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シャクヤク

作者: オッヒ

海が特別好きなわけじゃない。


大学を卒業した後、大きくも小さくもない電気メーカーに就職した僕は、新人が3年はやらされるという「外回り」をしている。僕が就職する直前に、会社はペット用鳥型ロボット「シャクヤク」を開発し、軌道に乗るかのように見えたが、思ったより底が見えない不況はいまだに復調せず、娯楽の高級品としてのロボットの販売は、会社の首を絞めるだけだった。そんな状況下での僕の仕事は、おもちゃ屋か電気店を見つけては飛び込み、シャクヤクを置いてくれないかと、頭を下げることだった。


それだけでも気が滅入るとていうのに、3日前、僕は3年間付き合っている彼女と大きなケンカをした。「しばらく会わない」って彼女は言っていたから、いつもの些細な小競り合いとは様子が違うかもしれない、なんて考えていると、ますます暗い気持ちになってくる。


僕は、砂浜に直接乗り付けたライトバンの荷台を開け、試供品の箱に詰められたシャクヤクを一羽取り出す。


「疲れたなぁ」


何をしたわけでもないのに、僕はシャクヤクに向かってつぶやく。


「ツカレタナァ」


とシャクヤクも返す。シャクヤクはオウム型ロボットなので、言語認識機能が付いている。その認識機能は学習機能も備えており、受け止めた言葉の頻度に応じて、シャクヤクそのものがしゃべる言葉が決められていくという仕組みになっていた。シャクヤクはいろいろ言葉を覚えるけれど、3日前のケンカのあとに、むしゃくしゃして一回リセットをかけたから、今僕が手にしているシャクヤクがすぐに「ツカレタナァ」と言うということは、僕が3日間ほとんどそれしか言っていないということに他ならない。


「ツカレタナァ」


と、もう一度シャクヤクがつぶやく。


「そうだね」


「ソウダネ」


今シャクヤクはこの2つしか言葉を話さない。「ツカレタナァ」と「ソウダネ」。この2つが、僕とシャクヤクのこの3日間の会話だ。


ライトバンのサイドミラーにシャクヤクを乗せ、海を見る。天気はいいはずなのに、心なしか海の色が暗い。





「ねぇ、それ、何?」


不意に背中から声がする。見ると、小学生くらいの男の子が、手提げの網に入ったサッカーボールを蹴りながら、ものめずらしそうにシャクヤクを見ていた。


「これ?」


僕はシャクヤクを指差しながら返事をする。


「うん」


「聞いたことないか? シャクヤクだよ」


「聞いたこと、ない」


「随分無愛想な返事だな。ロボットだよ、ロボットペット。鳥型のな」


「すごいの? それ」


「ああ、すごいよ。言葉を覚えるんだ」


「言葉、か。すごいなぁ」


「まぁな。ところで、おまえ、こんなところで一人で何してんだ?」


「うん・・・、友達、待ってる」


「友達? 何時に待ち合わせなんだ?」


「2時・・・」


時計を見ると、2時25分だった。約束の時間は、もうだいぶ過ぎている。


「もう25分も過ぎてるよ」


「うん」


「どうすんだ? 待ってんのか?」


「・・・うん」


「何かあったのかな?」


「・・・」


少年は泣きたいのをこらえるかのように膨れっ面をする。


「なんだよ、そんな顔すんなよ」


僕のその言葉にふてくされた顔のまま頷くと、彼はくるっと振り向いて、網に入ったボールを蹴りながら行こうとした。


僕はなんだかその様子が気になって呼び止める。


「おーい」


僕はサイドミラーの上にとまっているシャクヤクを手に乗せ、少年に声をかけ直す。


「なあってば」


少年に声が届き、彼は少しそれを期待していたかのように振り向いた。僕はシャクヤクを彼に向かって放り投げる。20メートル以内の飛行機能がついているシャクヤクは、内蔵の小型カメラで次の着地点を見つけ、そこまで飛行するようにプログラムされている。


案の定、シャクヤクは少年の肩に止まった。


「それ、待ってる間貸してやるよ」


「いいの?」


初めて少年が明るい顔を見せる。子供はやっぱり笑うと無邪気だな、と僕は思う。少年は、シャクヤクに向かって話し始める。


「ヨウイチ。俺、ヨウイチな。ヨ・ウ・イ・チ」


「ヨーイチ」


シャクヤクが繰り返す。


「おぉ! すげぇ、ほんとに繰り返すんだ」


「まぁな、機能はすごいんだよ。売れないけどな」


少年は、その言葉には反応を示さず、


「繰り返すことしかしないの?」


と聞く。


「いや、重要な発言を選択して覚える機能があってな、何が重要な発言かっていうと、この場合は単純に頻度、まあ、飼い主が繰り返している回数が多い言葉を、上から10くらい覚えて、勝手にしゃべる機能があるけどな」


「ふーん」


「たくさん言ったことをこいつが覚えて、こいつの気が向いたときに言うってこと」


少年は、言いづらそうに口を開きかけ、少しためらったあと、


「じゃあ、さ、『ごめんね』って覚える?」


と、やけに真剣な顔で聞いてきた。


「ん? 覚えるけど、なんで?」


「いや・・・、うん、何でもない」


「言えよ」


少年の話が気になっただけではなかった。外回りの最中に子供の遊び相手をしていたなんて会社にばれたら、ひどく怒られるんだろうな、なんていうことを考えていたら、そんな状況が逆に面白くなってきて、僕は、この少年との会話をもうちょっと続けたいと思い始めていたのだ。


先生にばれたら怒られるんだろうなと思いながら、授業中に漫画を読んでいた高校時代のドキドキを、少し懐かしく思い出してしまったのかもしれない。


「何かあったのか?」


「・・・ケンカ、しちゃって。友達と」


もしかして、それが待ち合わせの相手か?」


少年は黙って頷きながら言う。


「ほんとは、待ち合わせしてない」


「え? どういうこと?」


「あいつと、よくこの時間ここで遊んでるから、ここに来たら、あいついるかなって・・・思って・・・」


「ふーん。そういうことか。なんでケンカしたんだ?」


「あいつの好きな子のこと、かわいくねーよ、って言ったら、あいつ、怒っちゃって」


「だはは」


僕は思わず笑ってしまったが、本人たちにとっては、大きな問題なのだろう。僕だって子供のときだったら、そんなことを言われたらムキになるだろうな。


ふと、昨日ケンカした彼女の顔が浮かぶ。彼女のことを、関係ないやつに、かわいくねーよと言われたら、うん、やっぱり腹が立つかな。大人になった今でも、ムキになるかもな。


「おまえが悪いよ、そりゃ」


「・・・俺もそう思う」


網に入ったボールを少年は蹴る。手提げの網だから、ボールはまた少年の足のあたりへと帰る。


「よし、じゃあ、そいつの家まで行ってみようぜ」


と、僕は言ってみた。もうこうなったら乗りかかった船だ。引き受けてもらえる見込みのないシャクヤクをおもちゃ屋に持ち込むより、ひと組の子供たちの仲直りに一役かってやったほうが、世の中には貢献していることになるだろう。


「な、行こうぜ」


「いいよ。なんか、なんて言っていいか、わかんないし」


「照れんなよ」


「照れてないよ」


「よし、おまえ、さっきさ、『ごめんね』って言えるかって聞いたよな。シャクヤクに『ごめんね』って覚えさせて、代わりに言ってもらおう」


その言葉に反応するように、シャクヤクは少年の肩を離れ、僕に向かって飛んでくる。僕の腕にシャクヤクがとまるのを心配げな表情で見届けてから、少年が言う。


「いや、でも、あいつにシャクヤクを渡すためには、俺が直接会わなきゃいけないじゃん」


「方法が・・・、ないわけじゃないんだな、これが」


少年は黙って聞いている。


「いいか。まずな」


僕は砂浜に図を書いて説明する。


「シャクヤクには、【飼い主が名前を呼ぶと、そこへ飛んでくるって】いう機能があるんだ。名前は自由に設定できるんだけど、こいつは初期設定のままだから【シャクヤク】って名前のままだ。今こいつの飼い主は俺に設定してあるから、俺が名前を言うと飛んでくる。今、飛んできたろ?」


「うん」


「でな、今覚えている言葉をいったんリセットして、『ごめんね』って言葉だけを覚えさせる。そうすると、『ごめんね』を一番重要な言葉として理解するから、それしか言わなくなる。で、言葉を発するタイミング、この場合【自由発言頻度】って言うんだけど、それを【1分に1回】に設定しておく」


図に書きながら説明する僕の言葉を、少年は真剣に聞いている。


「つまり、そうすれば、1分に1回、『ごめんね』って勝手に言うことになる」


「うん」


「この2つの機能を使う」


「どうやって?」


「いいか。まず、そいつの家に行くだろ。で、シャクヤクを玄関に置く。ピンポンを鳴らす。俺たちは逃げる」


僕は身振り手振りを使って説明をする。少年にとっては深刻な悩みなのに、なんだか楽しくなってきた自分を少し反省しながら話す。


「俺たちは路地に隠れていて、誰かが出てくるのを見届ける。誰かが出てきたら、シャクヤクを見つけるだろ?で、シャクヤクが『ごめんね』って言う。そうだな、『ごめんね』だけじゃわかんないから、そいつの名前を入れるか、そいつのことなんて呼んでんの?」


「トモ」


少年が答える。僕は聞き慣れた響きに耳を疑う。驚いた、僕と同じだ。何だか不思議な縁だな、と感じながらも、僕は説明を続ける。


「ああ、『トモ』だな。どこまで言ったっけ。誰かが玄関のドアを開けるところだよな」


「うん、そう」


「シャクヤクが『トモ、ごめんね』って言ったら、俺が路地からシャクヤクを呼ぶ。シャクヤクは飛んで帰ってくる。そのまま逃げる。この場合本人が出てきてくれるのが一番いいんだけど、お母さんとかでも大丈夫だろう。『トモに謝ってる鳥が来たわよ』って多分伝えてくれるだろ。おまえに関係があるってわかってくれるはずだよ」


「でも、いいの? 兄ちゃん、暇なの?」


「まあ、暇じゃねぇけど、付き合ってやるよ。まずは、『トモ、ごめんね』って覚えさせるぞ」


「うん・・・ありがとう、ございます」


「何、いきなり敬語になってんだよ。まあ、暇といえなくもないぞ」


まあ、感謝の気持ちを表したいんだろうな。子供は自分を表現するのが下手くそだから、敬語を使うことで、精一杯のお礼の言葉にしたかったんだろうな、と僕は思う。



でも、逆だな。自分を表現するのが下手くそなのは、むしろ大人のほう。いつの間にか素直に話すことを忘れていって、タテマエだけを話し、日々は過ぎていく。昨日、僕が彼女とケンカをしたのは、何が原因だっけ? くだらないことがきっかけで、言い争いになって、お互いに理屈を並べ合って。結局、仲直りしたい気持ちよりも、自分の正当性を主張したい気持ちのほうが、表に出てしまっているんだ。大事なことがなんなのか、見失っているんだろうな。お互いに。いや、僕のほうが。



「『トモ、ごめんね』って言えばいいの?」


少年が聞く。


「ああ、覚えるまで、何回か言ってみ。繰り返し機能をオフにしておくから、話したら覚えたってことになる」


「トモ、ごめんね。トモ、ごめんね。トモ、ごめんね」


「もうちょっとゆっくり言うといいよ」


と言って、僕はそのまま見本を見せる。


「トモ、ごめんね」


自分と同じ名前に謝るなんて、なんだか変な感じだな、と思いながら、僕はこのセリフを、この3年間で何度も聞いたな、と思い返す。彼女が謝っているのに、ふてくされてなかなか許さないことも、何度もあったな。


少年がゆっくりと繰り返す。


「トモ、ごめんね。トモ、ごめんね。トモ、ごめんね」


ふと、シャクヤクがくちばしを開いた。


「トモ、ゴメンネ」


「わ、やった、ねぇ、言ったよ」


嬉しそうな少年を見ながら、シャクヤクが繰り返す。


「トモ、ゴメンネ」



風は西のほうから吹いてきていて、僕はふとその方角を見る。さっきシャクヤクの納入を断られた大型のおもちゃ屋がそびえていて、その上に薄い青色の空が広がっている。海の近くの空っていうのはどうしてこう広いんだろう、と思いながら、何となく、大事なことを思い出せたような気持ちにひたる。形にはできないし、うまく言葉にもできない、日々を過ごすうえで、大事なこと。




「行こうぜ」


と僕は少年をライトバンに乗せ、トモの家に向かう。車の中で少年は何も言わなかったが、何を考えていたのかは、なんとなく、わかるような気がした。


少年の指示した場所に車を止め、あまり大きくない一軒家の前まで歩くと、


「ここ」


と、少年がその家を指差した。


「ここか」


と僕が答え、続ける。


「よし、作戦を確認するぞ。まずこのシャクヤクを・・・、あれ?」


「どうしたの?」


「いや、ちょっと、おかしいな? あれ?」


「え? え?」


「しまった。電池切れだ」


「えぇ?」


「ダメだ。充電器も、手元にない」


「シャクヤク・・・」


少年が心配そうな顔でシャクヤクを覗き込む。


「ごめんな。せっかく練習したのに」


「どうしよう」


困惑する少年の頭に手を乗せ、僕は言う。


「大丈夫。シャクヤクに言ったみたいに、直接トモに言ってみ」


「でも」


「大丈夫。シャクヤクに言ったみたいに、ゆっくりと、聞き取りやすい声で、な」


「・・・」


「大丈夫、ここまで来たんだから、言わないと、な」


「・・・」


「大丈夫」


「・・・うん」


「シャクヤクは、謝る練習に付き合ってくれたんだと思えばいいだろ?」


「うん」


「じゃあ、俺、行くな。おまえ、ここから一人で帰れるだろ?」


「うん」




 

僕は少年の頭から手を離し、


「がんばれよ」


と言って、振り向く。少年は僕を呼び止めて言う。


「ありがとう、ございます。兄ちゃんと、シャクヤクも」


「ああ、練習どおりにいけよ」


と言って笑い、僕は車に向かって歩き出す。背中で、ピンポン、とチャイムの音が聞こえる。仲直りできるかはわからないが、多分大丈夫だろう。練習どおりにいけば。




 



僕はライトバンに乗り込み、シャクヤクのスイッチを入れる。


「トモ、ゴメンネ」


とシャクヤクが言う。


車のエンジンをかけ、次の目的地である隣町のおもちゃ屋に車を走らせる。運転席側の窓から外を見ると、すーっと溶けていくような色の空が海の上に広がっている。


海の近くの空っていうのはどうしてこう広いんだろう。







「電池切れ? 嘘。電池は満タンですよ」


僕はつぶやく。少年もきっとそれが嘘だって気付いてただろう。


「嘘だよ。嘘」





「ウソダヨ」


シャクヤクが話す。不意のことで少し驚く。覚えてしまったみたいだ。たくさん言ったわけじゃないのに。こういうこともあるんだね。



僕はシャクヤクのプログラムを設定しなおしながら、この一週間の「オボエタコトバ」の履歴をランダムに流してみる。


要するに、この一週間、僕が運転席でぶつぶつ言っていた言葉の数々。




ツカレタナア


ソウダネ


トモ


マッテテ


モシモシ


ア オレ


クジコロ


ダイジョウブ


ヒマ



 


シャクヤクはバサバサと羽を動かして、ここ一週間で聞いた言葉を、すらすらと繰り返す。




ヘイシャノミスデス


ソレニツキマシテハ


モーシワケアリマセン




言ったな。5日前。弊社のミスです。言いましたね。よく覚えてましたね。




ウン


ジュウジゴロ


マッテナクテイイヨ




シャクヤクは無邪気に歌うように言葉を流していく。




アリガトウ


ゴメンネ


ジュウイチジゴロ


ウン




聞きながら思う。電話をしなきゃな。声を聞かないとな。



シャクヤクは僕の心を見透かすように、行動をうながすように、言った。



ツギノコンビニ


ゴレンラクシマス





僕はコンビニの駐車場に車を入れて、かけなれた番号に電話をする。




シャクヤクが、ちょうど僕の練習台になってくれるように、助手席でくちばしを開いている。


僕は深呼吸をしながらコールが途切れるのを待つ。


海はいつもと同じように青い。




モシモシ


ゴメンネ


ダイジョウブ











 

 

 








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