[6]重い想い(6)
妹が洗い物に取り掛かっている隙に、僕は自室の掃除。とはいえ大した作業ではない。【コロコロ】を手早くするだけだ。そんな風に掃除をしていると、階段をドタドタと駆け上がってくる音が聞こえた。その直後には、部屋のドアが乱暴に開く。
「あっ、居た!」
妹は驚いたような表情で僕を見た。そして、
「兄ちゃん、なにしてんだよ!」
と頬を膨らませた。なんだか怒っているらしい。どうしたんだろうか。しかしまぁ、そんなことは知ったこっちゃない。怒りたいのは僕の方だ。
「こら。ノックしろ」
一体、何度言えば分かるのだろうか。何年言い続ければ分かるのだろうか。いい加減、覚えて欲しい。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 緊急事態なんだから!」
緊急事態? なにかあったのか?
「兄ちゃんってば、こんなトコでなにやってんだよ!」
「掃除だけど?」
「会話中に突然居なくなるなよ! 一人で喋ってて、アタシ馬鹿みたいじゃん!」
いや、オマエは馬鹿だよな? 色々とお馬鹿さんだよな? もしかして緊急事態って、そのことか?
「全然返事がないから、おかしいなって思って振り返ったら、兄ちゃんが居ないんだもん! ビックリしたぞ! 神隠しかと思ったぞ!」
流石に家の中で神隠しには遭わないだろうに・・・。
しかしまぁ、妹の碌でもない話に返事なんてしたい筈がない。ビックリしたのは、こっちの方だ。「春休みのうちにさぁ、Tバックを買いに行きたいんだけど、ついてきてくんないかな? どんなのがいいか、兄ちゃんに決めて欲しいんだ」なんて言われたのだから。そんな話を聞かされたら、ゾッとするし、そっと立ち去るしかないだろう。
「で? どんなTバックがいいと思う?」
「・・・・・・・」
その話、続けるのか?
「なんだよ? なんで死んだ魚みたいな目、してんだよ?」
そりゃあ、そうなるだろ。なんで妹のTバックなんて選ばないといけないんだ? というより・・・。
「そんなモン、オマエにはまだ早い」
中学生がTバックなんて、一体なにを考えてるんだ? いや、察しはつくけど・・・。どうせ僕を誘惑するつもりだろう。
「え? アタシ? いやいや、アタシのじゃないから。兄ちゃんのだから」
「んなモン要るかぁ! 僕はオマエと違って変態じゃないんだよ!」
こいつはどういう神経をしてるんだ? 僕にTバックを穿かせて何がしたいんだ?
「誰が変態だよ! アタシはマトモだぞ!」
どこが? ねぇ、どこが?
妹はプンプンと怒りながら、ズカズカと部屋に入ってきた。その様子に僕は体を強張らせたが、彼女はすぐ目の前まで来ると、どういうわけか急に落ち着いた。そうして首を傾げる。
「ってか、なんで変態なんて話になるんだ? Tバックは変な物じゃないだろ?」
「僕が穿いたら変態だろうが!」
「穿く? どうやって?」
はぁ? どうやって、だと? パンツの穿き方なんて一種類しかないだろ!
「どうもこうも───」
「Tバックは紅茶だぞ。そんなモン、どうやって穿くんだ?」
「それはティーバッグだろ!」
僕が考えていたよりも、妹は相当な馬鹿者のようだ。
想定外の馬鹿者の話を聞くに、バレーボール部の中で紅茶が流行っているらしい。なんでもリラックス効果や安眠効果などを期待して、部員たちのあいだで広まっているらしい。妹はその流れに乗ろうとしているようだ。しかしどういうわけか、僕に飲ませようとしている。その流れは理解できない。
「なんで僕が飲まなきゃいけないんだ?」
「だって兄ちゃん、いっつもイライラしてるだろ?」
それはオマエが原因だ。紅茶なんかで解決するか。オマエが真人間になってくれないと解決しないぞ。
「それにさぁ。起きてくるのが遅いのは、ちゃんとした睡眠を取れてないからだと思うんだ」
それは、ただ単にだらけてるだけだ。休みの日にだらけるくらい、別にいい筈だ。
「ってことで、兄ちゃんは紅茶を飲んだ方がいい」
余計なお世話だよ。オマエが僕の爪の垢でも煎じて飲め。・・・いや、それは駄目だな。なんだか喜んで飲みそうだ。
「だからさぁ、今から買いに行かないか?」
「紅茶なんか飲まないよ。僕はコーヒー派だ」
というか、カフェオレ派だ。ミルクと砂糖が必要だ。
「それがダメなんだよ。カフェインの過剰摂取は神経過敏や不眠なんかを引き起こすらしいぞ。だから兄ちゃんはイライラしてるし、ちゃんと起きれないんだよ」
ほぉ、馬鹿の癖に物知りだな。だけどなぁ・・・。
「カフェインは紅茶にも入ってるぞ」
「えっ!? そうなのか!?」
「ああ」
コーヒーに比べたら少ないらしいけど。
「じゃあダメじゃん! カフェインが入ってなくてリラックス効果がある飲み物って、なんか無いのか?」
「・・・ハーブティー、とか?」
「なに言ってんだ、兄ちゃん? それ、紅茶じゃんかよ。紅茶はカフェインが入ってるんだろ? じゃあ、ダメだよな?」
妹に鼻で笑われた。しかし・・・。
「いや、ハーブティーは紅茶じゃないだろ」
「・・・は? ───いやいやいや。まったく、兄ちゃんはなに言ってんだか。わけ分かんないこと言うなよな。ハーブティーは紅茶の一種だろ?」
またしても鼻で笑われた。しかもヘラヘラとした顔を見せつけられた。どうやら馬鹿にされているらしい。本当の馬鹿はどっちなのか、思い知らせる必要があるようだ。
「違うぞ。ハーブティーはお茶の葉を使わずに他の植物で淹れるから、紅茶じゃない筈だぞ」
「お茶の葉を使わない? だったら、お茶じゃないじゃんか! ティーじゃないじゃんか! おかしくないか?」
「その辺のことは知らないよ」
僕は馬鹿ではないと思うが、博識ではない。だから、あまり突っ込んだ質問をされても困る。
「なんだよ、知らないのかよ。兄ちゃんは大したことないなぁ」
いや、オマエも知らないだろ? っていうか、紅茶とハーブティーの違いも分からない奴に言われたくないんだが。
そんなことを考えていると、妹の顔が戦慄したように青ざめていく。
「お、お茶を使ってないのに、ティーって・・・。もしかして、これって誰かの陰謀か!?」
その陰謀になんの意味があるんだ?
「ハッ! ま、まさか・・・。蛸が入ってないのに、タコライスって言うのも陰謀か!?」
手当たり次第に陰謀論を振りかざすのはやめろ。しかも下らないことで。タコライスはタコスの具材を使ってるから、そういう名前なんだよ。
「あっ! そういえば・・・。ウミネコって言うのに、猫じゃなくて鳥なのも、陰謀じゃないのか!?」
妹の全身がわなわなと震えだした。わけの分からない陰謀論に恐れをなしているらしい。本当にお馬鹿さんだな。ちなみに、ウミネコという呼び方は鳴き声が由来だ。
「違う違う。どれも陰謀じゃないから安心しろ」
「そうなのか!? ホントか!?」
「ああ、そうだよ」
とりあえず落ち着け、お馬鹿さん。
「・・・ん? 兄ちゃん、あれって───」
正気を取り戻した妹が床を指差した。そこに落ちていたのは、うねうねとした一本の毛。
「陰毛か?」
そうだよ!! だから【コロコロ】してたんだよ!!
視力が良い発見者の話を再び聞くに、バレーボール部の中で流行っているのは、どうやらハーブティーらしい。妹はそれを紅茶だと思っていたのだ。その間違いに気付いた彼女は、変わらずアプローチを掛けてくる。
「なぁなぁ、兄ちゃん。ハーブティー、買いに行こうぜ」
「嫌だよ。そもそも飲むつもりなんてないのに」
「なんでだよ! 兄ちゃんはいっつもイライラしてるんだから、飲んだ方がいいに決まってんだろ!」
妹がなんだかムキになっている。そんなにハーブティーを飲ませたいのだろうか。・・・っていうか、イライラしてるのは今のオマエだよな?
「まったく、もう! ハーブティーは飲んでくんないし、陰毛はくんないし! なんなんだよ!」
オマエがなんなんだ? 陰毛なんか貰ってどうする気だ? もしかして陰毛が貰えなかったからイライラしてるのか?
ちなみに、床に落ちていた陰毛はあとでスタッフが美味しく───じゃなくて、即座に【コロコロ】で回収した。
「兄ちゃんってば、全然アタシの言うこと聞いてくんないじゃん!」
どうしてオマエの言いなりにならないといけないんだ? そんなことをしたら、命と貞操の危機を迎えるだろうに。とはいえ・・・。
「そんなことないだろ? 僕はマトモな話なら聞いてるし、マトモな要求なら飲んでるぞ」
妹からの、【これ貸して】、【それ取って】、【あれ買ってきて】などのお願いを僕は聞いている。時として彼女のパシリに成り下がっているのだ。というか、恋人繋ぎだって容認した。そんな心の広い兄など、そうはいない筈だ。
「どこがだよ! 添い寝はさせてくんないし、ラブホにも行ってくんないし、アタシの体だって洗ってくんないじゃん!」
だからさぁ、マトモな話をしろよ。それのどこがマトモなんだ?
「兄ちゃんって、ケチだよな。───知ってるか? ケチな男はモテないんだぞ」
ケチ? この僕が? こんなに心の広い僕がケチなわけ───。
「だから、そのままでいてくれよな。兄ちゃんがモテると、困るからさ」
妹は頬を赤くして上目遣い。更には唇を少し尖らせた。
・・・おいおい、ツンデレか? 少し前はヤンデレだったのに・・・。オマエは多彩なキャラを持ってるんだな。
しかし実際のところ、妹はヤンデレでもツンデレでもない。そんな上等なキャラ設定なんて付いていない。単順に情緒不安定なだけだ。しかしキャラ付けは単純ではない。【運動神経抜群の、情緒不安定な激重ブラコン怪力変態馬鹿】という特殊キャラなのだから。つまり、とにかく厄介な奴ということだ。
そんな妹のことを思うと、僕たちの将来が不安で仕方ない。