闘争を喰らう獣
タクト達は南西の橋跡を目指すべく歩いていた。途中アリアやクリフのためかセーフハウスに寄って休憩を取り疲れを癒しつつ、そこにいた旅人達から情報収集を行う。やはり全員があそこから水の島へ向かうのは無謀だと口を揃えて忠告してくる。アリアとクリフは行かない方が良いのではとタクトに言うが、彼は行く気満々らしく笑顔だ。
「どのみち港からのルートを封じられた。ならば、行くしかないだろ?」
「それはそうだけど――」
「別ルートは――」
「旅人から借りた地図を見る限り来た道を戻るという事になるだろう。ストルドの連中と出会う可能性が高い」
アリアとクリフに厳しい現実を突きつける。前も後ろも危険という状況で、二人は何故タクトがラジェムに戻ろうとしなかったのかようやく理解した。戻ると追いかけてくる軍に捕まる。そこでタクトはあえて誰も進まない様な場所から水の島を目指す事に決めたのだ。師団のリーダーの忠告を無視したのはそのためだとアリアは納得する。
しかし、未だに納得していないのはクリフだ。彼が何故そこまで危険な陸路にこだわるのか。モンスターも多く橋その物も崩れかけている。群れに襲われ橋から落ちれば怪我では済まない。
「打算で動いてるのか?」
「当然だ。あの師団に出会ったのがラジェムに戻らない最大の理由だ」
タクトの意味不明な言葉がクリフには解らなかった。あの師団は確かオルノ共和国の騎士で、ストルド帝国の古代魔法使いとは敵対関係の組織だ。近代魔法で勢力を上げ古代魔法使い達を闇の島に追いやった軍団。そこまで辿り着きクリフは初めてタクトの考えを理解する。
「まさか、あの師団を魔法使いと戦わせて足止めする気か?」
「その通りだ。ストルドと雰囲気が違うと思ったからもしやと思ったがやはりそうか。まあ、こっちに来ない事は解ったから良いけどさ」
クリフはようやくタクトという男の本当の恐ろしさを思い知る。下手をすれば逆に殺されるかも知れない状況から駆け引きを行い情報を手に入れる。命すらもギャンブルのチップとしか考えていないうえに計算高い。いつ背中から刺されてもおかしくない方法だ。人を目的の駒としか考えていない辺りから道徳が欠けていると考える。
悪魔め……クリフは心の底からタクトをそう思った。生き延びるためとはいえならどんな汚い手でも使う。他人が手を汚そうが自分には関係のないといった表情だ。やっている事はストルド帝国の独裁者である現在の王――アリアの叔父よりもはるかに酷いとクリフは思った。危険が迫ったら自分が生き残る方法を選ぶ。そんなタクトの考えにクリフは腹が立っていた。
「不満そうだなクリフ」
「当たり前だ。そんなの――」
「じゃあ、今すぐ代案を言ってみろ。限られた食料と武力の中で俺より良い方法を」
タクトの言葉にクリフは言い返せなかった。彼の言葉は非情だがよくよく考えれば正しいかも知れないと。まさかの二段構えで来るとは思わなかった。意見を聞いたうえで真正面から叩き潰してくるという方法。悔しいがタクトの方法を取るしかないとクリフは考える。
「タクト――」
「大丈夫。俺が何とか向こう岸に渡らせてやるさ」
アリアの心配する言葉にタクトが優しく声をかける。正直彼はモンスターが大量にいる橋じゃなくても、黒フード――ストルドの軍勢に突っ込んでも別に構わなかった。むしろ今までだったら間違いなくそうしてきた。嗅ぎ慣れている血と硝煙の匂いに、心地良く響き渡る弱者の悲鳴を感じたいと願うからだ。しかし、タクトはあの時アリアが抱きかかえ心配する顔を見てから引き返すというという考えが失せた。どういう心境の変化なのか自身にも解らないが、何故かアリアを悲しませたくないという感情が芽生えてしまったのだ。
何を今更、自分は多くの人を手にかけてきたのにとタクトは心の中で苦しんでいた。今まで通り刃向かう奴は殺してしまえば良い。そう考える度に何故かアリアの言葉が何度も甦る。出会ってからそこまで経っていないにもかかわらず情が生まれたのか。そう思うとタクトはただ乾いた笑いを口からこぼすしかなかった。
「タクト、大丈夫?」
アリアが心配して声をかけてきたためタクトは思わずハッとなる。
「解らないな正直。お前を悲しませたくないという感情が何故生まれたのかとかさ」
アリアとクリフは意外だと思った。タクトが心の底では迷っているという事実が信じられなかった。二人が知る限り彼は心の底から戦いを楽しむタイプだ。相手がストルドやモンスターなど関係なく戦いを挑むだろうと。しかし、今のタクトは良心と今までの自分に挟まれて苦しんでいる。アリアは彼を救いたいと願った。ならば――
「ねえタクト。一度引き返さない?」
「目的は良いのか? ストルドに鉢合わせするかも知れないぞ?」
「最初は目的だけ考えてたわ。でも、私はタクトも心配なのよ」
アリアの言葉にタクトが腹を抱えて笑う。まさか心配されるとは思ってもいなかった。事情を知ったうえで対等に扱ってくれるなどタクトにとっては生まれて初めての出来事だ。戻るという事はアリア達が同族と戦うという事。それすらも理解したうえでより安全な道を捨てるという。タクトはますますアリアという少女が気に入りだした。
「後悔するかも知れないぞ?」
「後悔は何かやってからする物でしょ」
「戻って何もなければタクト君のやり方に従う」
「良いだろう。その言葉をよく覚えておけ」
タクト達はセーフハウスからルートを逆走しラジェムへと向かった。途中でレスタの廃墟で休憩を取り三人は急いで走っていく。ラジェムが見えるまでの距離に辿り着くと、アリアとクリフはあまりの光景に息を呑んだ。
二つの大きな軍が平原で大きな争いをしていた。双方から大規模な魔法が飛び交い密集している兵を地面ごと抉り取っていく。幸いにもラジェムとその塀は無事だが、黒いローブの方が勝っており徐々に師団を追い詰めていく。このままでは町が落とされるのも時間の問題だ。
「酷い――」
「これが、オルノとストルドの戦い」
「戦争ってのは言い聞かせて終わる物じゃない。どうする、傍観でもするか? オルノとストルドを救う方法なんて本当にあるのか? なあ、アリア・リィン・ハルモニア?」
タクトがアリアの良心に再度尋ねてくる。敵国のオルノと身柄の拘束のために追いかけてくるストルド。どちらを救ってもメリットがない事にアリアは気付いていたが、それでもタクトの言う通りだったと認めるわけにはいかなかった。自己満足でも良い。たとえ平和に対する思いが自分自身のエゴだったとしても、アリアはタクトという更なるエゴイストに勝ちたいと強く願った。
「手を伸ばせない平和に意味なんてないわ!」
そう言うとアリアは真っ先に戦場へと向かっていく。続いてタクトはクリフに背を向けつつニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
「今ならまだ戻れるぞ?」
「アリア様を護れるなら名誉なんて要らない」
「あっそ、じゃあ好きにしろ」
クリフが去っていくとタクトは右手を振りつつ見送る。彼自身アリア達と一緒に戦う気は一切ないらしく、あくまで見えるか見えないかの位置での傍観に徹するつもりらしい。鷹の様に遠くが見える眼で戦況を冷静に分析しており、観客として楽しそうに見ている。
タクトからすれば『何だこのつまらない戦いは?』という感想しか浮かばなかった。やられたからやり返すレベルの戦い方で、飛び出て優れた戦いをする奴や脅威と思える兵器も存在しない。アリアとクリフが行っている正当防衛的な魔法の方がまだまともだと思えてくるほどに。あまりにも暇すぎてタクトは寝ようとしていたが、近くに着弾した魔法の爆音で吹き飛ばされてしまう。
タクトに攻撃してきたのはストルド帝国の古代魔法使いだ。止まっている間抜けなオルトの猿に命中させたと笑っている。オルトの師団は一般人を巻き込んでしまった事に戦意を喪失しかける。当然、その一部始終はタクトに筒抜けだったが。
「――えているかな諸君!」
爆炎の中何かが叫びながら歩いてくる。オルトもストルドも、仲間のアリアやクリフですら本能的な恐怖でつい攻撃の手が止まってしまう。向かってきたのは、黒曜石の様に輝く髪と瞳を持った男だ。全身からどす黒いオーラを放出しており、両目は周囲の索敵を開始している。
「聞こえているかな諸君。俺の名は神代拓渡、二二八四五人を殺してきたただの殺し屋だ」
タクトが戦場であるにもかかわらず穏やかな声で語り始める。一人で二二八四五人を殺してきたと聞き双方が恐怖するが、あるストルドの魔法使いが笑いながら近付いている。明らかにタクトを甘く見ていおり、恐怖という感覚がないのか右手で彼の胸倉に掴みかかる。
「二二八四五人が何だって?」
「気安く触るな下等生物」
タクトの一言ともに魔法使いの右腕が肘ごと簡単に切り離される。一瞬で腕が切り離された彼は一瞬理解出来なかったが、右腕の血しぶきと痛みに気付き悲鳴をあげて転がる。
タクトの左手には一本の長い刃のナイフが握られていた。彼はそれを曲芸師さながらに動かしつつ、呻いている相手を手慣れたナイフさばきで追撃していく。タクトの表情は狂喜その物で高笑いしている。
「楽しいねえ」
タクトがローブで血を拭くと周囲を見回す。まるで、まだ戦い足りないと言っているかの様に瞳を爛々と輝かせている。
「ひっ……!」
オルトもストルドもタクトからゆっくりと離れていく。あの化け物と戦ってはいけない。戦おうと思ってはいけないとようやく理解する。
しかし、タクトはナイフから銃に持ち替え両手で構えている。当然、次の獲物は当然昼寝を邪魔した魔法使いだ。彼はハンマーを起こしつつ笑いながら呟く。
「ミイ……ツケタ」
「た、助け――」
タクトは無視してトリガーを引く。相手が左足を撃たれ倒れても、執拗なまでにハンマーとトリガーによる動作を更に五回繰り返し発砲する。わざと急所を狙うという非情な方法だ。
「で、次は誰が俺を笑顔にしてくれるんだ?」
タクトの子供の様に純粋な微笑みで全員が後ずさる。まるで彼を視界に入れたくない、彼の視界に入りたくないと言わんばかりに逃げていく。その姿にタクトが声をあげて笑い出す。
「俺は正当防衛をしただけだ。なぜ逃げる? まあ、俺はサーチアンドデストロイでも良いけどな。来いよ政府の犬っころ共。俺はまだ足りないぞ。何なら両軍で俺を殺してみるか?」
タクトの言葉に両軍が硬直する。あの男は正当防衛と称して過剰防衛をしているが、下手に刺激しない方が良いとも考えていた。まだ何か隠し持っているかも知れないためどうなるか解らない。サーチアンドデストロイの意味は理解出来なかったものの、どうせろくでもない言葉だろうと両軍は考えていた。
目の前の敵国の兵士を野放しにしたくはないが、戦いを心から楽しんでいるあの男は更に厄介な存在だ。現在死者が出てない事自体がおかしく感じられるほどの戦闘狂が目の前にいる。どうにかして引き取ってもらおうと両軍の意見が自然に一致した。
「あ、あの……僕達はもう戦わないから」
フードの一人がゆっくりとタクトに話しかけてくる。すると本人は勇気を出して話しかけてくれた彼に近付き両手で握手する。
「そっかそっか。よし、解れば良いんだ!」
「あれ、君はレスタの――」
「ああ、兵士さんか」
師団長の男がタクトに気付き声をかけてくる。
「そういえば二体のインフェクトに出会ったと聞いたが何もいなかったぞ?」
「ああ、殺して喰った」
タクトの一言で両軍が更に恐怖する。不死とされているインフェクトを二体も殺して喰ったという。とても信じられない話だが、もしかしたら彼ならばありえるかも知れないと考える。余計に手出しをしてはいけないと両軍とも思った。彼の話が本当なら、彼の力はインフェクト二体すらも上回る事になるからだ。実際はタクトも覚えていないのだが嘘ではない。
「わ、私達も戦わない。だから鎮まってくれ」
「俺は悪魔か何かかよ。まあ良いだろう」
タクトが不服ながらも戦いを止める。そしてアリア達と合流し連れて来た後、彼を恐怖の眼差しで見つめている両陣営の中央で座った。
タクト達は円陣を組みつつ二つの陣営を無視して内緒話を始める。
「で、アリア。こいつらの争いは何が始まりなんだ? 近代魔法が原因なのは大体予想がついているが」
「長い時代、私達古代魔法使いが魔法を使えない彼等に対し圧政をしてたのよ。自分達を王や貴族と称してね」
アリアが悲しみの表情を浮かべつつ自嘲する。クリフも彼女と同様だ。
タクトはアリアの言葉でこの世界の事情を理解する。中世ヨーロッパと似ていたため容易に想像がついたからだ。圧力をかけられていた人々が何らかの方法で近代魔法を手に入れ、古代魔法使いに対し長年の恨みを込めて世界規模の革命を始めている。当然、歴史で学んでいるタクトは弾圧や革命の果てを知っている。同時に面白くないなと考える。
「当然の報いというのは解ってるけどね」
「まあ、そうだな。その果ては根絶やしか迫害だ。和解は数少ないぞ」
タクトの言葉にアリアは泣きそうになるが、王女としての意地なのか涙を流す事はなかった。和解は数少ない。この言葉で自分がやってきたのは無駄なのかと一瞬考えてしまう。タクトは戦いは好きだが、嘘をつかないという事はアリアは少ない時間でも理解していたからだ。彼の言う事は恐らく本当だ。遅かれ早かれ古代魔法は滅ぼされる。考えただけでアリアは震えてしまう。
「それは本当なのかい?」
「嘘じゃない。もっとも、近代魔法がそれだけで済む技術ならば話は別だがな」
「どういう……事だ?」
「聞かせて欲しいね」
師団のリーダーと古代魔法使いの代表らしき人物がタクト達の話に入ってくる。二人の言葉に対し彼はニヤリと笑う。
「恐らく、近代魔法というのはここの世界の技術を得た異世界人の技術だろう。俺は良く似た力を知っている。同じ組織の物なら、どちらの陣営も勝つ事は不可能だ」
タクトは思い出していた。元の世界でボディーガードが黒い怪物に変身する前、黒い文字を出現させつつ同じ色の粒子を纏っていた光景を。アリアに急激な肉体強化について聞き、インフェクトという存在を知ってようやく確信出来た。あの力は少なくとも元いた世界の技術ではない。この世界の技術を応用し兵器に転用した物だという事を。彼の力は近代魔法やインフェクトにあまりにも似過ぎていたからだ。
その結論に対しタクトはある結論に辿り着く。相手は自在かどうか不明だが、少なくとも両世界を行き来可能な技術を持っている。タクトはそういった仮説が外れて欲しいと、何故か来たばかりの世界を想うかの様に願いつつ二つの陣営に話していた。