いざコロシアム
瞬間移動し、闘技場の前に着いた途端、前後左右から強烈な圧迫感を感じた。目を開けるとそこら中、人、人、人、人。文字に起こすとゲシュタルト崩壊を起こしそうなほどに人が詰まり、それにより強烈な騒がしさと汗の匂いが充満していた。
「おいてめえ、割り込むんじゃねえよ!」
後ろに居る、いかつい顔の男が怒鳴ってきた。どうやら、闘技場に入ろうとする客の列の中に瞬間移動してしまったらしい。
「ヒッ、すいません」
慌てて謝罪し、何とか人混みから出ようともがいたが全く体が動かせない。それもそのはず、俺は本来、人のいないスペースに入り込んだのだ。要するにギッチギチである。
「早くどけコラァ!」
「本当すいません。あの、降ります!」
いや何言ってんだ俺。満員電車じゃあるまいし。早くどく……瞬間移動しないと。おっ、なんか知らんがあっちの列は空いてるじゃないか。よし、あっちの一番後ろに瞬間移動しよう。
げっ、指が人にガッチリ挟まって鳴らせない。
「てめえ俺の前に割り込むたぁ、いい度胸してるな! 褒めてやるぜ!」
「ありがとうございます!」
何とか手を抜こうと躍起になってる時に話しかけられたので、反射的にそう答えた。それがまずかったようで男のいかつい顔がますますいかつくなっていく。
「舐めんじゃねえ!」
男が拳を振り上げた。殴られる。
「左に避けろ!」
案内人の声が頭に響き、俺はすぐさま頭を左へ逸らした。そのため、いかつい男の右ストレートは俺を外れて、前に並んでいた人の後頭部を直撃した。
不運にもパンチを食らった人がゆっくり振り返った。その顔ときたら効果音を付けるとすれば『くわっ』で間違いないほどの大迫力だ。ふと、パンチを当てた男の顔を見ると顔面蒼白になっている。
「よぉ兄ちゃん。よくも俺の頭はたいてくれたのぉ」
「い、いや違うんです! こいつが割り込んで――」
あっ、やっと抜けた! パチン。
空いている列の最後尾に瞬間移動した時、さっきまでいた所からテメエしか居ねえじゃねえか! という大声と鈍い音が同時に聞こえた。
気の毒に……。
「おい、今のいい動きだったぞ」
「え? ああ……それよりこれ、何の列だ?」
あの人混みから見た時は慌てていたのと遠目だったので、よく分からなかったが今こうして近くから見ると、ここに並んでいる連中は何かがおかしい。上半身裸に鎖を巻いた筋骨隆々の奴もいれば、視聴覚室の黒カーテンみたいなもので全身を覆っている奴もいる。一番前の奴なんか鎧姿で槍持ってるぞ。
「あれ、ひょっとすると、この列……」
何か嫌な予感がしたその時、最前列の方向から1人の小男がヒョコヒョコとやってきて俺の横で立ち止まった。そして両手で丸を作るとメガホンのように口へ当てて叫んだ。
「それでは出場者の受付を開始します! 我こそはという方は、まだまだ間に合いますのでこの列にどうぞお並びください!」
列が前に進んでいき、疑問が確信に変わった。やはりここは出場者の列だ。ということは俺は今からこいつらと戦うんだよな……。
脳内に鎖で首を絞められ、魔法の火で燃やされ、槍で一突きにされる自分が順に浮かんでは死んでいった。噴水広場に居た時は何となしに覚悟が付いていたが、いざこうしてみると一気に恐怖が込み上げてくる。
「……なんか寒気がしてきた」
「心配するな。一応相手を殺すのは禁止のルールだ」
「一応だって?」
どうしてそんな頼りない言葉を付けるんだ。
「まあ、そこは出場者同士の力加減だからな。たまに勢い余って殺してしまう場合もある」
殺してしまう、という物騒極まりない言葉にゴクリと唾を飲み込む。力加減って、あの筋肉ムキムキ鎖男はそんな器用な事、出来そうにないぞ。
「おい、列の間隔が開いてるぞ。出るんなら早く行かないと」
どうしよう。引き返すなら今しかないが問題は俺が噴水広場でやってやらぁと大口を叩いたことだ。あんな発言しておいて、いざ闘技場前に来たらビビりましたんで引き返しますというのは幾ら何でも酷い気がする。
もし俺が案内人ならそんな男、愛想尽かすけどコイツはどう思うのだろう。
「あのさ、俺やっぱ……」
出るの辞めるって言ったらどう思う? と言おうとしたその時、背後からどこかで聞いたような声がした。
「ふうー間に合ったぁ」
……!! この声。まさか!
首を痛めんばかりに振り返り、俺は目を大きく見開いた。何と彼女が居たのだ。あの噴水広場で出会って以降、俺の思い出アルバムに入念に綴じられているティアが。あのティアが再び俺の目の前に。
「あれ? あんたどっかで……」
ティアも俺の存在に気づいたのだろう、じっとこちらを見つめてくる。
「……あっ、そうだ、噴水の人! 確か名前が……何だったっけ。ヤ、ヤムチ……そう、ヤマ!」
そう言ってティアが笑顔を見せると同時に案内人の嘲るような声がした。
「ふん、バカめ。2文字しか合ってないじゃないか。こいつの名前は山木雄す」
「そう、ヤマ!」
俺は朗らかに答えた。2文字だけでも充分だった。
「ハア!? おま……」
「悪い。ちょっと静かにしてくれ」
案内人を小声で諌めて俺はティアに向き直る。相変わらず、なんて可愛いんだろう。よし、今回は緊張せずに話すぞ。ふふ、ピエロの出番はもう無いぜ。
「まさか、こんな所で会うなんてね! ここに並んでるって事はヤマ、これに出場するんでしょ!? あたしもなの、お互い頑張りましょ!」
「えっ」
あたしもなの、だと!?
てっきり客として来てるんだとばかり思っていたので俺は面食らった。こんな華奢な子が戦うなんて信じられない。この闘技場、無差別級にも程があるぞ。
「……あれ? 違った?」
俺が口をあんぐり開けていたのを見てか、ティアが苦笑いして呟いた。
そして、少し寂しそうな表情を彼女が見せたので俺は何を思ったか――
「いや、俺も出るよ!」
と言ってしまった。しかも大きな声で。
その結果、ティアの顔がみるみる綻んでいった。
「ほんと!? じゃあ早く行かないと!」
ティアがニッコリ笑いかけ、俺の右手を握って闘技場入口へと走りだした。前の世界で異性と手を繋いで走るなんて事は一度も無かった俺にとって、この時間はまさに至福の時間だ。このまま世界の裏側まで行けそうな気さえしてくる。
まあ俺が前を走っていればもっと至福だろうけど。なに、理由? まあ勝手に想像してほしい。
「お名前は?」
その声にハッと我に帰ると、先ほどの小男が紙と筆のようなものを持ってこちらを見上げていた。どうやら至福の時間を堪能しているうちに受付に着いていたらしい。楽しい時間はすぐ過ぎてしまう。
「私はティア。で、こっちがヤマ」
ティアが手を離し、俺の肩に手を置いた。それを聞いた小男が頷き、紙に筆を走らせる。
「はい、ティア選手とヤマ選手。受付完了しました。じゃあ中で待機してください」
足を踏み入れた闘技場の中は、分厚い壁が光と外気を遮断しているのか真昼間だというのに薄暗く、肌寒い感じがした。
そこをティアと並んで歩いている時――
「ねえ、ヤマって魔道士?」
「え……いや違うよ」
突然の質問に動揺しつつも、そう答えた。瞬間移動は魔法かもしれないが、それしか使えないやつを魔道士とは呼ばないだろう。
「なら武闘家?」
「まさか」
苦笑いして首を横に振った。俺は握力25だぞ。
「えっ、じゃあ何か武器持った方がいいわよ」
ティアが驚きと同情を混じらせたような顔で言った。たしかにゲームに武器はつきものであるし、俺だって欲しい。問題は金が1ゴールドもないことだ。
「いや、金がさ……」
俺は大袈裟に両手を開いて、鼻からフッと空気を出した。
「大丈夫よ!」
そう言って、ティアが背中を叩いてきたので俺は危うく転んでしまいそうになった。
「待機部屋の奥に武器が放置されてるの。だから、そこから好きなの持ってくといいわ」
「待機部屋?」
転ぶまいと必死になっていたので、よく聞こえない。
「うん、ホラあそこ」
ティアが通路の奥を指差した。そう言えばさっきから大勢の男の声が聞こえてくる。
中途半端な終わり方ですいません。