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第三章:透は運動ができない

透は、体が丈夫なほうではなかった。

体育の授業では、いつも最後尾を走っていたし、鉄棒の逆上がりもできなかった。

だから、野球というものに、特別な思い入れはなかった。

ボールを投げても、うまく届かない。

バットを振っても、風を切るだけだった。


けれど、クラスで運動ができる子は、たいてい野球をやっていた。

放課後の校庭では、ランドセルを放り投げて、白いボールを追いかける声が響いていた。

それが昭和だったのだ。

野球は、ただのスポーツではなく、少年たちの“正しさ”の象徴だった。


テレビでは『巨人の星』が流れていた。

星飛雄馬の血のにじむような特訓に、子どもたちは目を輝かせた。

とにかく頑張ること。

とにかく耐えること。

それが、野球をやるということだった。


透は、その熱気を少し離れた場所から見ていた。

自分にはできないことを、みんなが夢中になってやっている。

その風景は、どこか眩しくて、どこか遠かった。


けれど、夏になると、テレビの中の球児たちが、

その“遠さ”を少しだけ近づけてくれるような気がした。

彼らもまた、どこかの教室にいた少年だったのだと、

透はぼんやりと思った。


透は運動が苦手だった。

跳ぶのも、投げるのも、ぶつかるのも、全部うまくできなかった。

体育の時間は、いつも憂鬱だった。

みんなが楽しそうに走り回る中で、透は自分の体が“間違っている”ような気がしていた。


だけど、ある日。

いじめっ子に追いかけられて、校庭の端から端まで全力で走った。

息が切れるほど走ったのに、彼らは追いつけなかった。

透は、逃げ切ったのだ。


その日の夕方、透は気づいた。

自分の体は、小さくて、ひょろひょろしていて、頼りなかったけれど——

長く走ることには、向いていた。

誰よりも速くではない。

誰よりも、遠くへ。


それは、誰にも教えられなかった“スポーツ”だった。

誰かと競うためじゃなく、誰かから逃げるために始まった走り。

けれど、その足は、やがて誰にも負けない静かな誇りを持つようになった。


透は、走ることが好きになった。

風を切る音。

地面を蹴る感触。

誰にも邪魔されない、自分だけのリズム。


野球のような華やかさはなかった。

チームも、応援も、ヒーローもいなかった。

けれど、透は知っていた。

自分の体が、ようやく“正しい”場所を見つけたことを。



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