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雷音の機械兵〔アトルギア〕  作者: 涼海 風羽
2/8

ログ:アオキ村の少女・紗也

「むぅ」


 観測の結果が気にくわない。紗也さやはもう一度観測器を右目にあてがった。麻色の三つ編みが風に吹かれて、白いうなじが見え隠れする。


 空見櫓から望むアオキ村は簡素の一言に尽きた。山間にある集落アオキ村は豆をばらまいたように田畑に民家が散在し、四方を山で囲まれながら青空の下に収まっている。


 村娘の紗也が〈空読ソラヨミ〉をおこなうのはこの土地に移り住んでからの役目だ。集落内では各々に与えられた役割をまっとうするのが当たり前。自分の役目を果たすことはそれだけで存在の証明になる。数えて十二歳になる紗也も村の人々と同様、今日のお役目を務めるためにさきほどからずっと唸っていた。


「うぅむ……ふむふむ、むむ……」


 年相応にあどけない声には力んだ色が浮かんでいる。もうずっと櫓の上にいる。集中力の限界は近いはずだが観測器から目を離そうとしない。長時間粘った甲斐あって、ようやく良い結果が見えそうなのだ。


 小さな手を目一杯伸ばして食い入るように観測器を覗きこむ。薄い円形のレンズがついた筒の中で雲と空が揺らめいている。


「あとちょっと。もうちょい、もう、ちょいと……ん?」


 そして無自覚にも櫓の柵から身を乗り出していた。


「うわわっ!?」


 ようやく気付いたのはあやうく落下の一歩手前。慌てて体を押し戻すが少々力を入れすぎていた。勢い余って身を躍らせると盛大に尻もちをつく。


「痛ったぁ!」


 衝撃で、思わず目に涙が浮かんだ。


「でも、セーフ……」


 なんとかこらえきった。


 櫓の高さは十メートルもある。もしあのまま落ちていたら今頃少女は可哀そうなことになっていただろう。……いやな想像をしてしまったが、実際助かったのだ。ひとまず胸をなでおろす。吹き出た汗をシャツで拭って再び立ち上がった時、総身にざわめくものを感じた。柵の手すりに身を乗り出す。紗也は瞼を閉じて感覚を研ぎ澄ました。


 じっと待つ……。

 しばらく目を閉じていたら森の上で風がふわりと吹き、紗也の頬を撫でていった。たしかな風の感触に、大きく目を見開く。紗也は吹き抜ける風を抱き込むかのように両手をめいっぱい広げた。雲の動き、木々の音、風の涼しさが一斉になって紗也の体を包む。


(──これだ!)


 すかさず観測器を目元にかざし気を集中させると、紗也の胸で熱いものが踊った。


「……読めた!」


 櫓の真下をのぞきこんで、声を張る。


鉄平てっぺい、天気! 天気読めたよ! 今日は北西の風二メートル、昼間は気温高めの晴天、午後から夕方にかけて雨雲が出て一気に寒くなるよ! 鉄平、変なもの食べたらお腹壊すから気をつけてね!」

「バッキャロウ! 変なもんとか食うか、バカ紗也!」


 鉄平と呼ばれた少年の怒声に紗也はまたもひっくり返りかけた。坊主頭の彼の顔は真っ赤になって眉を「逆八の字」に寄せている。


「でも鉄平、十三歳の誕生日に機械兵の油飲んで死にかけたって……」

「あん時ゃ腹減りすぎて見境なくしてたんだよ! 黒歴史掘り起こすんじゃねぇ!」


 櫓の上まで飛んでくる鉄平の怒鳴り声。手で塞いでも耳鳴りが残る。こちらを見上げる鉄平の顔は白いシャツのせいで余計に赤く見える。


(ベニカブそっくり……)


 と紗也はひそかに野菜にたとえてみた。ごつごつした顔がちょうど村の作物みたいに角張っていて愛嬌があるのだ。鉄平がひとしきりガミガミし終えた頃を見計らい、紗也は空見櫓から降りた。


「えへへ、待たせてごめんね、鉄平」


 指をもじつかせながら上目がちに言う。相手の背丈は紗也より頭二つ分ほど大きいため今度は紗也が見上げる形になる。

 ……笑ってごまかせたりしないだろうか? 


「おそい!」

「ひぃっ、ごめんなさい!」


 そういうのは効かない性格だったと、改めて思った。


「村のみんなが働き始める前に空読は終えとくもんだって言ってんだろ! もう昼前だぞ、もっと早くなんねえのか!?」

「あははぁ……頑張ってるんだけどまだ慣れないや。ごめんなさい、紗良さらお姉ちゃんみたいにできなくて」


 鉄平は愛想もなくフンと口をへの字に曲げた。


「謝るならさっさと出来るようになれってんだ。空読はお前しかできねえんだから」


 鉄平は数歩先に転がっている木剣を拾い上げ大儀そうに振り向いた。機嫌の悪そうな表情に紗也はびくっと肩をすくめる。鉄平はその反応を見てきまりが悪そうにため息をつき、

「転んだの、大丈夫だったか」

 と言った。


「えっなんで知ってるの! まさか見てた?」

「バカ言え。櫓の上であんなデカい音鳴らしてたらそりゃ気づくだろ」

「それもそっか、あはは」

「……紗也、お前は自分をもっと大事にしろ。それはお前だけの体じゃないんだからな」

「うん、がんばる!」


 紗也はぱっと笑顔になって答えた。鉄平のことは実の兄のように慕っている。自分より三歳年上の鉄平はなんでもすぐに怒る短気な性格に見えるけど、本当は紗也の身を一番に案じてくれる心優しい少年だ。身体はガッチリとして声も大きい鉄平は怖い時が多いけど、たまに見せる優しさには温かい心が込もっていると紗也はいつも感じていた。


「鉄平」

「なんだ?」


 鉄平の目をじっと見つめてみた。たくましく精悍な顔とは裏腹に、その目は大きく丸い形をしている。


「……なに人の顔見てニヤついてんだよ」

「うぅん。なーんでもない」

「はぁ?」

「えっへへ、いつもありがと」

「あぁ? お、おう」


 その手に提げた木の直剣は彼のまっすぐな心を表していた。

 紗也が櫓で観測している間、彼はずっと下に立って自分の安全を守ってくれていたのだ。空見櫓は森の中にある。ゆえに空読の役割は危険が多い。鉄平は、紗也が初めて空読をおこなった時からいつも一緒について来てくれていた。

 そんな鉄平を紗也は幼い頃から大好きだった。


「空読の結果は夕方から雨だったな。村のみんなに伝えに行こう、ほら、早く帰るぞ」

「うんっ」


 大きな背中を追いかけるように紗也は小走りで帰途についた。櫓のある丘を通う坂道はつづら折りになっていて徒歩で行くには骨が折れる。木々が頭上に迫る山道を二人は慣れた足取りで下る。木漏れ日が差す中には緑色の風が吹き、草木の間からは夏の匂いが漂っている。


「風が気持ちいいね」

「この時季は山風の通り道だ。雨季になるまでいい風がよく吹いてくる」


 鉄平、と紗也は呼びかけて聞く。


「風ってどこから吹いてくるんだろう」

「山の向こうからだろ」


 考える様子もなく鉄平は答えた。


「山の向こうには何があるの」

「また山があるんじゃねえの?」

「じゃあその向こうには?」


 鉄平は渋い顔を浮かべた。


「知らん。生まれた時からずっとここに住んでんだ、外に何があるとか考えたこともない」

「ふぅん」

「……いきなりどうしたんだよ、藪から棒に変なことを」

「なんでもないよ。でも私は知りたいんだ、この山の向こうに何があるのかって」


 悪いイメージの話ではない。紗也は喋りながら心が明るくなるのを感じた。

 それが自分の望む唯一の夢。

 外で広がる世界にはどんな景色があるのだろう。櫓からの眺めよりさらに大きなものが待っているだろうか。考えるだけで楽しくなる、そんな夢だった。

 そう、夢だった。


「鉄平、見てあそこ。誰かいる」


 坂道からは途切れがちに村の全体がみえるところがある。紗也を我に返したのはその時だった。

 集落がはじまる森の端に、見慣れぬ装束をした人影が立っていた。

 二人いる。

 この村の住民ではない。すでに数人の村人たちが取り囲み、何かを問いただしているようだ。彼らの身振りから察するに、現地は不穏な空気らしい。

 理由はわかる。アオキ村を誰かが訪れるなんて過去に一度もなかったからだ。


「どうする、紗也」


 その光景を隣で目にした鉄平の声は落ち着いていた。紗也はただ頷いて力強く言った。


「行こう」


 アオキ村には入り口というものがない。村全体がぐるりと森に囲われて外部の干渉を一切遮断している。針葉樹が蒼々と茂る蒼き村。だからアオキ村。

 小さなコミュニティ内の住民たちは互いに支えあい助けあって暮らすことの大切さをよく知っている、温かい人柄である。

 紗也はアオキ村の人々を愛しているし、村人たちも互いを思いやっていた。それが世界に適合するための最も簡単で平和的な手段だからだ。


「誰だオメェサーは! どこのもんだ!」

「見かけねえ格好だべ、なして村の在り処がわかった!」

「はやいとこ、この村さ出てけ!」


 粗暴な声がする。紗也たちは民家の影に隠れ、村人たちが訪問者と対峙する様子を伺った。

 大勢が集まって例の二人を取り囲み、それぞれ脅すための武器を剣呑な面つきで構えている。

 その二人は全身を茶色のぼやけたケープマントで覆い、くたびれた身なりをしていた。


「いや、ですから俺達は怪しい者じゃ」

「怪しいかどうかはオラ達が決めることだ、その格好、見るからに普通の者じゃなか。この村に入れるわけにはいかん」

 周囲から同意の声があがる。話をしている男の顔はあらわになっているが、見ればずいぶん若い。髪の色もここらでは見かけない赤毛だ。額に保護眼鏡ゴーグルを当て、無造作に乱れた髪を抑えている。皮製の色褪せたケープは中に見える装束諸共ここらで知った作りではない。


「あいつは海の向こうから来た奴だな」

「分かるの、鉄平?」

 声を抑えながら鉄平は言う。

「紗良さんから昔聞いたんだよ、海の向こうには変わった髪の色した人間がいるんだって」


 赤い髪の青年は拒まれながら村人になおも語りかけている。ここに来るまで消耗しきっているのだろう、水と食糧を恵んでくれたらすぐに立ち去ると言っている。

 アオキ村を囲う森は針葉樹ばかりだ、食糧となる果実はおろか近頃は獣すら見るに久しい。よほどの運がないかぎり山の中で食べ物にありつくことは難しいだろう。


「鉄平」

「はいよ」


 紗也は空読の際にあらかじめ預けておいたものを鉄平から受け取った。民俗的な装飾がなされた首飾りである。それを身につけると紗也は呟いた。


「地を治めまします山神よ、我とその村を護りて導きたまえ」


 それで特になにか起こるわけではない。紗也がこの首飾りを身につける際唱えるよう決めている合言葉だ。鎖骨の下で飾りは大きく揺れる。紗也の小さな胸元にはやや不釣り合いのサイズだが、紗也がこの村で自分を自分たらしめるには欠かせない要素の一つだ。

 すっと気が引き締まってゆく。鉄平に目配せをし、頷きが返ってきたのを確認すると民家の影から自分を周囲にさらけ出した。


「紗也様の御成り」


 鉄平が後ろに続いてそう言った。声を聞いた村人たちは一斉に紗也のいる方へ振り向いた。


「紗也様だべ!」

「ほんとだ、紗也様がいらしたぞ!」

「紗也様の前だぞ、皆の衆控えい、控えい!」


 誰かがそう言うと村人はバサの一声がかかったように地面にひざまずき頭を垂れた。すべて紗也を向いている。


「顔を上げてください、皆さん」


 慌てるでもなくゆっくりと人々を見渡す。誰もが自分を神妙な顔で見つめている。

 それとは別に、正面の男達に目を送った。


「斬らないのですか?」

 そしてそう投げかけた。


「えっ、斬る? 誰を?」

 赤毛の青年は面食らった顔で尋ね返してきた。


「あなた達は食糧の調達のためここを訪れた。それを拒んだ村人は、今はこの通り隙だらけ。あなたが腰に提げているのは飾りではないのでしょう?」


 青年は直剣を腰に帯びていた。柄の巻布は擦れきって鞘もかなり使い込まれている。それに身振りをしている時に見せた右の手の平、農作業を日毎夜毎いそしむ村民ですら比にならぬほど皮膚が硬化していた。一度抜けばこの男、おそらく相当の使い手と見える。

 アオキ村に危害を加える意思の有無、それを確認しなければならなかった。


「いやだから何度も言ってるんですよ、俺達は安全な……」

「あなたは斬られたいの?」


 青年の言葉を遮ったのはもう一人のケープマントの人間だった。頭巾で顔を覆ったまま一言も喋らず、ずっと青年の後ろで押し黙っていた。


 女の声だ──紗也は意外に思った。透き通った音の中に根強い芯のようなものが通っている。その声は自分に向けられた問いだと、紗也は一瞬の間を空けて理解した。


「ちょっとエリサ、小さい子どもに何てことを!」

「命の値段に年齢は関係ない」


 青年から呼ばれたエリサという女は、そう言い切った。鋭く刺すような言葉に、紗也の喉元は息を留める。「答えによってはこの場で斬る」と言われているのだ。おそらくこの女は、本気で言っている。どう答えるべきか、紗也には言葉の選択肢などなかった。ゆえに、次の言葉を口にするのは何の躊躇いもなかった。


「私はこの村で最も尊い命です」

「……なるほど」


 女はフードに手をかけ、それを頭上から払った。


(あ……)


 綺麗な人だ。そして、青い。

 顔を覆っていた日除け布は外され、現れたのは髪の青い女性だった。……いや、女性と呼ぶにはまだ若すぎる。少女だ。齢は十五、六くらい?


 青い髪なんてこの世界に存在するのか、紗也はその美しさに心を奪われた。青の深い瞳は自分をまっすぐ見つめている。こちらに向かって歩きだした少女は、すらりと腰から剣を抜いた。実に自然な動作だった。

 危険を感じた村人達が紗也を守ろうとエリサに組みつくが、一人も彼女を捉える事が出来なかった。紗也の目にもエリサがどのように動いたのかよく見えなかった。そして気づけば、宝石のような瞳が紗也を見下ろしていた。内心、ギュっと胸が締まるものを感じた。その手には細身の直剣が握られている。表情の変わらない心の奥を見透かすような瞳を前に、紗也は一歩も動けない。

 いや、動くわけにはいかないし、動かなくともよかった。


「うおぉっ」

 鉄平だ。木剣を振りかざした鉄平が自分とエリサの前に割り込んだのだ。

「紗也様には指一本触れさせない、余所者め。皆、紗也様をお守りしろ!」


 鉄平の合図で村人達が二人の侵入者を取り囲んだ。


「…………」

 しかし青い少女は動揺する気配もない。自分の前に立つ鉄平は「紗也」と小声で呼びかけ


「安心しろ、俺がお前を守る」

 大きな背中から漏らすように言った。鉄平は肩幅のしっかりした偉丈夫で、腕っぷしも確かだ。村の大人が二人掛かりで引く荷車も彼なら一人で動かすことができる。足腰の強さは誰も敵わない。そんな鉄平の存在があの少女の前には小さく見えた。

 何故なのか。紗也には理由が分からない。ただ少女の前に鉄平が相対するだけで胸中に言いようのない不安が沸き起るのだ。


「来るっ」

 エリサの剣が天を突く。村人は一斉に構え、一面に緊張の波動がほとばしった。


(鉄平……)

 背中に向かって心の中で名前を叫ぶ。


 エリサは直剣を蒼天に煌めかせると、勢いよく地面に突き刺した。


「私の武器をあなた達に預ける。これで信用してくれないか」


 青い瞳が自分に向けられ、瞳の主は口にした。

 ざわめき。しかし彼女は続ける。


「私はエリサ、ただの旅人。今から武器を差し出すのは、ゲイツ」

「待って、俺まで武器出さなきゃダメなの?」

「出さなきゃダメ」


 赤毛の青年はため息をつき、腰の鞘ごと近くの村人に投げてよこした。


「私とゲイツは世界をまわる旅の者。この通り、あなた達に悪い事をする気はまったくない。一杯の井戸水でもいい、少しだけ休ませてもらえないだろうか」


 少女の態度は毅然としていた。表情は少なく抑揚も薄い。だがその言いようには不思議と傲慢さを感じられなかった。

 紗也は何も言わない。

 エリサの剣は足元に直立したまま沈黙していた。



 ◇◇◇



 異様な光景が目に写っていた。

 村の人々は年端もいかぬ一人の少女にひざまずき、彼女のため殉じようとしているのだ。その幼い少女は他の村人達と比べても明らかに雰囲気が違う。「紗也様」と呼ばれる少女以外、村人の多くが継ぎぎや泥汚れした農民の様相をしている。その中で、少女だけが奇特にも身なりを整えられている感じだ。衣服はどこか宗教性を思わされ、胸元には大きすぎる首飾りが下げられている。


 周囲は呼ぶ「紗也様」と。


 まるで崇められているようだ──そう、エリサは思った。


 地面に突き立てた剣は誰の手に取られることもなくエリサと村人の間に佇んだまま。エリサは紗也という名の少女をじっと瞳に映した。

 力を感じる。

 体はたしかに未発達な子どもだが面付きに幼さがない。他の村人と比べてもたたずまいは超然としている。


 彼女が出てきた時、場の空気が張りつめたように思えたのは紗也の凛とした姿勢から生じる怪異的な気配の所為だろう。空間を支配してしまうほどの強い精彩を少女は瞳に宿していた。


 二人が見つめ合ってどれほど経っただろう、数秒も無かったかもしれない、誰も口を開かず空白を犯すような時の流れをエリサは胸の隅で感じていた。風のそよぎが髪をさらっていく。


「……いかがしますか、紗也様」


 ふたたび場を動かしたのは自分に木剣を突きつけている背高い少年の呻くような声だった。背後の紗也に指示を仰ぎつつも同時にエリサ達を威圧しようとしている。切迫した空気のなかでゆったりと紗也は口を開いた。


「一杯の水で村の平和が守れるなら、これより嬉しいことはありません」


 少年の肩越しに見える少女は少しだけ笑みを浮かべている。


「だけんど、紗也様! どこのもんと知れない奴らを村に入れるのは危険だ!」

「そうだ、よした方がええ、こいつら嘘ついていて本当は賊に違いねえ! つけ込ませると寝首ばかかれる!」

「なんならいっそこの場で」


 若い男の悲鳴。


「ちょっと何するんですか!? 離してください、エリサちゃんお助けえっ」

「ゲイツ!」


 振り返ると大勢にゲイツが羽交い締めにされ首に刃物を当てられていた。彼はぐしゃぐしゃな顔で抵抗するが村人の怒号がそれをかき消す。ついに組み抑えられたゲイツの喉へ刃がにぶく光を放つ。


 あぁ──エリサは思った──ここも同じか。


「おやめなさい」

 ぴしゃりと雷が落ちたようだった。大気を裂くような鋭い声が喧騒を斬り払う。

 紗也だった。

「この方々に手出しは無用です。アオキ村に害なす気色は見られません。そう、空が言っています」

「空が?」

 村人はどよめく。エリサには彼女の言っている事が分からなかった。


「今しがた私は空読の儀を終えてきました。見知らぬ人訪とぶらわれん、それが今日の告げです」

「……紗也様の空読にそんな項目あったべか?」

「あるのです」

 誰かの言葉を紗也は即座に返した。

「それに」

 前に進み出ると、エリサの剣を小さな手で地面から抜き取った。


「この方達は武器を差し出している。話を聞くだけでもしてあげましょう」

 剣の重さでふらつく紗也を背高い少年が支える。その少年は言った。

「紗也様はこう申しておられる。みんなはどうだ?」

 村人は姿勢を改めた。

「……お告げがそう仰るんなら、仕方ねえべ」

「朋然ノ巫女ほうぜんのみこ様のお言葉は信じねば。さあ赤髪の兄さんを離してやれ」

「助かった……あー、死ぬかと思った」


 解放されたゲイツの声にはどこか白々しい響きがあったが気にせず身柄の無事を確かめると再びエリサは見た。この村で最も尊い存在を。


「お二人を歓迎します。ようこそ、アオキ村へ」

 笑みを浮かべる紗也の瞳には、推し量り難い光が灯っていた。

「私は、紗也。この村の最高司祭者です」






 通された一室は空間が飽和したような印象のするがらんどうな広間だった。乾燥した木の甘いにおいが伏せるように板目の上を漂っている。格子窓から差し込む陽光ばかりが光源のため部屋の中は薄暗く、昼ながら燭台が点いている。


 森に埋まっていた集落は寂れた空気に満ちていた。やはり豊かな様子はない。民家はどれを見ても茅葺きか藁を葺いて屋根に寝せている実に質素な造り。入り口には扉もついてなかった。

 案内された、この屋敷を除いては。


「ここはどういう施設?」

「私の家です。大きいでしょう」

「ええ。立派ね、とっても」

 エリサは端座したまま首肯する。正面の上座に据わる少女、紗也に視線をやりながら。広間には自分の隣にゲイツ、紗也の傍には先程の少年が控え、左右の壁には珍しい物を見るような顔をした村人達が居並んでいる。


 妙な気分だ。そう思いながら視線を落とす。大きな膳があった。日干し野菜の塩漬けや練り焼き、スープにディップと、並ぶのは実に多様な菜物料理。


 紗也は、まず空腹を癒せと言った。

 招き入れられた時点で食事の支度は整っていた。長旅で携帯食を齧ってきた身にとって彩りある食事は十分な馳走である。周囲の視線が気になるものの口の中は湿る。自然、隣の青年も同じ境遇であるが彼は表現豊かに舌なめずりさえしている。


「めちゃくちゃ美味そうじゃないすかぁ! 良いんですか、こんないただいちゃって?」


 紗也が頷くとそれ来たとゲイツは手を合わせ料理に食いついた。エリサの心境など我関せぬといった具合に。自身も正面の紗也と村民に一礼をし、膳の上から食べ物を口に運ぶ。スライスした赤い実を葛で煮込み冷やしたもの。葛のやわらかい舌触りにほぐれるような果肉の食感。味付けは薄いが喉を過ぎてから胸の内で微涼を生じ、奥から熱を冷ます。


「美味しい」

 もう一口唇に滑り込ませたその時、胸騒が走った。

「…………」

 部屋の空気が変わった。気配を探る。硝子にかけた水の速さで静かな堂内に別の雰囲気が挿しこんだ。全方向から矢を射るような鋭い視線。エリサは察する。


(これはまずい、さては)

 食事のふりをしながら辺りを探るが気配の焦点は自分の手元にある。手遅れを悟った。


(毒を盛られていたか)

 薄暗い部屋は企みを行うのに格好の場。隣のゲイツの表情は平静な物ではない。安穏さにかまけ油断した。この気配、状況……間違いない。ここは賊の根城だ。旅人を誘い込んでは食虫花のように骨の髄まで喰らう輩に違いない。


「うっ」

 ゲイツが唸り声をあげた。


(やはりこれは、毒!)


「うぅ……」

 ゲイツが俯いたのを合図に列座していた影が一斉に立ち上がった。


 来る。


 咄嗟に腰に手をやるが剣が無い。やむを得ぬ、徒手空拳か。

 ぬう、と伸びあがった無数の影法師に対しエリサは座位で身構えた――。


「美味ぁい!」

「ヤッタァァーーアアア!」――彼らが両手を上げて喜ぶまでは。

「え」

「いや、本当に美味いっすよこれ。俺、感動しちった」

 そう語るゲイツの表情は平静な物ではなかった。


 村の食べ物がよそ者に気に入られるか不安だったと彼らははにかみながら言った。信じがたい言葉だが彼らの笑みを嘘と言い切るのも又しがたい。一見、質素な膳上。だが料理は美味だった。食材は突出せず互いに譲り合い味が奥深い。味覚の豊かさは人々の豊かさを物語っている。食は文化の粋を知る術。旅の中でその程度の見識は培った。


 アオキ村は表面こそ貧し気だが貧困に落ちている訳ではなさそうだ。空腹の癒えた自分達を見ている彼らは満足そうな顔をしている。

 だが思う。彼らは殺気じみた嫌悪の目でエリサ達を拒んだ。今となってこの変わり様は不審ではないか。


「アオキ村はここに長いんですか」

 ゲイツが言った。

「八年になります」

「ほお、案外新しい」

「けれど、土地には二十年」

「どういう事です?」

「村の人々は大半が流浪民ジプスです」

「ジプス」

 納得したように赤髪の頭が揺れる。流浪民ジプスとは、部族単位で世界各地を流れ暮らす漂泊民族。生活形態としては一定の土地に居付くことがない。


「だけどその言い方だと、単位は一つじゃない」

「複数の部族で成っています」

 言われてみれば居流れる村人の顔や骨格の造りは根本的なところで微妙に違っている。なるほどあらゆる種族が混ざって結成した集団なのは得心がいく。新参者を手厚く保護するのはそういった成り立ちがあるからか。しかしエリサ達を攻撃し追い払おうとした事に説明がつかない。そもそもジプスとは一個の血族から成るのが普通であり、しかも特性上、自決意識が強く複数が集合することはありえないのだ。


 ただ、超常事態クライシスさえ起きなければの話だが。


「隠れているんですね、奴らから」


 ゲイツの問いを紗也が首肯する。アオキ村の人々は何を遠ざけようとして部族の垣根を超え、集まり、深山の奥で隠れていたのか。人々を恐れさせる存在……その名をエリサは知っている。


「無機生命体、機械兵アトルギア


 堂内にいた村人達から短い悲鳴が幾つも上がった。それは命を持たない殺戮者。人類が自らの手で生み出した滅びの兵器。世界の歯車を狂わせたのは紛れもなく奴らの存在だった。

 人類の絶滅を目指す機械兵から逃れるべく人々の多くは息を潜めて暮らしている。

 アオキ村のような排他的隠遁者もその一例に過ぎない。敢えて外の世界から自分達を閉ざしているのだ、見知らぬ者を警戒するのは当然の心理。それほどまで人々は機械に……いや、自分以外の存在に不信感を抱いていた。自分を守れるのは自分しかいないのだから。


「この地に移り住み二十年間。平和でした」


 エリサは紗也の言葉に含みがあることに気づいた。

 そこに「これまでは」と言葉が継ぎ足されると、紗也の瞳に薄暗い物が落ちた。


「ひと月前、村の近くで一体の機械兵が残骸として見つかりました」

「残骸で?」

「雷に打たれて真ァっ黒焦げになって倒れとった」


 ある村人が答えた。周囲もそれを肯定する。しかしと紗也が言った途端堂内は静まった。


「機械兵はすぐそばまで進出しているのです。この土地も、そう長くはありません」

「また新たな居住地を探すんですか? 二十年前みたいに」

「はい」


 淡々と応える姿にはがほのかな微笑が浮かべてあるがどうにも奥底に暗い物を感じる。傍聴する村人は青ざめて機械の恐怖を思い出しているようだ。嗚咽を漏らす者もいる。だが紗也の目はそれとは違う後ろ暗さを思わせた。


「大丈夫だ、ワシたちにゃ紗也様だけでなく、紗良様もおる」


 ある年嵩の男が膝を立てた。それに呼応し他の村人も顔を上げる。


「そうじゃ、紗良様だ。紗良様もおれば恐れる事はない」


 新たに出た名前、紗良。

 紗也様、紗良様。

 菌糸の塊が一滴の水で膨張するように二人の名を囁く声がみるみる広がった。崇拝の声が集まる中央で紗也は広間をゆるりと見渡した。


「安心してください、朋然ノ巫女である私と紗良姉様が……必ず【叡智】を持って皆さんを救います」

「ありがたいお言葉じゃ」

 年嵩の男は涙ぐんで紗也に両手を合わせた。他の村人も同様にひれ伏した。


「あのぅ、ホーゼンノミコ? って初めて聞くんですが、何なのですかね?」


 あっけらかんと響いた声に室内の村人達が音を立てて振り返る。しかしゲイツの飄々たる態度は揺らがない。


「いやあのですね、皆さんが拝んでらっしゃる、紗也ちゃんは」

「紗也様と呼べ、無礼者!」

「はいぃ、失礼しましたぁ!」


 紗也のそばの少年が怒声を発した。ゲイツは派手にのけぞり土下座する。動きがうるさい。内心で諫言を飛ばしていると、くすくすと声が聞こえた。上座の紗也が笑っている。


「許してやりなさい鉄平。それで、私がどうしたのですか?」


 険しい目つきの少年をおさえ、紗也は話をうながした。


「そう、紗也様はこの村で何をなさってるんですか? さっきソラヨミがどうとか……」


 ゲイツの問いに紗也は丁寧な回答をくれた。空読とは限られた者にのみ許された気象観測術らしい。アオキ村で空読を行えるのは紗也ともう一人、紗良という人だけだそうだ。


「農耕が主である村人にとって天候は生命線。だからあなたは村の最高司祭者であると」

「そういう事になります」

「朋然ノ巫女様のお告げに従えば、間違いねえだ」

「んだ、んだ」


 そう言って村人はまたも平伏した。


「そうだ」

 ゲイツは面白い物を見つけたような顔で言った。

「今日の天気は、どうなるんですかね?」

「あっ……」

「え?」


 紗也は口を開けて固まった。ゲイツは頭上にクエスチョンマークを浮かべている。


「あー、皆の衆、これより空読のお告げをいたす」

 少年が村人の前に進み出た。

「紗也様いわく、本日の空は日中晴天、風よく通ること薫風なり。日、やや傾きたる頃より雲立ち込めて……寒雨きたる」

「えっ」

 その言葉に広間の村人全員が反応した。


「……妙物食えばすなわち食当たりをもよおす故、よく気をつけておくべし」

 少年が言いきるとほぼ同時に遠雷が鳴った。格子窓の外から冷湿な風……雨の匂いだ。外で細かいものが地面を叩く音がしはじめた。

「雨だぁあ!?」


 村人は飛び上がった。


「水路の蓋を閉めないかん!」

「洗濯物干しっぱなしじゃ!」

「チビ達が帰ってくるだよ!」


 様々な事情が飛び交う。まさに怒涛。それぞれ紗也に辞儀を述べるとあっという間に去っていった。エリサ達は何か挙動を起こす暇もなく嵐のごとき一連を呆然と見届けた。


「……随分と、元気な人達ですね、皆さん」


 ゲイツが言った。


「こんな日もたまにはあります、ねえ鉄平」

「いやねえよ」

「だって鉄平が言うの遅いから……」

「俺のせいにすんな」

「そんな事より、お二人はどこから来たのですか?」


 紗也はこちらへ振り向いた。鉄平と呼ばれる少年がバツの悪そうな顔をしているがエリサの隣でエヘンと咳払いする声がした。


「メルセオ=ボトムって地域です。海を渡ってここガナノ=ボトムを南下してきました」

「という事は山の外を知ってるのですか」

「オフコース」

「教えてください!」

 最高司祭者は身を乗り出した。

「しかし紗也様」

「旅人さん、教えてください。この世界には、何があるのですか?」


 大言壮語をさせればゲイツの右に出るものはいない。これまでの冒険譚を、彼はさもお伽話のように語った。砂の海、火を噴く山、巨大な宗教建築……。無論エリサも共に体験してきた話であるからゲイツが嘘を喋っていないのは確かだと分かる。ゲイツの語りをエリサは黙って聞いていた。しかしその注意は物語に目を爛々と輝かせる少女・紗也に向けられていた。


――興味を惹かれる。


 己より年若き身でありながら文化集合体の長を務め、さらに自然霊験と通じる力を持つという奇特な幼子。怪異的な存在であるのは初めて見た時から感じていた。その気配が……今ばかりは感じられない。彼女に年相応な瑞々しさを感じる。瞳に不穏な翳りは差していない。


(気のせいだったか?)


 あまりにも純粋で無垢な顔をしている。仮に思い過ごしだったとしたら自分はなぜ、あのような感覚を覚えたのだろうか。

 周囲が敬虔な姿勢を示していたから? それは彼女の力が事実である裏付けでもある。多くの人心を一手に掴むのは容易ではない。

 この村で最も尊い命。はたして紗也が自称した語感の響きに囚われているだけだろうか。


「……とまあ俺達の旅はまだまだ続くって感じで以上、第一部完でございます」


 最後にゲイツは頭を垂れて話を締めた。紗也は両手を打って喜ぶ。


「すごい、本当にいろんな場所を巡ってるのですね!」

「風の向くまま気の向くままってね。好きな時に好きな場所へ行く、それがモットーでさ」

「好きな時に、好きな場所へ……ゲイツさん、エリサさん」


 赤みのさした頬で紗也に名を呼ばれた。格子窓の外は雨がしとしと音を滲ませている。


「雨は降り続くことでしょう。しばらくアオキ村に留まっていかれませんか」

「いやしかし今は移住の準備で忙しいでしょう」

「楽しませてもらったせめてものお礼です」

「こちらは食事を出してもらった、礼には及ばない。こちらこそ感謝している」


 そう言って手をつき頭を下げた。ゲイツも続く。村人の見様見真似だが敬意を表す仕草なのは察している。数秒の後に顔を上げると紗也は再び子どもらしからぬ微笑で待っていた。


「三日後に村で祭りをするのです。どうぞそれまで見て行かれてください」


 柔和な物腰だ。本心による善意から生じるものであろう。たしかにアオキ村は滞在するに悪い場所ではなさそうだ。しかしエリサ達にはこの旅路で目指すべき場所があった。


「うーむ、どうしようかエリサ」


 腕を組むゲイツだがおそらく返すべき答えは自分と同じだ、悩んでなどいないだろう。エリサは紗也の方を見る。


「ご厚意に感謝する。けれど雨脚の頃合いを見計らって」

「山が離しませんよ」


 遮るように遠雷が鳴る。


「今日の雨は北西の風から来る暦移りの走り雨。雨水を含んだ山はお二人を簡単に通さないでしょう」

 一瞬雷光で紗也に影がまとった。


「なんだって! じゃあ俺達は、雨に降られる前にアオキ村まで辿り着けて幸運だったんだ」


 紗也は微笑む。言いかけた言葉をゲイツは途中ですり替えたとエリサには分かった。


「山の雨は一晩降れば明日には上がります。明朝山肌を見てお考えになるのが良策かと」

「……今夜の山越えは危険ですか」

「旅に命を懸けてなければ」


 ゲイツは押し黙った。


「雨は恵み。天に人は抗えません。急いた旅でも雨がやむまでゆるりと立ち往生してゆかれてください」


 天に人は抗えない。司祭者だけあろうか子どもの割に達観した事を言う。しかし現実これは山に暮らす民の言葉だ。下手に反故とせぬ方が良い。ゲイツに意思を示すと彼は自分と共に頭を垂れた。今宵は屋根の下で寝よう。


 寝床には屋敷の離れにある庵を与えられた。

 夕餉の席でもう一度物語りをするよう頼まれるとゲイツが独りで快諾し、満足げな表情の紗也を奥の間に見送った。


「運が悪かったな」

 紗也に続く少年が去り際に振り返った。名は鉄平と言ったか、声には邪険な色がある。鉄平は自分らに睥睨をやると踵を返し吐き捨てた。


「余所者め」






「だから君は話を最短距離でぶち抜きすぎなんだよ、エリサ」

「意思の伝達は簡潔にすべきだとゲイツが言っていたじゃないか。回りくどいから村人に怪しまれて殺されそうになった」

「いやまあ、そうなんですけどね? 君に愛想つうもんがあったら多少は変わったよ多分?」

「泣いて助けを求めた男がよく言う」


 庵の突上げ窓から見える雨にこぼす溜め息。昼に振り出した雨脚は車軸を落とすがごとく次第に勢いづいてきた。旅装は解いている。この状況では村を見て回るのは億劫というものだ。


 夕餉まで時はある。手慰みにゲイツと雑な談話を片手間に広げた装備を手入れしていた。昼も馳走をたっぷりと食べたし動かなければ夜を頂くのは厳しいかもしれない。


 部屋は草を編んだ板状の敷物が床に延べられている。さほど広さはないが旅人二人が荷物を広げてもくつろげるだけの空間は残った。

 隅で鉄工具の整備を終えたゲイツは額から保護眼鏡を取って磨きだす。


「幽閉だなんて言っちゃ駄目だぞ」

 自分の事ではないか。エリサは言った。

「穏便に済ませたいならむやみに現地人を刺激しない」

「山が離しません。天に人は抗えません、ねえ」

 ゲイツは唇を尖らせる。

「私はあの司祭者……紗也が私達をここに留めたがった理由が気になっている」

「俺の話が面白過ぎたから」

「自分以外の存在を心に宿しているみたい」

「無視かよ」

 窓から降る雨を見ながら考える。胸中に想起されるのは、やはりあの目。


「……スピリチュアルパワーがうおー、みたいな感じだしな。どうも怪しんじまうのは当然だ。けどまぁ食事と寝床をくれたんだ、仮の宿には悪くはない。エリサは何が不服なんだい?」

 問われても容易に答えられない。あの少女に対して拭い難い不安を覚えたのは直感的に得た感想に過ぎず推察ですらない。ぼんやりと黒いしみが漂っている気がしていたのだ。まるで純真な白さに暗雲がにじんでいるようで。


――想像の外から、こちらを見つめているようで。


「雨が上がったら早くこの村を出よう」

「そらそうさな。山の向こうで俺達の恋人が待ってんだから」

 雷が近くで鳴った。雨雲は分厚く空に垂れこめアオキ村の木々を鈍色に染めあげている。


 雨の閉じ込めた陽光が衰えを見せた頃一人の老婆が庵を訪ねてきた。

「アオキの空気は気に入りましたかえ、異郷の方々」

 白の貫頭衣に羽織をかぶせただけの肢体は枯れ枝に白い布が巻き付いているようだと思った。節回しの訛りがきつく視線は観察されてるようで気持ちの良いものではない。

 老婆はモトリと名乗った。紗也の侍従らしい。


「ご用命とあればなんなりと」

「じゃ、じゃあ……」


 旅塵を落としたいと伝えた。老婆は頷くと目がぎょろりと動きエリサ達の背後に広げられている旅の装備を一瞥……いや、しばらく見つめて「支度いたします」と退出した。


「何なんだあの婆さん、気味が悪ぃ」

「ゲイツ口が悪い。年長者は」

「敬いなさいだろ? はいはい、わーってますよエリサちゃーん」

 ゲイツは天を仰ぐ仕草をした。そしてそのまま仰向けに寝転ぶ。

「……風呂に入れるとか、夢じゃないよな?」

「現実ね」

「素晴らしいなアオキ村」


 久方ぶりの湯浴みは旅の疲れをひと息にほぐし、紗也との夕餉もつつがなく済んだ。その場に鉄平は不在で代わりにモトリが侍っていた。色白な紗也と比べて肌が浅黒いモトリは元々この山に暮らす土着民族だったらしい。


 ゲイツの冒険譚を紗也は手を叩いて喜んだ。すっかり気分を良くした彼は庵に帰ってなお頬が紅いままで寝床に横たわるとあっさり寝てしまった。月はまだ頂点に達してない。


 そう、雨がやんでいた。朋然ノ巫女の読みは正確だった。昼に降った雨は夜までには上がっていた。

 これならば明朝の出立も叶うかもしれない。

 エリサは手元に目をやった。青く透き通った球体が朧月を映している。月の光を反射して、内部の模様まで鮮明に見れた。水底に漂う波動のようなものが青い玉一杯に広がる。美しい。されど手にある感触はとても冷たい。

 エリサは空を見上げた。どこを捉えるともなくぼんやりと求める土地への想いを高めた。


「この命続く限り」


 そう呟いて音を立てることなく自分の寝床に就いた。


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