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【10】君を愛するからこそ




「……き! ……秋! ……千秋!ねえ、お願いだから目をあけて! 」


 ……瑠衣? ああ、僕、死んだのか。身体がまるで自分のものじゃないような気がする。身体の節々がひどく痛む。特に頭痛がひどい。頭の中で小人が暴れまくっているような痛さだ。視界がかすんでいるけれど瑠衣の泣き顔が見える。それも当然か。自分の留守中に夫が自殺を図ったのだから。立場が逆なら僕も泣き叫んでいただろう。


「……瑠衣……ごめ……」


瑠衣に少しでも早く触れたくて懸命に手を伸ばした。僕のその手を瑠衣は離すまいとしっかりと握る。そのやわらかな質感はまさしく瑠衣のものだ。温かくて、ほのかにハンドクリームの甘い匂いがする。


「よかった……心配したんだからね、本当にもう!

どうしてこんな事したの? 洗面器に頭から突っ込んで寝ちゃうだなんて。いくら具合が悪いからって頭を冷やすのにそんな方法、非常識すぎる。いくら千秋がズボラだからって冷却シートとか冷やしたタオルだとか他にも方法があったでしょうに。私が財布忘れて家に戻ってきたら千秋が倒れてるんだもの。死ぬかと思うほどびっくりした」


瑠衣は涙をしきりに拭う。安心して力が抜けたのか床にへたりこんでいる。泣き笑いの瑠衣も相変わらずかわいい。僕が瑠衣なりのユーモアのセンスに気づくのにしばらくの時間を要した。



 それにしても僕は無事に死ぬことができたのだろうか。あまり実感がわかないのでいまいちわからない。


「でも、千秋が無事でよかった。今は身体中が痛いだろうけどきっとすぐ治ると思う」


瑠衣は僕の頭をそっと撫でる。そうされる度に痛みが消えていくような気がする。そのとき、僕の頭の中にようやく瑠衣の言葉が届いた。……無事? 僕が、無事…… もしやまだ死んでないのか!? 僕はガバッと勢いよく起き上がった。


「あっ、駄目よ。まだ寝てなくちゃ」


瑠衣の制止を振りきって僕は頭を抱えた。


「……もしかして、死んでなかったり……する?」


僕のためらいがちな質問に瑠衣は嬉しそうに答えた。


「そうよ。幸運なことに千秋は助かったの。私が早く気づいて介抱したんだもの。当然よ」


瑠衣は胸を張って僕を見る。どうやら僕は助かったようだ。


「介抱って、そんなことできたっけ? 」


瑠衣が救命処置ができるなんて今まできいたことがない。瑠衣は威張るでもなく言った。


「人工呼吸は学生の頃に講習会で習ったの。役に立って本当によかった」


瑠衣は照れ笑いをすると僕を無理矢理横にさせる。瑠衣は僕が自殺を図っただなんて露ほどにも思っていないのだろう。僕はとりあえずほっとする。まだチャンスはあるのだ。


「もし千秋が死んだりしたら私はどうしたらいいのかすごく不安でしょうがなかったのよ。このまま目覚めなかったらと思うといてもたってもいられなくて……」


瑠衣はあまりにも泣きすぎたせいで涙腺がおかしくなったのかまたさめざめと泣き始めた。


「でももし死んでいたら瑠衣と一緒に天国に行けるかもしれないんだよ?幽霊同士になれるのにそれでも悲しい? 」


僕はつい勢いこんで質問攻めにしてしまった。明らかにうろたえる僕に動揺することなく瑠衣は即答する。


「もちろんよ。千秋には自分の人生のまっとうしてほしいから。そんなふうに急いで死んでほしくない。これから千秋は後50年は生きるはずでしょう。きっと自分自身よりも大切な存在がたくさんできる。それなのに死んじゃうなんてもったいない」



瑠衣は僕を抱きしめた。瑠衣の温かくて甘い匂いが鼻孔をくすぐる。その匂いが僕の気持ちを落ち着かせる。



 つくづく僕は馬鹿だったと思う。こんなことをして、瑠衣が喜ぶとでも思ったのか。逆に悲しむに決まっている。瑠衣と一緒にいたい一心で瑠衣を悲しませるだなんて本末転倒じゃないか。何の意味もない。

 『過度の愛情は愛する人を縛りつける。』

 僕が結婚するときに親父に言われた言葉だ。今、それを身に染みて感じる。親父もこんな経験をしたのだろうか。こんなにも苦い思いをしたから僕に忠告してくれたのだろうか。僕は、自分が怖い。とても、恐ろしい。僕の愛情で瑠衣が傷ついてしまう。僕はただ、瑠衣を愛しているだけなのに。君は僕に対してとても優しかった。何をしても最後には笑って許してくれた。いつも君は笑っていた。つらい時も、悲しい時も、苦しい時も。あまりにも君の笑顔がまぶしくて、あまりにも君の声が優しくて、あまりにも君の行動が愛おしくて、あまりにも君の姿が麗しくて、あまりにも君の存在が離れがたくて。瑠衣が愛しすぎて、大切すぎて、僕は君を、愛しすぎた。好きすぎて好きすぎてたまらない。『好きだ』『愛してる』そんな安っぽくて使い古された陳腐な言葉なんかでは僕の気持ちは到底説明できない。瑠衣を人類の言葉で形容できないのと同じように。誰よりも愛おしくて狂おしいほどに愛さずにはいられなかった僕の宝物。ずっと一緒にいたい。一緒に笑っていたい。もっと抱き合って、キスして、愛を確かめ合いたい。



 でも僕は、決めなければいけない。愛するからこそ、手放さなければならない。大切だからこそ君を閉じ込めたままにしてはいけない。君のために、自由にさせてあげなければならない。君を僕の愛で縛り付けてはいけない。誰よりも大事な君を傷つけたくはない。もう僕は君を、守ってあげることができないのだから。愛するからこそ決断しなければならないのだ。





 ——瑠衣との、別れを。




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