アリアの願い
タクトはアリアに連れられ露店までやって来ていた。荷物はほぼなかったためマスターに部屋の鍵を預け、彼から旅をするためのおすすめの店を聞き買い物を楽しんでいる。本人曰くこの町に来るまでは旅をする料理人だったため店の情報には詳しいらしい。ローブが高く売れそうな場所や安くて保存の利く食品の店などで欲しい物は揃い、予想以上に時間が余った二人は店を見て回っていた。
「賑やかだなここ」
服屋で新たにパーカー付きの黒い服を手に入れたタクトが、荷物持ちをしつつ辺りを興味津々に見渡している。当然この世界のお金など持っていないので、服や日用品含め全てアリアに買ってもらった物だ。店を訪れる度にヒモ状態だったため、店員達から白い目で見られたのは言うまでもない。
「私の故郷ではここより大きくて賑やかな商店街があるからいつかタクトと一緒に回りたいわ」
「そいつは楽しみが一つ増えた」
アリアが懐かしむ表情をしたためお家騒動や戦争は大変だなあとタクトは考える。企業やギャング単位で人を殺した事はあるものの流石に戦争単位で殺した事は未だにない。
この世界へ来る直前に致命傷を負わされたのは、確か大企業社長のボディーガード――同じ年代のマッチョマンだったなあとタクトは思い出す。いったい何の技術を使っていたのかは知らないが、こちらが優勢だったにもかかわらず黒い文字を出現させ竜に似た怪物に変身してから形勢が逆転した。もしあれも魔法の一種ならば元いた世界にも魔法が存在する事になる。謎の技術についてアリアに聞いてみるかとタクトは考えた。
「なあアリア、魔法による急激な肉体強化って何か方法はあるか?」
「あるにはあるけどおすすめしないし理性なんて保てないわよ」
「具体的には?」
「どんな方法でも良いからパウダーを過剰に摂取する事だけど、依存症になるし最終的には食欲の塊のインフェクトって怪物になるわ。どの生物でもなるけどね」
パウダーに依存性があると聞きタクトは誰がそんな方法を使うかと心の中で呟く。まさかパウダーがそこまで危険な物だとは思っていなかった。ならば元の世界で戦った、あの文字による人間の変身は魔法と別系統なのかとタクトはますますわけが解らなくなっていく。
そして、新たに理解した事はパウダーを摂取した生物の怪物化。この世界には魔法という技術だけでなくインフェクトという怪物も存在する。食欲の塊とアリアが表現したという事は、インフェクトという存在は周囲の物を無差別に喰らうという事だろう。出来れば旅先で出会いたいものだと戦闘狂のタクトは嬉しそうに微笑む。
「戦いたそうな顔してるけどインフェクトとだけは戦っちゃダメ。魔法や同族すらも食べるうえに、体が物凄く硬いし再生もするのよ? だから誕生してしまったインフェクトは共食いさせて数を減らすか、捕獲して魔の島へ流すしかないの」
魔法も物理的な攻撃も効果がない化け物は、化け物同士戦わせるか島流しするしかないらしい。そのインフェクトは核と比べてどっちが危険なのかタクトには想像出来なかった。
流石に倒す方法が存在しないとされている相手に対し喧嘩を売るほど彼は無謀ではない。タクトが望んでいるのはあくまでも殺し合いであって理不尽な蹂躙ではないからだ。もっとも、倒す方法が見付かれば真っ先に戦いを挑むつもりだが。
「タクトの世界にはインフェクト的な存在はあったの?」
「生き物じゃないけど核という力がある。一回でも兵器として人がいる場所に使えば、個人差はあるが多くの人間が後遺症に苦しみながら死んでいく力だ」
タクトはアリアに核や放射線の概念について、この世界の言葉で可能な限り解りやすく伝えていく。核や放射線が医療や資源として使われている反面、世界レベルでの戦争でかつて兵器として使った結果どうなったか。その力を国が保有しいつでも殺戮が可能で、その強大さゆえに各国の大きな戦争の抑止力になっている事。資源として使っても一度暴発すれば、その土地では人が住めなくなる可能性があるという事を伝えるとアリアの表情が恐怖へと変わる。
タクトの元いた世界は危ういバランスで成り立っている。それを理解したアリアはたった二か国で戦っているこの世界がとても小さく思えてきた。更に聞くと彼の世界の人口には自分達の世界を上回る七〇億人が存在し、核や争いがなくても医療や支援が間に合わず飢えや病で子供が簡単に死んでいく世界らしい。一国の王女としても一人の人間としても恐ろしい世界だと感じた。
「怖がらせたなら謝る」
「ううん、私から聞いた話だから気にしないで。魔法以外にも恐ろしい技術があるのね」
「本質は変わらないさ。力に正義も悪もないからな」
タクトが虚しく本音を吐き出す。そう、力に正義も悪もないからこそ世界は強者のどんなエゴでも通ってしまう。たとえ場所が異世界や日常だろうと関係ない。正義も悪も強い人間が都合良くエゴを言い換えているだけだと、裏世界で生きてきたタクトは嫌でも理解していた。持つ武器が火薬からパウダーに変わっただけで今までと何も変わっていない事も。
「タクトはこの町にいて楽しい?」
「ああ、活気に溢れている良い町だ」
「良かった。そう思えるならタクトは良い人よ」
タクトにはアリアの言葉が理解出来なかった。元の世界で殺し屋をやっていた事も教え、更には命のやり取りすらも心から楽しめる人間だという事は既に二度見て理解したハズだ。それなのになぜ善人だと言い切れるのか。なぜ楽しいかという質問をしてきたのか解らない。町の活気は確かに心地良いが、同時に生まれてくるこの虚しさは何だと考えた。アリアと話す事で元の世界でも味わった事がないほどの虚無感を感じる。アリアとの会話がつまらないわけではないがタクトにはどうしても解らなかった。
「じゃあ、そろそろ戻ろうかタクト」
「ああ」
アリアの笑顔でタクトもつられて笑ってしまう。彼女に手を引かれつつ両手の荷物を落とさない様に宿まで歩いて行った。
宿に帰ったタクトとアリアが部屋で一緒にくつろいでいると、マスターがノックをしてから入り盆に乗せたケーキと茶を二人分持って来る。どうやらこの宿は差し入れまで行っているらしい。
「別料金とかいうオチじゃないよな?」
「当店宿泊客へのサービスです」
この世界でのお金の価値を知らないタクトだが、流石にここまでやられると本当に経営出来ているのか疑わしくなってくる。部屋に風呂や水洗式のトイレ、町の下の景色が見えるバルコニーまで存在する宿屋なんて本当は高いのではないかと疑い始める。
「なあ、ここ経営出来てるのか?」
「まあ、宿屋は副業なので。本職は夜のバー経営とモンスター退治をやっているよ」
「モンスター退治か、面白そうじゃないか」
タクトがマスターの話を聞いてわくわくしているが、アリアはそんな彼に対し隠したかったのにと言わんばかりに頭を抱えている。
モンスター退治。この世界では魔力が濃い地帯で変異を起こした狂暴な生物を倒すという稼ぎ方だ。倒すと体内に溜め込んだ魔力がクリスタルやパウダーとなるため、それらに不純物として混ざったモンスターの魔力の質で報酬を決めるというシステムだ。
この国オルノや敵国ストルド帝国とも異なる第三の組織『結社』によって運営されており、両国が中立として認定し国や個人単位でも出資されている。軍や憲兵の手があまり回らないモンスター退治で重宝されているからだ。普通に働くより多くの報酬が手に入りやすいため、仕事と両立させてやる人も多いが危険な稼ぎ方でもある。
「君、戦闘経験は?」
「ストルド帝国の近衛兵と王族を簡単に殺害しているわよ」
アリアの言葉にマスターが口笛を吹きつつ驚く。幾ら彼等が使う古代魔法が近代魔法に取って変わられたとはいえ、王族や近衛兵は詠唱や魔方陣等を使うより効果が弱体化する無詠唱で近代魔法に匹敵する力が使えたハズだ。それを簡単に葬り去るという事かなりの実力者だとマスターは考える。
「君は異世界召喚で呼ばれたのかな?」
「ああ、彼女――アリアに呼ばれた」
タクトがマスターに興味を持つ。話を聞いただけで異世界出身だと見抜いた。この時点でただの宿屋のマスターではないと大体理解する。
「学校を卒業したての頃、旅をしていた時に異世界出身だと名乗る同い年くらいの友達が出来てね。君の雰囲気が彼と良く似ていたんだ。とても気さくで面白い奴だったよ。ミツル元気にしているかな……」
異世界人と偶然出会い出会い友達になるというマスターの過去にタクトが驚く。運が良いとかそういうレベルじゃないぞと思いつつも、今でも友達として想っている彼の発言が心から羨ましかった。
タクトも元の世界に友達はいたが、あくまでも表面上の付き合いだけだ。養父が生きている間は家に友達を招待した事が一度もないし、された場合も養父からの“教育”を恐れていたため断ってきた。うわべだけのコミュニケーションでずっと過ごしてきたタクトは親友と呼べる存在が欲しいと願っていた。そんな感情なんてとうに捨てたと思っていたのに、まさか今でも持っているとはと皮肉まじりに笑う。
「タクト?」
「いや、何でもないんだ。何でも……」
タクトが笑いつつアリアの頭を優しく撫でる。アリアが文句を言いたそうに上目づかいで見ているが、タクトも見つめつつ子ネコを手懐ける様に撫で続ける。彼の前では一国の王女としての威厳などなくただやりたい放題にされている普通の少女だ。ついには諦めたのかタクトに身を任せてしまう。
「アリアって面白いよな」
「どういう意味!?」
タクトのからかう言葉に対しアリアは不満そうに言うが、急に彼からマスターお手製のデザートをスプーンごと口に押し込まれ文句が言えなくなる。その後は二人仲良く隣同士で黙々とフルーツたっぷりのケーキを食べつつ香りと味の良い茶を飲む。
「美味しかった」
「ええ」
「ではごゆっくり」
マスターが食器を片付けてからドアを閉め去っていく。同時にアリアがタクトの両手に掴みかかりベッドへ押し倒すが、息がかかるくらい近付かれたタクトは何が何だか解らず困惑している。
「とりあえずじっとしてなさい」
そう言い残すとアリアは赤面しつつ部屋から去って行った。タクトは乙女心は難しいなあと思いながら、靴を脱いでから言われた通りベッドで寝転び始める。それでも暇だったため風呂へ入る事にした。
宿から一度出たアリアは心臓が高鳴っていた。タクトに撫でられてからずっとだ。王女としての自分が撫でられたから悔しくて怒っているわけではない。何故か嬉しさと同時にタクトという少年を意識していたからだ。初めて会ってからそこまで経っていないにもかかわらずタクトが気になる。恋なのかと考えるが即座に否定する。
「タクトは私の命の恩人よ。なのにどうして?」
敵がアリアを殺す気がなかったとはいえ、叔父の用が済めば多くの人間ごと殺されていただろう。確かにタクトは助けてくれたし正直なところカッコ良かったとアリアは考える。それだけで恋をするのだろうかと考えるが、タクトの事を考えるだけで頭が爆発しそうだ。そこで保護欲求だとアリアは自分の中で結論づける。自分はタクトの保護者なんだと思う事で何とか心を静めていく。
「私がタクトは私が護らなきゃ」
そう決意するとアリアは宿屋に再び戻っていく。マスターにあいさつし部屋へと戻っていくと、黒のパジャマを着たタクトがベッドの上に座っていた。
「タクト何してるの?」
「暇だったから風呂に入ってた」
「じ、じゃあ私も入ってくる」
そう言うとアリアは顔を赤くしつつ部屋にある風呂場へと去って行った。タクトは彼女がいなくなった事を確認すると深くため息をついた。
「女心はよく解らないなあ」
タクトには告白された経験はあるものの、家の事情ゆえに全て断ってきたため恋にはそこまで詳しくはない。とりあえず今はストルド帝国の魔の手から護りつつ彼女の願いを叶える。現時点ではそれで良いかとタクトは考えながらアリアを待ち続ける事にした。
ただ、アリアの目的が果たされたらその後はどうしようかと真剣に考える。アリアは王女で自分は元々根無し草だ。彼女と自分が満足する結果になったら、新しい楽しみを一人で探すかなと自分でも理由が解らないほど悲しそうに呟いた。