【9】君といるために
本当はこんなことは駄目だとわかっている。でも僕は臆病だから自分から言い出すことなんてとてもじゃないけれどできない。『死者を人間のわがままでこの世にとどまらせる』なんてこと、やっていいわけがない。わかっている。わかっているけれどもそれができないのだ。瑠衣に心配させたくないし、人生をまっとうしたのだから天国でゆっくり休ませてあげたいとも思う。でも瑠衣のいない生活なんて考えられない。こんなにも愛していて、こんなにも愛しく思っていて、こんなにも大切に思っているのに瑠衣を手放せるわけがない。でも、瑠衣はきちんと天国へ行くべきだ。幽霊なのに地上にとどまるなんて瑠衣の今後の輪廻に影響するかもしれないじゃないか。わかっているのにできないのは僕が瑠衣を愛しすぎたせいだ。愛しくて愛しくてしょうがない。神様というのは残酷なものだ。瑠衣が行方不明だと思っていたほうがよっぽど楽だった。こうなることを見越して瑠衣は『猫の幽霊だ』なんて突拍子もないことを思いついたのかもしれない。あのまま幸せな誤解をしていたほうがよかったのだろうか? しかし、後悔してももう遅い。僕はこの残酷な選択に苦しむことを選んだのだから。美人薄命とよくいうけれどまさにその通りだ。ずっと一緒にいたいだなんて夢が叶うはずもない。
いっそこのまま死んでしまおうか。瑠衣のいない世界に未練などないし、僕の両親は2人とも超がつくほど元気で田舎でのんびりと暮らしている。僕が死んだところで数日は悲しむかもしれないけれど兄や妹がうまくやってくれるだろう。お世辞にも出来がいいとは言えない次男坊が死んだって何年も泣き暮らすような人達ではないのだから。会社にだって僕がいないとできない企画やプロジェクトがあるわけでもない。いかに僕という人間に必要性がないか身に染みて感じる。そうだ。死んでしまおう。二人仲良く天国へ旅立つのだ。悲しむ人間なんてひとりもいないし瑠衣といられないのなら生きていても意味がない。もう死んでしまおう。とにかく早く静かに逝きたい。
そうと決まれば勢いがあるうちに実行あるのみ。溺死か、焼死か、辛そうだけれどこの際餓死でもいい。手首でも切ろうか。それとも睡眠薬でも飲もうか。首を吊ろうか。それとも屋上から飛び下りようか。少々格好がつかないけど水を張った洗面器に顔を突っ込むのもいい。死ぬのにかっこいいも悪いもない。プロの殺し屋に頼もうか、それともネットで毒薬でも買おうか。その方が早く楽に死ねるだろう。ああ、早く瑠衣と死後の世界へ行きたい。僕は悪いことをした覚えはないし虫だってゴキブリと蚊くらいしか殺したことがない。人並みに人助けはやってきたしきっと無事に天国へ行けるに違いない。我ながらいいことを思いついたものだ。やっぱり洗面器自殺が一番手軽だろう。楽だし、すぐ出来るし、手っ取り早い。処理も比較的簡単だろうからかかる迷惑も最小限で済むはずだ。僕としては死に方を選べるなら綺麗に死にたいと思っている。せめて死んだ後僕を見た人が不快な思いをするような死に顔を晒したくはない。
「千秋、何考えているの? 珍しく真面目な顔なんかして。また私を天国へ行かせないように何か考えているんじゃないでしょうね? 」
瑠衣はかわいらしく首をかしげて上目遣いに僕を見る。こんな瑠衣と一緒にいられるなんて僕は世界一の幸せ者だ。早く瑠衣と天国に行きたい。
「瑠衣、ちょっとルーズリーフを買ってきてくれないかな? 明日、会社の講習会のメモに使おうと思ってさ。でも最近風邪気味で外に出られそうもない」
「風邪気味って大丈夫なの今買ってくるから寝てなよ。薬は戸棚に入ってるからつらくなったら飲んでね。ゼリーもあるから食べてもいいよ」
瑠衣はあわててコートを着ると走って買いに行ってくれた。こんなにも優しい瑠衣を騙すなんて胸が痛むけれど自殺なんて瑠衣が許してくれるはずもない。
こうでもしないと瑠衣はいなくなってくれないのだから仕方ないのだと思うことにする。早くしないと瑠衣が帰ってきてしまう。急いで実行しないと。
僕は風呂場から洗面器を取り出して水を張る。冷たい水だと寒いのでぬるま湯を注ぐ。
こんなこと、今から自殺するという人間が考えることではない。僕は最後まで臆病者だな。自虐的に笑った。そういえば遺書はどうしよう。何もないのはおかしいかもしれない。僕は縦長の便箋を取り出して『瑠衣のところへ行きます』と書きなぐる。僕の字は汚くて格好がつかない。ペン習字でも習っておけばよかった。まあ、いいや。瑠衣以外の人にどう思われようと構わない。そんなことより早く死んでしまおう。
僕は今日、瑠衣のもとへ旅立ちます。お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。平凡だけれど幸せな人生でした。では皆さん、さようなら。いつまでも、お元気で。
僕は洗面器に顔を浸けた——




