1 不協和音
親愛なる不定の者たちへ
ここに記述する手記は森の鳴子に掛かった、哀れな人間たちの話である。
あの忌々しく畏怖なる者どもから身を隠しながらの執筆であるため、不定期に更新する。私は慎重にならざるをえないと言うことを了承していただきたい。
あの畏怖なる存在者を完全に封印せしめるためには少々の犠牲が必要なのだ。
鳴子たる森
花美輪 乃霧
手が痺れる……
痛い…………
暗い………………
何が起きた?
いったい何が起きたと言うのだ……
両腕両足はどうやら柱のような物に縛られており、動かすことができない。おまけに目隠しまでされている。脚は宙に浮いているようだ。
腹が痛い……
腹は縄紐のような物で柱に括り付けられているのか、鳩尾下側に食い込んで鈍痛が奔っている。
突如、湿り気のあるエンジン音と思われる怒音の如く響き始め、私の体が条件反射を起こし、鈍震した。
エンジンがアイドリングしているように、至極低音たる規則正しい震音へと変わり、男の割れた叫び声が、室内と思われる空間に共鳴したのだ。
「まて! 許してくれ! たすけてくれ、なんでもする! 許してくれ!」
男が叫び始めた矢庭に、エンジンが怒威なる怪音を唸らせた。
「たのむ! たのむ! やめてくれ!」
その声は恐怖を集約したかのような叫びとなり、絶叫へと変貌した。その絶叫は恐怖を超えた畏怖悪寒奔るもので、絶望を感じさせる恐響であったのだ。
男の畏怖たる絶叫と共に、女の甲高い叫びも聞こえた。不穏なる三つの不協和音が私の脳髄を震撼させ、声帯の神経を麻痺させたのである。
恐音たる不協和音のなか、私の頬辺りに生ぬるい液体が散ってきた。それから幾秒すると、丸めた布団を床に落としたような鈍い音がしたのだ。
続いて、人糞のような臭いが室内と思われる空間に漂いはじめたのだった。
その一連の不協和たる旋律と悪臭のなか、女の狂叫が続いたのである。
私は何が起きたのか考えたくなかったが、否が応でも、あの悪臭漂う不協和音たる絶叫を耳にしてしまっては、想起せざるをえなかった。
ここが何処なのかは解らないが、先ほどの忌々しい音の反響具合から室内であることは解った。私の状況は芳しくないことも十分理解できる。
しかし、なぜ私がこのような状況下にあるのか、まったく皆目検討がつかなかった。
ここはどこだ!
どこなんだよ!
なぜこんな場所に……
私は声が出なかった。心底震え上がっていたからである。この盲目の恐怖によって、声の出し方を忘れてしまったと言うのが正しいかもしれない。喉の感覚が無いのだ。
いつからこの場所にいるのだろうか?
そうだ……
あの時だ……
そうだ……
そうだ…… そうだ!
記憶を辿っていたら、女の叫び声が、すすり泣く音へと変わっていた。
人糞臭い湿った空間に、足音が木霊しはじめた。女のすすり泣く声は加呼吸じみた息遣いになり、重苦しい金属音が聞こえ始めたのだ。何か金属的な物を持ち、歩いているようにも感じられる。静寂な空間に緊張が奔る。
間を置いて、エンジン音が再び憤慨したのだ。
私は恐怖に震え上がった。
女は叫び狂っていた。
憤慨したエンジン音からは、金属が絡まるような高速で擦れる音が聞こえている。
その憤慨きわまる音が徐々に大きくなり始めたのだ。女の狂乱たる叫びは掻き消され、さらに大きく畏怖なる音に変貌し、金属の擦れる金切り声が、私の耳元で轟音と響きだした。
ま…さ…か…