5 森の果てに
暗く湿った木漏れ日たる林の中で、狂気に恐舞いし逃げ惑う者一人。
男の息は上がる寸前である。しかし脚を止める訳にはいかない。あの忌々しい畏怖なる存在者が背後に迫っているからである。
森林に木霊するカラスの鳴き声すら、その男を恐怖たる冥府なる精神状態へ誘い続けるのだ。
顔も服は泥傷に塗れ、片方の靴は何処かで無くしてしまったらしい。男は靴のことなど考えられない状況なのだ。兎に角、走る、死に物狂いで走る事が彼の唯一の助かる道途なのだから。
彼自身、何故このような状況に陥ったのか、理解できていないらしく、戸惑いと恐怖の形相でただ只管、走り続けるだけだった。
背後に迫る金切り声を発しながら猛進してくる、奇知なる存在に只々恐怖し、怯え、戸惑い、走脚運動を続けるだけなのだ。
異形なる恐声を放つ者が、エンジン音を憤慨させ始めた。低音に回転していた主軸は高音の金属が擦れる音に猛変したのだ。その音は狂乱たる音響で、逃げ惑う男の中耳を恐震させたのは間違いないだろう。
男の眼前に一つの希望が見えた。鬱蒼と生い茂る林の中に、木漏れ日なる木造建築の小屋を見つけたのだ。質素な小屋には簡易的な煙突があり、そこから煙が出ている。男は不定なる者が小屋に存在していると勘ぐり、助けを求め、残る体力を小屋へと向けたのである。
男は林を掻き分け、足を滑らせながらも小屋に着到するやいなや、渾身の力で木造扉を叩き、哀願たる叫びを上げたのだ。
返答は無く、恐々たる顔相と発狂じみた叫びのもと、扉の取っ手を激しく回転させた。
磨耗した蝶番が擦り減る怪音を鳴らし、小屋は彼を向かい入れたのだ。
男の眼前に広がるは、腐臭広がる慄然たる光景であった。ここは鬼畜外道たる畏怖なる存在者の住処だったのだ。
気付いた時にはもう遅く、彼の脊髄は奇狂めいた廻転音と惨血たる激痛と共に、頭部が木漏れ日に散り森の果てに刹那と消えていったのだ。
畏怖なる影は新鮮たる躯を小屋に引きずり込み、異臭を放つ蚯蚓めいた贓物を抉りだしたのであった。