ログ:平穏を護るもの
眠りから覚めた。冷えた空気が睡気を引き下げる。庵の中には闇が溜まっていた。
まだ夜か……。
窓からは夜虫の声。ゲイツは壁にもたれ寝息を立てている。
エリサは掛け布を外し表に出た。まともな寝床が与えた休養は体をいささか軽く感じさせる。
雨雲は既に無い。満天の星彩が黒洞々に散りばむばかり。方々には篝火の道標。火粉のはじける音が響く。アオキ村は死んだように眠っていた。
(夜明けは、まだ先だな)
しばらく歩き手ごろな切り株に腰を下ろした。
風が木々を吹きさらい山を轟と唸らせた。夜霧の向こうに川が流れているらしい。そんな音さえ聞こえてしまうあたりこの土地がいかに文明に隔絶しているのかをエリサは再び実感した。
エリサは懐からプツロングラ(※携行式立体電子記録端末)を取り出し起動させた。
「目的地までの最短距離を教えて」
『カシコマリマシタ』
案内音声に伴って手元の端末から放出された光は空中で――エリサの目の前で固定された。
ホログラム・ヴィジョンである。プツロングラは虚空に表示した電影画面に現在地からあらかじめ設定していた地点までの道のりを計算し、地図として表示してくれる。
……はずなのだが……。
『現在地ノ情報ヲ取得デキマセンデシタ』
やはり電波は届いていない……か。
旅の必須装備として幅を利かす機器ですらこの有り様ならば自分の求める情報を村人が持っていようか。いや、その望みは薄い。
とにかく明日にでも発とう。手遅れとなる前に。
立ち上がって寝所に戻ろうとした時総身がにわかに粟立った。
エリサは闇を睨んだ。
――気配だ。
周囲に何かいる。
鬱蒼の森、建物の影、畑の畔溝……ありとあらゆる闇の中でエリサは確かに耳にした。
隠すつもりのない殺気じみた息遣いを。
間近な気配に振り返る。
硬質な部品がこすれ合う不愉快な金属音。原動機の排出する熱風。篝火に浮かび上がった影は機械がその身を構成しエリサのよく知るところであった。
手足が異常に伸びた人間の形をした存在。
機械兵だ。
――ついに嗅ぎ付けて来たか。
突進してきた一体の攻撃をなんとか躱す。さらに数歩飛び退いて奴らの姿を視認する。
――数が多い……。
無数の赤白い双眸が闇から此方を見つめている。
蒸気を吐く音。
手先に生やした鉤爪を機械兵が横薙ぎに振り払い、エリサを殺意の込もった一旋が襲う。
斜めへ身をよじってやり過ごすが背後から現れたもう一体の察知に遅れた。
忍び寄った敵から振り返りざまの一撃を浴びた。
体が飛ぶ。
転げる。
地で肌を削り建物に激突する。額に生暖かいものが垂れた。
――分が悪い。
武器を持たずこの数を相手にするのは無理だ。エリサは負傷した身を奮い駆けた。
「ゲイツ!」
呼吸を荒げながら民家に向かって機械兵の襲来を叫ぶ。皆眠っている。このままでは全滅だ。
しゃにむに庵へ走り続ける。受けたダメージに構ってなどいられない。
歩いただけの道がどうしてこんなに遠いのか。走れど叫べど視界を過ぎる篝火の列は途切れない。
後ろから機械兵の不気味な移動音が追いかけてくる。
追撃してくる機械兵の無慈悲な暴力を時に逃れ時に被り喘ぎながらエリサの足はようやく屋敷まで辿り着いた。
だが味方の名を呼ぶ声は喉の出口で嗚咽と変わった。
満身創痍で見上げた空には火柱が上がっていた。
真っ赤に燃え盛る紗也の屋敷。ゆらゆらと機械の影が炎のなかに揺らめいている。
(あれは……)
奴らの足元に何かが転がっている。
あれは――「うっ」――気づくと即座に目を逸らした。
見境などない。奴らにとって自分達はただの獲物。
機械にとって人間は単なる有機物。
ずっと前から知っていた。
無機物には感情が無い。関係ないから殺すのだ。
奪ったそれにいかなる意味いかなる使命があろうとも。
あどけない顔が紅蓮に消えてゆく中で屋敷の外壁が爆発し一つの人影が飛び出してきた。
木片が突き刺さり血塗れになっているがあの赤髪はゲイツだ。火だるまとなった体を転がって救おうとしている。
「いま助ける!」
衣服を脱ぎそれでゲイツの身を叩く。かろうじて炎は消せたが火傷が酷い。もはや気息奄々だ。
「に……逃げ……ろ、エリサ……」
此方を認めたゲイツはそう訴えるが声は既に潰れていた。視点が定まらぬのか目を泳がせながらゲイツは喀血した。
おそらく内臓がやられている。
「喋ってはダメ、急いで手当する」
「機械……が、また……奪って、い……く……」
「喋らないで、早く立って、一緒に逃げるの」
そう言って腕の下に肩を回すと妙な感触があった。敢えて目を向けなかった。手をゲイツの腰に回して支えなおす。物体の焼けた匂いが鼻腔を突く。
力なく身をもたげるゲイツを手負いの自分一人で運ぶには想像を絶する苦痛が襲った。
どうやら自分もまともに動けそうにないらしい。奴らの攻撃を受け過ぎた。
片足が激しい痛みで重く感じるがそれでも仲間を見捨てて行くわけにはいかない。ゲイツの身体を支えながら懸命にその足を前に出す。
「……エリサ……俺を、置いて、ここ……離れ……ろ……」
一歩歩くたび自分の足からゲイツの身体から嫌な音が聞こえる。火炎が延焼し燃え盛る村。もはや鋼色した悪魔共すら見えないほど視界は赫一面で染め尽くされた。
「大丈夫、あなたを見捨てたりはしない」
だが頭一つの身長差があるゲイツを支えながらはたして逃げ延びられるか――せめてどこか身を隠す場所は? 機械兵に見つからずやり過ごせる安全な逃げ場は。
ふと目の前を影が走りすぎた。半狂乱の怒声を発しながら炎に突っ込んでいく木剣を振りかざした男。
あれは鉄平だ。
「あああ、あああっ、うああぁああ!!」
――そっちは危険だ、行ってはいけない!
咄嗟に出そうとした声が何故か出なかった。足もすくんで動かない。理性を喪失した人間が悪魔の口に飛び込むさまをエリサは黙って見過ごした。
この世のものと思えぬ断末魔。
望まぬ旋律が塞いだ耳朶を震わせる。
「エ、リサ……」
「ゲイツ!」
我にかえった。今は守る命があるのだ。自律を無理やり取り戻し呼ばれた名前に大きく振り向いた。
「たす……けて……」
視線を送った先でゲイツの腹から鋼の爪が伸びていた。
「え……」
肩を貸すゲイツの真横に奴らが立っていた。
その腕が仲間の身体を貫いている。
不意の出来事に思考が固まって呆然と赤いものを吐く彼の姿を見つめてしまった。
自分を呼ぶゲイツの声。ハッとしてエリサは彼の身体を放した。
瞬時に構えなおし――「助けなくては」――その思考が手足を突き動かした。
雄叫びをあげて敵に突っ込む。
反撃を躱し、機体に殴打を撃つ。撃つ。撃つ。何度も撃つ。
接触した自分の四肢から不快な音が鳴っても無我夢中で殴り続けた。
そして――気がついたら空中に放り出されていた。
衣服の裂け目から己の身を通っていた液体が弧を描き宙に軌跡をつけている。
地面に落ちる衝撃。胸からドクドクと何かが溢れだす感覚。口内には苦い味。
真っ白になった頭で考える。何が起きた?
視線だけ動かして周囲を見ると機械兵に吊り下げられたゲイツが手足を力なく虚空に垂らしていた。
此方を見ていて視線が合う。光のない目が何かを訴えかけている。
視線を自分に戻すと理解した。
そうか。自分もやられたのか。
だがそれでも。
歯に力を入れ肘を立てる。このカラダはまだ動かせる。機械兵さえあれだけ殴れば損傷の一つはしているはずだ。必ず一矢報いてやる。
ゲイツを救わねば。その思いだけでエリサは砕けた拳を地について体を起こした。
視軸を向けた機械兵には傷一つついてなかった。
五体傷痍のエリサの顔を見下ろすばかりで嘲るように立つだけだ。無機質な二つの光に躊躇いは無い。
エリサの顎はいつしか震えていた。ゲイツはもう動いていない。
乾いた笑いが不意に漏れ出す。
一滴の血すら流れていない奴らに血塗れとなって抵抗する自分達。
……不公平な命の交渉が歴史にいくつ刻まれてきた?
機械よ。お前達は何を求める。人類と機械は共に生きていく理想を掲げなかったか。我らはいつ道を違えた。お前達は何故生まれてしまった。呪い雑じりの尋問が混濁した意識を蹂躙する。
エリサの笑いは止まらない。
高度知的無機生命体アトルギア。人類が創り出した滅びの兵器。血の通わない悪魔の殺戮者。命に価値を持たない者。
人類はまた自らの子に敗れたのだ。
踏み躙られた正気は原形を失くし胡乱な虜となった少女の視野を暗幕が覆った。少女を玩弄するような声が意識に問いかける。
『お前のせいじゃないか』
誰の声かも分からない。死んだゲイツの顔が此方を向いた。少女を見つめる瞠目は世にも怖ろしい表情だった。
エリサが目を背けた先には無数の亡者が顔を上げて待っていた。ずりずりと蠕動音を奏でながら闇より少女に近づく者が何処かにいる。少女は膝を砕かせて這う這うの体で後ずさる。
呻吟が響く。亡者の嘆きが少女の頭を狂わせる。悲痛、憤怒、苦悶、憎悪。善意を打擲する負の感情が胸の臓器を締め上げてエリサの喉から人ならざる音色が上がった。
身体の内から飛び出す本能。少女は絶叫しながら亡者の顔に爪を立て腕を横薙ぎに一旋させる。亡者は裂かれて消滅し金切声を名残らせた。
だけど少女は気づいていない。次の亡者に飛び掛かる。そして無慈悲な処罰を右手で下した。感情が漏れ出し続ける。エリサは亡者を消滅させる。
次から次へと抵抗しない彼らの顔を獣の様に裂き続ける。暴れ狂う少女の心を鎮める者は何もない。目につく全てを引き裂き尽くし虚空を何度も掻きむしる。無音の中で少女の叫び声だけが響いていた。
やがて疲弊が極限をむかえエリサはその場に崩れ落ちた。胸を激しく上下させ乱れた蒼髪を揉みしだきうつろな瞳で茫漠の空に孤独を見た。闇が何処までも広がっている。
これまでも、これからもエリサを包むのは変わらない。天命より定められた酷虐の星が少女を慈しむ様に呪縛の微笑で見守っている。逃げる場所は無い。
いつだって天暗の星がエリサの人生を見つめている。
虚空から声が聞えたのはその時だった。少女の名を呼ぶ声が聞えた気がした。身動ぎ一つも億劫なのに不思議と首がするりと向いた。
『エリサ』
優しい温もりを感じる音を耳は拾った。
よたりよたりと声のする方へ進みだす。少女の壊れた心が求める救いは闇のどこかでエリサを招き込んでいる。
呼び声がまた聞こえた。一も二もなく追いかける。たちまちあたりが光を含みだした。射してきた光の方から声が――エリサの名を呼ぶ声がした。エリサは光の中に足を踏み入れた。その先で待っていたのは、
『たすけて』
亡者の朽ちた顔だった。にわかに白んだ世界が崩れ去り闇と燃え盛る村々の景色が広がりだした。青白くなる少女の前には機械兵が立ち並んでいた。彼女をじっと見つめていた。悪魔達の赤い双眸。
少女のあげた絶叫は世界の音を否定した。エリサを呼び込む声がする。エリサ。エリサ。エリサ――少女に囁くその声は亡者の誘いか悪魔の招きか。愛しい人を呼ぶように繰り返される少女の名。
真綿で首を締めるように蝕まれていく少女の心。エリサ。エリサ。機械が呼んでる。
滅びの子供が楽しそうに彼女の名前を。
誰かが叫んだ。
――エリサ!
掛け布を跳ねのけ飛び起きた。
全身が汗で濡れている。
頬に貼りつく髪をかき上げて額に手をやる。
機械はいない。どこにも亡者の顔はない……。
(……夢だったか)
冷えた指先が熱を持つ額に心地よい。開け放たれた窓から朝の日差しがさしこんでいる。景色も、昨日と変わらない。
一つ溜め息をつき枕元を見ると隣でゲイツが倒れていた。
「何しているの」
「……君の頭突きだったら機械兵もイチコロだね」
「……おはよう」
「……おはよう、エリサ」
庵の戸口に、モトリが来ていた。寝ぼけまなこを擦りながら見た老女は目を合わせると昨夜と同じ舐めるような目つきで笑い挨拶をした。
「ぐっすり眠れましたかえ? お嬢さんは少々お疲れかしらねえ」
「ああ、彼女なら大丈夫ですよ。おかげで気持ちのいい朝です」
そりゃえがったと沼地の生物のように引きつった笑い声をしながら続けて外を手で示した。
「朝の膳を調えてますから、屋敷までお越しなさぇ」
きつい抑揚でおおよそそんな事を言ったと思われるモトリはもう一度上目で此方を見て庵を離れた。
「うなされていたね。また夢を見たのか」
「……えぇ」
水瓶から注いだ水をゲイツが差し出してくれた。受け取った水呑で乾いた口内を湿らす。浮ついた胸が喉を落ちてゆく水によって静まるような感じがした。保護眼鏡で赤髪を留めたいつもの顔がそこにある。
「ゲイツ」
「ん?」
そっとその胸に手を当てる。
「……な、何してるんだい」
温かい。心臓の鼓動。たしやかに、命の脈動が規律正しくゲイツの中で鳴っていた。
「生きてる」
手のひらに感じるゲイツの命。間違いなく現実の彼は生きているのだ。その事実を確認するだけでエリサの心に言いようのない安心が満ち満ちてくる。
すると……頭に何か添えられた。ゲイツの右手だった。
「まだ死ぬ予定はないから、安心しな」
無言でうなずく。彼の微笑が心地よい。ポンポン。ゲイツは、軽いリズムで頭上を叩くと、
「行こうぜ、朝飯が待ってる」
大あくびをこきながら言った。
ゲイツと共に庵を出た。
雲こそあるが空は晴れ間が見えている。山奥の朝は冷えると聞くがなるほど陽で温まらぬうちは涼しさが地上に降りたままだ。その陽光は稜線の向こうで柔らかく焼けている。山肌に霞が貼りつき透き通る空気の充満している様が営みだす前の田園風景に幻想的な情緒を醸していた。
そこらで摘み取った草の茎を噛みながらゲイツが尋ねてきた。
「やっぱりいつもより元気がないな、どうしたんだい」
別段気にしているつもりはないが彼にはそう映ったらしい。夢の中の出来事を告げる。
「腹から、機械の腕が生えてた」
「エリサの?」
「ゲイツの」
「そこからだけは勘弁願いたいな」
用意された朝餉は相変わらず菜食が膳を占めている。
向かいに座るゲイツが目を見張った。
「ほおこれは」
感嘆の声を漏らしめたのは椀に盛られた白く艶のある蒸し穀物だ。
「白色穀物とは珍しい、他ではめったに見ない物だ」
穀物は生育の特性上高級品として扱われ一般に流通していない。王都城下のマーケットで珍品として並んでいたのをエリサは見たことがある。モトリが言う。
「ここではコメと呼んどりますえ」
土地によって物の呼び名が変わるのはさして特殊な事例ではない。早速口に運ぶ。
噛んでみると弾力というよりは奇妙な粘り気があり味はかすかに甘みを感じる程度。高級珍品の名の通り、確かに珍しい食感だった。
給仕した老婆に対してなるだけ慇懃に礼を告げる。振る舞われた食事には感謝と賛辞を贈るのがコミュニケーションをつつがなくする秘訣だとゲイツから教わっている。
当の本人は、笊に盛った砂を革袋に流し込むような勢いで「コメ」を無心にかき込んでいた。
格子越しに雲の裂け目は青々としている。朝の冷たく湿潤した風に混じり、温みを含んだ風も入ってくるがこれは山地特有の季節気流だ。
雨は止んでいるしすぐにでも村を発てるだろう。食事を終えそう考えていた折、屋敷の戸口に村人の男が訪れた。屋敷の主たる紗也は現れずモトリが応対に出た。話が聞こえてきたので聞き耳を立てる。
「昨日の雨で水路の堰が切れそうだ、大川の水があふれかけてる」
大川とはおそらくアオキ村を縦に割って流れている川の事だろう。澄んだ水の通う清流で昨日屋敷への道中で見かけた。
「まだ持ちこたえてるが、今日か明日にでも降られたら決壊する。村のみんなで補修するから、紗也様に許しをもらって欲しい」
「巫女様はただいま空読に出られておいでです。よろしくお取次ぎましょう」
「ん、急いでくれ」
男の去った気配がした。モトリが部屋に戻ってくる。
「どうせ捨てる土地なのにねえ」
老女はのそりと腰を下ろし、水呑に茶を淹れながら吐き捨てるように呟いた。
山道を前にエリサ達は踏み出した足を躊躇の表情で引いた。
足元のぬかるみが酷い。ブーツは足首を超える所まで沈みかけるし差し掛かりでこの様子だと斜面を超えるのは困難だろう。振り返ってみたモトリの顔にはどうにも哀れみか嘲りか判別しかねる表情が浮かんでいる。
「山には今日も入れませぬえ。ここの土は雨水をため込むから、途中で崩れたりするもんえ」
晴天といえども歩いて行くのは土の上だ。多少の労苦に厭いは無いが、地滑りの危険を冒す賭けで問われれば、眉間に力がこもってしまう。ゲイツも渋面でかぶりを振った。
――この村にもう一泊か。
風が吹く。木々から無数の鳥が羽ばたいた。羽音が乱雑に降り注ぐ。鳥達の影は雲の充満する方へ進んでゆき、やがて黒い点となって消えた。
◇◇◇
「今夜も雨、降っちゃうね」
柵にもたれて櫓の下に声を投げた。
空見櫓を埋める森は湿気を含んだ生暖かい風でザワザワと音を騒がせている。もしかすると雨季に入ったのかもしれない。
鉄平は紗也から受けた空読の結果を端末に打ち込んでいる。いつも通り眉毛が険しい角度をしている。
おずおずと梯子から降りる。今日も怒られるだろうか……。
「紗也、よくできたな」
「えっ」
自分の目を疑った。
……わ、笑った? 鉄平が、笑った?
しかも……私を褒めた!?
「なんだよ、その辛い種子を食った機械兵みたいな顔は」
「え、あっ、あぁ、いや、だってその」
初めてだもん鉄平にそんな事言われたの。といった旨を上手くまめらない口で言う。
「そうだったか?」
「だ、だって鉄平いつも怒ってるから」
――こーんな顔してっ。
自分の眉の間を指で押していつもの「逆八の字」を作って見せる。それを見た鉄平はなおのこと笑った。
「すまなかった!」
「えぇっ!?」
ありえない事が起こった。
鉄平が頭を下げたのだ。
今まで鉄平がそんな腰の低さを示したことなんて一度も、全然、全く、寝ぼけてても、夢枕でも、見たことない。信じられないし訝しい。
それでも紗也には清々しさが優ってしまった。
ようやく自分の短気をバカみたいって気がついて、村で一番偉い人は私なんだと認めたんだね。
「なんか失礼なこと考えてやがんな?」
全力で首を振った。
「だって鉄平の感じがいつもと違うから、どうしたんだろって」
「あー」
鉄平は後ろ頭を掻いた。
「考えてたんだよ、昨日のお前を見てから。紗也、外に行きたいのか?」
「……うん」
「そうか」
自分の記憶があるのはこの村に来てからだ。集落の人々が営んできた外界の話がいかに鮮明だろうと所詮は他人の記憶に過ぎない。
この空の向こうにある世界を自分の目で見たい。山の外からの来訪者が語った見聞を自分の肌で確かめたい。そんな思いが昨日の堂の語らいで強まった。
鉄平は黙ってしまった。
「鉄平?」
「…………」
「鉄平!」
「…………」
「鉄平ってば!」
「紗也」
「うぉわっ。なぁに」
鼻息がかかる距離まで迫ったところで反応され紗也の方が驚いた。鉄平は口元をかすかに緩ませ手元にあった端末を差し出してきた。
「これの意味、分かるよな」
紗也は画面を見て呼吸が止まった。再び胸が動きだした時紗也は全身に別の力が高まりだしたのを感じていた。
「朋然ノ巫女様、お役目の刻限は二日後でございます」
「……わかった」
畏まる鉄平に向けて笑いかける。
――間に合った。かねてから求めていたものが、手に、入った。
「安心して。ちゃんと最後までやり遂げるから」
「紗也」
「それが私の生まれた理由でしょ」
顔に熱がこもっていく。高鳴る胸の鼓動に乗って櫓の梯子にもう一度乗った。木々の頭越しには自分が愛する景色が広がっている。緑の山に抱かれた小さくも豊かな営みの郷。
集落内では各々に与えられた役割をまっとうするのが当たり前。自分の役目を果たすことはそれだけで存在の証明になる。
これが私の役目。すべては皆の平和のために。
「私はここで死ねるんだね」
二日後の祭り。それは人々が村を旅立つ門出の祭り。我等を包んでくれた自然に対する感謝の祭り。感謝の証に差し出す供物は皆の宝でなくてはならない。人々にとって大切な存在。それが自分だ。
「自然と朋に還らんことを」
鉄平が優しい顔をしてくれた。しかしどこか寂しげでいつもの首飾りを差し出している。そんな鉄平を見て紗也は胸のあたりにキュッとしたものを感じた。それを表に出さない代わりに笑顔を返す。
「鉄平、一緒に帰ろう?」
受け取った紗也は、彼の手を引いた。
「あのすんません腰がヤバいんですけど」
「なんがね若か者が! ほら早よ次ば刈らんね、まだまだ仕事は続くっど!」
「あうっ」
尻をしばかれたゲイツの悲鳴が田畑に響く。「手伝ってくれんね」と愛想よく頼まれて断れるほどの性格であればどれだけ楽に生きられるだろう。エリサは彼の人の好さに一種の哀れみすら覚える。
「あんたスジが良かね。じょうずじょうず!」
「ありがとう」
まぁ草鞋作りを手伝わされてる自分が言えたことではないが。
「もうすぐなの?」
エリサは作業を教えてくれた娘に聞いた。彼女の腹は大きく膨らんでいる。
「ああ、後一月もすればって紗也様に占われた」
「子ども……相手は?」
「あー、あの声が大きいの」
顎で示した良人は汗を流しながら皆を励ましている精勤な若農夫だった。バテるゲイツに水をやってる。
「命が繋がっていくのね。あなたと彼の」
「えっ?」
「あなた達が生きている証。あなたと彼が命を継承した事はとても素晴らしい事と思う」
「な、なんねなんね! そげん大した事はしとらんし、なんか恥ずかしか!」
「この子は吾作と本当に仲睦まじくねぇ」
隣にいた別の女が頬を緩ませて言う。
「そ、そんな! あん人ったら家ン中じゃ、いつもウチに甘えてばっかで……」
「あなたは不満なの?」
「不満なんて無いけど……あの人一生懸命やし、なんだかんだで優しいから」
「よか夫婦じゃ」
周りにいた女達が皆一斉にそう言って笑った。
「あなたにとって、それが幸せなのね」
エリサがまっすぐ見つめた娘の顔は不思議そうな顔をしてたがすぐさま歯を見せた。
「まあね。ほら見て、鉄平が帰ってきた!」
畔の上に仁王立ちの影がいた。
「皆、精が出てるな」
あたりからおうさと威勢のいい声が上がった。
「これより今日の空読のお告げをいたす。紗也様いわく、本日の空は日中雲多く、潤いし風よく通う。宵の刻より雲立ち込め、慈雨やがて降り注ぐ……」
鉄平の声は離れているエリサ達の元へもよく届いた。
「吾作」
天候観測を最後まで告げると収穫作業をする人々に鉄平は声をかけた。それにさきほどゲイツを励ました男が駆け寄った。
「この調子じゃ今日中には、間違いなく終わりやす。出発には間に合いそうです、鉄平サァ」
鉄平は満足げにうなずき、
「お前の元気のよさを皆が頼りにしている。ところで……」
と言って親し気に話を始めた。
そういえば鉄平が村の人々と話している姿を初めて見た。見るからに吾作という青年が年上だが鉄平に低い物腰をしている。
エリサはふと封建制度というものを思い起こした。有力な身分の者が持たざる人間をして自らに仕えさしむ社会形態の一種だ。エリサは吾作の妻に聞いた。
「彼は領主の家なのね」
だとしたら居丈高な態度も理解できる。宗教の最高権力者との結びつきもそう言った制度下にある地域じゃ珍しくない。ところが娘は笑い出した。
「そんなんじゃなかよ、鉄平は導師様。ウチ達の暮らしを導いてくれる人」
「導師様? 一体何者なの」
娘はしばし考え込んだ。言えない事かなと思いかけた時、口早に「作物の管理」「部族間の取り持ち」「紗也様のお世話」と述べて最後の一つだけ冗談そうに笑った。
「他にも仕事はあるだろうけどね。紗也様のお告げと鉄平の根性がアオキ村を支えよぅと」
人々は精神的支柱として安らぎを紗也に求め、政治的な拠り所を鉄平に頼んでいると。
「あの若さで……」
齢は自分とほとんど変わらないらしい。
「鉄平ってあぁ見えて、ばり頼りになるとよ。こないだ山羊(※小型の家畜用動物。乳は加工し食用される)が逃げ出した時もねえ?」
「そうそう、プツロングラも使わずにたった一日で見つけちゃったのよ。山を下りて来た時の鉄平ったらすっかり泥だらけで山羊を抱えてて……」
「その時、鉄平なんて言ったと思う?」
いきなり問われて返せるのは「さあ、どうだったの?」くらいなものだ。
「すまん、腹が減って乳をちょっと飲んじまった」
周囲はそれでまた笑った。
「神妙な顔で、申し訳なさそうに言ったのよ。乳を飲んじまった!」
「みんなの前で、しかもちょっとだけ飲んだって……あの正直者めっ!」
「あの正直さが鉄平のいいとこなのよ」
女達はからからと笑った。
「鉄平は、本当にいい男に育った。あの子、親がいないの」
「親が?」
「あたし達がアオキに落ち着くまでの旅で、鉄平の両親は命を落としたんだ」
娘の隣に座る年増の女が説明をつけ足す。
「あたし達は鉄平の両親にとても助けられてきた、だから赤ん坊の鉄平を村の皆で育てようって決めたんだ」
年増の女はしみじみと遠くを見つめる。娘が腹をさすりながら言う。
「鉄平は皆の息子であり弟であり、ジプスの光。それに紗也様とはまるで兄妹みたい」
「こらっ、滅多な事を言っちゃいかん」
「えーだって本当に見えるんだもん。ずっと一緒にいるんだよ、鉄平と紗也様。きっと夫婦になっても良くやっていけるかも」
「こりゃあ、言葉が過ぎてるってば」
「そういうあんたも顔がにやけてるじゃないのさ」
「そ、そんなことは……ある。実はあたしも思っとる」
「でしょう?」
女たちはころころと頬を赤くして笑った。
「お前ら、鉄平サァの何を笑っちょっとか!」
いつの間にか吾作が鉄平との話を終えてエリサ達の傍に来ていた。
「あ、吾作。いやね、鉄平のかっこいい所を旅人ちゃんに教えよったと」
「ふぁーっ、鉄平サァよか俺の魅力ば伝えるのが先やろ!」
「なんね」
女はきょとんとした顔で吾作に言った。
「あんたの魅力はウチが独り占めしときたいと」
「あぁ~!」
吾作は顔をおさえて崩れ落ちた。女は此方に目をやって舌をチラッと出した。
「ま、まぁ鉄平サァの働きぶりは俺も敵わん。じゃっどん、男前は負けちょらんしな」
「なに張り負うとるん」
女は呆れたように笑っている。吾作は一度咳ばらいをすると元の生真面目そうな顔を作った。
「これから男達で、昨日の雨で壊れかけた水路を修理してくる。残った者は、鉄平サァの指示で祭りの櫓を組む準備に移る。俺は水路組の長だから、帰りがやもすれば遅くなるかもしれん」
「ウチは母ちゃんもおるし、心配いらんよ。それより吾作こそ気を付けてな」
二人の顔に微笑がうかぶ。その時「うっ」と女が表情をしかめた。
「どうしたっ」
「動いた。お腹の子が」
女はそう言った。吾作は驚いた顔を緩ませて背中をさすってやった。
「早く終わらせて帰るから、待っとれ」
「村のためにありがとな」
「お前と子供んためじゃ」
吾作は足早にその場を去った。件の作業場に向かう一行が呼び集められ水路の上流である川の分水地点まで吾作を先頭に連れ立って行った。
それからエリサは草鞋編みに従事し、水路整備から残された男達の祭り支度を客人として眺めていたがしばらくしてゲイツまで川上に連れて行かれていたのに気づいた。
「エリサに俺を褒めてほしいんだ」
「とても誇らしい事をしてきた顔ね」
日の暮れだした頃に男たちは帰ってきたが、その中でも一番偉そうな顔をしていたのがゲイツだった。
「みんなの表情を見れば瞭然。彼らもさすが各地を渡り歩く部族だけありそれなりの治水技術は持ってはいたけど、俺にしてみれば組み方がどこか頼りない。そこで僭越ながら俺が講釈を垂れてみせた。するとどうだ、一同開目してやれゲイツの旦那だ、先生だ、と囃し立てるもんだから……」
エリサがあくびを一度して、更なる一回を堪えようかと悩んでた頃に話は結した。
「今夜は宴に招いてもらったよ、お礼のつもりらしい」
なんとも世間への干渉が巧いこと。
その夜、紗也の空読通りに天気は雨だ。明日の出立も叶わないだろうか。水量の増した川の音が恐ろしく近いが工学の知識をして自らを任ずる男の手が加わったのだ。ゲイツの腕は保障できる。
今宵は明日の前夜祭として村人が吾作の住居で酒盛りに興じていた。広間の雨戸は開け放たれているが誰もその不用心さを気にしていない。その席にエリサはいた。
ゲイツはというと村の男達と肩を組んで歌っている。男女の情愛を面白おかしく歌にした品の無いものだ。腰元に侍らせた村娘達もゲイツの若くて精力ある振る舞いに色目を向けている。
「どうら、俺ともひとつよろしくしよう。異国の娘なんて久しぶりだ」
一方の自分は気づくと大柄の男に肩を抱かれていた。
食事に集中し過ぎていた。
「長旅で疲れてる娘を見るのは忍びない、どうれ俺の按摩にかかってみろ。なに、この場で寝そべることはない。奥の部屋が空いている。あちらへ来い。たちまち気持ちよくしてやろう。そら、早く奥の方へ、さあ」
ぐいぐいと肩に回された手が首筋をなぞりシャツの襟もとを乱す。男の鼻息は増すばかりで食器もまともに扱えない。しかしエリサは味噌汁をすする。
「俺に揉まれてよろこばぬ女はおらん……」
やにわに男の手が襟の中に入ってきた。鎖骨を撫でられ男の手はさらに下の方に伸びてくる。その手が乱暴だった。
「あっ」
エリサの手に持った汁茶碗がひっくり返る。床板に汁が広がった。男はそれを気にも留めず少女の胸ぐらで愉しもうとしている。
「ほうれ、手元を乱すほど良いだろう。さぁ、奥の部屋へ、さぁ」
「どいて」
「さ」
軽く身をよじると男はエリサの胸に手を入れたままふわりと宙に浮かび上がった。頭上を軽く飛び越えた男が一転して体を踊らせると、床板に頭から打ちつけた。周囲にいた女たちがどよめいた。
「あんたすごぉい」
「せっかくの食事をこぼしてしまった、申し訳ない……何か拭く物を」
眉尻を落としてエリサは給仕の女に詫びる。だが女は手と首をぶんぶん振った。
「いや、よかよか。それよりもあの酔っ払いを一人のしてくれたんだ、身体触られてたけど大丈夫だった?」
「別になんとも」
「ほぉう……」
そう言ってエリサを見る女たちの目が一瞬だけ怖かった。男は気絶してしまい奥の部屋まで担がれて行った。まあ良い。食事を続ける。白い短冊状の食べ物をつまんだ。
――この匂い……山羊のチーズだ。
珍しいものではないがアオキ村でも食べられるとは思わなかった。山羊は畜産動物として多くの土地で見られる。その乳は加工して食用され独特のつんとした臭いはあるものの、果実酒に合うとして人々に愛好されている。
うん、これは美味い。
エリサの好物でもある。
発酵に手間をかけただけ臭いが増すネト種のチーズは噛めばぽろりと崩れるが、そのまま舌の上で転がしているとゆっくり溶けだして旨味と香りが口いっぱいに充満する。
深いコクを堪能しながら果実酒を口に含んで飽和した舌が引き締まる。果実酒は葡萄製だ。
味覚に平穏と急襲が止めどなく繰り返されその危険な緩急がたまらない。芳醇なチーズと果実酒の味わいにエリサはしばし夢見心地となっていたが、珍しく興が乗ってしまった。だんだんと頬が火照ってきた。
エリサは座を離れて千鳥足を踏まぬよう冷静に、極めて冷静にすました風体をつくろって屋敷の濡れ縁、雨の降り込まぬ所で腰を下ろした。
しばらく夜風に当たっていると雨脚は緩んで霧雨のようになった。片手の水呑椀にたっぷり注いだ酔い醒ましの水が空になる頃ようやくつくろわずに済む程度には自我を固められるまで回復した。
傍らに――彼女も乱痴気騒ぎを休みたくなったのか――昼間作業を共にした娘が座ってきた。何度か会話をした彼女には親し気に笑いかけてくる事もありエリサもすでに多少の気を許している。
「ごめんな、ウチの馬鹿達が迷惑かけて」
馬鹿とは男達を指しているのだろう。自分が絡まれていた事を気に掛けてくれてるようだ。
「大丈夫。有性生物の雄としては健全よ」
「……あんた、本当にすごいね」
「そうかな」
「村の仕事をすぐ手伝えるくらい器用だし、ウチが知らない言葉だって沢山知ってる。腕っぷしも強い。なのにどこか抜けてる」
「それは褒めてるの?」
「ふふ、ウチはあんたを気に入ってるよ」
膝を隣に寄せてきて娘はエリサの目を覗き込んできた。
「惚れ惚れする……すっごい美人さんだ」
エリサの青い髪を、娘は愛おしそうに手に取って口をつけた。
「いい匂いもする」
匂いを嗅がれている。娘は頰を紅潮させた。
(な、なんだ……この娘は何を考えているんだ……?)
困惑のエリサは突然のことに身を動かせない。髪を口に含んだまま娘はさらに顔を近づけてきた。自分の息が娘の日焼けした額にかかっているのを感じる。
「ふふ、くすぐったい。あんたもそこそこ飲んでるね?」
嬉しそうに笑う娘は悪戯っぽい表情を浮かべた。
「ねぇ、あの男とはやってるの」
「何を……?」
娘とエリサの頰が触れ合う。柔らかい感触を得るとエリサは耳元で囁かれた。
「契り」
「ありえないっ」
エリサが飛び退くと娘は大口開けて哄笑した。
「なははっ驚きすぎやろ、冗談冗談! でも好い男じゃないか、慣れてそうだよ?」
酒の匂いがする吐息。この娘も酔っ払いか。エリサはムスッとして言い返す。
「私とゲイツは、師弟関係なの」
その一言で娘の顔は色を変えた。
「師弟関係。なにそれ、どっちが師匠なん?」
「ゲイツが師匠で、私は弟子で教わる方」
娘は目を大きくして首を傾げた。
「教わるって何を教わってるの」
「世間の常識と対人関係のこなし方」
「間違いないね」
娘はそう言うと声をあげて笑った。そこまで笑わなくてもいいじゃないか。
「まぁ、そんなしかめ面しないで美人ちゃん。しかし何故そんな関係になったん?」
憮然としながらも答えてやるくらいはする。
「街中で暴漢に襲われていたゲイツを私が助けたの。そうしたら恩返しに世間の渡り方を教えてくれると言って、ずっと一緒に旅をしている」
「普通助ける方が逆な気がするけど、あんた達ならありえそうやね」
さっきから不本意なことばかり言われてる気がするのは何故だろう。
……けれども実際に起こってきた事実なのだから怒りようがない。
エリサの表情を見て察したのか、娘はなだめるように言った。
「鉄平と紗也様もだけど、あんた達もハタから見れば良い二人だよ。夫婦ってのは良いもんばい」
男女の番を夫婦と呼ぶには特殊な楔が必要になる。エリサはまだ感じた事はないが、紗也達にはあるのだろうか。
「あなたは吾作さんを愛してるの?」
「うん、愛してる。だからこの子は大事な宝物なんだ」
娘は膨らんだ腹をさすりながら微笑んだ。契りを結んだ二人の生きた証なのだという。
肌を潤す霧空を仰ぎ見る。
「これなら明日は晴れそう。祭りもできるね」
「お祭りって、どんなことをするの?」
「紗也様がお務めを果たされるとよ」
「お務め?」
「朋然ノ巫女様が代々受け継いできたお役目。旅立ちの前夜、ジプスが住み着いてきた土地の神に感謝の印として、巫女様を供物に捧げるん」
「供物に捧げる?」
不自然な言葉の並びに違和を覚えた。
自分なりの解釈を試みたがその結果として信じがたい答えが出たために二の句を継ぐまで間が空いた。
エリサは絶句していた。
「彼女は、生贄だってこと?」
「うん」と、さも差支えない顔をしながら娘は返事した。
「一つの命として自然に還られて、ジプスの繁栄を空の神と誓ってくださる」
今日、人々が村の中央に大きな祭壇と柱を設けているのを思い出した。天高く突き上げられた木柱は民家の高さをゆうに超えた。
「お祭り二日目の昼正午に、御倶離毘といって巫女様のお身体を掲げた御柱を焚き上げるの。代々のジプスは新天地に移るたびにそうしてきたらしくって、先代巫女様の御倶離毘はとても見事だったって」
「そう……」
「村の皆はワクワクしてる、紗也様はその日のために生きてこられたんだから。盛大にお祝いね」