狂気の人影
「くそ、暑いな……」
額の汗を拭いながら俺は一人で呟いた。この町では温暖化が進んだ結果、夏の間はたった一人の管理人を残して全員が避暑地へと避難することになっているのだ。
家が野生動物に荒らされたり破損箇所がないかを確かめるのが管理人の仕事だ。頭を使わない簡単な仕事でありながら非常に高価な報酬に釣られて管理人に応募したのだが、半月ほどで俺はもう後悔していた。
ある日、いつものように見回りをしていると遠くの夕日に照らされて人影が動いているのを見かけた。
俺以外には誰もいないはずなのに? そんな疑問が頭に浮かぶと同時に相手も俺に気が付いたらしい。こちらに向けてすごい勢いで走ってきた。
近付くにつれてその姿がはっきりと見えるようになる。
ところどころに赤いシミのようなものがあるボロボロの入院服、手入れがなされず腰まで伸びたボサボサの髪、その髪の間から覗く狂気を孕んだ血走った目……。
なにかを叫びながらこちらへと駆けてくるその女性に向かって俺もまた走り出した。
その女性は俺がそちらへ向かうなどと想像もしていなかったのだろう、ギョッとしたような表情になるとすぐに踵を返して逃げ出した。
だが構うものか。俺は足に力を込めて全速力でその女性を追いかけた。
しかし日がすっかり落ちる頃になると俺はその女性の姿を見失ってしまった。
地団駄を踏んで悔しがりながら、俺は何度も呟く。
「ああもう、悔しい、恨めしい!」
久しぶりに誰かと顔を突き合わせて話ができると思っていた俺にとって、相手が不審者だろうが怨霊だろうが関係なかった。