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【14】君の選択





 僕らは最後の夜を迎えた。この夜が終わったら瑠衣は僕の前からいなくなってしまう。愛しくてたまらない僕の宝物。かわいくて、恥ずかしがり屋で、僕を誰より愛してくれた僕の最愛の妻。そんな君が今日、消えてしまう。



 悲しくないと言ったら嘘になる。本当のことを言うと辛くて切なくてたまらない。胸が締め付けられるように苦しくてどうにかなりそうだ。でもそんなことを瑠衣に言えるわけがない。瑠衣は僕以上に辛いだろうから。彼女は自分の死を2度も体験することになるのだ。怖くないわけがない。きっと恐ろしくて不安でたまらないだろう。そんな瑠衣を支えてあげられるのは僕しかいない。瑠衣が少しでもより幸せに過ごしてほしい。僕はこれ以上、何も望まない。


「千秋、こっち来て」


瑠衣が僕を呼ぶ。その声はいつもよりか細く、頼りない。僕は瑠衣のとなりに腰かけた。


「私、千秋と出会えて本当によかった。千秋は私に一生分の愛をくれたもの。すごく感謝してる。ありがとう」


瑠衣は僕の髪を指にからませる。瑠衣は恥ずかしがるといつもこうする。いつもの仕草が僕の胸をより締め付ける。


「まだ瑠衣に『愛してる』って言い足りてない。俺は瑠衣が思ってる以上に瑠衣を大切に思ってるよ」


僕の言葉に瑠衣は嬉しそうにうなずく。


「千秋と初めて出会ったとき、こんなに優しい人に会ったことないって思った。自分のシャツはコーヒーでぐしゃぐしゃなのに私の心配をするのよ。文句ひとつ言わずにね。本当に嬉しかった。一瞬で好きになった。今でもその気持ちは少しも変わらない。むしろどんどん大きくなってる」


瑠衣は愛おしそうに僕をみつめる。その視線に僕はどきっとした。


「それは俺も同じだよ。ずっと瑠衣を愛してる。この気持ちはどんなに時間が経っても変わらない」


瑠衣がシワシワのおばあちゃんになって、僕もヨボヨボのおじいちゃんになっても僕は瑠衣を愛し続ける。……そんなことはもう、できないのだけれど。瑠衣はこのまま僕の記憶の中で今の姿のまま永遠に存在し続ける。僕がシワシワでヨボヨボのおじいちゃんになっていても瑠衣は今の姿のまま永遠に年をとることはない。僕の記憶の中で綺麗に美しく存在し続ける。そんな瑠衣はもう僕の瑠衣ではない。記憶の中の瑠衣は実物より何倍も美化されて、いつも微笑んでいるだろう。でも僕はそんな瑠衣よりも怒ったり、拗ねたり、泣いたりするそのままの瑠衣がいい。ずっと一緒にいて、仲良く皺を刻んでいきたかった。その皺を見て『お互い年をとったね』と笑い合いたかった。老衰して死んでいく瑠衣の最期をみとりたかった。こんなふうに事故で死んでしまうのではなく。もっと人生を楽しんで、まっとうして、寿命を終えてから天国に行ってほしかった。こんなことを思う僕は欲張りだろうか。いや、そんなことはない。多くの夫婦がこんなふうに人生を終えていくだろう。どうして僕らは多くの平凡な夫婦のようになれないんだろう。ただ仲良く、時には喧嘩もしながら生きていきたいだけなのに。何も特別なことは望まない。瑠衣に平凡に幸せな生活を送らせたいだけだ。神様はなぜこんなにも残酷なのだろう。瑠衣から平凡な幸せを奪い、僕からは愛する妻を奪った。僕らは何も悪いことなんてしていないのに。何をしてもいい。でも瑠衣だけは奪わないでほしかった。僕の宝物であり、生きがいであり、支えであり、愛さずにはいられない存在なのだから。



 壁に掛けてある時計をちらりとみる。——0時まであと10分。


「千秋、電気を消して」


瑠衣が僕に言う。


「嫌だ。最後まで瑠衣を見ていたい」

「忘れたの? 私の言うことを23時50分から0時まで何でもきくっていう約束でしょ」


僕はうっと言葉に詰まる。たしかにそう約束した。しぶしぶ僕は部屋の電気を消した。しかしそんなことで僕は諦めたりはしない。だんだん目が暗闇に慣れてきた。ぼんやりと瑠衣が見える。よし! 僕はにやりと笑った。そんな僕の目を瑠衣の手が押さえる。何も見えない。


「お願いだから手を離して。瑠衣を見たいんだ。ねえ、瑠衣。お願いだから」


僕の声が暗闇の中で響く。情けないことに涙声だ。


「ごめんね、それはできない。私はもう決めたの。どちらの気持ちを優先するか」


……気持ち?優先? きっと『忘れないでほしい』という気持ちと『重荷になって邪魔をしたくない』という気持ちのことだろう。一体どちらを選らんだのだろうか。


「私は、千秋の今後の人生の重荷になりたくない。千秋に好きな人が出来た時に私のことで躊躇してほしくない。だから私は、忘れられるほうを選ぶ。だって私は所詮死人。幽霊よ。でも千秋は生きている。私の分まで人生を謳歌してほしい」


瑠衣はそこまで言うと涙を拭った。見えなくてもそれくらいわかる。


「千秋、これは全部夢だったのよ。私が幽霊になって会いに来たなんてあり得る? これは千秋の夢よ。妄想なの」


……瑠衣? 瑠衣が僕に暗示をかけようとしている。

……嫌だ! 瑠衣を忘れたくはない。どんなに辛くても悲しくても覚えていたい。


「千秋、私の言うことをよくきいて。覚えていてもつらいだけよ。夢だと思えば全然悲しくないでしょう全部、全部夢だったの。ただの夢。つらい記憶としてではなく、楽しくて幸せな夢として覚えていて。千秋の中でつらい記憶として存在するなんて嫌。いい思い出としてもつらい記憶としても覚えていてほしくない。ただの長い夢だった。そう思っていて」


僕は暗闇の中で必死に叫んだ。


「嫌だ! 忘れたくなんてない!どんなにつらくても瑠衣のことを全て覚えていたいんだよ」


瑠衣は僕の頬をそっと撫でた。僕はそれが別れの合図のように感じた。


「瑠衣……愛してる」


「私もよ、千秋。——愛してる」


僕の唇にふわりと何かが触れた。そのとき、その瞬間、僕の視界をふさいでいた手の感触がふっと消えた。それだけではない。部屋の中のあたたかくて優しくてほのかに甘い匂いと、僕の妻が消えた。




 瑠衣は、天国へと旅立っていった。たった1人、僕だけを置いて。







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