大人の階段登るかも
「ちょっと、どうしたの!?」
「ゲッホ、ゲエッホ! ウェッ!」
やばい、変なところに入った!
「おーい主人! 何か拭くもの持ってきてくれ!」
「ああん!? チッ、何じゃい、まったく……」
不機嫌な声が店内に響き、やがて厨房の方から白い布巾を持ったグレイトがドスドス足音を立ててやってきた。何故か気色の悪い笑顔を浮かべている。
「お待たせしました、布巾でございまそおるぁ!」
グレイトが突然、ドラゴズバの顔面めがけて布巾を投げつけた。だがドラゴズバは悠々とそれを掴み取る。
「おお主人、早かったな。礼を言うぞハハハハ!」
「なぁに、早さがうちの自慢でしてね!」
ドラゴズバとグレイトが、お互いに敵意を全面に押し出した笑顔を見せた。しかし、2人とも綺麗な歯をしているもんだ。
「すまなかったな、主人! さあ仕事を続けてくれ」
ドラゴズバがテーブルを拭きながら言った。グレイトから一切、視線を外さないせいかまるで見当違いの所を拭いている。
「いやいや、どんな用でも気軽に呼んでくれりゃいいんですぜ。それじゃごゆっくり」
グレイトが厨房へ戻った頃、俺の体もようやく落ち着いてきた。
「ふーっ」
しかしティアも悪い冗談を言うもんだ。私が泊まってる部屋のベッドが空いてるからどう? なんて……色々と想像するだろ、こっちも。だって若い男と女が同部屋って……
「なあ?」
頭が混乱しているのか、俺はドラゴズバに説明なしの同意を求めた。当然だがドラゴズバは「?」という顔をするのみ。
「しかし急に水を吹き出すなんて体の調子が悪いんじゃないのか?」
テーブルの水を拭き終わったところでドラゴズバが言った。
「そうよ。早く休んだ方がいいわ。私の宿、ここから近いから行きましょ」
「うん?」
この「うん」は「いいの?」という意味で言ったのだが単なる相づちに聞こえたようで、2人は返答することなく椅子から立ち上がった。仕方ないので俺も立ち上がる。何故かクラッときた。
「我が友よ、肩を貸そうか」
「いや、いい。気遣いありがとう」
それよりも考える時間が必要だ。このままだと俺はティアと同じ部屋で寝る事になる。いや、勿論嫌ではない。むしろ全然良い。俺が知りたいのはこっちは全然良いけど、そっちも全然いいのかって事だよ。
「ありやしたー」
「すまなかったな。ご馳走になって。しかし……本当に送らなくてもいいのか?」
店を出てすぐ、ドラゴズバがさも申し訳なさそうに言った。
「いいのいいの。ヤマもいるし、あたしにそんな心配はいらないわ」
ティアが俺の肩をぽんと叩いた。俺はこれから何が始まるのか、なかなかに心配ではある。
「そうか。では失礼する」
ドラゴズバの体がふわりと浮き上がった。周りから「おお」という声が上がる。
「また会おう!」
そして天高く飛び上がり、夜空の彼方に消えて行った。俺とティアは周りの視線がドラゴズバへ集まっている間に、静かにその場を後にした。また騒がれてはたまらない。
「さあこっちよ。付いてきて」
「よ、ようし」
俺は頷き、第一歩を踏み出した。
ざわめく人混みの中をティアの背中を追う形で歩いていると、体がやけにソワソワしてきた。市場通りは人の目を惹く店が山ほどあるはずなのに、今は前を歩いているティアの背中しか目に入ってこない。
何か急に自分の外見が気になってきたぞ。
髪は乱れてないか? 服はダサくないか?
肌は荒れてないか? 髭は剃ってあるか?
うん! 何も準備してない!!
「くっそ……」
女子の部屋に行くって事が昨日から分かっていればもっとこう……なあ? 色々と準備してたのに。こちとら大学行って終われば直帰のスタイルなんだぞ。
「おい」
「うわぁ! って何だ。アンタかよ……」
ほっと胸をなでおろす俺。
「お前、何か変な期待してるだろ」
「はっ……」
まずい! 完全に図星で言葉に詰まってしまった。
このまま黙りっぱなしじゃ怪しまれる!
早く何か喋らないと!
「い、いやいやいや、何? 期待? 期待なんか全然してないし。そもそも期待って何に? ベッド? ベッドが柔らかいかどうか? 俺ベッドなんか別にどうでもいいし。床でも平気で寝るわ、椅子でも寝るわ」
よっしゃあ、やってやったぜ!
しかし散々まくし立てといて何だが、これかえって怪しくないか? 必死に言い訳する詐欺師みたいになってる気がする。
「本当に全く思ってないか? 神に誓ってゼロなんだな?」
案内人が少しばかり真剣な口調で聞いてきた。そういう聞き方をされると、本音で語らないのが卑怯なように思えてくる。
「……まあ正直、ゼロではな」
「はあー……」
おいコラ、何だそのため息は。
まだ話の途中だぞ。
「あのな、言っておくけどあの女とそんな事は絶対に起こらんぞ。100%、確実に無いと俺は断言する」
「いや、さすがに100なんて――」
俺は反論しようとしたが、案内人は構わず話し続けた。
「いいか。あの女がお前を同じ部屋に泊めるのは好意じゃない。善意だ。宿無しの人間に対するあの女の人情だ。それを勘違いして欲情してるのがお前。今夜あの女と結ばれるかもなんて少しでも思っているならお前、都合のいい非現実の見過ぎだぞ。現実はそう甘くない、さっさと目を覚ませ。分かったな!」
「……ハイ」
「よし、ならいい。あともっと早く歩け」
あああああーっ!! 何なんだこいつは!
これっぽっちの夢も希望も無い事をスラスラスラスラと! ここまで完全否定されるとさすがに腹立つわ、俺とティアが恋愛関係になるのは100%無いだと! 0.0001ぐらいあるかも知れんだろうが!
「さあ着いた。ここよ」
不意にティアが立ち止まり、一軒の宿屋を指差した。中に入ると気の良さそうな老店主が居り、ティアが彼女に事情を説明してくれた。
「ええ、どうぞどうぞ。ささ、お部屋の方へ」
「ありがと。ヤマ、あたし達の部屋は2階よ」
俺は決意を持って大きく頷いた。
そこから受付の右手にある階段を登り、正面に2つ並んである部屋の右側へ入る。中に一歩、足を踏み入れると俺の部屋からは絶対にしない匂いがした。なるほど、これがティアの部屋か。確かに1人じゃ持て余す広さだな。
「ヤマのベッドは左ね。それとそこが洗面所。トイレは一階。あとお風呂だけど、外で入ってくるか……これね」
ティアが部屋の壁に吊るしてある布袋から水色の豆を取り出した。
「浄化薬っていうの。飲めば体や服の汚れが取れる優れもの。あくまで最低限の汚れだから、毎日の使用はオススメしないけど」
「へえ、そりゃすごい」
薬を飲みこむと心なしか肌が潤った気がした。こいつは便利だ。風呂と洗濯、歯磨きがいっぺんで済むなんて。俺も今度買っておこう。
「それじゃゆっくりしてて。私はお風呂に入ってくるから」
そう言うと、ティアは部屋を出て行ってしまった。
「あっ」
しまった。薬を飲まなければ一緒に風呂へ入れたんだ。いや同じ浴槽に入れるわけじゃ無いけど、とにかく惜しいことをした。
「あ〜あ……」
俺は部屋で1人、息を吐き出した。何か1つの……チャンスというのだろうか。それを逃したような気がする。
「おい、もう寝ちまえよ。浄化薬飲んだんだから後は寝るだけだろうが。あの女待ってても何も起こらないって」
「ふん」
俺は案内人の助言をシカトし、部屋から見える景色を眺めて時間を潰すことにした。何も起こらないだと? 年頃の男女が同じ部屋で寝て何も起こらないはずが無いだろうが。見とけよ案内人。大人の階段登ってやるぜ!
「じゃあ明かり消すね。お休み」
「あっ、はい」
本当に何も起こらなかった。
自分が苦労してるから作品のキャラには何の苦労もなしに過ごしてもらおうとするか、俺が苦労してんだからお前も苦労しろとなるのか。