中編
現れた魔族は漆黒の巨人だった。
既に次元の狭間から出現した後だったようで。海の向こうからゆっくりと神殿に歩いて来ている。
この魔族に浮遊能力はない。
海の底に足を付け,海の水を掻き分けている。
だが巨体故に膝下までが浸かる程度のものだった。
カーリー戦で出現したモノを超える超大型の魔族。
その大きさに誰もが息を呑んだ。
「何て大きさだ……」
澄んだ青空は,影のような魔族の身体によって遮られる。
ただ,他に魔族の気配はない。
神官達の報告によって,狙うべき相手は一体だと知ったジンが,真っ先に飛び出す。
「行くぞ! ファイフ!」
「仕方ないねぇ」
「ヒロは残っていてくれ! 先ずは俺達で何とかする!」
ヒロはアイラとヒューマを任され,彼らの出陣を見送った。
二人の背中が小さくなっていく光景が,カーリーの時と重なり,彼は振り払うように首を振った。
「頼むから勝ってくれよ……? もし負けたら……僕が……!」
ヒューマは震えながら独り言を呟き続け,アイラは緊張から深呼吸を繰り返していた。
どちらもまともに戦えるコンディションではない。
ジン達がこの神殿の防衛線になるだろう。
ヒロがそう察する中,二人の男がスキルを解放した。
光の波動が溢れ,それぞれに武器が与えられる。
ジンには電撃を纏うハルバート。
ファイフには冷気纏うナックルグローブが装備される。
どちらも他のスキルにはない神々しさがあった。
更に勇者のスキルによって身体能力も向上しているのだろう。
海の水を地面のように蹴り,ジン達は巨人に向かって駆け出した。
敵を認識した巨人は自身の手を振り下ろそうとする。
ただ,巨体故かその動きは非常に鈍い。
その間にジンが魔族の懐に潜り込み,ハルバートを叩き込む。
雷の如く鋭い一撃だった。
魔族の身体を痺れさせ,攻撃の手を緩めさせる。
しかし,仕留めるにはまだ遠い。
続いて魔族の頭上まで駆け上がったファイフが,頭部に向けて組んだ両手を思い切り振り下ろした。
重い音が響き,魔族が呻き声らしきものを上げる。
そして振り上げた手を勇者の二人に向けて振るう。
ジン達はそれをどうにか回避,空中を舞って海上に着地する。
「どう,ですか?」
「戦力的には圧してる,と思う……。このまま行けば……」
何とか調子を取り戻したアイラに,ヒロが戦況を伝える。
今の所,ジン達の力は魔族に対抗できている。
相手の攻撃力は高いが動きは遅く,高速戦闘型の二人に追い付いていない。
相性も良かったようで,このまま戦況が崩れなければ倒せる。
勝機を悟ったジンも,渾身の力を込めて魔族の心臓目がけてハルバートを向ける。
雷が落ちたかのような衝撃が武具に巻き起こり,一瞬の内に距離を詰める。
だが胴体を切り裂こうとした彼に向かって,突然ファイフが突進を仕掛けたのだ。
「何ッ!?」
「キヒヒ……!」
反射的にジンはハルバートで防御するが,突然の妨害に動揺を隠せない。
代わりにファイフが楽しそうに笑い,拳を構えた。
「何のつもりだ! ファイフ!」
「いやねぇ。このまま難なく勝っちまうのも,味気ないと思ってねぇ」
「馬鹿なことを……ッ!」
このまま行けば勝てる。
戦況が崩れさえしなければ。
ファイフが放った拳が,体勢を崩したジンを弾き飛ばす。
着地できず,彼はそのまま海の中に落下した。
「がはっ……!?」
水飛沫が舞い,ジンは浮上してこない。
気を失ったのか,スキルが解けたのか。
そして笑い続けるファイフは何もしない。
勇者として魔族を倒すこともしない。
片や魔族は体勢を立て直し,再び進撃を始める。
「あの犯罪者! 裏切った……裏切ったぞ……!?」
「そんな! ヒロさん……!」
「アイツ,何てことを……!」
元から嫌な奴だとは思っていたが,土壇場で裏切ったことにヒロは怒りを隠せない。
だがそんな感情に左右されている暇もない。
既に魔族は神殿に手の届くところまで足を進めている。
防衛線が崩れたため,進撃を阻む者がいない。
そして魔族が巨大な片手を振り上げた。
アレを喰らえば,アイラ達はおろか神殿も一溜まりがない。
大きな影が神殿を覆い,ヒューマが腰を抜かす。
直後,ジンが海底から飛び出した。
意識も失っておらず,無事だったようだ。
苦しそうな表情でハルバートを掲げ,そのまま魔族の手を打ち払おうとする。
だがやはり,ファイフが彼の行動を妨害する。
「お前も勇者に選ばれたんだ! 責務を果たそうとは思わないのか!?」
「責務? そんなもの,俺には関係ないねぇ。俺は何も変わらない。楽しいか,楽しくないか,それだけさぁ!」
「クソッ! 間に合わない! ファイフ,止めるんだッ!」
「キヒヒ! さぁ,一緒に神殿がブッ潰れるのを見届けようぜェ!」
最初からそれが狙いだったのか。
ファイフはジンの行動を封じ続ける。
故に魔族の腕を妨げる者はいない。
手が振り下ろされ,大きな風のような音が辺りを震撼する。
「来る……来るぞおおおおおッ!?」
ヒューマだけでなく,周りの神官もなす術がなく祈りを捧げている。
もう,猶予はない。
ヒロは懐にしまっていた母の手紙を,服の上から握りしめた。
「三回スキルを使えば……。それでも……ッ……!」
「ヒロさん!? まさかっ……!」
アイラが悲痛な声を上げるも,ヒロは目を見開き,迫りくる魔族の腕を見上げた。
「頼む! 力を貸してくれ! 皆を守る,勇者の力を!」
直後,全身に力が満ち溢れた。
今までにない感覚が支配し,それに呑み込まれそうになる。
自分の心を形にしなさいと,カーリーは言った。
その言葉通り,ヒロは自身の武器を思い描き,その力を解放した。
現れたのは光り輝く聖剣。
両手で持つほどの大きさだが,重さは殆ど感じず,空気のように軽い。
これが勇者・ヒロに与えられた武具だった。
「聖剣……!」
「ここを突破はさせないッ!」
ヒロはその場から飛び立ち,押し潰そうとする魔族の手に目がけて剣を斬り上げた。
無論,ただ斬るだけでは威力負けする。
己の想像を実体化させ,聖剣に込められた力を最大限に行使する。
「吹き荒れろッッ!!」
剣から放たれたのは光の渦。
眩い輝きが螺旋状に回り,魔族の腕を呑み込む。
魔族は驚いたように身を仰け反らせるがもう遅い。
聖なる光が邪悪な腕を消滅させた。
直後,息を乱すヒロの元にジンが降り立つ。
視線を移すと,吹き飛ばされたファイフが海の中へと墜落していく光景が見えた。
どうやら妨害を続ける彼を一蹴し,その場を切り抜けたようだ。
「ヒロ! すまない!」
「大丈夫です! それよりも……!」
「あぁ! 俺達の手で仕留めるぞ!」
まだ魔族は生きている。
ここで一気に畳みかけるのだ。
ジンの声を受けて,ヒロは聖剣を再び持ち上げる。
「さっきの光を放つんだ! 後は俺が何とかする!」
「はい! 聖剣よ! もう一度,俺の思いに答えてくれ!」
再び現れた光の渦。
今度は魔族の胴体に向けて全力で放った。
轟音を巻き起こすそこに,ジンは躊躇いなく飛び込んだ。
渦の流れを見切り,無傷で内部に侵入したようだ。
追い風のように渦を利用して直進した彼は,持っていたハルバートに力を漲らせる。
「貫けッ! 神器・ハルバートッッ!!」
ヒロの光線とジンの刺突攻撃の合わせ技。
勇者の連携攻撃によって,魔族の胴体に巨大な穴が空いた。
それは言わば必殺の一撃。
薙ぎ払われた魔族は,目を見開きながら,海の向こうに仰向けに倒れる形で消滅していく。
神殿にいた者達も彼らの姿を見て,慌てて探査スキルを発動する。
「魔族の消滅を確認しました!」
「助かったのか……! 流石,勇者様だ……!」
神官達が魔族の消滅を確認し,歓声を上げる。
間一髪の攻防。
咄嗟の判断によって,神殿は守られたのだ。
無事だったヒロ達も海に面した砂浜に着地し,発動していたスキルから開放される。
だが……。
「か……はっ……!?」
スキルが解け,一回目の代償が二人に襲い掛かった。
神から与えられた力を,人の身で使うことの意味。
立っていられず,呼吸も満足に出来ないまま,ヒロ達は両手を砂浜に付く。
「凄い痛みだ……! ゴホッ……ゴハッ……!」
「これが,スキルの代償か……! ヒロ……意識を手放すなよ……!」
痛い。
全身が痛い。
今まで経験してきたどんな痛みよりも痛い。
四肢をバラバラに引き裂かれるような感覚。
確かにこんなモノを連続で受ければ,三回で命を落とすのも頷ける。
そんなレベルの激痛だった。
それでも元冒険者の意地として,ヒロは何とか意識を保ち続けた。
「ヒロさん! ジンさん!」
アイラが血相を変えてやって来る。
彼女の表情には途轍もない罪悪感が滲み出ており,二人の異変に思わず息を呑んだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい,私っ! 何も,何も出来なくてっ!」
「いや,良いんだ……。皆が無事で良かった……」
ヒロはどうにか笑う。
まともな笑顔を作れたとは思えないが,とにかく何でもないように振る舞った。
この痛み,アイラに耐えられるのだろうか。
病弱な彼女が代償を受ければ,カーリーと同じような運命を辿るかもしれない。
するとジンが,胸を抑えながら立ち上がる。
「アイラちゃん,ヒロに手を貸してやってくれ……」
「ジンさんは……!?」
「俺はSランク冒険者。この位は直ぐに慣れる……」
流石,最高位冒険者といった所だろうか。
咳き込みながらも彼は歩き出し,ヒロを見返した。
「ヒロ。さっきの戦い,よくやってくれた。きっとお前が最後の防衛線になる」
「そ……それを言うなら,ジンさんだって……」
「いや,あの聖剣の威力……きっとヒロには才能がある。俺以上にな」
それは慰めではない,信頼を寄せる確かな言葉だった。
確かに聖剣から生まれた暴風は,あの魔族の腕を吹き飛ばした。
ヒロ自身の強さが,成し得た業だった。
少しだけ痛みが和らいだ気がする。
「それより,ファイフの奴は?」
「俺も海に落ちてからは見てません。アイラ,何か知らないか……?」
「分かりません……。ただ,ヒューマさんも途中から姿が見えなくなって……」
「何だって?」
直後,新たな神官が息を切らしてやって来た。
「勇者様! 大変です!」
嫌な予感がした。
アイラがヒロに肩を貸しながら問う。
「何かあったんですか?」
「それが,あのファイフという男が,とんでもないことを……!」
神官達に連れられてきたのは神殿内部。
今まで見たような神聖な雰囲気が漂っているものだと思っていた。
しかし,そこにあったのは血の匂い。
複数の神官達が血を流して倒れていた。
「な……何だこれは……!」
ヒロ達三人には事情が全く理解できない。
ジンが倒れ伏す彼らを調べるも,既に手遅れだった。
「駄目だ……死んでいる……! 何が起きて……!」
「ファイフが,この者達を手に掛けたのです……!」
背後から声がしたので皆が振り返ると,そこにはボロボロの姿の大神官・ウォースラが立っていた。
「更に,逃げようとしたヒューマ様を拉致……この神殿を逃亡しました……!」
「何だって!?」
「申し訳ありません……。我々も抵抗したのですが,勇者のスキル相手にはなす術もなく……」
「あの男……なんて無茶苦茶なことを……! 今すぐ奴を追う……!」
「いけません! 勇者様達はスキルの後遺症を癒してください! 我々が全霊を掛けて捜索します!」
ウォースラがヒロ達を止める。
ここで勇者のスキルを使っては,元も子もない。
魔族はまだ四体残っているのだ。
三人はその言葉を呑み込み,咽返るような血の匂いに耐えるだけだった。
それからヒロとジンは,神官達の治癒を受けて個室に安置された。
痛み止めの薬や彼らの治癒もあってか,どうにか激痛は収まった。
ただ今も神殿内は重傷を負った者達の治癒に奔走しているだろう。
ヒロは何となく,服を軽く脱いで自分の上半身を見下ろす。
真っ赤に充血し切った胸部が見えた。
「あぁ……酷いな……これ……。ゴホッ……ゴホッ……!」
一回目でこれなのか。
次スキルを発動した時,一体どうなっているのか。
考えてはいけない。
悪感情を振り払うと,個室の扉をノックする音が聞こえる。
入ってきたのは金髪少女のアイラだった。
思わず,彼は服を着直した。
「お水,持ってきました」
「……ありがとう」
ヒロはコップに注がれた透明な水を受け取り,少しずつ飲んだ。
「何か必要なもの,ありますか? 私,持ってきますから……」
「いや,大丈夫だ……」
「……」
「それより,ジンさんは?」
「今は安静にしています。ただ,ファイフさんことを気に掛けていました」
「あの人らしいな……」
思いを馳せるように呟くと,アイラは躊躇いがちな声を上げた。
「ヒロさん……」
「ん……?」
「どうしてあの時,スキルを使えたんですか……? 私,怖くて……そんなことを考えられなかった……」
「……あのままだと,俺も巻き込まれて死んでた。それに,アイラ達もどうなっていたか分からない。そう思うと,自然と動けたんだ」
「自然と……?」
「自分の力で誰かを守れるなら……そんな思いもあったんだろうな……」
冒険者時代の頃も同じだった。
自分はそれ程頭が良くない。
それでも何かの役に立てるのなら,やり通してみたい。
結局はパーティーから追放されたが,元々そんな考え方があったからこそ動けたのだろう,とヒロは結論付けた。
すると俯きがちの彼女は,彼の目をしっかりと見た。
「次の戦い,私も出ます」
「!?」
「だって,まだ一回も戦ってないから……」
「でも……そんなことをしたら……!」
そう言いかけると,アイラがヒロの手に触れる。
「痛み,ますよね?」
「……」
「私も,昔から発作が出たら苦しくて,苦しくて,何で私ばっかりって……思ったこともありました。でも,それも運命だって思ったんです。私の身体が弱いことも」
「アイラ……」
「それに今の私は,勇者なんだから。だから,皆のためにも,戦わなくちゃいけないんですよね。他の誰にも出来ない,私達にしか出来ないこと。それが,今の運命なら……」
そこでヒロは知る。
彼女は幼い頃から,病という望まれない運命に翻弄され続けてきた。
恐らく一番死に近い場所を彷徨い,その恐怖を実感していたのだろう。
神を呪ったこともある筈だ。
だが,今までの戦いでアイラは理解した。
与えられた勇者のスキルも,病と同じ避けられない定めだったのだと。
「……そうだな。俺達は,選ばれた勇者なんだ。戦わなくちゃ,いけないんだ」
当然,吹っ切れた訳ではない。
ヒロもアイラも,こんな役目を受け入れられる筈がない。
だがその中でも足掻こうとした。
足掻いて足掻いて,この運命を乗り越えてみせる。
「必ず,生き残ろう」
「はい」
二人は互いの手を少しだけ強く握った。
痛みではない温かさがそこにはあった。
数日後,神殿内の状況もある程度は持ち直した。
死者は丁重に葬られ,星の女神への祈りも捧げられた。
ヒロ達の体調もある程度は回復した。
全快とは言えないが戦える所まできた頃,神官達がとある情報を入手する。
「ファイフの居所が掴めました!」
今まで消息がつかめなかった,勇者・ファイフの行方。
ジンが鋭い顔つきで状況を確認する。
「場所は!?」
「国都・バイネインです! ヒューマ様も同じ場所にいます!」
「被害状況は!?」
「今の所はありません!」
「よし! 俺が行く!」
誰が行く,という言葉すら交わさずに積極的に戦いに出ようとする。
きっと魔族との戦いでファイフを取り逃がした責任を感じていたのだろう。
思わずヒロ達はジンを呼び止めた。
「ジンさん! 俺達も行きます!」
「ヒロ!? それにアイラちゃんまで……!?」
「私も勇者です! 戦わせてください!」
ヒロとアイラは,確かな思いを伝える。
そんな彼らの強い意志を目の当たりにし,ジンは少しだけ笑みを浮かべた。
「分かった。一緒に行こう。何としても,奴の暴走を止める!」
こうして三人は,国都・バイネインに急行した。
●
ファイフが隠れている国都・バイネインには,当然多くの人々が住んでいる。
勇者であるヒロ達の事も,ある程度は知れ渡っている。
特にジンは顔が広いため,町中を出歩くと直ぐにバレ,ファイフに逃げられてしまうかもしれない。
旅人のコートにあるフードで顔を隠しつつ,ヒロ達は探索に赴く。
往来する町の人々は,勇者に対する話を繰り広げていた。
「本当に,勇者様が国都に……?」
「魔族と戦っているんじゃなかったのか?」
「噂で聞いたぞ。勇者の中に裏切り者が現れて,この都市の何処かに隠れているんだってさ」
「おいおい,勇者は俺達を守ってくれるものだろう? 勘弁してくれよ……そういうのは内輪だけでやってくれって……」
彼らにとっては,勇者の戦いは何処か遠い所の話だったのだろう。
殆ど他人事な言い方に,少しだけ気分が悪くなるヒロ達。
それでも当初の目的を果たすために歩き続ける。
「奴は何処にいるんだ?」
「大聖堂の中です。恐らく,気付かれないように侵入したのかと」
共に行動していた大神官・ウォースラが,ファイフの居場所を伝える。
大聖堂とは,国都の中央に存在する巨大な建築物だ。
この都市の観光名所としても知られている。
「説得はする。だが,もし相手が応じなかったときは……」
「俺も戦います,ジンさん」
「いや,ヒロ達は周囲を警戒してくれ。今,この都市には勇者が一斉に集まっている。何が起きるか分からない」
「でも,ジンさんが戦えば……」
「馬鹿言え。こんな所で死ぬようじゃ,俺はSランク冒険者になってないさ」
そうして三人は,避難指示を行うウォースラを外に残して大聖堂へと進んだ。
話は通してあったようで,既に内部にいた民間人の避難は終わりつつある。
去り抜く人々の気配を感じながら,目的の場所を見定める。
ファイフらがいるのは,地下にある古代礼拝堂だという。
「嫌な,感じがします。とても大きな,二つの気配が……」
地下の階段を下りつつ,アイラが異様な雰囲気を感じ取った。
恐らく隠れ潜んでいる二人の勇者のことだろう。
ヒロ達は彼女の言葉を頼りにしながら,古代礼拝堂の奥にある古ぼけた祭壇にまで辿り着く。
当初は人の気配を感じなかったが,向こうも勇者の気配を知ったのだろう。
祭壇からヌルリと人影が現れる。
嫌でも思い出すその悪人面は,間違いなく勇者・ファイフだった。
「やぁやぁ,勇者の皆さん。一回目の代償は乗り切ったみたいだなぁ」
「ファイフ……!」
「いやはや,あれだけ苦痛を感じるとは思わなかったぜ。お蔭で何度かゲロっちまったよォ」
彼は服を脱いだのか,上半身が裸だった。
胸や腹部は内出血を起こしたように黒い跡が広範囲に広がっている。
適切に処置をしなかったためだろう。
その有様を目の当たりにしたアイラが,無言で自身の胸を抑える。
「ま,そのお陰でコイツは,ビビりまくって何も出来なかったんだけどなぁ。スキルを使って逃げてもこうなるぜぇ,って言った瞬間この有様さぁ。情けないぜぇ。勇者のくせしてよォ」
「むぐぐぐ……!」
常に傍に置いていたのだろう。
ファイフは拘束していたヒューマの首を掴み上げる。
手足と口を封じられた彼は,足掻くだけだった。
「ファイフ! これ以上勝手をするなら,俺はお前を倒す! 大人しく戻るなら,まだ同じ仲間として迎える!」
「キヒヒ! Sランク冒険者様はお優しいねぇ。こんな俺にも情けをかけてくれるのかい? でもよォ。俺を倒すために二回目を使っちまって良いのかい? もう,後が無くなっちまうぜェ?」
「返答を聞く! イエスかノーか!」
ジンは一歩前に踏み出す。
予断を許さないように詰め寄ると,ファイフはヒューマを放り投げ,唐突に語り始める。
「俺はなァ。俺をイラつかせる奴は今までぶっ潰してきたし,目障りな奴は殺してきた。だから,女神からの使命なんざ,真っ平ごめんなんだよォ。勝手に勇者なんて押し付けやがって,後は高みの見物だァ?? おかしいじゃねぇかァ??? お前らは,何の疑問も持たねぇ操り人形かァ???? あぁ……!!! イライラするぜェ……!!!!」
「……言いたいことはそれだけか?」
苛立たしく髪を掻きむしる彼に,ジンは更に一歩踏み出す。
既に周りには風が流れ,勇者の力の片鱗が見えていた。
「ヒロ,コイツは俺が片付ける。コイツは勇者でも何でもない。ただの殺人鬼だ」
「キヒヒヒ! そう,殺人鬼! 勇者なんかよりも,そっちの方がお似合いだァ!」
「来い! 神器・ハルバート!」
「さァ,ショウタイムの始まりだぜェ!!!」
そして,ジンとファイフは二回目を発動した。
互いの武器が突撃し,衝撃波を放つ。
直後,それらは真上に飛び上がり,天井を突き破って大聖堂の屋上へと跳ね上がった。
崩れ落ちる石盤が降り注ぎ,残されたヒロ達に襲い掛かる。
ヒロはアイラにその場に留まるよう言い,砂埃を振り払いながら,縛られていたヒューマまで近づく。
そして彼を解放し,そのまま担ぎ上げた。
運ばれるヒューマは,意味のない声を発するだけだった。
「あ……あぁ……」
「ヒューマ! しっかりしろ! 一緒に逃げるぞ!」
アイラと共にヒロは,大聖堂を脱出する。
地上は既にウォースラが迅速に避難命令を伝達させていたのか,周りに人はいない。
今の戦いで周囲に危害が加わることはなさそうだ。
頭上の大聖堂屋上では,今もジン達の戦いが続いている。
互いに高速戦闘型故に,そのスピードは人の目で捉えきれない。
勇者のスキルがなくては,介入は不可能だろう。
どうするべきか。
助力しに行くべきか。
ヒロは判断を迷っていたが,事態は更にひっくり返る。
担がれていたヒューマが空を見上げた。
「来る……来る……!」
「どうした!?」
「ヒロさん! あれを……!」
アイラの言葉で天を仰いだヒロは愕然とする。
次元の狭間が開いている。
闇を映す隙間の向こうから,二つの影がゆっくりと空中に現れる。
疑いようがない。
「まさか,魔族……! こんなタイミングで……!?」
一体は道化師のような形をしたモノ。
もう一体は水晶を掲げた占い師のようなモノだった。
どちらも全長50m程ある大きさで,都市の一部に影を生み出す。
始めて魔族を見た避難中の人々は,恐れ戦いた。
「魔族!? 魔族だ!?」
「何でだよ! 勇者は何をしているんだ!?」
空中戦をしていたジンが,ハッとして全てを理解する。
「貴様! 最初からこれが狙いだったのか!?」
「そうさァ! 勇者を止められるのは勇者だけ! 国都に皆が集まれば,必ず魔族が来ると思っていたァ! さァ,ぶっ潰そうぜ! この都市を! 他人事のように踏ん反り返っているクソ共の命をなァ!!」
「この,下種がッッッ!!!」
頭上の戦いは激しさを増す。
対するヒロは,既に覚悟を決めていた。
ファイフの事はジンを信じるしかない。
今出来るのは,目の前に現れた二体の魔族を倒すことだけだ。
彼はアイラに目で合図しながら,スキルを使うため力を込める。
だがその瞬間,担いでいたヒューマが身震いをした。
「いやだ……死にたくない……!」
「ヒューマ!?」
「うわああああああ! 嫌だああああああ!」
突如,彼はヒロを突き飛ばして疾走。
加えて一回目を発動した。
魔族と戦うためでなく,あろうことか魔族から逃亡するために。
向上した身体能力で,彼は都市から逃げるように飛び去っていく。
「待て,ヒューマッッ!!」
「ヒロさん! 上!」
体勢を崩したヒロに,水晶の魔族が光を放つ。
浴びるだけで生命を死に至らしめる殺人光線だ。
防ぎ切れない。
死を直感し目を塞ぐ彼だったが,それが届くことはなかった。
瞼を開けると,力を解放したアイラが青白い巨大な杖を掲げていた。
「アイラ……!」
「私も勇者なの……! だから,戦わなきゃ……駄目ッ……!」
彼女は一回目を発動した。
手に握られていたのは神から与えられた神器。
それが光り輝き,殺人光線を弾き飛ばす。
「星の女神様……! どうか,私達を御守り下さい……!」
瞬間,杖の先端から結界が広がった。
それは瞬く間にヒロを,そして都市の全体を覆っていく。
あらゆる障害を退ける聖なる障壁だ。
魔族はそれらを目にして,嫌がるように後退する。
避難していた住人も,勇者の力を目の当たりにして言葉を失う。
「都市を覆う大結界……! これが,アイラの力か……!」
「ごめんなさい! 私には,これが限界……で……!」
「いや,十分だ! 行ける!」
ジンだけでなく,アイラも身を挺して力を使ってくれたのだ。
もう,迷いを抱く理由はない。
ヒロは大きく息を吸い込み,高らかに声を上げた。
「必ず生き残ってみせる! 勇者の力よ! もう一度,俺に戦う意志を!」
彼の手に光り輝く聖剣が現れる。
決死の覚悟で行った二回目の発動。
それが終わったとき何が起きるか,そんなものを考える意味はない。
今はただ,目の前の障害を倒す。
町の人々を,アイラ達を守り抜く。
それだけだった。
ヒロはその場から跳躍し,結界の外へと飛び出る。
結界を足場にして,空中を漂う魔族たちの距離を縮める。
敵の接近を知った占い師の魔族は,手にした水晶から殺人光線を断続的に放った。
アレを喰らえば,いかに勇者の力があっても即死は免れない。
剣で防御しつつ,彼は巨人を倒した時と同じ,光の渦を生み出した。
スキルがいつ切れるか分からないため,戦いは一瞬で終わらせる。
ヒロは,この一撃に二回目の全てを賭けるつもりだった。
と,その隙を狙った道化師の魔族が,何百ものトランプを放つ。
それは,触れただけで相手に状態異常を起こす魔の札だった。
光線の防御を優先したことで掠ってしまい,そこからヒロの全身に毒・麻痺・混乱・暗闇が付与させる。
「ガッ……!?」
視界がぶれる。
何も見えなくなり,身体が言うことを利かなくなる。
毒による痛みで,一回目の激痛が再発する。
だが,それに屈する訳にはいかなかった。
ヒロは聖剣を握る両手に力を込めた。
「俺は……! お前達を倒すッ! 俺達の,未来のためにッッ!!」
僅かな血を吐きながら,ヒロは叫ぶ。
聖剣がより一層光り輝き,一回目と同じ光の渦を生み出す。
あらゆる物質を消滅させる浄化の光。
直進した渦はそのまま水晶の魔族に直撃,水晶ごとバラバラに破壊され消滅していく。
巨人の魔族を倒した攻撃力は伊達ではなかった。
だが,まだ片方の魔族が残っている。
怒りに身を震わせるように,道化師が新たなトランプの群れを放つ。
「薙ぎ払えええッッッ!!!」
ヒロは剣を振り払った。
光の渦がそのまま横薙ぎに流れ,襲い掛かるトランプを弾き返し,残った魔族を寸断する。
道化師は微かに手を伸ばしたかのように見えたが,直ぐに飛散し消滅した。
たった一撃。
されどそれは,全ての力を一瞬に凝縮したが故の攻撃だった。
喉が痛い。
胸も痛む。
彼はただ,息を切らしながら空を見上げる。
真下から人々の歓声が聞こえた。
「一撃で二体も倒すなんて楽勝じゃないか!!」
「流石勇者様だ!!」
「もうあの勇者一人で,全部の魔物を倒せるんじゃないか!?」
聞き覚えのある言葉を耳にして,ヒロは別の場所を見下ろす。
大聖堂でも決着がついたようだった。
膝を付いたファイフに向け,ジンがハルバートを向けている。
「これ終わりだ。ファイフ」
「キヒ……ヒ……。終わり……? 俺達は,とっくに終わってたのさァ……。勇者のスキルを与えられた時からなァ……」
ファイフは力なく笑う。
それは死を間近にする勇者達への嘲笑だった。
「あと一回だぜェ……。お前がどんな顔で死んでいくのか,あの世で楽しみに……」
直後,ジンのハルバートがファイフの首を刎ね飛ばす。
勇者のスキルは霧散し,勇者は勇者の手によって倒された。
末路を見届けたヒロは,ゆっくりと地上へ向かう。
残すは後二体。
後二体で,全てが終わる。
そう確信した彼が,結界をすり抜け,地面に着地した瞬間。
突如それは襲い掛かった。
「グ……!? ガハァッ……!?」
二回目の代償。
いつの間にか勇者のスキルは解けていたらしい。
全身を硬直させるほどの激痛が襲い掛かる。
最早身体を支えることも出来ない。
ヒロは血を吐きながら,無抵抗にその場に倒れた。
「ど,どうしたんだ!? いきなり!?」
「分からない! 魔族相手に無傷だったのに……!」
人々は勇者の代償を知らない。
広報する筈の神官達が,軒並みファイフによって殺されたためだ。
何が起きているのか,状況を理解できていない。
尤も理解したとしても,彼らには何も出来ないのだが。
「ゲボッ……ゴボゥ……!? ハアァッ……ハアァ……グ……ハァ……!」
呻き声を上げながら,ヒロは地べたを転がり続ける。
いっそ,死んだ方がマシだと思える痛みだった。
バチバチ,と身体の中で何かが弾ける様な感覚。
何度か身体を打ち付けて,彼はようやく反動で視界が天を向く。
すると,国都を覆っていた結界が崩壊していくのが見えた。
役目を失い,硝子が崩れ落ちるように消滅していく。
それが何を意味しているのか,ヒロは直ぐに理解する。
「あ……アイラ……は……!?」
痛みを忘れたヒロは,何度も転がりながら立ち上がる。
周りの者が声を掛けるも,それらは既に意識の外にあった。
血を流しながら,大聖堂前まで辿り着く。
そこには,吐血したまま倒れ伏すアイラの姿があった。
「アイラ……!」
身体を引き摺りながら傍に駆け寄る。
気配を感じて,微かに彼女の身体が動く。
「ヒ……ロさん……?」
「あぁ……おれ……だ……! しっかりし……ろ……!」
「ジン……さん……は……」
「ぶじ,だ! まぞく,も……! ファイフも……たおした……!」
国都の脅威は去った。
上手く言葉が紡げない中,ヒロは確かにそう断言する。
アイラは微かに笑ったが,そこに殆ど力はなかった。
震えながら,彼に向けて血濡れの手を伸ばす。
「いたいです……とても,とっても……いたいです……」
「く……」
「でも……いたいから……いきている……。わたしたち……まだ,いきています……」
「あ,あぁ……! そうだ……! おれたち,は……いきている……!」
力強く,その手を取る。
「いきてる……よ……かった……。まだ……いきて……」
「あ……アイラ……おい,アイラ……ッ……! ゴホッ! ゴハァ……ッ……!?」
アイラが気を失い,ヒロも同じく何度目か分からない血を吐いて倒れた。
握っていた互いの手も,虚しく離れる。
「すぐに勇者様達を治療するんだ! 頼む! 急いでくれッ!」
微かにウォースラの声が聞こえたが,次第に何も聞こえなくなった。




