【12】君の好きなもの
瑠衣の好きなもの。
トルコ石のような色にちょっぴり紫がかった空。 つるりとまるみをおびたひんやりと冷たい石。
ジェリービーンズの詰め合わせ。
彩色豊かなガラスを散りばめたステンドグラス。
はちみつに漬けたレモン。
秋の訪れを感じるキンモクセイの甘い匂い。
ミルキーなパステルカラー。
陶器でできたどこか寂しげな女の子の人形。
ざくろの爽やかできつめの酸味。
ごく薄めの緑に青紫が混じった透明な海。
暖かい木漏れ日。
オルゴールのいつ止まるかわからないゆったりとした音色。
『ひよこ豆』の発音。
日曜日の昼下がりの窓辺。
透き通った色とりどりの飴玉。
初雪色の人工的で甘ったるいマシュマロ。
光を反射してキラキラしているビーズ細工。
冬物のコートのフードに付いたファー。
雪うさぎの南天の濃い赤色の実でできた目。
天気雨。
大切な人と過ごす穏やかな沈黙。
キスの後のちょっぴり気まずい時間。
そして、相穂千秋。
僕はこれらをいつでもそらんじることができる。今日はこれらを全て揃えた。ほとんどはもう家にあるものだったから簡単だった。もっとも、木漏れ日と海と雪うさぎと天気雨は今は用意できかったのだけれども。なぜこんなことをしているのかというと、今日は瑠衣に僕の決心を打ち明けるからだ。それにあたって、瑠衣には満足してもらわなければいけない。そこでお気に入りの品々を揃えたというわけだ。瑠衣が窓辺でうとうとしているうちに並べるのは大変だった。
「……ふぁ……私、眠っちゃったみたい。ごめん、千秋。今お昼ごはん作るから」
瑠衣はのっそりと起き上がるとまだ完全に目覚めていない目をこする。その様子は寝起きの幼女のようでかわいらしい。
「……あれ、なんでテーブルの上がこんなにごちゃごちゃしてるの? しかも私の好きなものばっかり。ざくろにオルゴールにマシュマロに——千秋、これ全部どうしたの? 」
瑠衣は目を輝かせる。よっぽど嬉しかったようだ。早速飴玉の個装の包みを破って口に放り込んでいる。瑠衣の好きな梅のペーストが入っている飴玉だ。僕は甘くて酸っぱいという曖昧な味が苦手だったけれど瑠衣の好物のひとつだ。僕は意を決して口を開いた。
「あのさ……瑠衣に言うことがあるんだ。なんていうか、その……瑠衣に天国に行ってほしい」
僕は早口に言い終えると、無事に伝えられた安堵のため息をついた。
「……つまり私に、成仏してもらいたいってこと? 私はもう必要ないってこと?邪魔だってこと? 嫌いになったってこと? いらなくなったってこと?そりゃ、そうよね。死んだはずの妻が幽霊になって夫につきまとうなんて気持ち悪いものね。それに私が死んで半年以上も経つ。戸籍上は千秋は独身。好きな人でもできたんでしょうよ。確かに私、好きな人を作って新しい幸せを掴んでほしいって思ってる。でもこんなにもつらいとは思わなかった。こんなのってひどい。あんまりよ……」
瑠衣は強い口調とは裏腹にめそめそと泣きだす始末。
僕は口下手で思うように瑠衣に気持ちを伝えられない。瑠衣はめそめそからより大きく泣き始める。
「ごめんよ。瑠衣が邪魔なわけがないじゃないか。
言葉足らずでうまく伝えられなかっただけだよ。本当に、ごめん。」
瑠衣は顔を覆っていた手をぱっと退ける。
「……本当に? 私、邪魔じゃない? 」
こういう上目遣いの瑠衣ほどいじらしくかわいいものはない。僕の胸を的確に捕らえる。でも僕は瑠衣を抱きしめたい衝動をぐっとこらえる。
「瑠衣は幽霊だ。生身の人間によく似ているけれど幽霊なんだ。ずっとこの世にいるわけにはいかないよ。もしかすると今後の輪廻に影響するかもしれない。寂しいけれどこれは自然のことなんだ。いくら嫌でも、これは僕ら人間がどうこうできる問題じゃない。——瑠衣は、天国に戻るべきだ」
瑠衣は何も言わなかった。ただ黙ってうつむいていた。下唇を噛んで涙を我慢しているのだろう。よほど強く噛みしめているのかうっすらと血が滲んでいる。
「自然、か。確かにそう。死んだ人間が天国にも地獄にも行かないでいるのは異常よね。このまま千秋と生活できないって、本当はわかってた。だって不自然よ。自然の法則に反してる。わかってたけれど千秋ともっとずっと一緒にいたかった。まだ全然『好き』って伝えられてないし、まだ千秋に何もしてあげられてない。千秋はいつも私に『愛してる』って言ってくれたのに。一生分の愛してるをくれたのに。私は、私は……」
瑠衣は嗚咽をこらえきれなくなったのかまた泣きだす。
「これだけは忘れないで。瑠衣を誰よりも愛した人間がここにいるって。不器用で口下手でアルコールに弱くてつまらない男だけど、誰よりも瑠衣を愛してる。君のためならなんだってする。銀行強盗でも人殺しでもどんな犯罪だってする。瑠衣の望みは何だって叶える。それが瑠衣の望む愛のかたちなら。お願いだから笑って。また笑顔をみせて。笑わなくたっていい。元気でいてくれたらそれだけでいい。瑠衣が幸せならそれ以上何も望まない。たとえ会えなくなっても離れていても夫婦なんだ。あと50年もすればきっとまた会える。それまで待ってて。何があったとしても気持ちは変わらない。永遠に瑠衣だけを愛し続ける。だから安心して。泣かないで。瑠衣には笑顔が一番似合うんだから」
僕らはそれ以上何も言わなかった。言葉なんて必要なかった。そんなものは僕らの気持ちを半分も形容できないのだ。ただ相手の目を見るだけで気持ちが伝わってくる。でも僕の愛は君に全ては伝わっていないだろう。海よりも深く、山よりも高い? 冗談じゃない。そんなものに僕の気持ちはたとえられない。それはもうすさまじいほど僕の胸をいっぱいにさせる。誰よりも、何よりも、どんなものよりも君を愛しているよ。いつまでも、君だけを愛し続ける。
僕らはそっとキスを交わした。
相穂千秋の好きなもの。
落ち着いた音色のクラシックギター。
秋の浅葱色の空。
甘い匂い。
そして、相穂瑠衣。




