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[1]重い想い(1)




 特に大きな成功も失敗もなかった中学校生活。それを無事に卒業した僕は、なんの予定も肩書きもない日常を送っている。とはいえ四月に入って少し経てば、それなりに忙しくはなるだろう。高校生になるのだから。しかし現在の僕は何者でもない。中学生でも高校生でもない不思議な立ち位置。


『一体、今の僕はなんなのだろう・・・』


 そんなポエミーな疑問は即座に忘れ、ベッドに入る。高校生活までは、あと三週間ほど。そのときが来れば僕は何者でもない現状からいやが応でも脱するのだから、【何者なのか?】などと考えても仕方がない。考えるべきことは他にある。とにかく、高校に入学してからの一年が勝負どころだ。


『絶対に恋人を作るぞ!!』


 未だ何者でもない僕は強い決意を秘め、そっとまぶたを閉じた。








 白いもやが立ち込める中、一人きりで佇んでいる僕。周りを窺うが誰もいない。家族も、友達も、モブらしき人々も。しかし、それはそれで良かった。なぜなら、いま僕は全裸だからだ。こんな姿を見られたくはない。それにしても、一体どうしたことだろう。どうして僕は全裸なのだろう。しかも、ここはどこだろうか。


『もしかして、これが噂に聞く異世界転生か? 僕は死んだのか? ・・・それとも、異世界転移かな?』


 念のために両手で股間を隠しながら、そんなことを考えていると、不意にすぐ目の前に大きな黒い玉が現れた。百七十センチメートルに幾らか届かない身長の僕よりも、ほんの少しだけ大きい玉。そんな物が突如として現れたのだからビックリだ。思わず腰が抜けそうになったが、なんとかこらえた。危ない、危ない。


 大きな黒い玉の正面には、これまた大きな白い文字。なんとも力強い書体で【重圧】と書いてある。一体なんなのだろうかと首を傾げ、右手を伸ばす。言うまでもなく、左手は股間を隠している。誰かに見られたら大変だ。


 すると、玉がゆっくりと動き出した。もちろん僕の玉ではなく、目の前の黒い玉の方だ。そいつがこちらに向かって転がり始めた。僕は逃げようとするが、足が動かない。まるで足の裏が地面に張りついてるかのようだ。恥を掻き捨てて両腕で玉を押し返そうと試みるが、それも無理だった。大きな黒い玉はじりじりと転がってきて、僕の体はとうとう押し潰された。


 その瞬間、「ハッ!」と声を上げ、目を見開く。視界には、見覚えのある景色───自室の天井だ。どうやら夢を見ていたらしい。おそらく、急いで恋人を作らなければいけない状況に対し、知らず知らずのうちに重圧を感じていたようだ。だから、あんな夢を見てしまったのだろう。僕は安堵し、「ふぅ・・・」と息を漏らす。


 しかし妙だ。なんだか体が重い。とはいえ体調を崩しているわけではない。物理的に重いのだ。なにかにし掛かられているような感覚がある。『まさか、まだ夢の続きなのか?』と戸惑いながら布団をめくる。そうして中を覗くと、重さの正体が判明した。


「寒いよ、にぃちゃん」


 一歳違いの妹が寝惚ねぼまなここすりながら視線を向けてきた。その直後、彼女は僕の胸に顔を押しつけ、二度寝に入ろうとする。しかし、そうはさせない。


 僕は高速でゴロゴロと転がりながら、妹を置き去りにして、自分の体に布団を巻きつけた。その結果、ベッドの下へと急転直下。鈍い衝撃に襲われるが、布団のお陰でダメージは少ない。妹から襲われるよりは随分とマシだ。


「寒いのは僕の方だ」


 妹と同衾どうきんするなんて背筋せすじが凍る。そんなことなど、これっぽっちも望んでいない。


「もう! 布団を取らないでくれよ! 寒いだろ!」


 叫びつつ、妹が飛び乗ってきた。布団によって簀巻すまき状態の僕にダイビングボディアタック。そのため、またしても衝撃に襲われる。しかし今度は鈍くない。結構な衝撃だ。


「ぐぇっ! お、重い・・・」


「女子に向かって『重い』とか。兄ちゃんはデリカシーがないな」


 妹は両手両足を使って、僕の体をギュウギュウと締め上げる。随分と力強い。怪力といっても良さそうだ。


「い、痛い・・・。苦しい・・・。こ、こら。放せ」


 抱き枕にされてしまった僕は苦痛にえかね、再びゴロゴロと転がる。すると、ゴンッ、と鈍い音。


いたっ! なにすんだよ!」


 小さなテーブルに頭を打ちつけたらしい妹が漸く離れた。両手で後頭部を押さえながら立ち上がり、簀巻すまき状態の僕を跨いで見下ろしている。タンクトップに短パンという、いかにも寒そうな服装。朝晩はまだ冷えるというのに、どうしてそんな格好なんだろうか。


「それはこっちのセリフだ。オマエこそ、なにしてんだよ」


 自室の床で簀巻すまきになり、妹の股の下から彼女の体を見上げている僕。『・・・僕の方こそ、一体なにをしてるんだろう』とは思ったが、ひとまずそれは置いておこう。


「添い寝に決まってんだろ! 言わなきゃ分かんないのか?」


 そんなことは分かっているし、そんなことを訊いたのではない。いい歳をして添い寝なんかするな、という意味で僕は言ったのだ。


「もうやめろって前に言ったよな?」


 妹は昔から、しょっちゅう僕と添い寝をしていた。しかしそんな状況に、やがて僕は違和感を覚え始める。よって小学五年生になった僕は、「添い寝はもう駄目だ」と妹に告げた。すると彼女は大泣き。手がつけられないくらいに暴れながら泣き叫んだ。そのため僕は、「ウ、ウソウソ! さっきの嘘だから!」と仕方なく禁止令を取り下げた。


 とはいえ妹が中学生になると、流石に添い寝を続けるわけにはいかない。いくらなんでも問題がある。だから再び禁止令。そのときの妹は暴れることも泣き叫ぶこともなく、神妙に押し黙っていた。しかし暫くすると、「・・・中学生同士だから、駄目なのか?」と不機嫌な顔。そんな彼女に、「ああ。そうだよ」と僕は返したのだった。


「はぁ!? 兄ちゃんはもう中学生じゃないだろ? だったら中学生同士じゃないじゃんか!」


 そういう解釈かよ・・・。


「中学生以上は駄目なんだよ。僕はもうじき高校生なんだぞ?」


「だったら問題ないじゃんか! 中学生じゃないじゃんか!」


「だから中学生以上───」


「そんなこと聞いてない! 【以上】とか聞いてない! アタシが『中学生同士だから駄目なのか?』って訊いたら、兄ちゃんは『そうだ』って言ったじゃんか! 話が違うだろ!」


「あのなぁ・・・。そこまで厳密に言わなくても分かるだろ?」


「分かんないよ! 兄ちゃんが中学を卒業したら、大人の包容力で迎え入れてくれるって思ってたんだよ!」


 んなわけあるか。それに高校一年生はまだ子供だぞ。


「なんだよ、なんなんだよ! 兄ちゃん、嘘ついたのか? 嘘ついたら針千本だからな!」


 おいおい。針千本なんて飲めるわけ───。


「針千本、その体に打ち込んでやるからな!」


 それならできそうだな・・・。とはいえ、そんなことはされたくない。鍼灸師にならまだしも、妹に針千本を打ち込まれるのは単なる拷問だ。しかも死が確定している拷問だ。


「よく考えろよ。高校生と中学生が添い寝なんてしたら───」


「欲情するのか?」


 ニヒヒッ、と笑った妹。先程まで後頭部を押さえていた両手は口元近くに当てられている。


「するわけないだろ・・・。僕たちは兄妹なんだぞ」


 赤の他人であれば、もちろん欲情するだろうけど。


「ホントか? 実はムラムラするんだろ? だから駄目なんだろ?」


「そんなわけないだろ。僕はオマエと添い寝してもムラムラなんかしないよ」


「いやいや。なんだかんだ言って、アタシも色々と育ってきてるからな。このセクシーボディの誘惑に負けそうなんだろ?」


 言うや、妹は両腕を踊らせながら奇妙なポーズを取った。なんだかクネクネとしだした。まるで下手くそな盆踊りだ。


「は? セクシーボディ?」


 多少のメリハリはあるものの、妹の体にセクシーさなど見受けられないし、そもそも内包されていない。彼女は随分と男っぽい性格をしていて、バレーボール部で鍛えられた肉体は逞しいくらいだ。


「そうそう。セクシーボディ」


 やはりクネクネとしている妹は最早タコ踊りをしているようにも見える。なんだか珍妙だし滑稽だ。セクシーではなくファニーだ。いや、キンキーか?


 しかしそんな妹を、彼女の股の下から見上げ続けている僕もまた、それなりにキンキーに見えるかもしれない。とはいえ仕方がないのだ。妹の両足によって、僕の体は自由を奪われてしまっているのだから。身動きが取れないので、どうしようもない。だから口を動かすしかない。口撃こうげきするしかない。


「僕の同級生には、オマエよりもセクシーな女子が何人もいたぞ」


「・・・ふぇ?」


 妹はタコ踊りの動きをピタリと止め、代わりに顔をタコのようにした。唇を尖らせて硬直している。どうやら僕の口撃こうげきが効いたようだ。自分の未熟さを───、いや、自分の体の未成熟さを思い知ったのかもしれない。しかし程なくすると妹は戦慄したような表情を浮かべ、


「に、兄ちゃんっ!? まさか・・・、もう経験したのかっ!?」


 と唾の飛沫しぶきを飛ばしてきた。こら、汚いだろ。


「経験・・・?」


『なんのことだ?』と僕は首を傾げる。すると妹はまたしても勢いよく唾を飛ばしてくる。


「そ、そうだよっ! ・・・もう、ヤっちまったのかっ!?」


『あ、そういう意味か』と気付くと同時に僕は、


「ヤ、ヤってないよ!!」


 と力一杯叫んでいた。


 ・・・嗚呼ああ、思わず正直に答えてしまった。未経験であることを妹に告げてしまった。伝える必要が全くない事実を知らせてしまった。そんな風に後悔している僕とは違い、妹はなんだか満足そうな顔。


「ふぅ・・・。そっかそっか、それは良かった。兄ちゃんの初めては、アタシが予約してるからな」


 そんな予約は聞いてないし、そもそも受け付けてないんだが?


 ・・・と、まぁ。こんな感じで、僕の妹はまごうことなき重度のブラコンである。だから去年までの中学校生活は色々と大変だった。そんな中、大きな失敗をせずに済んだのは奇跡といえる。


 とにかく、今からの一年間が勝負だ。この調子だと、来年妹は僕と同じ高校に入学してくるだろう。その前に、なんとしても恋人を作らないと!!




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