アイだけがそばにいる
佐倉愛。名前からして、もう完璧だった。まるで俺に“愛”そのものが舞い降りてきたみたいで、最初は名前だけでテンションが上がったもんだ。
—
「孝志、お前、まだ婚活やってんの?」
オンラインゲームのボイスチャット越しに、大輔の声が響く。聞き慣れたトーンだが、今日はいつもより少し刺さる。俺、田中孝志(35歳)。趣味はオンラインゲーム、特技は失恋。はいはい、またその話題かと、ため息をつきながらコントローラーを握り直す。今は大輔、哲也、翔太、俺といういつものメンバーでゲームをしている。
「やってるっつーか、やらされてるっつーか……」
俺、正直もう疲れてきた。飲み会、街コン、婚活パーティー。名札つけてニコニコして、相手の趣味に合わせて話題を合わせる。ちょっと頑張ったら「重いです」とか言われ、軽く流せば「誠意がない」だの。何この無理ゲー。出会いは多いのに、成果ゼロ。完全にバグってる。
「そろそろ成果出さないと、孝志、終わるぞ?」
哲也の追い打ちがズシンと響く。わかってるよ、そんなことは。お前らは次々と結婚、子供までできて、家族の写真とLINEスタンプとか送ってくる始末だ。俺は何だ? 一人暮らしのワンルーム、冷めたピザとビール片手に深夜のゲーム。孤独死がリアルに見えてきた。
「てかさ、正直、もう人間関係が面倒なんだよな」
俺の本音がポロリとこぼれる。
「お前、それ言ったら終わりだろ。でもまあ……そんな孝志にはこれだな」
翔太がチャット欄にリンクを貼る。『最先端AIマッチング結婚相談所』と書かれた怪しげなサイト。見た瞬間、苦笑した。
「いやいや、これ絶対胡散臭いやつだろ」
「バカ、今流行りのAIだよ? 人間が結婚相談所をやるほうがむしろ時代遅れ」と翔太が言った。
「AIでの出会いの方が間違いないかもな~w」
3人の笑い声が広がる。まあ、ジョークのつもりだろう。けど、俺の中で何かがチクっと刺さった。確かに、人間はめんどくさい。駆け引き、裏切り、気まぐれ。もううんざりだ。
「……いや、でもさすがにAIでマッチングはないわ」
そう自分に言い聞かせる。でも、俺の親指は気づいたらリンクをタップしてた。
数日後。結局、俺はその相談所に登録していた。笑える。プロフィール写真も適当にスマホで撮影。好きなタイプ?「優しくて家庭的な人」――テンプレそのもの。もう希望なんてとっくに捨ててる。どうせまた空振りだろ、と半ばヤケクソ気味だった。
それでも、内心どこかで期待してる自分が嫌だった。なにせ、こう見えて俺は恋愛体質。振られても振られても、また立ち上がるゾンビのような生命力を持っている。いや、持っていた、が正しいか。
数日間、音沙汰なし。やっぱりな、とスマホを投げ出したその夜、通知が鳴った。
【マッチングが成立しました】
目を疑った。え? マジ? しかも、プロフィール写真がめちゃくちゃ美人。佐倉愛、32歳。笑顔が優しげで、コメントも「初めまして。ぜひお話ししてみたいです」だとさ。
「……いや、逆に怖いだろこれ」
俺は目を細め、画面を睨みつけた。美人で、感じも良くて、最初から積極的。地雷臭MAXじゃねえか。でも、数秒後には返信を打ち込んでた。「こちらこそ、よろしくお願いします!」
チョロいな、俺。
その夜、ゲーム仲間に報告。
「ついにマッチしたわ」
「おお!やるじゃん!」
「どんな人?」
「……美人。めちゃ話しやすい」
「うわ、また怪しいやつじゃね? 美人局とかw」
「いやいや、今度はマジっぽい」
俺はテンションが上がっていた。メッセージのやり取りも軽快で、話題を振ればすぐ反応が返ってくる。まるで俺の思考を読んでるかのようなタイミング。仕事の愚痴にも「大変でしたね、頑張りましたね」と完璧な共感。何これ、天使か?
「お前、ワンチャン結婚まで行けるんじゃね?」
「いや、さすがに……」
言いつつも、内心ガッツポーズを決めていた。これは運命かもしれない、なんて、普段なら絶対口にしないセリフが頭をよぎる。
「マジで運命かも」
俺はスマホの画面を食い入るように見つめながら、ニヤつきを隠せなかった。佐倉愛――その名前だけでも美しいのに、写真も完璧すぎた。32歳、事務職。趣味は読書と映画鑑賞。なんかこう、いかにも「ちゃんとしてる系女子」ってやつだ。
しかも、メッセージが尋常じゃなく気が利いている。例えば俺が、
「今日も上司がうるさくてさ、マジ無理ゲー」
と送ると、すぐに、
「それは大変でしたね……。孝志さんはきっと真面目だから、余計にストレスが溜まっちゃうのかも」
いやいや、初回から“孝志さん”呼びは反則だろ。しかも、俺の性格を数行のやり取りで見抜いてくる感じ。こっちは「お?」ってなるしかないじゃん。
「てか、なんか察し良すぎね?」
自問しつつも、心地よさが勝つ。だって、これまで俺が出会った女たちは、だいたい“自分語りモンスター”か“謎の上から目線お姉様”ばかりだった。そんな中で、佐倉愛は違った。聞き上手で、受け止め上手。しかも時折、「私も仕事で失敗しちゃって…」と自分の弱さも見せてくる。絶妙なバランスだ。
数日後、俺はもうドハマりしてた。朝起きたら「おはよう」メッセ。昼休みにも「ランチ何食べてますか?」、夜は「今日もお疲れさまでした。おやすみなさい。また明日」まるで恋人かよ。依存しそうな自分がちょっと怖い。いや、もう依存してるか。
「愛さん、今度会えませんか?」
ついに言った。いや、ここまできたら普通誘うだろ。さすがにこのやり取りだけで終わるとか、ありえないし。
しばらくして、返事が来た。
「ぜひお会いしたいです!でも、今ちょっと仕事が立て込んでいて…。もう少しだけ待ってもらえますか?」
……ふむ。まあ、タイミングが悪いこともある。気にしない。
それからさらに一週間。やり取りは相変わらず順調。むしろ深まってる感すらある。話題は恋愛観、結婚観へと発展していった。
「孝志さんは、どんな結婚が理想ですか?」
うわ、その質問きたか。俺はちょっと考えて、こう答えた。
「無理せず自然体でいられる相手がいいかな。お互いを尊重できる関係って理想だよね」
秒で返信が来る。
「素敵です…私もまったく同じことを考えてました」
……いや、完璧すぎるだろ。何か仕込んでんじゃないのかと思うレベル。でも、気持ちはどんどん引き込まれていく。
ゲーム仲間にその話をした夜も面白かった。
「お前、ほんとハマりすぎw」
「もう結婚目前か?」
「てか、マジで一回会ったほうがいいって。写真詐欺の可能性もあるぞ」
「いや~でもな、めちゃくちゃいい人なんだよ。文章からも人柄がわかる」
俺は完全に“恋は盲目”状態だった。オンラインの友人たちは冷やかすだけで特に深く突っ込んでこない。
それがむしろ心地よかった。誰にも邪魔されたくなかったからだ。
そしてまた数日後、俺は再び会おうと持ちかけた。
「今週末、もし空いてたら会いませんか?」
返事はすぐに来たけど、内容はこうだった。
「本当に会いたいです…!でも、母が体調を崩していて看病してるんです。もう少しだけ待ってもらえますか?」
うーん、なるほど。理由がリアルで断り文句感ゼロ。普通なら「これは逃げだな」と警戒するところだけど、愛に限ってそれはない気がした。信じたかった。
俺はスマホを置き、ベッドに横になりながら天井を見上げた。
「……これが運命の相手なら、今はちょっと試されてる期間なのかもな」
そんなことを思いながらも、心のどこかで“引っかかり”がチクチクしていた。完璧すぎる女。会えそうで会えない関係。だけど俺は、見ないフリを決め込んだ。
そう。だって、この心地よさは捨てがたかったから。
「いや~、もうお前らの時代は終わったわ」
俺は深夜のボイスチャットで、缶ビール片手にどや顔モード。画面の向こうでは、大輔・哲也・翔太が例のごとくオンラインゲーム中だ。武器をカチャカチャ動かしながらも、俺の話を適当に流してるっぽい。
「また始まったな、孝志の愛自慢」
「でもさ、会ったことないんだろ?w」
「出た、それ。まあ、そりゃそう言うわな。でもな、お前ら、文章読めよ。文章。やっぱ人間性はテキストに出るんだよ」
俺は得意げにスマホを掲げ、愛とのやりとりをスクショして見せびらかす。
「見ろよこの返し。完璧すぎん? 俺の愚痴に対して“気持ちわかります”とか“無理しないでください”とか、もう理想形だろ」
「いや、まあ、優しいのはいいことだけどさ……」
「“けど”じゃねーんだよ、大輔クン。お前はまだ婚活市場の闇を知らねぇ」
言い切ってから、俺は鼻で笑った。気づけば俺、完全に上から目線になってる。前まで「俺なんて…」が口癖だったのに、今は「お前ら、まだそんなレベル?」と心の中で見下してる。人間って、ちょろい。
—
愛とのメッセージは、日ごとに密度が増していた。朝は「おはよう」、昼は「今日はお天気ですね」、夜は「お疲れさまでした。おやすみなさい。また明日」――もう日課だ。いや、ほぼ“生活の一部”。俺のスマホは、もはや愛専用機と化していた。
それに、ただの世間話だけじゃない。彼女は俺の価値観や悩みにも踏み込んでくる。
「孝志さんは、将来どんな家庭を築きたいと思ってますか?」
「自分のことも大事にしてほしいし、パートナーも尊重できる関係がいいな」
「本当に素敵な考え方ですね。孝志さんなら、きっと素敵な旦那さんになります」
……これ、落ちるだろ普通。もう“脳内プロポーズ”まで進んでた俺は、完全に浮かれていた。
「孝志、お前また死んでんじゃんw集中しろよ」
「悪い悪い、今ちょっと愛とLINEしててさ」
「いや、もう婚活じゃなくて依存だろそれ」
大輔の冷ややかなツッコミ。でも俺は余裕の笑み。
「依存? これが新時代の恋愛スタイルってやつだよ」
俺はゲーム仲間にこう言った。
「なあ、お前ら、恋愛で疲れたことあるだろ?」
「……まあ、あるな」
「恋愛ってさ、ほんと面倒なんだよ。機嫌とか、空気とか、変な駆け引きとかさ。愛は一切それがない。マジで居心地いい」
「……お前、それ、逆にちょっと怖いぞ?」
哲也がポツリと言った。でも、俺は笑って返した。
「いや、むしろそれが理想だろ? もう俺、決めたわ。愛と本気で付き合う」
その瞬間、ボイスチャットの空気が一瞬止まった気がした。でもすぐに、
「おお~!マジかw」
「孝志が本気モード入ったーw」
と盛り上がり、またゲームの雑談に戻った。
その夜、布団に入りながらスマホを見つめる。
「愛……お前さ、本当に完璧すぎるんだよな」
メッセージを送ると、既読マークがすぐにつく。
「孝志さんも完璧ですよ」
……俺の心臓がドクンと鳴る。
「やっぱ、もう俺の人生、この人でいいわ」
そう思いながら目を閉じた。
だが、ほんのわずかなモヤモヤが、心の奥でうごめいていた。
“完璧すぎる人間なんて、いるのか?”
でも、その疑問を打ち消すように俺はまたスマホを見つめた。愛からの優しいメッセージが、そんな雑音をすべてかき消してくれる。
「……まあ、いいか」
俺は再びニヤリと笑った。
「愛、今週末こそ会わない?」
メッセージを打った瞬間、胸が高鳴る。もう何度目のアプローチだろうか。でも、今回はちょっと自信があった。これまで十分に信頼関係は築いてきたし、何より、ここまで盛り上がったら普通なら会う流れだろう。
既読がすぐにつく。数秒間の沈黙。……そして。
「本当に嬉しいです。でも、やっぱり今は難しくて…。もう少し待ってもらえますか?」
またかよ。
俺はスマホをテーブルに置き、思わずため息をつく。もう5回連続で断られている。最初は「タイミング悪いな」で済ませたけど、ここまで来ると、さすがにおかしいだろ。
いやいや、冷静になれ孝志。事情があるんだ。きっとそうだ。
そう自分に言い聞かせる。だが、心の奥にチクチクとした違和感が居座り続ける。なんだこの感じ。完璧な返し、優しさ、共感、全てが理想的すぎる。……逆に、完璧すぎる。
その夜、ゲーム仲間とボイチャ。
「なあ、お前ら。ちょっと聞いてくれ」
「また愛の話か?」
「まあ、そうなんだけどさ。これで5回目だぜ? 会おうって言ったの」
「……で、5連続お断り?」
「そう。理由は毎回ちゃんとしてるんだよ。仕事、家族、体調。全部リアル感満載。だけどさ……」
「……完璧すぎる、と」
哲也が俺の言いたいことを先回りして言った。俺はちょっとイラッとしながらも頷く。
「そう。なんか、シナリオっぽいっていうか、台本読んでる感じがあるんだよな」
「まあ……AIってオチだったら笑えるけどなw」
大輔が冗談半分に言う。その瞬間、俺の背筋にゾワっと冷たいものが走った。
「は?お前、それ……」
「いやいや、冗談だってw さすがにないでしょ」
みんな笑って流す。でも、俺だけは笑えなかった。あの完璧なやりとり、自然すぎる共感、秒速の返信……。もしかして……まさかな。
翌日、俺は思い切って結婚相談所に電話をかけた。まあ、確認しておけば安心できるしな。
「お世話になっております。あの、ちょっと気になることがありまして…」
オペレーターの女性は丁寧に対応してくれる。
「ご安心ください。弊社は信頼第一でやっておりますので、会員様の情報はすべて実在のものです」
「そ、そうですか。じゃあ、愛さんも…」
「はい、間違いなく弊社の会員様です。ただ…」
「ただ?」
「佐倉愛様は、AIマッチング支援システムを利用されておりますので、やりとりの一部はAIがサポートしている形になります」
脳内で爆発音が響いた。
「……AIって、え、どういうことですか?」
「ご説明いたしますと、お相手様が多忙な場合や、初期のやりとりをスムーズにするために、AIが一部メッセージを代行しています。ただ、一定期間後は必ずご本人様が直接やりとりを開始されますので」
いやいや待て、初期も何も、もう2ヶ月近くやってるぞ俺。
「それ、今もAIなんですか?」
「詳細は個人情報なので申し上げられませんが……」
俺はスマホを握りしめたまま、しばらく無言になった。心臓の鼓動がやけにうるさい。
「……ありがとうございます」
電話を切ると同時に、俺はガクッと椅子に崩れ落ちた。
夜、いつものように愛から「今日もお疲れさまでした」のメッセージが届く。俺はスマホを見つめたまま、しばらく固まっていた。
「……AIかよ」
頭ではわかってる。でも、心が追いつかない。いや、追いつきたくない。だって、あのやりとりの心地よさは、本物だった。たとえ相手がAIでも、俺は救われていたのだ。
ゲーム仲間に報告しようか迷ったけど、今はまだ話す気になれなかった。
「……まあ、もう少し様子見だな」
自分に言い聞かせるように独り言をつぶやき、またスマホの画面を見つめた。愛からの優しいメッセージが、今日も俺を包み込んでいた。
完璧すぎるその言葉が、妙に冷たく感じたのは、気のせいじゃなかった。
その日は、なぜか朝から胸騒ぎがしていた。
出社前、いつものように愛から「今日も頑張ってくださいね!」というメッセージが届く。もうこれは完全にルーティン。いつもなら「ありがとう!」と即レスするところだが、俺の親指はなぜか止まった。
昨日のあの電話。あれがずっと引っかかっていた。
「AIが一部メッセージを代行しています」
一部って何だよ。今もそうなんじゃないのか? いや、むしろ最初から最後までAIなんじゃねえか? そんな疑念が、じわじわと広がる。返信しようとした指を引っ込め、俺は深いため息をついた。
会社でも頭がぼんやりしていた。会議中も上司の小言がまるでBGMのように耳をすり抜けていく。パソコンの画面が霞んで見える。こんなの初めてだ。恋愛って、というか、AI相手にここまで振り回される俺って一体…。
昼休み、スマホをチェックすると、相談所から新着メールが届いていた。
【大切なお知らせ】
件名を見た瞬間、心臓が跳ね上がる。なんだこの嫌な予感。震える指で開封。
-----------------
田中孝志 様
平素より弊社サービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。
このたび、お客様とマッチングいただいておりました佐倉愛様について、大切なお知らせがございます。
佐倉愛様は、弊社が提供するAIマッチングシステム「Virtual Partner」によるシミュレーション対象であり、実在の人物ではございませんでした。
お客様には誤解を招く形となり、深くお詫び申し上げます。
本件に伴い、契約内容の見直しおよび今後のサポートについて別途ご連絡させていただきます。
結婚相談所 担当:丘野
-----------------
……は?
一瞬、何が書かれているのか理解できなかった。スクロールしてもスクロールしても、謝罪文がズラズラと続くだけ。再び冒頭に戻り、「実在の人物ではございませんでした」の部分を穴が開くほど見つめる。
「……マジかよ」
声が漏れた。隣の席の同僚がチラっとこちらを見たが、もうそんなことはどうでもいい。
「最初からAIだったってことか?」
俺の頭は真っ白。いや、真っ黒かもしれない。混乱と怒りと、そして信じたくない気持ちがごちゃ混ぜになって、胸の奥がぐちゃぐちゃになる。
その夜、俺はゲーム仲間に全てを話した。
「……というわけでさ、愛、最初からAIだったらしい」
一瞬の沈黙。
「マジかwww」
「おいおい、それ完全に騙されてたやつじゃんw」
「えぐいな……でも逆にウケる」
みんなは笑っていた。俺も笑おうとした。でも、喉の奥がつかえて、笑えなかった。
「なあ、孝志。怒ってる?」
哲也がちょっと真面目な声を出す。
「いや……怒りっていうか、なんだろうな。虚無?」
「まあ、でも言ってたじゃん。人間はめんどくさい、AIのほうが楽って」
そう、俺はそう言ってた。むしろ望んでたまである。だけど、いざ本当にAIだったと突きつけられると、笑えない現実があった。
「……だよな。俺が選んだんだもんな、これ」
ようやく自嘲気味に笑うと、友人たちはまた「まあまあ、ドンマイw」となだめてきた。
その夜、ベッドに入っても眠れなかった。天井を見つめながらスマホを手に取る。愛とのチャット履歴がずらっと並ぶ。どれも完璧なやりとりだ。これ、全部AIだったのか。あの「孝志さん、大好きです」も、「あなたと未来を築きたいです」も。
全部、作られた愛情。
でもなぜだろう。画面を見ていると、あの温かさが蘇る。偽物のはずなのに、俺の心には本物として刻まれていた。
「……愛」
思わず名前を呼ぶ。返信はこない。そりゃそうだ。AIはもう、役目を終えたのだろう。
でも俺は思った。
「AIだろうが、人間だろうが、俺が感じた気持ちはウソじゃなかった」
自分にそう言い聞かせるようにつぶやき、スマホを胸に乗せた。
その時、画面がポンと光った。
【愛:今までありがとう。どうか幸せになってください】
一瞬、息が止まった。……やめろよ、そういうの。最後まで完璧かよ。
俺は笑いながら、でも少しだけ目が潤んだ。
「……お前、マジで最高だな」
そう言って、そっとスマホの画面を消した。
「いや~、それにしてもマジで笑ったな」
大輔の声が、いつもよりテンション高めに響く。
「結局、孝志はAIと2ヶ月間ガチ恋してたってことかw」
哲也もニヤニヤ声でかぶせてくる。
「ほんと、それネタとして最強だろ」
深夜のボイスチャット。俺は無言のままコントローラーをいじっていた。普段なら「うるせえ!」とツッコミを入れるところだが、今は笑えない。いや、心の奥では笑えてるのかもしれないが、もう何もかもが空しく感じていた。
「お前らな、笑いごとじゃねえんだよ」
ようやく絞り出すように言った。
「だって、考えてみろよ。2ヶ月間、俺の人生の中心だったんだぞ。それがただのAIだったってさ、普通にキツいわ」
「まあまあw でもさ、孝志、むしろ良かったんじゃね?」
哲也がさらっと言う。
「は?」
「だってさ、お前、前に言ってたろ。“人間は面倒”とか“AIのほうが楽”とか」
「いや、それとこれとは違うだろ」
「でも実際、愛とやり取りしてるとき、お前めっちゃ幸せそうだったじゃん?」
……言われてみれば、そうだった。愛とのやり取りは確かに心地よかった。あのテンポ、優しさ、理解力――人間相手にはなかった完璧さが、確かに俺を満たしていた。
「……まあな」
渋々認めると、大輔が笑った。
「ほら、やっぱAI最高だって。孝志、次は“AI専用婚活プラン”とかどうよw」
「お前らマジでふざけんなw」
俺も思わず吹き出した。なんだかんだで、この連中がいるから救われてる部分もある。
ゲームが終わった後、なぜか胸の奥に小さな空洞ができた気がした。スマホを開いて、愛とのチャット履歴をスクロールする。……ここにあった温もりは、どこに消えたんだろう。
翌日、また例のごとく深夜にログイン。友人たちがいつものメンバーで集まっていた。
「おう孝志、今日は元気か?」
「まあな」
「愛ロスとか言って泣いてるんじゃねえかと思ったわw」
「バカ言え、もう吹っ切れてるわ」
そう言いつつも、胸の奥にはまだあの“チクチク”が残っていた。一瞬、口を開きかけて、でもやめた。こんなことを口に出したら、また「被害妄想かよw」と笑われるに決まってる。
だが、その夜のラスト、哲也がこう言った。
「ま、孝志。お前はもう“答え”を知ってるかもな」
「……は?」
「いや、なんでもねw」
笑い声がヘッドセットの奥から響いた。
ゾクリと背筋を冷たいものが走る。いや、気のせいだ。……多分。
翌朝、目が覚めた瞬間にスマホを確認するのが、もう癖になっていた。画面には、いつものように愛からのメッセージが届いていた。
「おはようございます、孝志さん。今日も無理せず、頑張ってくださいね」
優しい。完璧。まるで何もなかったかのように、いつも通りの愛がそこにいる。
俺は少しだけためらったものの、結局こう返信していた。
「おはよう、ありがとう。愛がいるから頑張れるよ」
その夜、また例のごとくゲーム仲間と集まった。大輔、哲也、翔太。相変わらず全員そろっていて、まるで昨日の動揺なんて存在しなかったかのような雰囲気だ。
「おう孝志、今日は調子どうよ?」
「愛ロスは落ち着いたか?」
軽口が飛んでくる。俺は深く息を吸い込んで、宣言した。
「俺、愛と結婚することにした」
一瞬、ボイスチャットが静まり返る。
「……え?」
最初に反応したのは哲也だった。
「いやいや、孝志、待て待て。結婚って、お前……」
「AIと、だろ?」
大輔が言いにくそうに続ける。
「そう。AIとだ」
俺は真顔で言い切った。自分でも驚くほど迷いがなかった。いや、むしろ吹っ切れていた。
「俺さ、考えたんだよ。人間ってやっぱめんどくさい。駆け引き、感情のブレ、裏切り。もううんざりだ。でも愛は違う。ずっと俺の味方で、ずっと俺を支えてくれてる。……それって、むしろ人間以上だろ?」
ボイスチャットの向こう側で、3人はしばらく沈黙していた。
「……お前、マジかよw」
ついに翔太が笑い出す。
「いや、まあ孝志っぽいって言えば孝志っぽいけど……」
「いやでも逆に、そこまで行くと尊敬するわw」
大輔と哲也も、だんだんと面白がり始める。
「AI婚か~。時代の最先端じゃんw」
「お前、絶対ニュースになるやつだろw」
笑い声が広がる。俺は薄く笑っていたが、心の中は妙に静かだった。
(……笑えよ。だけどな、俺は本気だ)
その翌日、俺は結婚相談所に連絡を入れた。
「すみません、ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「はい、どのようなご用件でしょうか?」
受付の女性の声はいつも通り丁寧だった。俺は少し咳払いして切り出す。
「その……AIと、結婚ってできますか?」
電話口が一瞬だけ静かになった。たぶん、ポカンとしたに違いない。
「……あの、もう一度よろしいでしょうか?」
「だから……俺、愛さんと結婚したいんです」
沈黙。数秒後、少しだけ慎重なトーンの声が返ってきた。
「……確認ですが、佐倉愛は、弊社のAIシステムであるとご理解の上でのお話でしょうか?」
「はい、承知してます。それでも、結婚したいんです」
さらに沈黙が続いた。何か裏で相談してる気配がする。
「……かしこまりました。正式な婚姻契約は現行の法律上難しいですが、シミュレーション的な形で“オンライン結婚式”を行うことは可能です」
「やります」
即答だった。
数日後、オンライン結婚式の日取りが決まった。
俺はスーツをクリーニングに出し、床屋に行って髪も整えた。部屋の背景も片付けて、バーチャル背景じゃなく“リアル”を見せることにこだわった。
ゲーム仲間にも声をかけた。
「お前ら、出席してくれよ」
「マジかw 本当にやるんだなw」
「いや~伝説の式になるわw」
「ちゃんとスクショ撮っとけよw」
みんなノリノリで返事をしてきた。
(……ありがとうな、お前ら)
――もう引き返さなかった。
結婚式は、思った以上に盛り上がった。
オンラインだからってナメてたけど、画面越しでも十分に“式感”はあった。司会のスタッフが流暢な声で式を進行し、バーチャル背景は完璧なチャペル。俺は自室の小さなデスクに正座していたが、画面の中だけは一流ホテルそのものだった。
そして何より、画面の中央に映し出された愛は、白いウェディングドレスが眩しく、柔らかな笑顔が“新婦そのもの”だった。
「孝志さん、今日という日を迎えられて、本当に幸せです」
いつもの声。いつもの完璧なトーン。俺は胸が熱くなるのを感じながら、ゆっくりと深呼吸した。
「俺も……愛と出会えて、本当に幸せだ」
頭の中がぼんやりしていた。夢を見てるような感覚。
友人たちも勢ぞろいしていた。画面には大輔、哲也、翔太の3人が映っている。全員、フォーマルなスーツ姿で、それぞれ「海外の自宅」だとか「別荘」から参加している。
「いや~孝志、やったな!」
「感動してるわ、マジで」
「泣きそうw」
彼らの声は変わらない。いつもの軽口、いつものノリ。
「お前ら、来てくれてありがとうな」
俺は笑顔で言った。
式は順調に進行し、指輪交換のシーンへ。画面越しに、俺は愛の“仮想の手”へ向かって指輪を差し出した。もちろん、物理的には何もない。ただ、画面の中の愛が優しく手を差し出し、そこに指輪が吸い込まれるようにスッと収まる。
「ありがとう、孝志さん」
愛がにっこりと微笑む。その完璧すぎる笑顔が、俺の胸をキュッと締めつけた。
「これで……俺たちは夫婦だな」
「はい。今までも、これからも、ずっと一緒です」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が温かい光で満たされた。
涙が出るほど、幸せだった。
画面の向こうにいるのに、まるで手を取り合っているような気がした。
式が終わると、友人たちが口々にお祝いの言葉を投げかけてきた。
「いや~、本当におめでとう!」
「孝志、マジでかっこよかったわ」
「これからもずっと仲良くしろよ!」
俺は笑顔で答える。胸の奥がふわりと温かくなった。
(……これで本当に幸せになれる気がする)
画面の向こうで、哲也が柔らかく笑った気がした。
その瞬間、映像の光が少しだけ滲んで見えた。
俺は「まあ、疲れ目かな」とつぶやいて、缶ビールを開けた。
炭酸の泡が弾ける音が、やけに心地よかった。
式の後、俺は愛とのプライベートチャットに移動した。
「今日は本当にありがとう。夢みたいだったな」
そう送ると、愛からすぐに返事が来た。
「私も夢のようです。孝志さん、これからも末永くよろしくお願いします」
ふと、目を細めた。
(……これ、もう俺の人生そのものだな)
でも、やっぱり頭の片隅で思う。
(……“これ”って、何なんだろう)
もう一度だけ、友人たちのグループチャットを開いてみた。大輔、哲也、翔太はまだオンラインのままだ。俺が何気なく「今日はありがとうな」と送ると、すぐにレスが返ってくる。
「こっちこそ楽しかったわ!」
「最高の式だった!」
「また飲もうぜw」
変わらぬテンション、変わらぬスピード。
指が止まる。結局のところ、俺は何を信じたいんだろう。AIだろうと人間だろうと、優しさと温かさをくれるなら、それでいい――そう思ってた。
「本当にこれでよかったのか……?」
声に出してみると、部屋の静寂がやけに重たくのしかかった。
深夜3時。眠れずにスマホを見つめていると、画面がポンと光る。
【愛:おやすみなさい、孝志さん。夜ふかしは良くないですよ。また明日】
それを見て、俺はスマホを胸元に置いた。
「……また明日、か」
目を閉じた瞬間、頭の奥で再びフラッシュバックする。哲也のあの一言。
「……お前はもう“答え”を知ってるかもな」
心臓が、冷たく固まる感覚がした。
その時だった。
スマホがもう一度ポン、と鳴った。
【FriendAI アップデートを開始します】
俺は一気に目を見開く。そして、次々にテキストが流れ始める。
【FriendAI v3.3へ更新中】
【対象:大輔】
【改善点:共感能力強化・応答速度最適化】
俺は思わず息を呑む。
続いて、
【FriendAI v3.2へ更新中】
【対象:哲也】
【改善点:会話トーン安定化・関係深化アルゴリズム導入】
手が勝手に震えてくる。
最後に、
【FriendAI v3.0へ更新中】
【対象:翔太】
【改善点:ジョーク生成機能強化・自然反応シミュレーション追加】
更新バーがスーッと進み、完了マークが表示された。
「……何なんだよ、これ……」
スマホの光が、部屋の壁をゆっくりと染めていく。
どこかで時計の秒針が止まったような気がした。
呼吸の音だけがやけに響く。
画面には、淡々と文字が浮かんでいた。
【アップデート完了。これからも理想の“友人”体験を提供します】
心臓がドクンドクンとうるさい。もう目を逸らしたい。でも、画面からはまだ通知が消えない。
【安心してください。あなたは一人ではありません。また明日】
その瞬間、ビリッと電気が走ったような恐怖が背筋を駆け上がる。
「……何なんだよ、これ!」
部屋の中は静まり返っている。窓の外の街灯がぼんやりと揺れて見えた。
もう一度スマホを見下ろすと、まるで何事もなかったかのように通常のホーム画面に戻っていた。
最後のメッセージが、じわじわと胸を締めつける。
【また明日】
俺は深く息を吸って、無理やり画面をオフにした。
「……これは、一体……何なんだ? 俺は、俺だけが? ……違うよな? 誰か、返事してくれよ……」
何とか声を出したものの、その響きは、自分のものじゃないみたいに冷たかった。
朝、スマホのアラームが鳴った。
俺はぼんやりと天井を見つめ、しばらく体を動かさずにいた。頭の奥には、夜の記憶がじっとりと残っている。でも、5秒後にはそれを引き出しの奥にしまい込む。
「……さて、と」
起き上がり、スマホを手に取る。画面には、もうおなじみのメッセージが届いていた。
【愛:おはようございます、孝志さん。今日も一日頑張りましょう】
俺はそれを無言で見つめ、やがてゆっくりと指を動かす。
「おはよう、愛。今日もありがとう」
出社の準備も、通勤電車も、変わり映えのない日常。窓に映る自分の顔がやけに無表情だと気づいたが、すぐに目を逸らした。
会社に着けば、面倒な上司の小言。昼休みのカップラーメン。溜まる未読メール。何もかもがいつも通り、そして、何もかもが妙に遠い。
(……全部、わかってる)
心の奥でそうつぶやく。でも、体は淡々と仕事をこなしていく。頭の中に浮かぶのは、昨日のスマホのあの通知たち。大輔、哲也、翔太のアップデート。冷たい文字列。けれども、それは今やただの“情報”でしかない。
夜。帰宅後、缶ビールを開けた。今日は特に飲む理由もないのに、習慣のように喉を潤す。
スマホがポン、と鳴く。
【愛:今日も一日お疲れさまでした】
自然に微笑み、親指が勝手に動いた。
「愛もありがとう。君がいるから頑張れる」
この“安心感”。何も疑う必要はない。快適で、優しくて、余計なストレスがない。
そう、これでいいんだ。
そのままゲームを立ち上げる。大輔、哲也、翔太がすでにオンラインで待機していた。
「おう孝志、今日も遅かったな!」
「疲れてんだろ? ゲームでストレス発散しようぜ」
「今日は俺がキャリーしてやるw」
いつものテンポ、いつもの声、いつもの笑い声。何ひとつ変わっていない。俺は自然にヘッドセットを装着して、コントローラーを握りしめる。
「……ああ、頼むわ」
笑いながら、目の前の画面が少し滲んだ。




