【13】君の幸せは僕の幸せ
唇が離れると瑠衣は恥ずかしそうにうつむいた。純情な中学生じゃあるまいし。本当に瑠衣はシャイだ。僕の視線に気づいたのか瑠衣が上を向く。瑠衣は僕を怪しむようにみつめるとようやく決心したのか重い口を開いた。
「……本当に私がいなくてもいいのね? また精神を病んだり、家に引きこもったりしない?」
瑠衣はまた僕を疑わそうに見る。僕は大きく自信を持ってうなずいた。もう瑠衣がいないからってそんなことはしない。瑠衣が安心して天国で過ごせるようにしっかりと生きていく。そう心に決めたのだ。
「……私が天国へ行く方法はひとつ。私を『成仏』させればいいの。つまり私の心残りを消せば私は成仏できる。その日の0時ぴったりに私は千秋から見えなくなる。……千秋の目の前から完全に消えてしまう」
瑠衣は声を詰まらせた。たしかに瑠衣は最初こそ気丈に振る舞っていたけれど、『忘れられたくない』『でも千秋の重荷になって幸せを邪魔したくない』という全く正反対の願いと葛藤し続けている。そんな瑠衣にそんなことを言わせるのは酷だったかもしれない。でも悩んだ結果、これが僕らにとって最善の選択だったのだ。こんな中途半端な状態では瑠衣が幸せになれるはずがない。いくら一緒にいたいと望んでも瑠衣は天国へ旅立つべきだ。
「心残り、か。じゃあ、瑠衣は何がしたい? 」
僕はせめて笑って送り出そうと明るく尋ねた。
「それがわからないの。私は今のままで充分幸せよ」
瑠衣は困ったように笑う。僕はしばらく考え込むと新築マンションの広告チラシとボールペンを持ってきた。
「なあに? 私、新しい家なんて欲しくないよ」
僕は広告チラシの裏側を上にしてテーブルの上に置く。
「やりたいことをここに書き出してみてよ。どんな小さなことでもいいから書いてみて」
僕は瑠衣をテーブルの前の椅子に座らせるとボールペンを手渡す。瑠衣はしばらくの間躊躇していたけれど書き始めた。
・スティービー・ワンダーの〝I just called to say I love you〟のCDを買う
・23時50分から0時まで瑠衣の言うことを何でもきく
・ずっと一緒にいる
「これが、心残り?」
僕は軽い衝撃を受けた。……なんというか、これは……いくらなんでもつつましすぎじゃないか?どんな小さなことでもいいとは確かに言った。けれどたった3つだなんて。しかもこんなにも安上がり。この世で最後にやりたいことがそれだけって……
「3つめのはできないけれど最初の2つならできるでしょ? お願い、千秋。叶えてくれる? 」
瑠衣にこんなにもかわいくおねだりされたら嫌でも叶えてあげたくなるに決まっている。
「じゃあ、最初のCDを買いに行こうか」
僕らは手を繋いでCDショップへ行く。瑠衣の手は小さくて幽霊とは思えないほどあたたかい。ずっとこうしていたいくらいだ。お目当てのCDはすぐみつかり難なく買うことができた。……こんなので瑠衣は無事に成仏できるのか? とてつもなく不安だ。
「ありがとう、千秋。私、この曲大好きなの。ほら、よく歌ってたでしょ」
瑠衣は満面の笑顔を見せる。言われてみれば瑠衣はこの曲ばかり歌っていた。ハミングと歌詞が混ざっためちゃくちゃな歌い方だったけれど毎日のように口ずさんでいたものだ。英語の発音もでたらめだったのに不思議と心地よい響きで僕も瑠衣の歌声に聴き惚れていた。
「まだ23時まで時間あるけどどうする?遊園地とか映画館とかに行ってみようか」
僕は瑠衣の顔を覗きこむ。色白の瑠衣はすぐに耳まで真っ赤になった。かわいい。
「ううん。千秋と行ったことのある場所がいい。思い出の場所に天国に行く前にもう1回行きたいな」
瑠衣は顔を赤らめてうつむく。うぶな中学生カップルじゃあるまいし。半分呆れるけれどちょっといじらしく感じる。
「今日私がしたことの中で何が心残りだったのかわからないってことは、もう心残りは消えたかもしれないでしょう。だから成仏する前に思いつくこと全部やっておきたい」
瑠衣はそう言うと期待を込めた視線を僕に送る。思い出の場所をピックアップして連れて行けという命令にも近い視線だ。僕は黙ってそれに従う。僕は瑠衣の喜ぶ顔が見たい。そのためなら何だってする。ある意味瑠衣の忠実な奴隷だ。ご主人さまに奉仕するのが奴隷の喜び。僕は瑠衣の手をそっと握った。
僕らは思いつく中で思い出深い場所をひとつずつまわって行った。初めて瑠衣と出会ったカフェ。初めてデートに行った映画館。初めてキスした公園の噴水。初めて喧嘩したケーキ屋。たしかチーズケーキをレアにするかベイクドにするかで言い合いしたんだっけ。今思えばくだらないことだけれど当時の僕らは真剣だった。……恥ずかしい。
「一通りまわったけれどどうする?もう夕方だし、家に帰ろうか? 」
僕は瑠衣の機嫌をとるように言う。今日は瑠衣の好きなように過ごさせてあげたい。
「……やりたいことリストにひとつけ加えてもいい?」
珍しく遠慮がちに瑠衣が尋ねた。
「別にいいけれど、何をつけ加えるの?」
僕は記憶の中をいくら探しても思い出の場所なんてもう見つからない。
「私、怖がりで高いところに行ったことないの。でも幽霊になった今なら怖いものなんてないでしょう? だってもう死んでいるんだもの。だから、観覧車に乗ってみたい。」
うつむいてはにかむ瑠衣……かわいすぎる!そんな顔でおねだりなんてされたらもう何だってする。かわいすぎて軽く目眩がするほどの破壊力。瑠衣がそれを計算してやっているとしたら相当の男キラーだ。我が妻ながら恐るべし。
僕らは観覧車に乗り込んだ。……忘れていたけれど観覧車っていうのは結構揺れる。それにこの観覧車の売りは『スリル』だ。天井、椅子、床、窓、扉。全てが透明な素材でできている。はっきり言って、めちゃくちゃ怖い! 別に僕は高所恐怖症というわけではない。むしろジェットコースターとかの絶叫系のアトラクションも好きだ。でもこういうゆっくりじわじわと恐怖がやってくる感じは苦手らしい。
「ねえ、千秋。観覧車がてっぺんにきた時に願い事をするとそれが叶うって話、知ってる?私達も何かお願いしようよ」
願い事? 願い事ね……あまりの恐怖に身体が震えていたけれども必死に考える。
「瑠衣は何をお願いするの?」
参考にしようと瑠衣に尋ねた。
「ふふ……秘密。こういうのは誰かに教えると叶わなくなるってお約束でしょ」
瑠衣はそう言うと手を合わせて目をとじる。もうすぐてっぺんにつくようだ。どうしよう。何も考えてなかった。瑠衣と幸せに暮らせますように……駄目だ。瑠衣は今日、天国へ行ってしまう。わかっていたことだけれど思い出したら悲しくなってきた。いやいや、ちゃんと考えなければ。瑠衣が生まれ変わったらまた会えますように。いや、待てよ。瑠衣が男になったり、人間じゃなかったりしたらどうなるんだ? そうなった時に瑠衣の生まれ変わりに『愛してます』なんて言えるだろうか。僕がわかっていても向こうからすれば初対面だ。変態扱いされるに決まっている。
ああ、神様。どうかお願いです。僕はどうなってもいいです。その代わりに瑠衣の幸せを約束してください。お願いだから、瑠衣が不幸にならないようにしてください。瑠衣の不幸を僕が肩代わりしますから僕の幸せを瑠衣にあげてください。どうか瑠衣には辛いことや悲しいことが起きないようにしてください。僕は瑠衣が幸せでいてくれれば、それで充分ですから。




