[2]重い想い(2)
同日午前八時五十分すぎ。最悪な寝起きドッキリを仕掛けられた僕は二階の自室を出て、一階へと向かっていた。目的地はダイニング。少し遅めの朝食だ。両親は既に出勤していて、家の中は静かなもの。そんな中、ゆっくりと階段を降りる僕の体はやはり重い。妹が取り憑いているからだ。彼女は力強い両腕を僕の右腕に絡めて、小さな頭を僕の肩に載せている。そのため僕は手摺を強く握り締め、慎重に足を運んでいる。
「離れろよ。危ないだろ」
このままだと二人揃って階段から転げ落ちそうだ。
「一緒に死んだら、天国で永遠に居られんのかな?」
こらこら、心中を図ろうとするな。怖いって。
断言するが、そんなことをしても永遠には居られないだろう。僕は天国に行くだろうが、妹は地獄に行く筈だ。僕を殺しておいて天国に行こうなどとは、なんとも図々しい。
「僕はまだ死にたくないんだけど」
「アタシもだよ。兄ちゃんとエロエロ───じゃなくて、色々しないといけないからな」
その訂正に意味はあるのか? たぶん妹は色々なエロエロをするつもりだ。油断したらヤられそうだ。
「だったら放してくれ。落ちたら危ないだろ? ホントに死んだらどうすんだ?」
妹は昔から活発で、小学生の頃からバレーボールに打ち込み、去年は全国大会に出場したほどの運動神経の持ち主だ。対する僕は昔から運動を得意とはしてないし、非力でもある。更にいえば、僕たちの身長は殆ど変わらない。屈辱的なことだが、妹の方がほんの少しばかり高い。よって彼女の体を支えるのは不安でしかない。
「大丈夫だって。落ちそうになったらアタシがなんとかするから」
「なんとかって。いくらなんでも───」
「ふんっ!」
妹は僕に絡めていた右腕を解き、気合いを注入。すると、その上腕に逞しい力瘤が現れた。
「どうだ? 頼りになりそうだろ?」
「う、うん・・・」
頼りになりそうというか、脅しになりそうというか。妹の機嫌を損なったら、僕はボコボコにされてしまうかもしれない。いや、力づくでヤられてしまうかもしれない。
「と、とにかくだな。引っつくのはいいけど、体重は掛けないでくれ」
「はぁ? また『重い』って言いたいのか?」
妹は眉間に皺を寄せ、目を細めた。そんな顔が僕の右肩に載っている。超至近距離からの睨みつけ。とてつもなく怖い。
「違う違う! オマエは適正体重だよ! ただ、僕は【ひょろい】から」
「う~ん・・・、確かになぁ。ま、そういうことなら仕方ないな」
言うや、妹は体勢を変えた。頭をどかしてくれたし、右腕は離れたままだ。しかし状況は好転していない。残された左腕をより絡みついてきたのだから。いや、正確には左手の指を絡めてきた。いわゆる恋人繋ぎをしてきたのだ。
「これなら重くないだろ?」
いや、重いよ。オマエの想いが重いよ。
その後、なんとかダイニングに辿り着いた僕たち。これで一休みできそうだ。重度のブラコン妹といえど、流石に食事のときは手を放してくれるだろう。そんな期待をしつつ、食卓へと近づく。しかしテーブルの上には、あるべき筈の物が載ってない。母親が作った筈の朝食がない。
「あれ? なんで?」
母親はいつも朝食を作ってから仕事に行く。時々は買い置きしておいたパンなどで代用するが、ほぼ毎日四人分の朝食を作っている。仕事が休みである土日こそ、僕が起床してから作ってくれることもあるが、今日は木曜日。それなのに朝食がない。一体なぜ? ・・・まさか妹が僕の分まで食べたのか?
「どした、兄ちゃん?」
未だに繋がれている手を、妹が強く握り締めてきた。とにかく力強い。
「痛い、痛い! 僕の手を握り潰す気か!?」
さっき妹が見せつけてきた力瘤は伊達じゃないらしい。相当な握力だ。彼女は体の至るところに力を持て余しているようだ。
「あ、悪い。加減が上手くできなくて」
オマエは改造手術でも受けたのか? それとも新たなチカラに目覚めたばかりなのか?
「それで? どうしたんだよ、兄ちゃん?」
「『どうしたんだよ?』じゃないだろ。僕の朝メシが───」
「あー、大丈夫、大丈夫。アタシが作るから」
「・・・へ?」
思わぬ言葉に思わず声が漏れた。まさか妹が朝食を作ってくれるなんて・・・。しかし、とても大丈夫とは思えない。彼女は運動神経は抜群だし怪力の持ち主だが、料理はできない筈だ。妹が包丁を握っているところなんて見たことがない。いや、見たくもない。その刃先がいつこちらに向くかと心配でならない。不意に心中を図られても困る。
「兄ちゃんってば、中学を卒業してから毎日起きてくんのが遅いだろ? せっかく母さんが食事を作っても冷めちゃって意味ないじゃん。だからアタシが作ることにしたんだよ。春休みは暇だからさ」
「暇って・・・。オマエ、部活は?」
妹は昨日修了式を終え、今日から春休み。その初日から部活動ということはなくても、数日後には練習が再開する筈だ。なんたって、去年は全国大会に出場したのだから。
「サボる」
「サボる!? な、なんで!?」
あまりにも意外な言葉だった。これまで熱心に取り組んできた筈のバレーボールを妹がサボるなんて有り得ない。一体なにが───。
「だってさぁ・・・、できるだけ兄ちゃんと、一緒に居たいから・・・」
俯き加減で頬を赤らめた妹。完全に恋する乙女だ。そんな彼女を認めるわけにはいかない、色々な意味で。
「いやいやいや、練習に出ろよ。全国大会はオマエに懸かってんだろ?」
去年妹は二年生ながら、絶対的なエースとして全国大会でも活躍。百七十センチメートル近い身長と圧倒的なジャンプ力を武器に、平凡なバレーボール部を全国へと導いた逸材だ。そんな彼女が居なければ、僕の母校が全国大会に出場することなど夢のまた夢に違いない。
「なんでだよぉ。兄ちゃんはアタシと一緒に居たくないのか?」
うん、居たくない。とはいえ、そんなことはハッキリと口にできない。なるべく妹の機嫌を損ねたくないから。
「ま、まぁ、居たいけど・・・。でも部活の練習をサボるのは───」
「別に春休みくらい、いいじゃんかよ。たった三週間だし」
いや、三週間はそこそこの期間だぞ。絶対よくないだろ。僕としても三週間もこんな状態は嫌だ。ということで、誘導を試みる。
「バレーボールをしてるオマエの姿を、僕は見てたいんだよ」
どうだ、どうだ? オマエの好きな僕からの要望だぞ? だから、どっか行け。───じゃなくて、部活に行け。
「嘘つけ。去年の全国大会、応援には来てくんないし、テレビ中継だってあったのに見てくんなかっただろ」
くっ! 渾身の嘘が即座にバレてしまった。
「いや、でもマジでさ。全国に行くなら練習は出ないと───」
「うっさいなぁ!! 全国大会なんかより、兄ちゃんと居る方が大事なんだよ!!」
う~ん・・・、やっぱり重いなぁ・・・。