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雷音の機械兵〔アトルギア〕  作者: 涼海 風羽
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ログ:朋然ノ巫女

 明日、死ぬために生きてきた。


 なんとも残酷な響きだ。死ぬと決められて生きるとはどんな気分なのだろう。死ねば皆に喜ばれる存在とは果たしてどんな人間なのだろう。


――紗也。


 少女の瞳に見えた光。あれは己の役目に何の疑いもなく生きている純粋な眼光だった。暗い希望を宿した目だった。


 肩に湯をかけた。湯けむりが視界をぼかしている。


 宴席が閉じた後、モトリに頼んで湯殿を支度させた。今夜も風呂に入りたくなった。湯の中で身体を伸ばす。四肢の弛緩を感じながらエリサは心を寛がせた。湯殿に満ちる木の香りもよい。


「そんな顔するんですね」


「っ! 紗也様、いつからそこにっ」


「えへ、驚かせちゃった」


 麻色の髪が水面に広がっている。湯けむりに隠れて紗也が隣に座っていた。


「巫女としては、ホントは清めた水で身体をすすぐのが正しいんだけど、今夜は雨で肌寒いからお湯に入るの」


「……そんなことが許されるのですか?」


「私を許せない人がこの村にいると思う?」


「……これはご無礼を。どうかお許しください」


「うんいいよ」


 紗也はにんまりと得意げな顔だ。エリサと違い彼女は身に白い衣を纏っている。


「お話がしたくて待ってたんだよ。旅人さんを」


「私とですか」


「ですとかくださいとか使わないで。ここに鉄平はいないし、普通にして」


「はぁ」


「まぁまぁ、裸の付き合いをしましょう、ねぇ旅人さん」


「あなたは着てるじゃない」


「はっ、そうだった!」


 頬に手を当てショックを受けた紗也。けれどすぐに表情を戻すとずいと近づいてきた。


「ねぇねぇ、旅人さんはエリサって名前だよね。なんて呼んだらいいのかな? ずっと聞きたかったの。あんまりお話してないし、ゲイツさんよりお喋りが苦手なのかなって思ってたんだ。そうそう、二人ともすごく綺麗だよね、私、髪が青い人って初めて見たよ」


 止まらない。


「い、一個ずつ答えさせて」


「はっ、いけない! 困らせちゃったごめんなさい」


 紗也は言いながら湯の底に沈んだ。


「そこまで落ち込まなくていい!」


 湯の中で膝を抱える紗也を引っ張り上げた。


「いったーい! 鼻にお湯入ったぁー!」


 引き揚げられた紗也はゲホゲホとむせる。


「とりあえず落ち着こう?」


 なんだか調子が狂う。


「呼び方はエリサで良い。他のは慣れない」


「えぇ、じゃあ……エリサちゃん!」


「……それ以外がいいな」


 ゲイツの情けない顔が浮かんできたから却下。すると紗也は腕を組んでうーんと唸り、ぱっと顔を明るめた。


「エリー、エリーにしよ! よその人っぽくてかわいいから、エリーで決まり!」


 小さな肩を上げ、目を輝かせた紗也は無邪気に言う。それを見てるとなんだか胸が温まる。


「エリーね、わかった。あなたの呼びやすいようにすれば良い」


「そのあなたってのも変えて欲しいなぁ。紗也でいいよ。様なんて付けなくていい、そのまま紗也って呼んで」


「わかった……紗也」


「なあに、エリー?」


 嬉しそうに紗也は笑うと、すっと立ち上がって裾に当たる部分をぴらりと持ち上げた。


「その所作、巫女様というよりお姫様ね」


「おひめさま? なあにそれ」


 そうか、山から出たことがないのだから知らないのか。


「国で一番偉い人が王様、その娘がお姫様。今の紗也のポーズが、私の昔見たお姫様にそっくりだった」


「へぇそうなんだ。なんとなく、やってみただけなんだけどね。お姫様ってどんな人?」


「綺麗な服を着て、たくさんの飾りをつけた、華やかな人だった。遠くからしか見えなかったけど、いるだけで周りがキラキラしてる感じがした」


「キラキラしてるの?」


「綺麗な花や石がいっぱいキラキラして、周りはとても楽しそうだった」


 紗也の目は大きく見開かれた。


「エリーはなりたいの、お姫様」


「えっ」


「だって楽しそうだもん、エリーの顔。初めて会った時はキリっとしてて、ずっとそのままだったからお喋りが苦手なのかなぁって思ってたけど、今のエリーはお姫様が大好きなんだなぁって感じがしてるよ」


 湯船で温まった頬がさらに赤みを増しながら自分の前に迫ってくる。


「……まぁ、お姫様は好きだよ、みんな」


「そうなの?」


「お姫様は世界の中心にいらっしゃるお方だ。人類はお姫様を守るために機械達と戦ってる」


「エリーみたいに?」


 紗也はエリサの肩に触れた。エリサの身体にはいくつもの傷跡が刻まれていた。


「見られていたか」


「エリーって実はお姫様を守るために戦う人なんでしょ。だから早く村を出たがってる」


「ま、そんなところかな」


「エリーみたいな綺麗な人でも戦わないといけないんだね」


「生きるためよ」


「生きるため?」


「世界は残酷だ。明日生きてるかなんてわからない。この世界で生き残る術はただ一つ、戦い続ける事。だから命の価値に身分や年齢は関係ない」


「だからあの時、私にそう尋ねたのね」


 エリサは頷いた。エリサは今よりもずっと前から戦場で生き抜いてきた。過去の体験から自分を作り上げている要素に一切の揺らぎはない。


――命の現実を私は誰よりも知っている。


 そう。命が持つ価値も重みも、すべて。


「……そんな怖い顔しないで、エリー。私はあなたとずっと話したかったんだよ」


 紗也がエリサの肩に抱き着いた。


 少女の小さな身体のやわらかさと湯で温まった体温が肌に直接伝わってくる。殺伐としているエリサの胸中に幼い少女の優しさが響いた。


「私ね……友達が欲しかったんだ。鉄平は空読の時はかまってくれるけど、いつも忙しそう。モトリはそばにいて話し相手になってくれるけど、いつもそれじゃ代わり映えしない。村の人とはお告げ以外で話しちゃいけないことになってるし、ずっと退屈だったの」


「巫女様も苦労が多いのね」


「だけどエリー達が来てくれて、私すっごく嬉しかった。知らない事をエリーとゲイツさんがたくさん教えてくれた。本当に、ありがとね、エリー」


 紗也はエリサの手を取ってにこっと笑った。紗也の顔を見ると少し気持ちが明るくなった。 


「そっかぁ、お姫様かぁ。エリーが守りたくなるような、そんな人がこの世界にはいるんだね。……一度でいいから会ってみたかったなぁ」


 ドクン。


 胸が疼いた。


 紗也は二日後に死ぬ。


 知っていたはずなのに外の世界を教えてしまった。


「ねぇ、紗也……」


 この子はきっと死の間際で世界に未練を感じる。無垢に笑うこの顔が磔にされ、焼き殺される様を衆人環視は喜びながら祝うのだ。想像できない。


 想像ができなかった。


「……本当に死ぬの?」


 震えそうな声で口にしてしまった。それまで輝いてた眼がすっと穏やかな色を帯びてエリサの目を見つめたまま、にっこりと紗也は言った。


「死にます」


 美しい言葉。不気味さのあまりエリサは総身が粟立ちそうになったのを必死で堪えた。


 全身が急速に熱くなる。取り返しのつかない失敗を犯したような胸の痛みが刹那的に迸る。数秒前にいた少女がこの瞬間に死んだと察した。目の前の紗也がまるで別の生き物に変身した。朋然ノ巫女。生贄のため育てられた少女になって。


「みんなと会えなくなっちゃうのは寂しいけど、アオキ村の皆がこれからも幸せに生きていけるように私がんばるよ!」


「どうしてそこまで人の幸せを願えるの。紗也は」


「皆が私を幸せにしてくれたから。私は私にできることで皆を幸せにするんだ」


「…………」


 エリサは紗也の身体を抱きしめた。どんな事を言おうが紗也の声には一切濁りがない。自分の死が、村人の命を確実に守る。心からそう信じ切っている。


「エリー、突然どうしたの」


「……がんばって、どうか」


「えへへ、絶対に成功させるんだから。最後にエリーとお話できてよかった!」


「うん」


 胸にうずめた温もる身体が命の在処を伝えている。


 翌日紗也の声を聴くことはなかった。






「こんな小さい家……というか小屋じゃないか! どうやって住んでるんだこれ」


 せいぜい寝床がつくれるくらいといったところか。


 ジプスの統率者が住まう家としては何とも清貧を追及している。


 本当にここが鉄平の家なのか?


 今朝の事。いまだ山越えは危険だと言うモトリに対してこの村に機械に詳しい人はいるかと尋ねてみた。


 数日前からプツロングラ(※携行式立体電子記録端末)に通信障害が起こっているため修理を試みたいと思っていた。深山の里とはいえ世界を渡り歩く民族の技術は頼れるかもしれない。


「えぇ、おりますぇ」


 にたりと笑うモトリは三人の人物を紹介した。


 一人目は権兵衛という名の頭皮が禿げ上がった老人で眼鏡の似合う知的な容貌。


 実際に訪ねて見てもらった。


 プツロングラを出すと権兵衛老爺は熟練した手付きで受け取り目を細めて言った。


「小さかまな板じゃな」


 すみやかにおいとました。


 一人はラミダス・ドーンと名乗る中年男性。


 ジプス合流前は機械整備の職をしていたそうだが祭り支度に出ており不在だった。


 今夜から始まるのだから当然と言えば当然だ。


 そしてもう一人。なんとなく訪ねにくい相手だが背に腹は代えられぬ。


「鉄平ならきっと誰よりも機械の扱いは上手だァよ。空読から帰ってきた後なら捕まえられるさ」


 モトリはそう言うが今だに自分達を警戒して口も利いてくれない人がそう安々と手を貸してくれるだろうか。


「モトリ婆さんが教えてくれた場所はここで間違いない。あのデカい櫓が目印だっていうから、はるばる長い坂道を上がって来たんだぜ」


 山の斜面を覆う森の中に空閑地がある。広場から見えたそこには櫓が建っていた。そのさらに右斜め上に鉄平が寝泊まりする家屋があるらしい。


 目指してみるとなるほど、何の変哲もない森の中はしっかりと踏み固められ、道標となる楔が要所に打ち込まれていた。


 そして辿りついた小屋はどちらかというと「発見した」と言った方が適切な表現かもしれない。


「もしもーし、ごめんくださぁい。鉄平さんいますかー?」


 中から返事はない。ゲイツは道中でかいた汗をぬぐいながら水筒タンブラの水を飲む。


「まだ帰ってないのかもしれない。空読は、あの櫓から村まで報せに下りる必要がある」


「今日が最後の空読なんだろう? で、今夜から明日の晩まで磔にされると」


「…………」


「エリサ、どうかしたのかい」


 昨夜交わした少女との言葉が思い出される。あの時見た死を受け入れた笑顔が今なお心の底でほの暗い影を落とす。


「いや、なんでもない。それとゲイツはもう少し言葉を選んで。彼女が務めるのは磔じゃなく掲揚」


「そんな細かい事いいじゃないか、だって」


「よくない」


「……それは失礼。エリサ、昨夜の間に何かあったのかい?」


 ゲイツが水筒から水を飲む。


「紗也と裸の付き合いをした」


 ゲイツが口から水を噴いた。


「…………なるほどね、そんな事を言ってたのかあの巫女様は」


 エリサの話に頷きながら手拭いで濡れた襟元を拭う。


「私達はやはりこの村に来るべきじゃなかった。紗也に外の世界を教えてしまった」


「自分を悲観するな、そんなの結果論だ。俺達は世話になったジプスの最高権力者の命令に従って、彼らを喜ばせる話をした。それだけだ。忖度する筋合いはない」


「ゲイツは考え方が逞しい」


「半端な情けは人を殺すからね。エリサもそろそろ自覚した方がいい」


 いつもの軽妙な雰囲気こそあれゲイツは本気で笑わない。


「俺達は戦士だ」


 その足を左に半歩ずらして身を寄せる。


 ゲイツの頭部があった空間を一筋の木剣が薙ぎ払う。


 木剣は切っ先を休めることなく返す刃で逆袈裟に打ち上げた。今度の狙いはエリサだ。


 素早く身を引き間合いを改め、木剣の持ち主を確かめる。


 ゲイツが言う。


「やあおかえりなさい。家主の手荒い歓迎だ」


 鉄平は木剣を構え、じりじりと詰め寄ってくる。


「お前達のような余所者を村にのさらばせる訳にはいかない。今ここで消えてもらう」


「そうはいかない、あなたに話があるんだ」


「やぁっ」


「駄目かな?」


 木剣は鋭く風を切り裂く。ゲイツが屈んでやりすごすと鉄平の回し蹴りが脇腹に入った。


「お、うっ」


 しかし左腕で直撃を防いでいた。


 数歩よろめいたゲイツに木剣を突き出すがそこにエリサが割って入り、剣身に掌底を当て軌道を逸らした。その引き手の掌底で鳩尾を狙って打つ。鉄平は激しく呻いた。だが膝をつかない。


「二対一だぞ、やめた方がいい」


「丸腰が二人だ」


 木剣を振りかざして打ち込んできた鉄平。


(やはり鉄平は私達の存在を嫌っていたか)


 矛先はエリサに向けられた。


 横薙ぎに振り払われた木剣に身をよじって回避を取るが、いつの間にか掌底が眼前にあり、鎖骨に喰らった。


 かろうじて多少の勢いを流したが、胸部に鈍い衝撃がほとばしる。と思えば腹部に鉄平の前蹴りが突き刺さった。


「ぐぁっ」


 たまらず後方へ受け身を取る。続く追い打ちを鼻先でかわす。鉄平の背中にゲイツが飛びかかった。


「女の子への暴力はんたーーい!」


 首元に腕を回し着地の勢いを乗せて鉄平を地面に叩き付けた。


 しかしなんと鉄平はすぐ身を起こすとすかさずゲイツを頭突いた。


 怯んだゲイツの胸ぐらをつかんで再度頭突くとゆがんだ横面に一撃の拳を浴びせた。ゲイツは転がりながら身を起こして、


「エリサ、アライブ」


「わかってる」


 殺さない。ゲイツも自分に確かめるつもりで言ったのだろう。あとはゲイツに任せた方が賢明だ。


「鉄平さん、俺達はあなたと争いたくない」


「ほざけ」


「だから話を聞きなさいって」


 吐き捨てて一歩大きく踏み込んできた。上段だ。ゲイツが前に出た。明確な殺意を孕んだまま下される打撃を直前まで待ち構え、懐へと飛び込む。


 ただ一足にて。


 腰を落としたままの姿勢で木剣を持つ腕をつかみ前方へといなした。


 鉄平の大きな身体が投げ飛ばされる。


 どう、と音を立てて地に鉄平が伏した。


「はい、おしまい!」


 ゲイツは手に持つ木剣の柄を鉄平に差し出しながら言った。


「俺達を助けてくれ、鉄平さん」


「誰がよそ者に!」


 なおも反抗の姿勢を見せる鉄平の動きを制してゲイツはしゃがんで目線を合わせる。


「機械に詳しいと聞いたんだ」


 すると鉄平はぴくりと反応を示した。


「……だから?」


「俺達のプツロングラに通信障害が起こってる、修理をお願いできませんか」


「…………来い」


 鉄平は木剣を手に取り立った。


 じろりとゲイツとエリサを睨めつけて小屋の中に誘い、二人が入ったのを確認してから戸を閉めた。


 一人横になれるだけの窮屈な空間。


 息苦しい部屋だと思いきや驚いたことに鉄平はおもむろに床板を外し始めた。取り払われたそこには地下に続く階段が下へと伸びているではないか。


(……隠し部屋?)


 鉄平はもう一度、此方を睨んだ。そして何も言わずに階段を下りていく。


 自分達も言葉を交わさずに続いて降りた。


 降りた先には空間があった。作業台と思しき机が中央にあり、書物が壁際にきっちりと整然と棚の中で収まっている。行燈ランタンが灯っているが息苦しくないのは何処かに通気口があるのだろう。


 なんとも一族のリーダー格もとい宗教家らしくない内観だ。


――これは、機械兵襲撃に際して用意したシェルターか。


そのまま彼の執務室として使用しているのだろう。


 鉄平に促され、適当な席に座らされた。対面の席に鉄平がつく。


「出せ」


 主語と推測される物を机の上に出す。


「これがお前達のプツロングラか」


「通信が機能していない。鉄平さん、あなたも世界を旅するジプスの一族だ。もしかしたらアオキ村の元で外界と通信できる術があるんじゃないかと」


 ゲイツがそう言うと鉄平は黙った。何かを言おうとしている、だが言えない、言いにくいニュアンスを抱えている表情を内側に隠し持っている。エリサにはそう映った。


 もはや腹を割るしか最善策はない。


 エリサは鉄平の注意を自らに向けさせた。


「黙っていてごめんなさい。実は私達、傭兵をしているの。無所属フリーランスのね」


 続ける。


「私達は今、人間と機械が交戦中のガナノ=ボトム第三区画に要請を受けて向かっている」


 ゲイツは黙って聞いている。


「けれど現地との通信ができない上に足止めを受けている状況、私達にとって良いことではない。人類の存続のため、アオキ村の技術者に協力を仰ぎたい」


「……もともと、アオキ村でも周囲の部落や街と通信は取れていた」


「!」


「三日前、すべて途切れた」


 鉄平は言う。


「お前達は知らないだろうが、俺達ジプスは独立した共同体として世界を転々としているが他の共同体との繋がりを独自に持っている。この地図を見てくれ」


 鉄平が書架から引き出した地図を広げると中央に大きく拓けた盆地、四方に幹線が伸びて紙面の縁まで至る。


 幹線に横切られる形で盆地の周囲には山脈が連なり、北西の山中の位置に赤い丸が記されている。


「中央の盆地がお前達の目指す第三ガナノだ。北西の赤丸がアオキ村の位置。迷い込んだと言っていたが、ここからそう離れていない。そして、これらが協力関係にある小規模集落だ」


 鉄平が指さしていくそこには、よく見ると小さな黒丸がいくつも示されている。


「第三ガナノがカバーする通信領域は地図の範囲内だ。示されている集落の殆どが通信設備こそあるものの、当然ネットワークはすべて第三ガナノに依存している。アオキ村もその一つだ」


「だったら」


「ああ」


 鉄平の首肯で目の前がくらんだ。だがゲイツは食い下がろうとする。


「まだ早合点だよ。ガナノは防衛兵力五〇〇人を擁する大都市。防衛戦では無敗を誇る要塞なのに……いや、最悪の場合を受け容れるよ。第三ガナノのポートツリー(※区画内の電子情報を集約する機械塔)は都市中央にある。それに損害が及んでいるとなれば……」


「そのプツロングラは正常だ。障害の原因は根元にある」


 ゲイツの舌打ちが聞こえた。同様にエリサの脳裏にも歯噛みしたい言葉がよぎる。


「ガナノ=ボトム第三区画は、すでに機械兵に陥落した」


 あくまで最悪の想定だが十中八九は的を射ている。頭を抱えたくなる事実に急を要する現実が頭の回転を早める。鉄平の方が先に口を継ぐ。


「第三ガナノが落ちた事はまだ村の人間には伝えていない。ひと月前の機械兵の死骸ですら村はパニック状態だった。今度はもう後がない。村全体の支度がようやく整う明後日の早暁、俺達はアオキ村を去る」


「雨でぬかるんだ山道は危険だったはず、それを押し通るつもりですか」


「愚問をするな」


 鉄平はにわかに目を血走らせた。


「機械共に村ごとなぶり殺しにされるか、山の土砂に飲まれて死ぬか、どちらがより人道的か考えろ。村の命運は俺と紗也が背負っている。よそ者に口出しは無用だ」


 ゲイツは何も言い返さない。「失礼を」と言って両の手を挙げて恭順した。


「仰る通りだ、新天地を望めるなら可能性にかけたい。鉄平さん、あなたの指導者としての覚悟は卑賤の乞食者ながらしかと受け止めた。ご無礼をお許しください」


「いまさら礼儀は求めていない。お前達はこれからどうするつもりだ」


「実地に赴いて現場検証と行きたいところだけど、あの大要塞を落とす勢力がうろついてるんだ。給料未払いの一兵卒は命を惜しむね」


「そこでお前達にこれを返す」


「あ……」


 再び書架に手をかけて動かすとそこにはエリサ達の預けていた武器が収められていた。


 机の上に二振りの剣が並べられた。エリサとゲイツは手に取ってそれぞれ刃の機嫌を確かめる。鞘から覗く愛剣に手出しをされた形跡はない。これぞ傭兵の武器だ。


「お前達は金で自分の命を売っているのか」


「まあお仕事ですから」


「だったら今度は俺がお前達を買おう」


「ほぉ。鉄平さんが、あんなに毛嫌いしていた俺達を買うのかい」


 ゲイツが嫌な笑みを浮かべた。


「第三ガナノが落ちた今、この山も敵の行動域テリトリーだ。二人の腕が確かなのもこの身をもって分かった。どうか、アオキ村の山越えを護衛して欲しい」


「よそ者を信じるのかい」


「村人はお前達を信じている。この通り、頼む」


 鉄平が、頭を下げた。居丈高な物言いとは裏腹に鉄平の頼み姿は美しくまっすぐだ。


「斬りたければそいつで俺を斬れ。いずれにせよ死ぬ覚悟はある……さぁいくらで売る」


「太い男だ」


 ぎろりと凄む鉄平のまなざしがゲイツを刺している。


 愚直だ。


 エリサはただそう思った。自分が当事者にもかかわらずエリサの頭は冷めていた。アオキ村の人々を己が身一つで守る事しか頭にない。これでは統治はできても旅の道中で苦労する。


 ゲイツの溜め息に紛れてエリサも息をつく。


「あなたの言った通り、俺達は命を売って日銭を得る仕事だ。いただくものはたんまりといただきますよ?」


白色穀物マイラスを腹いっぱい」


「そうそう、白色穀物を腹いっぱい……え?」


「あなた達の村で穫れた作物、それと水さえくれたら引き受ける」


 エリサはさらりと言う。


「あのなエリサ、これはそんな軽い話じゃないんだよ。俺達の命を彼らに貸し出すかどうかの契約だ、俺達の命はそんなに軽いか?」


「それは違う。命は誰にとっても同じ重み。彼が言うように、私達はよそ者に過ぎない。けれど彼らは飢えて村に迷い込んだ私達を自らよりも大事に思い、裕福な暮らしでないはずなのに手厚くもてなしてくれた。アオキ村のベニカブは美味しかった」


 エリサは知っている。あの種の根菜は土を選ぶ。並の手入れで高品質に育てるのは不可能だ。


「そればかりか、私達は飢えたまま雨に降られて土砂の底に沈んでいた可能性すらありえた。アオキ村に迎え入れられたことは、私達の命を救ってもらったも同然」


 エリサは抜け目なく見ていた。アオキ村の民の顔を。外敵に怯懦の心があるものの心根はとても暖かな物だと。そして各人が己の信念を棄てずに生きている。


 久しぶりに人間と触れた気がした。


「私はアオキ村につく」


「ちょ、エリサ!?」


「私は、アオキ村につく」


「……衣食住の約束、必要物資の提供、それから俺達の背後を狙わない、これでいいか」


 ゲイツが頭を掻きながら鉄平に言うと頭を下げられた。契約が締結した。


「斬りたければ斬れだなんて俺達を野蛮や機械みたいに言わないでおくれよ。あなたと同じ血の通う人間だ、こちらこそ対等イーブンの関係でよろしくな」


「ああ。俺も今日で侍従のお役御免なんだ。お前達に背後を頼んで、俺は道師に専念したい」


「朋然ノ巫女は今どこに?」


「ああ、紗也様はあそこにおられる。お前達も見てやってくれ」


 不意に不幸の匂いがした。鉄平が地下室の外に誘う。階段を上る音が嫌に響いた。地上に出ると鉄平は小屋よりさらに上の方。山から伸びる櫓を指した。


「あそこだ」


 鉄平の指さす先に櫓があって台座の上に白い衣を纏った紗也がいた。


 その両手足には、杭が突き立っていた。


「なっ……!」


 はり付けられた体に力はこもっていない。すでに死んでいる。


「儀式は明日のはずじゃ!」


「そう、紗也が死ぬのは明日のはずだった。だが、仕方がなかった」


 鉄平がエリサの目を見た。


「紗也は色々と知りすぎた」


「……昨夜のことを知っていたのね。紗也が未練を感じないよう、あなたと村の人々は紗也に外の世界を教えなかった。だから私達を嫌っていた。だけど紗也が知ってしまったなら先に殺した方が早い。そういうことね」


「おいおい、物騒な言い方はやめろ。紗也を殺したのは俺じゃない。前倒しを提案したのは、紗也自身だ」


「えっ」


「明日の夜は空が乱れる。村のためにも今日が良い、紗也の口から確かにきいたんだ」


「まさかそんな」


「お前の言う通り、俺はお前達を村の者に……いや、紗也に害なす者として憎んでいた。お前達が紗也に外の世界の話をしたとき、本気でお前達を殺そうとも考えた。何も知らずに死ねた方が、あいつにとって幸せだったからだ」


「あなたは外の世界を紗也に語らなかった。彼女の運命を知っていたから」


「その通りだ」


「ならばなぜ私達に引き合わせたの。あなたなら止められた……迷いが出たのね」


「それを聞いてどうする」


「本当は殺したくない、もっと外の世界を教えてあげたい、一緒に世界を旅したい、そう思っていた」


「無理な話だ」


「何故」


「見て来ただろう、このジプスの在り方を」


 鉄平は目に力を込めた。


「朋然ノ巫女がいる限り自分達は安全だと、誰もがそう信じている。お前達も旅人ならわかるはずだ。この世界に安全な場所なんて無いんだと」


 鉄平は櫓に晒される紗也の死体を指さした。


「生まれた瞬間ときから捕食者の牙に晒されて生きている俺達には、心を預けられる存在が必要だった。死にたくない俺達の代わりに喜んで死んでくれる存在がジプスの正気を保っていたんだ」


 鉄平は続ける。


「だが、あいつは言ったんだ。私の命より、村の命を尊びなさいって。一切、悲しい顔せず微笑んだままで」


 深い皺の走った眉間を下に向けて鉄平は胸を抑えた。


「どいつもこいつも。心さえ、なかったなら……」


 沈黙が挿し込まれる。エリサは察した。


 鉄平は紗也を愛している。


 理屈で固め上げねば決壊しかねない感情を胸中に抱え、なおもジプスの未来を考えている。その痛みを考えれば、感情のやり場を外敵への憎悪にすり替えていたことも、推し量られよう。


「鉄平さんは一人で闘ってきたんだね。集落の命と彼女の命を天秤にかけながら」


「もはや御倶離毘ですべてが清算される。今夜、終わらせる。すべてをだ」






 紗也が死んだ。


 その報せを聞いた人々は大いに喜んでいた。


 死とは喜ばしい事なのだろうか。罪もない幼子の死を喜ぶ者達をこの地で初めて目にしたエリサが生への価値観に大きな打撃を受けてていたのは言うまでもない。


 宵の口。八方を囲む山々を薄雲が覆っている。村内の風通しがやけに良い。


 祭り支度と並行して集落の解体も進められていた。


 昨日まで騒々しかった山羊小屋は空になり畑は農具一つも残さず撤収された。


 川辺では不要物を焼却する炎がぱちぱち音を鳴らしている。


 生きているのか分からないくらい閑散としていたアオキ村はいよいよその生涯を終えようとしていた。


 村の広場に大勢の人が集っているのをエリサは消えゆく灯火の輝きに重ねた。


 少女の命と共にある集落アオキ村。


 その儚い宿命に昨夜見た紗也の笑う顔を思った。


「ゲイツ、私には紗也が何を思って死んでいったのか推量できない」


「それは俺もさ。彼女を育てた環境、人間、役割、およそ俺達が経験しえないものばかり。理解しようもない」


「私は傲慢なんだろうか。決意ある人間に、自分の常識と正義をもって他人の感情を推し量ろうとして、共感できてたつもりだった」


 でも紗也が腹に抱える物は自分の考えうる域を遥かに超えて重かった。理解したつもりでいた他者の意志を事実との相対で軽んじていたと気づき忸怩している。


「それが人間ってものだよ、エリサ。人間ってのは皆生きてるだけで傲慢さ」


「ゲイツは自分がそうだと思っているの?」


「自覚してなきゃ他人と上手くやってけないからね。感じるのも自由、考えるのも自由、発言するのも自由。ただし自由って誰かを我慢させているから成り立っている。エリサ、君の抱く自己批判と痛みは決して無意味な物じゃない」


「どういう意味」


「真実は痛みの繭にくるまれているからね」


「よく分からない」


「それでいい。いちいち背後を気にしていたら目前に迫る契機を逃すよ。俺達と彼らは選択した道が違うんだから」


「……世界には知らない事が多いよ、ゲイツ」


「ちょっとは君も人間らしくなってきたか?」


 分からないと再び言って中央にそびえる柱を見た。あの天辺てっぺんの先に朋然ノ巫女・紗也の命があるのだろうか。


「あっ、あんたも来とったん! ほら吾作、こっちこっち」


「やあどうも、おやっとさあ!」


 人混みの中で声が聞えた。訛り言葉を話すのはあの夫婦だ。


「吾作くんじゃないか、ソヨカさんも一緒だ」


 人の波を掻き分けて吾作夫婦が出てきた。妊婦の方は……そうだ、ソヨカと言っていた。目が合ったソ

ヨカは、にこっと笑みを浮かべて吾作の横に来た。


「お腹の子は大丈夫なの?」


「うん、大丈夫。この子も今夜は楽しみにしとるみたいよ」


 今夜の出来事に興奮しているのか頬を赤くしてソヨカは腹部の張り出したところをさする。それを見て吾作はあきれた様子だ。


「今夜は人が多いから、腹の子に障ると言っても聞かんのじゃ」


「なーんね、ウチも御倶離毘を見るのは初めてやけん、見ときたいと。それにしてもびっくりしたわ、明日のはずがいきなり今夜になるんやもん」


 唇を尖らせ支度に急いじゃった、とこぼすソヨカの背を吾作はさすって「紗也様の最後のお告げじゃ、それだけ大きか意味があっとよ」などと宥めようとする。


 ソヨカはさほど気にしてないようだが吾作が一生懸命に背中をさすっているのが嬉しいらしく、彼から見えないようににやにやしている。


「二人とも、吾作達が頑張って作った御柱をしっかり見て行ってな」


「そうそう、御柱は村の衆が丹精込めて設計した、渾身の出来ですけん」


 若夫婦は誇らしげに言う。更に吾作が進み出る。


「ゲイツさん、エリサさんも村の巫女様が果たされるお務めをよぉーく見ていってくださいね! オイたっがお組み申し上げた御柱の上で紗也様がお焚き上げされるなんて、こらぁ一生もんの名誉ですけん!」


「は、はは、ありがたく拝見するよ……」


 吾作は目を輝かせて熱弁を振るうがさすがのゲイツも引き気味だ。


 やがて広場の奥から声が上がった。人混みの雑踏は喧噪の波となってエリサ達の元へ瞬く間に伝播する。


 紗也が運ばれてきた。


「紗也様だぁ、綺麗……」


 村の子ども達が口々に言うさまを生前の紗也はどう聞いただろうか。


 十字架に打ち付けられた少女の肉体はもともと白かった肌がさらに血の気を失い、宵闇の空を背に異形じみて際立っていた。


 篝火と松明に照らされる彼女の顔には悲喜もなく静寂とも呼べる神秘さすらある。


「見てくだせぇ! 紗也様がいよいよ御柱に掲げられますけん! オイはこの瞬間を目ん玉かっぽじって焼き付けっど」


「しゃーしかあんた! ちょっとは神妙にしんしゃい!」


 吾作が指さす御柱に紗也を掲げた十字架が組み合わされた。


 根元にいた男達が一斉に綱を引き下ろすと十字架が御柱の頂上へ高々と突き上がった。


 紗也が遥か見上げる所まで行ってしまった。


 村人達は興奮して大歓声を上げる。感極まり声を上げて泣き出す者さえあった。


 だが御柱の前に鉄平が立つと水を打ったかのように辺りは静まり返った。背後には紗也と似た宗教的装飾をまとった女たちが居並んでいる。


「祈祷」


 彼が一言。村人達は一様に手を組み虚空に向けて瞑目する。


 吾作とソヨカも同様の姿勢をとった。吾作に囁かれてゲイツも真似をするが半目を開けてエリサと同じく人々の様子をうかがう。


「ヒヒキカエシワコソワタレコソナゾセムヤカソワタニキニキノニキニキノムソカエシワソワカ」


 鉄平が祝詞マスカと呼ばれる詠唱をした。呻くような声を追って広場に溜まる群衆も唱え始める。


「ヒヒキカエシワコソワタレコソナゾセムヤカソワタニキニキノニキニキノムソカエシワソワカ」


 理解できない言葉の羅列。呻くような低い声で呪術の類に似た詠唱を周りが天空に諳んじている。なんとも不気味な光景である。


「!」


 その時である。エリサは己の目を疑った。


 いや、ゲイツも信じられないと言う顔をしている。


 御柱に打ち留められていた紗也の死体が動いた。


「ヒヒキカエシワコソワタレコソナゾセムヤカソワタニキニキノニキニキノムソカエシワソワカ」


 祈祷の詠唱が高まってくる。徐々に死体が顔を上げだした。


「そんな、まさか……」


 背中から悪寒が込み上げる。


 この世で最も嫌悪する何かに首筋を舐められたような最悪の不快感が全身を駆けずり回る。思わずゲイツの袖をつかんだ。


「ヒヒキカエシワコソワタレコソナゾセムヤカソワタニキニキノニキニキノムソカエシワソワカ」


 人々の言霊が叫びのような沸き方をして鉄平の背後に立つ女たちが奇声を発した。


 閃光が視界を奪い去る。


 雷が鳴った。


 爆音が轟きわたり、熱風が人波を撫でつける。


 目が光を取り戻すと御柱が燃えていた。


「奇跡だ、奇跡が起きたぞ! 朋然ノ巫女様が空の神と誓いを結ばれた!」


 誰かが叫んだ瞬間アオキ村に息衝く人々は熱狂に咆哮した。集落を絶叫が包む。耳をつんざく金切声。焼けていく紗也の死体。炎上する柱を囲んでは村人達が踊り出した。


――なんだ、なんなんだ、これは。


 エリサはあまりもの異様さに胃から込み上げるものを両手で押さえた。


 狂ってる。やはり、この村は狂っている。


 何かに縋らねばならないほどの精神性。鉄平の言う通りだった。


「おやめなさい」


 その時二百を超す人の絶叫がただちに止んだ。


 炎の中で喋る者がいる。


「皆よ、尊厳を忘りょったか」


――紗、也……?


 いや違う。自分が知る声じゃない。


「紗良様だ、紗良様だっ」


 年嵩な男が悲鳴のような声を上げた。


「皆の者ォッ、紗良様が地上に再臨なさったァッ!」


 場の空気が燃え上がるように沸騰した。


(あれが、先代の朋然ノ巫女・紗良……?)


自分わえのちも世は変わらぬな。然れど貴方達そもじらの役目を負う心は努々《ゆめゆめ》変えぬよう励めよぅ」


 紗良は鷹揚おうように喋る。村人は次々と平伏して頭上から降りかかる言葉を聞いている。


 まさか本当に人々の呪詛が紗良の命を呼び戻したのか。


「此れは、天上より得た紗良の御言葉みことばぞ。皆に賜う」


 焼ける紗也から言葉が続く。人々の平伏は強き者に撫で伏されたような形である。


「我が名は、紗良。朋ぜ」


 砕けた。


 御柱が砕け散った。燃え上がる御柱が突然砕け散った。


 悲鳴。紗也の体は炎を帯びたまま地に落ちる。


 しかし誰もその姿に目もくれなかった。


 人々は逃げ始める。


 散った人間達の中央にいてはならぬ者がいたのだから。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………機械兵アトルギアだぁぁぁぁああああああああああああああああ!!」


「いやぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


「奴らだ逃げろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「ギャアァァアァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 逃げまどう人々に阿鼻叫喚の渦が巻く。


「エリサ、動くぞ」


「うん」


 ゲイツは保護眼鏡ゴーグルを下ろし出現した奴の元に飛び出していく。


 機械兵の数。柱の裏に一体。広場の奥に更に三体。


 ゲイツが目標を捉え腰の剣を引き抜く。


 直剣。


 されど片刃肉厚の変質な得物が彼の愛用するクリーファという種の刀剣だ。


「俺の手柄になりなっ、機械兵共!」


 鋭く風を切り裂きながらゲイツの刃が闇夜に走る。


 背丈は二メートルを裕に越す異形の人種に恐れも知らず赤髪が舞う。


「邪魔をするなァッ!」――だが遮られた。


 ゲイツの刃が煌めく前に狙っていた機械兵が打ち伏せられた。


 その背に降り下ろしたのは長大な鋸。木こりが材木の伐採に使用するただの農具だ。


 そんなもので機械兵を殴り倒したのか。


「鉄平さん!?」


 顔は赤く筋張って目玉は飛び出そうなほど見開かれていた。


 重量感ある長大な鋸を頭上に掲げると機械兵の頭に向かってもう一度振り落とす。


 機械兵の巨体が転げてもんどりを打つ。


「アオキの民よ聞け。俺達は機械兵に邪魔された! 神聖な時を穢された! 紗也様の御霊に触れようとする邪悪な無機物共のこの毒牙、どうして許してくれようか! 断じて解せぬ所業である!」


 鉄平の怒声逞しく、逃げ惑う村人達の騒ぎが止まった。


「俺と戦え! 奴らを倒せ!」


 そう言うや、起き上がってこようとする機械兵の腕を打ち上げた。


「戦え!」


 なんという馬鹿力だろうか。機械兵に腕力だけで競り合っている。今朝の喧嘩で直撃を喰らっていたら今ごろゲイツはこの場に居なかったかもしれない。


 だからゲイツは口笛を吹く。


「やーるぅー」


 鉄平の声に応じて男数名が留まった。他は村の奥へと避難している。意外なことに統制が良い。


 だがアオキ村の純戦力は二〇人に届くかどうか。襲来した機械兵の数が定かでない状況で防衛戦は絶望的だ。


「そのための俺達なんだよな」


 ゲイツの声は張ればよく通る。


「鉄平さん! 俺達は避難する皆を援護する! そっちは任せた!」


「誰一人殺すな、それだけだ!」


「善処します! エリサ、列の右側を頼んだ。そっちの方が、戦えそうな人が多い」


 頷いてゲイツと別れる。人々が殺到しているのは紗也の居館だ。敷地が広く村で唯一塀を持つあの館なら大勢を収容できる。


――彼女らは今どこに?


 ふと脳裏をよぎったのはあの夫妻のことだ。腹に子を持つ妻がいる。


 走りながら人波の中を探し回る。


 いた。


「ソヨカ! オイは鉄平サァの元に行く! お前はこのまま行け!」


「嫌だよあんた! 絶対に行っちゃ駄目!」


「必ず生きて帰る! お前と、子どもの命は、オイが守っからな!」


 列を離れた吾作とすれ違う。ソヨカの絶叫。一目見えた彼の表情は尋常じゃない形相だった。すぐさまソヨカに駆け寄る。


「安心して、私とゲイツがあなた達を援護する、きっと大丈夫だから」


「エリサ! 連れ戻して! 吾作を……吾作をぉ!」


 乱れる彼女の頬を張る。


「あなたは、あなたの守るべき命を守りなさい」


 茫然自失のソヨカを適当な村人に任せてエリサは周囲を改めた。


 アダル型が三体。シシュンが二体。目視で認めた数は計五体。


 シシュン型に銃砲型はいない。


 この数で収まっていてくれたなら勝機は望める。


 自分達がいるからだ。


 アトルギア・タイプ:アダル。世界で最も多くの個体が確認される種。手足が長い人型機械兵。


 アトルギア・タイプ:シシュン。アダル種に属しない、奇形の機械兵。全身が剣のごとく鋭利な型や砲身を持つ銃砲型などその生態の種類は多岐に渡る。


 世界を支配する機械兵は大きく分けてこのどちらかに分類される。


「シシュン型がこちらに接近!」


 エリサは声を張る。四足獣のなりをしたシシ型の機械兵が猛然と人の列に突っ込んできている。


 列の中から武器を手にした村人が数人出てきた。素人含めこちらの兵力計八人。目標の体格サイズは大人二人と同じくらい。幸いなことに比較的小さな個体だ。


 烏合の衆でも小型の奴ならギリギリいけるか。


 闇夜に光る鋼色。赤い両目が地を鳴らしながら目前に迫った。


 排気音。機械兵はその獰猛な前足を砂を巻き上げ振り上げた。


「よけて! 受けるな!」


 村人が飛び退いた地面を奴の爪が抉り取る。


 後方の避難民から悲鳴が上がる。小型とはいえ人狩り用の兵器。喰らえば即死の一撃だ。


 人間を殺戮するためだけに生まれた奴らの戦闘力は伊達じゃない。


 慄く村人達に声を張る。


機械兵アトルギアは人間の恐怖を利用する。胸を張りなさい!」


 一般人が殺戮兵器を相手にする恐怖は筆舌に尽くしがたい違いない。だからこそ声を高めて人々を励ます。


 たとえ虚勢でも気持ちで屈しては勝ち目などない。人類を滅びの手前に追いやった奴らの脅威は遺伝子レベルで人間達に刷り込まれている。


 だが人間達も黙って滅んできてはいない。


 奴らが人間狩りの機械なら此方にいるのは機械狩りの傭兵だ。俊敏な奴らを抑える手段はある。


 エリサは腰裏に手をかけた。


 ホルスターから引き抜いたのは一丁の手持ち銃。


「ピーニック・ガム!」


 引き金を引くと銃口から軽快な発砲音が一発の弾を撃ち出した。


 発射された弾丸は、機械兵に着弾する直前にぱっと散開し脚部関節を捉えた。


 奴の動きが途端に鈍くなり原動機モーターの空吹かす音が高まる。


 ピーニック・ガムはゲイツの手造り兵器。弾丸には粘着質の液体が細かく小分けに詰め込まれ、着弾すると機械の関節の隙間に入り込んでその動きを固めてしまう。


 装甲の厚い機械兵との戦闘に際し接近戦を得意とするエリサの攻撃補助として愛用している武器だ。


 機械兵への対策など傭兵プロからすれば幾らでもある。


 エリサは更に残りの三本の脚も撃ち抜いて機械兵の動きを封じ、村人にその脇腹を指し示した。


「装甲の隙間、あばらの関節になら刃が通る! 今だ!」


 「応」の声を猛り上げ村人がこぞって機械獣のあばらを武器で突き刺す。機械兵は顔面から火花を散らせた。


「おっしゃあ! オラ達の手で機械共を討伐したど!」


 擱座した機械兵を囲んで村人達は雄叫びを上げる。


 しかしその勢いは負の側面へと流れ込んだ。


「オラ達の村をよくも……ご先祖様の恨みじゃアッ!」


 動かなくなったシシュン型の眼窩に向けてある者が鋤を突き立てた。


 それに雷同し周囲の男達が停止した機械の死骸に攻撃を加える。


 罵詈の限りを尽くして責め立てられるシシュン型の身体は斬られるたびに内容液が噴き出した。


 小刻みに痙攣し機械油の鈍臭いにおいを撒き散らす。


 村人達は取り憑かれたかのように死骸への殺害行為を繰り返していた。


「死ね、この悪魔が! 死ね、死ね死ね! 地獄に堕ちろ!」


 その中で一等若い少年が鎌を死骸に刺そうとしたのを、手を掴んでエリサは止めた。


「……そんな事は今すべき事じゃない」


 少年が目に涙を浮かべているのを見てエリサはその手を放して抜剣した。きっさきを男達に突き付ける。


「死者を刺しても敵は減らない。敵はまだいる」


 「ひっ」と短い悲鳴が上がり、エリサの冷たい瞳と声音に一同は静まりかえった。人々は萎縮するが、エリサは彼らに淡々と言う。


「私について来なさい」


 人の心に巣食う集団心理こそ戦場で一番の敵。自分が統制を執らねば瓦解する。


 けれど村人達は眉を顰めてエリサに問う。


「ゲイツの旦那ならまだしも嬢ちゃんに何ができる」


 昂ぶる男達の中でエリサは少女だ。弱者に見えよう。そんな者に従えと言われて素直に頷く筈が無い。


 だからこそ統制には力の示威が必要である。


「私は強い。あなた達よりも、機械兵よりも」


 エリサがそう言うと一同から笑い声が上がった。


 まるで幼子の戯言をたしなめるような皮肉と余裕の混じった嘲笑。


 恐怖と緊張に飲まれていた場に少女の言葉が滑稽に響いたのだろう、誰もがエリサを指差し笑う。


 しかし少女は動じない。


 エリサは見ていた。彼らの背後に新たな機械兵が出現するのを。


 村人達はエリサを嘲笑するのに夢中で奴の接近に気づいていない。


 殺戮兵器は無情な足取りで忍び寄っていた。


 そんな中でエリサの瞳はゆっくり閉じていく。


「私は強い」――息を吸った。


 剣の柄に手を握りし――「てぇいっ」――めてその場から姿を消し襲い掛かろうとしていた機械兵に一太刀を浴びせた。


 という一連の出来事を村人達が理解した頃には機械の骸が彼らの足元を転がっていた。


「なん……だべ?」


 唖然とする村人達にエリサは口を開く。


 統率者として示威行為を遂げた後はすかさず戦意高揚の演説をするものだ。


「もう一度言う、私は強い……すごく強い。とにかく負けない。強すぎるため負けることがない。だからあなた達は私に任せて戦うべきだろう、いや私に任せろ。私のために戦うがよい。戦え。勝つのだ……おうっ」


 しかし残念な事にエリサは口下手だった。


 ただそんな事村人にはどうでも良かった。


「なんちゅう速さと剣の薄さじゃ」


 エリサの手にする得物。


 それは両刃の直剣。


 ただしその剣身はおそろしく細く鋭くそして薄い。


 それはただ奴らの身体を断つための剣。エリサの高速剣技を実現するただ一振りの斬鉄剣。


「これで七十八体目」


 鞘に剣を納めた時エリサの体がにわかに傾いた。


「お、おいっ大丈夫か」


「問題ない……ただの貧血」


「は」


 貧血。


 あれだけ強気な振る舞いをして貧血。


 呆気にとられる一同に向けてエリサは拳を空に掲げた。


「よくある事だ、気にするなっ」


 統制者とは誰よりも虚勢を張る者だと少女は思っている。


 声を張り上げたエリサは村人の介助を押し退け屋敷の方を指し示す。


「行こう、鉄平達が時間を稼いでいる」


 エリサは立ち上がり声を励まして足を進めた。


 少女の頓珍漢な言動に村人は首を傾げながらも、彼女の腕前は確かなのだと分かったらしく、士気を落とさずエリサの背中に続いた。






 屋敷に辿り着いた。


 合流を果たしたゲイツに怪我はなく、村人達への人的被害も最小限に抑えたまま全員無事に紗也の屋敷へ収容させた。


 村の有力者が後は取り仕切ってくれている。


 ゲイツは、エリサの顔色が優れない事を心配してくれたが列の左側でも二体を倒したそうだ。


 どちらもゲイツがやったのは想像できるゆえ自分より彼の方を労わるべきだ。


 討伐数、計四体。鉄平が相手している機械兵で五体。


 まもなく鉄平達が館に戻った。全員無事とは言い難く帰ってきた十人のうち四人が重傷を負っている。


 むしろ兵士でもない戦いの素人達が奴らを倒せただけでも奇跡に近い。


 怪我人の一人に吾作も含まれていた。彼は自らの脚で帰還したものの右肘から先を失っていた。


 ソヨカを始め負傷者達の身寄りが泣き喚いている。機械の恐怖に脅えた者達の嘆きの言葉が館の中に渦巻いている。


 鉄平は先の一戦でだいぶ疲弊したらしい。肩で息をしながら廊下の片隅でうなだれていた。


「鉄平さん、よくぞあれだけの人を生きて帰した。称賛するよ」


「……五人死なせた。見張りは八つ裂きにされていた。十五人が死んだ」


「まだ二百人が生きている。あなたが立たずに誰が立つ」


「この村の周囲一里内(※=4km四方)にはセンサーを仕掛けてたが全て破壊されている」


「倒したシシュンの中に擬態可能な《ステルス型》個体がいた。奴らの仕業に違いない」


 ゲイツの言葉を聞きこちらをちらりと見た鉄平の顔は血で染まっていた。


「血だらけじゃないか、怪我はどこを」


「いや、これ全部味方のだ。俺は無傷だ」


 鉄平は力尽きた者達を一人でここまで運び込んだ。抱えてきた者達の血液でその容貌はすでに亡者の相を呈している。


「俺は無力だ。大事なものを何一つ守れやしねえ、一族の恥さらしだ」


「そんなことはない。あなたは勇敢に戦った。村人達はまだあなたを頼りにしている、希望を捨てるな」


「すべて完璧だった、俺の計画に狂いは無かったんだ、三日前まで……三日前まで!」


 突然、鉄平がゲイツの胸元に掴みかかった。


「お前達だ、お前達のせいで俺の計画に狂いが出たんだ。お前達がこの村に来たから機械兵達は嗅ぎ付けて来たんだ。お前達さえいなければ俺達は平和だった、お前達さえいなければ俺達が怯えることはなかった、お前達さえいなければ俺達は……死なずに済んだッ」


 ゲイツの頬に拳を振り抜いた。さらに拳を振り続ける。


「お前達のせいだ、お前達のせいだ、お前達のせいだ、お前達のせいだッ! 返せ! 全部返せよ! 俺達の平和を! 返せッ!」


 不条理な殴打がゲイツの顔面を捉え続ける。鉄平は喚きながらゲイツに馬乗りに殴り続けた。ゲイツは一切抵抗しなかった。


「……気は済んだか」


「黙れ!」


 振りかぶった一撃を正面から浴びせた。ゲイツの鼻から鮮血が噴き出す。


「鉄平さん、これが世界だ」


 穏やかな声でゲイツは言った。ゲイツの顔には怒りも浮かんでいない。


「あなたが俺達を憎もうがそっちの勝手だ。それで今この現実が変わると言うのなら、俺達を殺したって構わない。ただ、そんな絵空事で世界は変わらない。戦うのは人間同士じゃない、現実だろう」


「う、うああぁああああーーーーー!」


 頭を抱えて鉄平は叫び出した。


「鉄平さん、親がいないあなたは人に甘えることを知らず、両親が遺した一族の導師という役目のもとに生きてきた。たった十五年間で皆を認めさせるだけの努力をした」


「お前に俺の何が分かる」


「君なら俺を理解できる」


 ゲイツは左腕の袖をまくり人前で外す事のなかったグロオブを外した。


 鉄平の前に晒されたゲイツの腕は人間の物ではなかった。


「実は俺、改造人間サイボーグなんだ」


 続ける。


「親に戦場に送られて、左腕と右脚を吹っ飛ばされちまった。小さい頃から好きだった機械いじりで義肢を作って生き延びたって人間よ。ほれ、右脚」


 そう言って更に見せた右脚も機械で動いている。ピストンで律動するポンプに彼の大動脈が透けて見える。


「そこらの機械工より技術はあるぜ」


 親に見捨てられ機械兵と戦わされ失った身体の一部を機械に作り直して今でも生きている。ゲイツとはそういう男だ。


 彼の生きて来た過去はエリサも既に聞いていた。これに収まらぬ凄惨な過去を彼はまだ持っている。


 だが鉄平にはゲイツの義足を見ただけで響くものがあったようだ。


「俺とエリサはどっちも天涯孤独の乞食の出だ。その中で傭兵やって日銭を稼いで今日の今日まで生きてきた。不幸レベルじゃ負けねえぞ」


「ゲイツそこは張り合うところじゃない」


 ゲイツは「あ、そうだった」と言って鼻に指を突っ込むが自分の鼻から大量に出血しているのを見て「何じゃこりゃあ」と叫んだ後エリサに「うるさい」と言われて大人しくなった。


 鼻には綿を詰めてやった。


「私とゲイツは自分の居場所を探して旅をしてるの。心穏やかに過ごせる場所を」


「お前は故郷を追われたのか」


「身を引いたの。皆が嫌いと言うものだから」


 そして旅の途中で偶然出会った者同士。


 ゲイツとエリサの二つの孤独が辿る旅路はアオキ村に至っている。


 この世は地獄だ。


 それでも自分達は生きていて世界に産み落とされた理由を求め抗っている。


 救いの無い世界だけれど何かを救う事で自分の生きた証になれるのならば本望だ。


 エリサとゲイツが戦士としての道を選んだ理由はそこに在る。


「……お前達は寂しくはないのか。集団に属せずただ二人で世界を旅して」


「さあ? 知らね。孤独ってのは満たされていた人だけに湧き立つ感覚だからね」


 ゲイツが困ったように頭を掻いた。「ぶっちゃけあんたもそうだろう?」と微笑み返すと鉄平は虚を突かれたように眉根を上げて姿勢を崩した。


「俺は機械から生まれた人間だ」


「鉄平さんを生んだのが……機械?」


 ゲイツに鉄平は頷く。


「俺の両親。母は機械に。父は人間に殺されている」


 絞り出すかのような細い声で鉄平の独白は始まった。


「母親は俺を生む前に死んでいた……機械兵に襲われて。胎内にいた俺は祖父の遺した生命維持装置で胎児のまま生き延びた。そして俺を生かした父親はジプスの旅中、野盗と戦い首を斬られた」


 初めて人に話すのか鉄平の声は慎重で一つひとつ言葉を探している様に聞こえる。


「機械と人間。俺にとって敵かどうかの区別なんて俺の行く手を邪魔するかしないかでしかない。俺はいつも飢えているんだ」


「何に飢えているんだい」


「この魂が落ち着ける場所に」


 ゲイツは唇と鼻の境をすぼめて声を漏らした。


 この時エリサは自分が彼を誤解していたと自覚した。


 鉄平はジプスの首領として強く孤高な男として認識していた。


 村の平和を守るため己に厳しく民に頼もしいリーダー像を体現した存在としてエリサ達に対峙していた。


 しかしそうではなかった。


 鉄平の抱く物は自分が抱く渇望と酷似しているのではないか。


 他者から如何なる評価を与えられ偶像を突きつけられようと、中身は年相応の焦燥感に怒りを抱く少年じゃないか。


――こんな俺でも満たされるような。


――こんな私でも認められるような。


 そんな居場所を探している。


「山の向こうから来たお前達と出会い思った。俺は……」


 ただ現実を前に藻掻きながら。


「俺は変わらない現実を憎むべきだと知った」


「オーライ、腹が決まったな」


 ゲイツは相好を崩してエリサに親指を突き立てて見せた。


 エリサも鉄平の瞳に力のある怒りを感じ取り胸の奥がひりつくような感覚を得る。


 エリサは鉄平に向けて言った。


「共に戦おう」


「生き残るんだよ、このジプスにいる全員で」


 そう言った彼はゲイツの方に向き直った。


「どうか俺を殴って欲しい」


「え、嫌だよ面倒くさい」


 何を言い出すんだこの男達は。


「さっき殴ってしまった俺が負うべき責任がある。取り乱して本当に済まなかった。どうか俺を殴って欲しい」


「いやいや良いって。この程度でやり返してたら世界から争いは無くならないよ。俺って基本平和主義者だから」


 ゲイツが手を横に振っているとその手を鉄平が掴み取った。


「いいやよくない。俺達の立場は平等にあるとそっちが言った。頼むどうか俺に一発」


「ちょちょ、何言ってんのさ! 良いって! チャラで良いよって言ってんでしょが!」


「よくない! 殴れ!」


「変態なのぉ!?」


「殴られるまで俺の気が済まない! 俺のために一発殴れ!」


「嫌だぁ! 暴力反対! 助けてエリサちゃぁあん!」


 ゲイツと鉄平のよく分からない押し問答が始まった。


 殴れと言われてるならその通りにすれば済むだろうに……などとエリサは思ってしまうがゲイツの持つ基準ではやらないそうだ。


 そもそも鉄平が殴れと連呼するのもどこか違う気もしてならない。


 ゲイツは被虐の要求を全身全霊拒否しており、迫る鉄平の方が何故か胸倉を掴んでいる。


 言ってる事とやってる事がまるで逆な光景。


「……それは今すべき事じゃない」


「ごめんなしゃい」


 エリサが抜剣して刃をゲイツに突きつけるまで二人はそれを続けていた。


 鉄平の方は憮然としていたが気力が少しは養えたらしく立ち姿もまともになった。もう安心だ。エリサは鉄平と向き合った。


「友達になろう」


 鉄平は怪訝な顔で聞き返した。


「紗也が言っていた。鉄平はいつも忙しそうだって。紗也は友達を欲しがっていた。だからあなたも欲しいんじゃないかと推測する。どう、友達」


 暮らしの環境は違えど人としての感覚は共通の物だと信じたい。


 これまではありえなかった行動。


 鉄平に手を差し出すことを、試みた。


 鉄平は奇人を見るような目でエリサを見てきた。


「やるなら早くやってほしい」


「エリサちゃん、当たりが強い」


「ちんたらしている時間はないの」


「どこでそういう言葉を覚えてくるの君」


 鉄平はエリサの手に視線を落としている。この手が繋がればアオキ村と二人の傭兵の関係が改まる意味の重い握手になる。


 ただそれを顧みずともエリサは単純に鉄平との関係を良好にすること自体に意味があると考えていた。


 今一度鉄平の目を見る。


 黒目が大きく眉がはっきりとした英雄的な相貌だ。


 両者の視線が絡まる。


 鉄平は時間をかけてゆっくり手を差し出すとエリサの手を握った。


「私達は、友達だ」


 エリサの表情が少しほころんだ。――のちにゲイツに言われて知る。


「これから俺達はただちにアオキ村を出発する。目指すは南東のヒル=サイトだ」


「合点承知」


 もはやアオキ村に残るタイムリミットはゼロだ。長居するだけ機械兵が迫る。


――急ごう。


 鉄平は直ちにジプスの有力者を集め即時出立の旨を発した。


「紗也を連れてくる……お前達も来てやってくれ」


 戦々恐々と事が進み慌ただしくなる中で鉄平はエリサ達にそう声をかけた。紗也の屋敷の奥の間。紗也の居室だ。


 入るとひと担ぎの甕が用意されていた。


 更に奥には小さな祭壇が設けられその上に骸がひとつ目に入った。


「気がついたか、あれは先代巫女のものだ。俺の一族は代々、先代の骸を祀って当代巫女に自覚を植え付けてきた。お前達にどう映るかは、聞かないがな」


 そっと手に取り傍らの木箱に骸を収めると鉄平は胸に抱いた。


「これに紗也が入ってる」


 そして部屋の中央に佇む小さな甕の蓋を開けると今の木箱を紗也が眠ると言うその中に入れた。甕の縁は綱で結ばれそれを鉄平が背負う。


 主を失った部屋はどこかもの哀しい空気が下りており彼女が使っていたであろう家財などはそのまま置いて行かれるようだ。しかしどこかがらんどうにも見える。


 感傷に酔う暇ではない。行こう。


『未回収ノ不明ナデバイスヲ検知シマシタ』


 エリサの考えを遮ったのは祭壇を背にした時どこからか聞こえた声だ。


「今のは」


「……エリサ! 鉄平さん! 離れろ!」


 ゲイツが叫ぶと背後の壁が真四角に切り取られた。


 破壊音。くり抜かれた壁が吹き飛ぶ。


「ヤバいのが来たぞ、鉄平さん、皆を連れてここを出ろ!」


「何だあれは!」


「機械兵に決まってるでしょ! 早く逃げな!」


 鉄平はゲイツに従い広間に向かった。


 エリサは抜剣して壊れた壁の方を見る。だが壁に空いた穴の向こうには何もいない。


 あたりの気配を探るが排気音どころか金属音すら聞こえない。


――ステルス型のシシュンか。


 遮蔽物の多い館内に侵入されると厄介だ。仕留めるなら外だ。


「ゲイツ」


「おう」


 二人で背を合わせ壁の穴ににじり寄る。


 気を集中させて外へと一気に躍り出る。しかし標的はいない。どこかに潜んでいるはずだ。垣根の裏、岩の陰、屋根の上、奴らはどこにでも現れる。高度知的無機生命体の謂れである。ターゲットを狩る為ならいかなる計算でも確実に遂行する。


――いかなる計算でも?


 冷たい恐怖が背筋を貫いた。


「引き返す。奴の狙いは、私達じゃない!」


 ゲイツの返事を待たず踵を返して館に駆け込んだ。


 最悪の予感だ。


「鉄平!」


 飛び入った広間で異臭が鼻腔を突き刺す。惨憺さんたんたる有り様だった。鉄平達は去ったのだろうか。逃げ遅れた村人達が無惨な姿で取り残されている。奴は広間の中央にいた。


『有機反応認定。対象ヲ摂取シマス』


「うっ……」


 エリサは反射的に眉を顰めた。


 人を喰っている。


 動けなくなった人間をつかんでむしゃりむしゃりと齧りついている。まるで人が肉を食うように両手を使って……。


「なんだあの個体は……エリサ、奴の情報は持ってるか」


「知らない。初めて見る形。アダル型にしては小さすぎる……」


「じゃあシシュン型か?」


「シシュンはもっと獣に近い。ゲイツだって分かるでしょう」


 エリサは改めて奴の姿を注視した。アダル型に似て非なる形をして、平たく肥大化した頭部が頸部と合着し、茸のようなフォルムを為している。


 だが最もエリサを戸惑わせたのは他にある。


「あいつ……此方に興味を示さないだと? 人間を襲っておいて俺達に反応して来ない」


 機械兵は動く人間に襲い掛かる習性を持っており視界に入った者との戦闘は避けられない。


 だが奴は此方をじぃと見つめたまま食事のような行為を続けていた。


「ッ! エリサ、あいつが食っている人ってまさか」


 ゲイツが身を引き千切りそうな声で言った。心臓が冷たい氷に覆われるような緊張がした。


 機械兵の腕を見る。その先にある手先を見る。


 ぶら下がった状態で頭を喰われている……あの妊婦は。


「う、うぁあああああああ――――!」


 抜剣の勢いで鞘から火花が飛び散った。


 烈火の如く縮地で斬り込む。


「がふッ」――エリサは背中を壁に打った。


 腹部に鈍痛。


(弾き返された? 今の一瞬で?)


 打撃を受けたのだ。痛覚が一瞬の出来事を説明する。


 見えなかった。目に追える速度を越えた一撃が奴の腕から放たれた。


「エリサ!」


 ゲイツが身を起こしてくれた。傍に目をやると男が二人倒れている。なんと鉄平と吾作だ。彼らも同じ轍を踏んだのか。幸いにも二人の息はまだある。死んでいない。


 だが鉄平の背負っていた甕が割られている。中身はどこに?


『燃料ノチャージガ完了シマシタ。不明ナデバイスヲ採取シマス』


 機械音声が響く。茸型の奇行機械兵は一方の手で食っていた死体――信じたくない――を掴み片一方で背後にあった小さな人間を拾い上げた。あぁ見たくない。あれは紗也だ。


「奴を止めるぞエリサ!」


「うぁああ――!」


 二人で奴に斬りかかる。ゲイツは紗也を自分は妊婦の死体――信じたくない――を持つ腕を斬り落としにかかった。しかし突如として奴の姿が視界から消えた。


「何っ」


――ゲイツ、上!


 口が間に合わない。頭上から機械兵がゲイツを踏みつけた。床板が割れゲイツの身体が深くめり込む。


 この隙を逃すか。


 エリサは腰から引き抜いたピーニック・ガムを発砲した。狙うは脚部。


(まずは機動力を奪う)


 命中したか。


 その期待は否定された。確かに当たった。しかし粘着弾の糸を引きちぎる脚力をあの機械兵は持っていた。奴は安々とで脚に纏わりついた粘液を振り払う。


 なんという馬力なんだ。


「ゲイツ、生きてる?」


「地面だったら死んでたね」


 床の穴からゲイツは親指を立てる。悪運の強い男だ。


「エリサ、五秒稼げるか」


「六秒までなら引き受ける」


 腿に装着したホルスターに銃身を掠める。粘着弾の装填はこれだけで済む。


 機動力が駄目なら視覚はどうだ。


 頭部に光る眼光に向け弾丸を放った。すかさず次の弾を込め重ねて奴の視界を奪う。


 ピーニックとは同名の植物から取れる樹液を指し琥珀色の濃い液体は乾くと蓄光して怪しげな色彩を出す。


 要するに着色作用を持っている。


 着弾した顔面が琥珀色に染まり機械兵は動きを鈍らせた。作戦成功。エリサは剣に手を掛け踏み込んだ。


――返せ。この悪魔め。


 憎悪を沸かし一閃を放った。


「あ……」


 しかし衝撃的な映像がエリサの瞳に映ってしまった。


 予想外の事態にエリサは振り抜いた剣すら引かぬまま思考を放棄した。


 余りにも無残。


 機械兵は、人の死体を盾にした。


 言葉を失いエリサの意識が遠のいた。


 茫然のエリサを他所に機械兵は両眼の塗料を引き剥がす。


「下がれエリサ! チキショウめ」


 髪の赤い影が横を過ぎる。彼の武器は剣から長柄に変形していた。


 金属同士の強く触れ合う音が鳴るたびに火花が散って闇夜の堂内がほんの一瞬明るくなる。


 機巧武器がゲイツの誇る最強武器。


「ゲイツ、無理だ……あなたにそいつは倒せない」


 エリサは奴と交わした二、三のやり取りで学び取った。


――奴は一度も能動的に攻撃してない。


「何なんだこいつは、攻撃性がまったくない!」


 息を荒げたゲイツは奴の間合いから離れた。


 そう、エリサがダメージを負わされたのはこちらが攻撃した時だけ。


 そしてゲイツには反撃すらせず防戦一方に徹している。


 まるで戦うまでも無いと言うかのように。


「……もう、十分だ、ということか?」


 堂内の惨状に満足したと言わんばかりに機械兵の挙措は落ち着いていた。


『襲撃者ノ戦意喪失ヲ判定。マザーヘノ帰還ヲ開始シマス』


 機械兵が音声を吐くと腕に掴んだ紗也を顎にくわえおもむろに身を屈めた。餌を狙う肉食獣のごとく半身を低く落とした。


(あの体勢は……)


 咄嗟に地面に這いつくばった。次の瞬間自分らの真上を機械兵が物凄い速さで飛び越えていった。館の雨戸を破り鋼鉄の巨体が屋外に向けて躍り出る。


「紗也、紗也!」


 いつ意識を取り戻したのか鉄平の叫び声が奴の背中を追う。村には火の手が回り始めている。炎に映る機械兵の姿は森の中へと消えていった。逃げ惑う人々の阿鼻叫喚が館の外から聞こえている。


「畜生!」


 鉄平が絶叫した。


 アオキ村は人を殺され村を焼かれ象徴までをも辱められて奪われた。


 これほどまでに屈辱的な敗北があっただろうか。


 鉄平の嗚咽が生存者のいない紗也の屋敷に響く。


「……取り返しに行く、紗也を、奴らから取り返しに行く」


「無茶だ。奴の戦闘力はこれまでの機械兵と桁違いだ。俺達ですら歯が立たな……」


「死んだも同然だ!」


 血唾を飛ばし彼は怒鳴った。


「あいつは、俺の命なんだ。あいつの使命を全うするために俺は人生を捧げてきた。紗也、あいつがいなければ、俺は、死んだも同然だ」


 鉄平は頬に血の涙を流している。愛する者のために死にたい、そんな強い感情をエリサはこの少年に感じ取った。しかし当の紗也は既に死んでいる。まったく理屈の通らない話である。


「ソヨカ、ソヨカァ……あぁ……」


 部屋の隅ですすり泣く声。吾作だ。吾作が機械兵の残した死骸に取りすがっている。エリサが両断した体を片方しかない腕で必死に抱きしめて泣いている。彼の心はすでに壊れかけている。


「ソヨカ、ソヨカ、ソヨカ……」


 ぶつぶつと彼女の名前を繰り返し呼ぶ彼の目にもはや精気は無い。鉄平が彼の元に歩み寄る。


「吾作」


「……鉄平サァ、触ってくやんせ。ソヨカの身体。まだ、温かいですよ、治療をすれば、きっと、まだ、助かる……ほら、この手、温けぇなぁ……」


 吾作の様子を見て鉄平はその肩を抱き寄せた。吾作は鉄平の肩に手を回して天井を見上げる。


「だんだん、冷たくなっていくんかなぁ」


 吾作が「鉄平サァ」ともう一度、呼びかけた。


「冷えた身体は、どこに命を求めるべきかね」


 その言葉を残して吾作の腕がするりと落ちた。


 力なく身を預けた彼を鉄平はその場に横たえた。


 エリサの目に映っている彼らの後姿に推してはかるべきものは無い。


 鉄平の姿勢がにわかに伸びた。


「第三ガナノに向かう」


 その瞳に宿っていたのは暗い影か。


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