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そして、爆発

 俺は、一己に遠慮しているんだろうか。


 オフェリアと別れて教室に戻りながら、俺は悶々と考え込んでいた。


 改めて考えてみても、よくわからない。奥野のことは最初から「一己が好きな女」として認識していた。その時点で恋愛対象からは外れていたわけだが、それは、そんなに薄情で不自然なことなんだろうか。責められないといけないような思い込みなんだろうか。

 だったら、俺は、奥野を「そういう対象」として考えないといけないのか?


 考えれば考えるほど眉間に皺が寄ってくる。

 白状しよう。未だに俺は、この期に及んでも、「何かもう全部なかったことになればいいのに」と思っている。往生際が悪いとののしってくれて構わない。


 ――それはともかくとして、この子はなぜこんなところに隠れているのだ。


 渡り廊下の植え込み陰にちまっとした体を縮こめて、一己の様子を伺う鈴ちゃんの姿に、俺は声をかけたものかどうか真剣に悩んだ。


「……何やってんだ?」


 鈴ちゃんは、はっと顔を上げ、続けて勢いよく頭を下げた。


「二巳さん。さくやは、たいへんおさわがせをいたしました」


 生まれてこのかた、名前をさんづけで呼ばれたのは初めてだ。しかも年下の女の子。

 途方もない違和感でよろめいた俺に、彼女は真剣な顔をして再びしゃがみこんだ。視線はもちろん、一己に固定されている。

 その様子は姿形が子供なせいで、どう頑張って見てもかくれんぼにしか見えないのだが。


「……学校、行かなくていいのか?」

「おやすみをいただきました」


 それはサボリの婉曲表現か、それとも本当に許可を取ってきたのか。どちらもありえそうなのが不気味だ。

 つついても蛇をだしそうなので、とりあえず話題を変えることにした。


「話は戻るけど、何やってんだ?」

「ワナをはりましたので。かかるのをまっています」

「……まさかあいつが囮なんじゃないだろうな」


 しまったとばかり、鈴ちゃんが口をつぐむ。

 そのこめかみを拳でぐりぐり締め上げたい気分になったが、「一己に言え」とは今朝俺が幼なじみに言ったばかりの台詞だ。

 よろよろと息を吐いて、俺はその場にしゃがみこんだ。

 頼むから巻き込んでくれるなと、心底から思う。一己本人に面倒ごとを回避するつもりがないのだから、この子に言ってもしょうがないとはわかっているのだが。それでも恨み言の一つも言いたくなる。


「……もうしわけありません」


 顔を上げれば、鈴ちゃんがうつむいていた。……態度で十分すぎるほど伝わっていたらしい。


「まきこむつもりは、なかったのです。まさか、こんなことになるなんて……」

「あー、うん」

「ですが、一己さんは、こうきだと言ってくださいました。かんしゃにたえません」


 こうきって何だ。校旗か。――なわけがないか。こうき……好機?


「好機? チャンスってことか? 何の」

「……ごめんなさい、もうしあげられません。ですが、きょくりょく、一己さんにはきがいのおよばぬよう、つとめますので」


 思い詰めた顔で、鈴ちゃんはきっぱりと言い切った。

 俺の胸のなかを、苦いものがよぎっていった。


 どうしてどいつもこいつも、一己に賭けようとするんだろう。

 昔からそうだった。あいつはいつだってぼけっとした顔で、当たり前のように誰かに迷惑をかけられて、当たり前のようにそれを乗り越え続けてきたのだ。

 まるでどこぞのヒーローだ。度を超えたボランティア。普通なら死んでいるんじゃないかと思うほど危険な目に遭い続けているのに、あいつにはためらいというものがない。

 それと同じくらい、執着も。


 放っておけないと言うくせに助けたらその後は見返りを求めるわけでもなくて、なんでもなかったかのように日常に帰ってくる。

 だからみんな、あいつを追いかけるんだろう。


 そんな片割れが、初めて執着をみせた女――それが奥野だったのだ。

 見た目以外まったくもって普通じゃないあいつが、奥野に対してはまるで普通の高校生みたいだった。明らかに意識しているくせに器用さなんてかけらもないじれったい距離を取って、ただ視線ばかりで奥野を追って。


 うまく行けばいいと思っていた。

 そうしたらあいつも、少しは自分を、大事にしようとするんじゃないかと、そう思っていたのだ。


 どうしてこう、人間の感情ってやつはうまく行かないんだろう。

 特定多数の美女美少女に想いを寄せられるより、たった一人、求めた相手の心が手に入る方が、あいつにとってよっぽど大きな意味をもっていると思うのに。


(……どうすりゃよかったんだよ)


 しゃがみこんだまま深すぎるため息を吐いたとき、鈴ちゃんが勢いよく立ち上がった。


「――きました」

「え」


 確認する暇もない。

 何かが衝突するような強烈な音。続いて、視界を塞ぐほどの土煙が巻き起こった。

 思わず腕で目を庇ったとき、鈴ちゃんの声が届いた。


「二巳さんはあんぜんなところへ! 一己さんはわたしがまもります!」

「ちょ」


 安心させようとしたのかもしれないが、かえってその台詞は不安だ。

 どうにか薄目をあけて一己の姿を探し、俺は、信じられない光景に息を呑んだ。

 地面がえぐれた異様なクレーター。その端で、一己が誰かをかばうように、その腕に抱えている。

 肩に掛かる程度のまっすぐな黒髪。華奢な肩。校則通りのスカート丈。

 紛れもなく、奥野だった。


「なっ……どうしたんだよ、おい! 大丈夫か!?」

「なんとか」


 いつも通りののんびり加減で、答えが返ってきた。

 ぶっとんだ非日常に巻き込まれた奥野は、ショックが強かったのか呆然としている。

 あわてて駆け寄った俺に、一己はため息を吐いた。

 どこか、ほっとしたような様子だった。


「ごめん、二巳。奥野のこと頼む」

「あ! ちょっ、待て一己……!」


 引き止める間もあればこそ。あの寝ぼけ風な顔に決然とした色を乗せて、一己はあっと言う間に去ってしまった。

 後ろに奥野の気配を感じて、冷や汗がにじむのを感じる。

 ……き、気まずい。ものっすごく気まずい。

 心の中で思いつく限りに一己への罵倒を並べていると、奥野がスカートの裾を払って立ち上がった。


「くそ、あいつ……。……奥野、大丈夫か?」

「へいき」


 奥野の視線は膝丈のスカートの先だ。まだ砂がついているとでもいうように、細い手が紺色の布を払い続ける。

 右足は地面につけないまま、ちょっと浮いた状態だ。多分、ひねってしまっんだろう。

 その頭頂部を見下ろして言葉に困っていると、固い声で奥野が言った。


「ひとりで、平気だから……気にしないで」


 ま、まだ怒ってるのか。

 顔を上げない奥野から怒りのオーラを感じ、俺は途方に暮れた。どうしろというのだ。


「……いや、でも……歩けないだろ。肩くらい貸す――」


 不意に拳を握りしめ、奥野が顔を上げた。

 こいつが目をつり上げている顔なんて、始めてみた。


「……井島君は、ずるい」

「え」


 泣き出しそうな、それでいて明確な怒りをたたえて、奥野は俺を睨んだ。

 そして大きく息を吸い、はっきりと、叫んだ。


「わたしは! 井島君が、好きだよ!」


 ――この状況でぶちまける台詞か!?

 思いっきり不意打ちを食らって、俺は逃げることもできずにうろたえた。

 いつもにこにこして親切なヤツだとばかり思ってきた奥野の激情は、まるで火花が散るみたいに苛烈で、おそろしく逃げ場がない。

 唖然と立ち尽くす俺に、奥野はまた泣き出しそうな顔になって、それでも泣かずに唇を噛んだ。


「……答えなくていい。ふられるって、もうちゃんとわかってるよ。こんなの、迷惑かもしれないけど、でも……でも……」

「奥野……」

「……わたしの気持ちを、なかったことにしようとしないで! ……ひどいよ……!」


 多分そのまま駆け去りたかったんだろうが、痛めた足じゃそうはいかなかったらしい。

 右足をひょこひょこさせながら、それでも、奥野の背中は決然と去って行く。


 俺は、引き止めることさえも思いつかずに見送った。


 追いかけてくるなと背中で語る女子なんて、生まれて初めて見た。

 真弓もよく「もういい!」とかいって逃げ出すが、あいつのあれは真逆で、追いかけて欲しいから逃げる種類のものだ。

 できれば一己に、一己が動かないなら他の誰かに。


 ただ、奥野は、そうじゃなかった。


「……勘弁してくれよ……」


 思い出したように額を押さえて、そのままその場にしゃがみ込む。

 ……いや、「勘弁してくれ」ってのは、おかしいかもしれない。

 言わせないように逃げ回ってたのは、俺だ。それで何が解決するわけでもないってわかってて、どうにかならないかと目をそらし続けていた。

 多分、それは、奥野をすごく傷つけたんだろう。


 図星を指された胸がズキズキと疼いた。

 俺は卑怯者で臆病者だ。そんなことはわかってる。

 でも、だったら――どうすればよかったって言うんだ。


 こっちまで泣きたい気分になっていたというのに、すっかり忘れていた異常事態は、俺を放っておいてはくれなかった。


 派手な爆発音が、空気と地面を震わせた。


「……は?」


 唖然と顔を上げた俺が見たのは、もくもくと上がる煙だった。

 爆弾でも落ちたかのような、もわっとした熱気と強い風が巻き起こる。


「ちょ……おい、嘘だろ……!?」


 なんで学校で爆発が起きるんだ。ここは日本だぞ。ハリウッド映画じゃあるまいし、そんなにポンポン爆破されてたまるものか。


 それよりなにより――いかん。奥野に気圧されてつい見送ってしまったが、あいつは怪我人だ。

 一己に頼まれたからだけじゃなく、何かあったら後悔してもしきれない。


 嫌がられるのはわかってたが、俺は急いで奥野を追った。


(いた……!)


 速度を落とさずに校舎の角を曲がると、のろのろと歩いている後ろ姿が見えた。

 声をかけようと自分を奮い立たせたとき――唐突に、奥野が、その場にしゃがみ込んだ。


 ……何をやっているんだろう。

 足が痛んだにしては、思い切りよくうずくまったような気がする。


 膝を抱えて顔を押しつけた奥野は、この異常事態に気づいているのかいないのか、なにやらうーうー呻いている。めちゃくちゃ挙動不審だ。

 さんざん迷ったあげく、おそるおそる、うずくまった背中に声をかけた。


「お……奥野……なんつーか、その、もうちょっと場所変えといた方が……」

「ううううう」

「いや、うーじゃねえ。この状況やばいっての。やっぱ足が痛いんだったら、とりあえず手ぇ貸すから……」

「その優しさが痛い……!」

「なんでだよ!」


 とりあえず、会話をしてくれるつもりはあるようだ。

 あれだけ怒ってたくせに、えらく冷却が早くないだろうか。


「じ……じわじわ……はずかしく、なって、きて」

「……は?」


 怪訝に返して、気付いた。

 顔は見えないが耳が真っ赤だ。

 かたくなに顔を上げようとしないまま、奥野はうめいた。


「井島君、悪くないのに。なんかね、あの時はすっごく、ムッてきて……なんかもう、あれって逆ギレだよね、ごめん、もうやだ、ほんとばか、生きててごめんなさい……!」

「そこまでか!」


 冷却が早いにもほどがある。まさか啖呵を切ったあと、ものの一分で自己嫌悪を始めるとは。

 それでも――まあ、こいつらしいというのだろうか。

 誰かに負の感情を押しつけ続けるのは、こいつにとってすごくしんどいことなんだろう。

 クラスの女子に俺のことを愚痴れば、多分、簡単につるし上げることができただろうに。結局のところ、俺相手にさえ、怒り続けることができないでいるのだから。

 警戒していただけにものすごく決まりの悪い気分になって、頭を掻いた。


「……いや奥野、俺も悪い。っていうか俺が悪かった。だからとりあえず動こう、な!?」

「いっそこのまま爆破されてしまいたい……!」

「馬鹿言うな! ……ああもう、いい、文句はあとで聞くからな!」

「え、ひゃ――きゃああ!?」


 勢いをつけて、うずくまる奥野を引っ張り上げて抱えたものの、予想していた以上のリアルな重みにいきなり気持ちが挫けそうになった。

 ――いや、そうだよな。別に奥野が太いとかじゃない。人間の標準体重と奥野の身長を考えれば当然の重みだ。

 ぶっちゃけた話が、米袋何十キロ分までなら抱えて走れるかという話だ。むしろ相手がバランスを取ってくれる分、それよりは軽く感じるとクソ片割れから聞いたことがある。実体験は初めてだ。


 馬鹿なことを考えて気を紛らわせようとしたが、完全に失敗した。

 どうにかこうにか校舎までたどりつき、ようやく奥野を降ろす。爆発に驚いて出てきた生徒の中に、放送部の姿もあった。

 俺たちの姿に、奴はぎょっとして駆け寄ってきた。


「ええっ、何! 何やってんの井島弟!?」

「奥野が怪我してんだよ。悪い、保健室連れてってやってくれ」

「そりゃいいけど……あんたは?」

「俺は……警察呼んで、ついでに一己を回収してくる」

「はあ!? あんた兄のほうと違って一般人でしょ! 危ないって! それよか、奥野ちゃん保健室に連れてくの手伝いなよ!」


 思い切り痛いところを突かれた。

 その通りだと思う。正直、俺にできることがあるのかは甚だ疑問だ。

 それでも、あいつが一人で危なっかしい目に遭っているのを放置しておくのは、我慢できない。

 奥野は放送部とは裏腹に、はっとしたような顔になった。


「ごめん……! 井島君、行って。110番はわたしがするから!」

「ちょっと、奥野ちゃん!?」

「ごめん。だって、一己(かずき)君がいるんだよ。心配なのは当たり前なのに……引き留めちゃってほんとにごめん、わたしなら大丈夫だから……!」


 ――そうだ。奥野は、こういうやつだった。

 改めて、そんなことを思った。

 放送部が苦々しい顔になって黙り込む。

 こいつが言いたかったのは、ただ無謀な真似をするなということだけだったのだろう。それは正解で、もっともすぎる意見なのだが――俺には、無謀な真似に背中を押してくれる奥村の言葉が、嬉しかった。


「……じゃあ、頼む」

「うん。……気をつけて……」


 奥野はうなずいた。

 いつもと変わらない、やわらかなまなざしで、俺を見上げて。

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