【2】誰よりも君を
今日もまた1日が終わる。僕は麦茶の入ったコップを煽った。こういう時に酒が飲めたらどんなにいいだろう。残念ながら僕は極度にアルコールに弱く、文字通り一口も飲めない。我ながら損な体質に生まれたものだ。こうなったらヤケだ。僕はコップの中身を一気に飲み干した。
その時、来客を知らせるインターホンのチャイムが鳴った。こんな時間にお客なんて珍しい。こんな夜中に訪ねてくるような友人はいないし、実家も飛行機に乗らないと帰省できないほど遠くにある。何かあったのだろうか。一抹の不安に駆られて僕は慌ててドアを開けた。
「るっ……瑠衣……? 」
ドアの前に立っていたのは、一人の女性。月に一度美容院で染めてもらっているという栗色の髪に鼻の上には子供みたいなそばかすが散らばっていて、屈託のない笑顔を浮かべている。紛れもなく、ずっと行方がわからなかった僕の瑠衣だ。
「……本当に瑠衣なの? 」
僕は信じられなくて目を擦った。頬をつねっても何をしても夢ではなくこれは現実だ。
「本当に瑠衣なんだね!今まで一体どこへいたの? 怪我とか、病気とかしてないよね? 大丈夫? 」
一気に捲したてる僕に瑠衣は困ったように笑って、躊躇いがちに声を出した。
「あの……とりあえず中に入れてくれる? 疲れちゃった。」
気が利かなくてごめん、と僕は瑠衣を椅子に座らせた。質問攻めにしたかったけれど疲れているという瑠衣に無理をさせるわけにはいかないと喉まで出かかった言葉をぐっと堪える。
「あ……ありがとう」
瑠衣は僕から受け取ったほうじ茶入りのコップを口に運ぶ。
「……まず、帰ってきてくれてありがとう。心配したよ。」
僕は瑠衣を怖がらせないように優しくそう切り出した。
「今までどこにいたの? それもこんなに長い間ずっと」
瑠衣は小さな身体を縮めて申し訳なさそうに答えた。
「お父さんとお母さんに会いに行ってたの。
長い間会ってなかったからどうしているのかなって……」
その言葉に少し違和感を覚えた。確か瑠衣の両親はもう亡くなっているはずだ。僕の記憶違いだろうか。それにしてもしゅんとした瑠衣もかわいい。いやいや、ここはちゃんと言って聞かせないと。僕は緩んだ顔を引き締めた。
「だからって何も言わなかったら心配するだろう?
ちゃんと連絡しないと。子供じゃないんだから」
「……ごめんなさい」
小さな身体をより小さくして謝る瑠衣は本当に子供のようだ。
「千秋……怒ってる? 」
瑠衣に上目遣いでそんなことを言われたらどんなに怒っていても許してしまいそうだ。そうでなくても半年振りに瑠衣に会えて喜びのあまり舞い上がりそうなのに、彼女を怒ることができるはずもない。
「怒ってないよ。ちょっときつく言い過ぎた。ごめん。そうだ、お義父さん達は元気そうだった?」
瑠衣はさっきとはうってかわって明るく笑ってうなずいた。病気などはしていないようだ。僕はようやくほっとする。
「ねぇ、私がいないあいだ、寂しくて浮気なんてしてないでしょうね?」
瑠衣は寝室に入る間際に思い出したように言った。
「するわけないだろう?こんなにかわいい奥さんがいるのに。」
僕の言葉に瑠衣はくすぐったそうに笑った。その様子があまりにもかわいらしいものだからたまらず瑠衣の頬にキスをした。
「ふふ……寂しかったでしょ。いいこで待っていたご褒美に一緒に寝てあげようか」
「そんなこと言って、本当は瑠衣も寂しかったんだろう? 」
瑠衣はまたくすぐったそうに笑って僕を見上げる。僕は待ちきれなくなって瑠衣を抱きしめた。そうだとも、君がいない寂しさに胸が張り裂けそうだった。やっぱり僕は君がいないと生きていけないみたいだね。久しぶりに感じる彼女の匂いに胸がいっぱいになって、何か声をかけたいのに何も出てこない。口からこぼれたのはただ一言だけ。
「……愛してるよ」
「私も……」
ごめんね、瑠衣。どんなに君が僕に消えてほしいと望んでも、こればっかりは譲れないみたいだ。何があったとしても君とずっと一緒にいたい。この気持ちだけは誰にも変えさせることなんてできないだろう。