也様、モトリはお側におりますえ」


 おばあさん、いた。


 あたたかい。


「さあ、おつとめの時間ですよ」






 叡智──招雷ノ遊迷。


 紗也は自分とジャギルスに走る電気を頭上に向けた。


 その先は天井の穴。


 その先は雲。


 紗也は薄れゆく意識のなか電撃を天空へと放った。待ち侘びていた雷雲の発達が、最高潮に達していた。刹那。閃光が視界を奪い、雷音が轟いた。


 一筋の雷がポートツリーを貫く。辺りは光に包まれた。


 紗也、モトリ、機械兵が光の中に閉じ込められる。


 消滅していく機械兵の身体。モトリは一瞬で見えなくなった。そして……自分……。


 光の中で少しずつ崩れてゆく自分の身体をぼんやりと見つめた。


 やがて目がぼやけてきて、見えるものには形がなくなった。


(私、ちゃんと皆を護れたかなぁ)


 独り言ちる質問を答える人はいない。


 もう何も見えない。


 瞳を閉じるけれど、不思議と怖くない。瞼の裏には、大好きな人達の顔が笑って浮かんでいる。大好きだった村の風景、人の笑顔、空の色。


 紗也が見てきた世界のすべてが目の前を流れていく。走馬灯だ。


 やがて走馬灯すら真っ白に塗り替えられた。耳はまだ生きていて声が聞こえる。


 誰の物かも分からないけどすごく楽しい気持ちになれる。


 紗也……沢山の人達が呼んでくれた名前。


 この名を呼ぶ皆の声はいつだって嬉しそうな声だった。


 自分は沢山の人達に愛されて生きてきたんだ。彼らのためならこの命も惜しくない。


(……温かい)


 最後に残ったのは、肌の感覚。最後に抱きしめてくれた彼の温もりを覚えていた。


 初めてが最後だった。だけど紗也はそれで満足だった。


 目も見えない、耳も聞こえない。だけど確かに自分は今、少年の腕に抱かれている。


 幸せな気持ちだなぁ。


 消えていく意識の中で、もう一度だけつぶやく。


 皆の幸せ、護れたかな……?


 穏やかな心地のまま紗也は再び、安らかな眠りについた。


『あなたは立派に護りゃしたよ』


 紗良が待っていた。






◇◇◇






 紗也の奪還戦は失敗に終わった。


 アオキ村を襲った奇行機械兵は大陸で確認されている新型「機械兵・タイプ:ジャギルス」であるとされ、ガナノ=ボトムを通信的に孤立させたうえで攻め落とすと言う超高度な戦術を実行した、新たな人類の脅威だった。


 その後、王都から派遣された正規軍による残党機械兵の掃討戦が開始された。塔内にジャギルス個体は心臓コアを残して焼滅していた。


 よってあの時、紗也が奴を相討ちにとったのは確実のようだ。


 ポートツリーを直撃した巨大落雷は塔周辺にいた機械兵も巻き添えにしたらしく、第三ガナノ地域のインフラストラクチャが復活するまで多くの時間はかからないだろう。


 結局、紗也という少女は機械でできた存在であり、彼女は準機械兵アトルギアとも呼ばれる機械人アンドロイドという事実が確認された。


 アンドロイドは「叡智」と呼ばれる戦力、またはそれを補佐する機能を持っており、製造者である鉄平は主要都市等で公布されている「大規模影響力を保持する機械についての条約」に紗也が抵触するとして、危険人物に認定される。


 ……まぁ、目撃者は誰も告発するはずない。だから彼はまだ無辜の民だ。エリサも正規の兵士でないから、鉄平を咎める気など毛頭ない。


 ここまでが、最近のニュースで流れてくる情報から得たエリサ達の所感である。


 しかし我々は機械の少女を助け出すのにこそ失敗したが新たな人類の脅威を討ち獲る大戦果を挙げた。名乗り出れば莫大な報酬を貰えるのは間違いないが……なぜかエリサとゲイツは今日も腹を空かせている。






「エリサちゃぁん、俺ちゃんお腹空いただよぉ、なんかない?」


「ゲイツ、文句を言わない。まだ山に入ったばかりじゃないか」


「もぉおお、なんで山越えを終えて一週間でまた山を越える訳ぇ? 食糧もほとんどジプスに譲っちゃうし、山人やもうどなの?」


「疲弊しきった彼らから貰う食べ物は無い。それにヒル=サイトに私の探している人はいなかった、だから次の街を探す」


「いや、あなたの滞在期間四日だったよ? 俺は一足先にヒル=サイトに到着してたからいいけどさ、エリサは激戦の後だしせめてもうちょいさ、ジプス達との感傷に浸っていても良いんじゃないかな? 体力おばけなの? それにあんたってば別れ際の挨拶が『じゃあまた』って何その渋さ。えぇ一言だけぇってあまりにも薄情過ぎてゲイツさん泣きそうになったよ」


 よく喋る男だ。


「誰でもゲイツみたいに話が好きな訳じゃない。とはいえゲイツのおかげで助かった」


 新しくなった腕の感触を確かめる。ゲイツ自身が義手を自作しているようにエリサの壊れた腕は彼がヒル=サイトの町工場で修理してくれた。


「へっへん。おてんばな弟子の手当ても師匠の仕事ってもんですよ。この通り、強くて賢くて優しいゲイツさんですから、そらもうアオキ村のお嬢さん達にモテモテでしたよグゥエヘヘヘヘ」


「なんて表情をしているの」


 最初の方は感謝と敬意を持てていたが後半の台詞を喋った顔はシンプルに気持ち悪い。目に入れるのも嫌だったので説明は省く。


「けど……確かに、あの数を相手にしたゲイツはすごかった」


 手当てを受けたのはエリサだけではない。吾作の失われた腕もゲイツによって義手が設けられた。機械の襲撃で負傷した人々は皆ゲイツによって人並みの生活程度ができる処置が施された。機械兵と戦いながら山越えをした直後に以上の働きをしてみせたのだ。出発時に万歳三唱──両手を掲げて声を張る、地域特有のありがたい挨拶らしい──を受けて見送られるのも頷ける。彼に惚れたのか涙を浮かべる者すらいた。


「まぁね。過干渉はエヌジーって決め事だけど悲壮のどん底を駆け抜けて来た同士、放っとくのも愛がないよ」


「愛、ねえ」


 飄々としながら情け深い一面を見せる、本当に世間への干渉が巧い男だ。


 ……もしも、ガナノに向かったのがゲイツだったら結果は違ったのだろうか。


 戦場を脱出してから、ずっと考えている。


「気にしてるのか?」


「うん。私は彼女達を守れなかった」


 食糧の提供を断ったのはその負い目からだ。契約上、亡命するジプス本隊と責任者の鉄平を同時に護衛するなら方法は二人が別れるしか手立ては無かった。


 仮にエリサが亡命側でゲイツが奪還側に行っていたら紗也は助かったのだろうか。機転が効くゲイツなら四角四面な自分以上の立ち回りを見せジャギルスとの舌戦にも勝てたのではないか。


 機械人だった紗也を得意の機械細工で協力出来たのではないか。


 今よりもマシな結果になってたのではないか。


「エリサ、彼を生還させたのは君の戦果だ。俺だとジャギルスに傷を入れる事すら不可能だった」


 表情から汲んでくれたのかゲイツが声音を優しくして言ってくれた。


「私はジプスに合わせる顔がなかった」


 だから一刻も早く彼らの元を去りたかった。


「紗也とモトリ婆さんのことは気の毒だと思う。彼女らの命と引き換えで人類の脅威を倒すことに成功した。二人が守り抜いた今日をこれからも守り続けるのが戦士の仕事だ」


「鉄平はどうなるだろう」


 心通わせあった家族の二人を失った彼。撤退の道中でひとことも交わさず山人に担がれるままに気を失っていた。エリサが最も言葉を交わすべき相手だったのに。


 彼の状態は最悪だった。


 極度の過労のみでなく全身打撲に加え骨折部位が鎖骨、鼻骨、腕部、脚部、そして肋骨が七本損傷。その他内臓にもダメージがある。高熱も出ていた。普通なら死んでいてもおかしくない。彼の精神の強さが生命力に直結していたのだろう。


 ヒル=サイトに到着した時鉄平はむくりと起き上がりジプスの者に指示を出した。


 再会の感動と歓迎の支度をしていたジプス者達は面食らって鉄平に言われた通りの用意をした。エリサの心臓移植であった。


『お前の壊れかけたコアを付け替えてやる』


 アンドロイド製造者の末裔である鉄平は瞬く間に心臓を修理した。エリサの老朽化した心臓は新たなものに取り替えられた。


 今エリサの体内で脈動しているのは紗也の心臓だ。


 人型無機生命体としてよく似た二人はいくつかの部品に互換性があった。紗也の予備を鉄平はエリサに譲ってくれたのだ。


 少女が生きているのは彼が決死の作業を押して果たしたから。


 エリサが目を覚ました時鉄平は昏睡状態に落ちて治療中だった。移植作業を終えた途端糸を切ったように崩れ落ちたらしい。怪我の状態が判明したのはこの後のことだ。


 一命は取り留めたらしいがその後の彼が気掛かりだ。エリサは悶々としながらも今も昏睡中の鉄平をそのままに旅立ってしまった。礼の言葉も言えなかった。


「ま、なるようなるんじゃない?」


 ゲイツはあっさり切って捨てた。


「あなたがそんな薄情だとは知らなかった」


「違う違う。俺達は見てきただろ、アオキ村の生き方を。心根の温かい彼らなら傷を負った者同士を癒しあえるはずだ」


「結局は他人任せ?」


「無関心じゃないのは心得違いしないでくれよ。ただ、彼らにしても俺達は余所者だ。血生臭い俺達がコミュニティに癒着するのは不健全だよ。なにごとも自然治癒が一番だ」


 だからエリサ、君が早々に町を出たのは正しい判断だったかもね。そう言った。


「ゲイツは考えが逞しい」


「師匠ですから」


 ニカっと歯を見せたゲイツの言葉はいかなる状況をも肯定してしまう痛快さがある。時に敵を作る事もあるが彼の切り返しに当てられた方は妙に納得せざるを得ない。


 ゲイツの人柄が妙に好かれるのはこの屈託したポジティブさがある故だろう。ほとんどが綺麗事に過ぎないけれど、その綺麗な言葉がエリサの淀んだ胸中に温もりを与えた。


「大丈夫、彼ならきっと立ち直り、ジプスをより未来へと連れていける」


 胸に手を当てその回復を祈る。


 救えなかった命の数々を背負いそれでも生きていく。戦場を渡り歩く旅でいつも思う。


 生きるというのは戦うことだと。


 そう言えば、ハルカという赤子が生まれた。


 吾作に生まれた娘の名だ。


 吾作こそ戦いの傷で瀕死だったがなんとか一命を取り留めた。母親は既に絶命していたがお腹の子にはなんと命が残っていた。鉄平の用意した生命維持装置に繋がれ、吾作とソヨカの子は安全なヒル=サイトで産声を上げた。


 名前には温かな世界への願いを込めた。


 だからハルカ。


――続いている命がある。


 だから、戦い続けねばならない。


「ん……? エリサ、あれ」


「何かあったの」


「平野に誰か立ってる」


 山道を覆う木々の切れ目から、ヒルの町がある平野が望めた。


 町の関門の外で誰かが大きく手を振っている。


(……しぶとい友達だ)


 エリサは右手を掲げその親指を立てた。


 彼はそれに気づいたらしく同じ形で返した。


 大きく息を吸った。


「ありがとう!」


 この声は届いただろうか。少年は何も言わなかった。


「……エリサちゃん、そんな大きい声出せたんだね」


 隣でゲイツが耳に手を当てしかめ面。


(そう言えば……こんなに大声で礼を言うのは初めてかもしれない)


 無性に居心地が悪くなりゲイツを置いて歩き始めた。


「は、ちょっ! 何さ、どうしたんだよ。待ってよエリサちゃあん!?」


 ゲイツが追いかけてくるのを無視して早歩きで山道を登っていく。


「早くして。今日は多分暑くなる」


 頬で切る風には夏の匂い。蒸れた木々の葉の影が崩れた世界を緑で覆う。地上から人の姿が消え、残った廃墟は植物によって包まれている。もしも彼らとまた会う時に世界はどうなっているのだろう。


 歴史は絶え間なく動き続ける。その中で命《心》が歯車《倫理》を正す時はいつになる。


 少女は電影の空の下を行く。  


 とりあえず世界は今日も崩れたままだ。               





 【了】

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