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第10章 『シャーマンの決断と、群れの移動』

◆森のざわめきと、夜の目覚め


 湿った森の匂いが、隼人――いや、ハヤトの鼻を優しくくすぐった。


 目を開けると、そこはいつもの巣の前だった。

 だが世界の“見え方”は、明らかに違っている。


(……これは、また一段階、世界の色が濃くなったな)


 風が、木々の間を縫うように吹き抜ける。

 その風の“流れの癖”だけで、森の奥の危険がぼんやりと感じ取れる。


 心の奥に、誰かの感情が触れる。


——こわい。

——ねむい。

——おなか、すいた……


 幼体たちの思念。

 まるで声のように届いてくる。


(……これが、シャーマンの感覚か。

 ただの五感じゃない。“揺れ”が見える)


 自分でも驚くほど冷静に、ハヤトはその変化を受け入れていた。



◆朝の群れと、不穏な風


 巣穴から成体が顔を出す。


——ハヤト。

——きょう、みち、みろ。


 リーダー格の成体ゴブリンが、低い声で言った。


「……ああ」


 返事をすると同時に、ハヤトの鼻がひくりと震えた。


(風が……重い)


 空気の中に、鉄の匂い。

 油。

 擦れた革。

 そして、乾いた血の気配。


(この匂い……人間だ)


 だがただの“狩り”に来た人間ではない。

 数が多い。方向も、いつもと違う。


 森の奥で、“杭”が何本も刺さったような気配があった。


(こちらの位置を囲うように……複数の隊が動いている)


 索敵者の感覚に、シャーマンの直感が重なり、

 ひとつの答えが浮かぶ。


(……討伐隊だ)


 前に、ホブの自分が死んだ焼け跡がある。

 あの延長線。

 今回は、もっと規模が大きい。


 逃げなければ全滅する。


 だが、逃げれば気づかれる。

 戦えば、勝てない。


 ハヤトの背中を、幼体がそっと掴んだ。


——ハヤト。

——こわい……


(……そうだな。俺も怖い)


 だがその“怖さ”は、隼人(現実の自分)が海外派遣で学んだものと同じだった。


(怖いからこそ、決めるんだ)



◆会議にならない“会議”


 巣の広場に、五体の成体が集まった。


——にんげん、くる。

——たたかう?

——にげる?

——かくれる?

——いくさ、か?


 言葉は断片だ。

 だが“焦り”“怒り”“恐怖”“混乱”、全てがハヤトの胸に流れ込んでくる。


 リーダー格の成体が吠える。


——ここ、まもる!

——たたかう!


 別の成体が叫び返す。


——たたかえない!

——にんげん、おおい!

——ここ、しぬ!


 幼体が泣きそうな声で震える。


——いや……

——こわい……


 群れは、割れていた。


(このままじゃ、まとまらない)


 だが、ハヤトの中にはもう別の基準がある。


 海外派遣で、隼人は“専守防衛とは撃たれ損で待つことではない”と知った。

 そして、“守るために前へ出る”という答えに辿り着いた。


 異世界でも同じだ。


(前へ出るのは、死ぬためじゃない。

 守るために、生きて、道を選ぶ)


 ハヤトは、一歩前へ出た。


 すると、周囲の“感情の揺れ”が一瞬で静まった。


 シャーマンの力だ。


——ハヤト……

——まえ、たった……


「……聞け」


 ハヤトは、ゆっくり言った。


「たたかわない。

 にげる、だけでもない。

 みちを――かえる」


 成体たちがざわめく。


——みち?

——どこ?

——ここ、すみか。


 ハヤトは頭を振った。


「にんげん、おおい。

 たたかえば、しぬ。

 かくれても……みつかる」


 そして、胸に手を当てる。


「まもる、ために。

 いきる、ために。

 ……でる」


 巣から出る。

 すなわち、大規模な移動。


 巣を捨て、新たな森へ。


 成体たちは迷い、恐れ、怒り、そして――希望の揺れを見せた。


(大丈夫だ。道はある)


 ハヤトには見えていた。


 風の流れ。

 獣の道。

 水の匂い。

 人間の足跡が薄い方向。

 “危険の揺らぎ”が静かな場所。


 それはまるで、地図そのものが頭の中で光っているようだった。



◆ハヤトの導き、群れの出発


「まず、みな、しずかに。

 ならんで。

 ちいさいもの、まんなか。

 おおきいもの、そと。

 ハヤト……まえ」


 その指示に、群れは無意識のうちに従った。


 幼体が真ん中。

 弱い個体が続き、強い者が外側に。


 まるで軍の行動のような整列だった。


——ハヤト……

——みち、しめす……


 幼体が震える小さな手で、ハヤトの尻尾をそっと掴む。


 ハヤトはその手を優しく握り返した。


(大丈夫だ。守るからな)


 森の奥へ一歩踏み出した瞬間、

 風が“正しい進路”を指し示すように吹いた。


 シャーマンの感覚が、危険を避けるように誘導してくれる。


——ひだり、にげろ……

——やま、まわる……

——かわ、こえるな……


 森が語りかけてくる。


 ハヤトは、その全てを理解していた。



◆人間の包囲をすり抜ける“森の道”


 移動は夜通し続いた。


 人間の足音。

 火の匂い。

金属の擦れる音。

 複数の隊が森に広がりつつある。


 ハヤトは群れに合図した。


「とまれ。

 きこえるか……?

 にんげん。

 たくさん、まえ」


 成体たちが息を呑む。


——どう、する?

——まわる?


「ちがう。

 うえ、だ」


 ハヤトは木の根に手を置き、

 細い獣道を見つけた。


 人間の目には映らないが、

 獣たちが何年も使ってきた小さな迂回路。


「ここ。

 いける」


——いける?

——ほんとう?


「まえへ。

 おれ、みち、しめす」


 迷いを消すように、ハヤトは先頭を切った。


 群れはその後に続く。


(俺が止まれば、みんな止まる。

 俺が行けば、みんな進む)


 責任は重い。

 だが、不思議と恐怖はなかった。


(これは“決断”だ。

 生きて守るための――)


 森の影を一つ越えるごとに、

 武装勢力の範囲が遠ざかっていく。



◆新しい巣、朝の光


 空が少し明るくなり始めた頃。


 森の奥が急に開け、

 水の匂いと、安全な気配が満ちた場所に出た。


 古い木の根が絡まり、

 隙間には小さな洞窟がある。


 外敵の気配は薄く、水源が近い。


(……ここだ)


 ハヤトは立ち止まり、群れを振り返った。


「ここ。

 あたらしい、すみか」


 幼体が駆け寄る。


——ほんとう?

——ここ、いきられる?


「いきられる。

 あんぜん。

 ここなら……まもれる」


 その瞬間、成体たちが声を上げた。


——ハヤト……

——みち、しめした……

——まもった!


 リーダー格の成体が、

 深く頭を垂れた。


——シャーマ。

——われらの、みち。


 幼体がハヤトの足にしがみつく。


——ハヤト……

——すき……


 胸の奥に、熱いものが広がった。


(俺は……守れたんだな)


 前回、守れなかった命。

 炎の中で失った幼体。

 焼け跡で掴んだ後悔。


 それらが、ようやく少しだけ報われた気がした。



◆二つの世界の重なり


 朝日の中で、ハヤトの視界がゆらりと揺れた。


(……来る)


 森の光が薄れ、

 代わりに白い天井が浮かび上がる。


 現実世界の匂い。

 コンテナ宿舎の乾いた空気。


 隼人はゆっくりと目を開けた。


 胸の奥には、まだ“森の風”が残っている。


(専守防衛……

 生きて守るために前へ出る。

 異世界でも、同じ答えに辿り着いたんだな)


 腕を見ると、汗がじっとりとついていた。


 遠くで鳴る発電機の音が、朝を告げていた。


 窓の外の空は、淡く明るくなり始めている。


(よし……今日も守りにいくか)


 隼人は、ゆっくりとベッドから立ち上がった。


——まもれ。

——いきろ。

——みちを、しめせ。


 耳の奥に、ハヤトの声と森の声が重なる。


「了解だ。

 ……今日も“前へ出る”。」


 そう呟いて、隼人は新しい一日へ踏み出した。


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