二日目 (3/5)
城から米屋に戻ってきた蘇芳と銀次郎。空になった荷車は軽く、行きの半分の時間で済んでしまったように感じていた。
「ご苦労であったな」
「いやぁ、全然っス。次なに手伝います?」
「ダッハハハ、威勢がよくてなにより! では姫さまに申しつけられたように、城下をゆるりと廻ってみてはどうじゃ」
「パトロー――あぁいや、わかりました。他に荷運びあったら、帰ってきてから絶対手伝うんで」
銀次郎と店の前で別れた蘇芳は、頭の切り替えをすべく上にひとつ伸びをした。
「んああー、地元の空気と全っ然違ぇ。科学物質の臭いしねぇってマジで最高!」
仰いだ空は抜けるように高く、なびく秋風は滲んだ汗を拭い去る。時折その秋風は土煙を巻き、城下の町を縫うように抜けていく。
距離の程よい町の皆々のざわめき、蘇芳の脇を駆け抜け行く子らのはしゃいだ空気、意識的に嗅がずとも薫る生木や草花の匂い。五感を刺激するこの時代のすべてが、蘇芳の地元では得られないものであり、彼にとって逐一新鮮だった。
「だぁかぁらぁ! コイツが盗ったっつってんだろ、オヤジよぉ!」
「いンや、オマエさんがぶつかりに行った。オレは見てた」
「ほらみろ、わしが正しい!」
歩みを進めてまもなく、乾物屋の付近で中年の男三人が掴み合いをしているのを目撃した。「早速かよ」の溜め息と共に駆け寄る。
「どうした、おっさんたち? 喧嘩?」
「な、なんだ兄ちゃん。引っ込んでな、怪我するぜ」
「大丈夫大丈夫。俺、昨日銀次郎のおやっさんのとこで盗人捕まえてっから。仲裁の協力くらいならするけど?」
店主らしき男性からかい摘んだ話を聞き、客らしき渦中の二名をどうにか引き離す。
「ただぎゃーぎゃーやってたんじゃ迷惑ンなるだけだ。な? だからちっと落ち着けよ。アイツ殴ったとこでなんも解決ンなんねーよ」
「そらそうだけどよぉ」
「俺がアンタの代わりにアイツから話聞いてくっから、アンタの大人なとこ見してやれよ。な?」
蘇芳は二分程度で一人を鎮めた。話を聞けば彼はあれよあれよと落ち着きを取り戻したので、加害側ではなかったこともわかった。「さてもう一人」と身を翻すも、しかし乾物屋の店主ではそのもう一人の憤りを抑えられなかったらしい。蘇芳がこれから話を聞こうとしていた中年男は野次馬を複数名突き飛ばし、その場から逃げようと駆け出した。
「おっちゃんたち! すぐアイツ捕まえてくっからマジでそこで待ってて!」
中年男と男子高校生では、瞬発力持久力共に後者に軍配が上がるのも自明の理。一〇秒もかからぬうちに、蘇芳は逃げ出した中年男を拘束して乾物屋の前まで戻ってきた。
「ほら、ゴメンナサイしろ。そーゆーケジメはちゃんとしなきゃダメだ」
「す、すみませんでした……」
乾物屋の店主ともう一人の中年男は、彼のことをどうやら大目に見るとしたらしい。すぐさま事は丸く収まり、蘇芳は思いのほかたくさんの「ありがとう」をかけられた。
「いいって。そんな礼ばっか言われるようなことしてねぇよ」
「なにを謙遜しとるか、若造のくせに!」
「そうだそうだ。胸ェ張っておれ!」
「銀のおやっさんにもよろしく言っといてくれな」
大勢に激励をかけられることにむず痒くなった蘇芳は、小さく手を振りつつ人だかりから離れていった。
「……ん?」
城が見える通りに出た頃。通りの端を行く妙な人物に蘇芳は目を留めた。
砥粉色の小袖着物を頭から目深に被り、まるで顔を隠すようにしながら地面をキョロキョロとしている。周囲を行き交う皆々もさすがにその人を避け行くため、より目が留まりやすかったのであろうと覚る。
砥粉色に既視感を抱いた蘇芳は、その人物へ早足で駆け寄った。
「なにしてんの?」
「わっ!」
飛び上がるようにして驚いたその人は、被っていた小袖着物の隙間から蘇芳を認めると「あっ」と息を呑んで数歩後ずさった。
「昨日も会いましたよね? 俺とぶつかったの覚えてる?」
「す――いや、あ、あぁ。覚えている」
昨日と同じ、中性的で澄んだ声。やはり蘇芳はその人物像が思い描けない。
「つーか、捻ったとこ大丈夫? 足首だよな? 病院行ったかよ?」
「びょ、びょういん?」
「あーっあーっ違う違う間違えた、違くて。えーっとなんだ、あー、あれだあれ、薬! 薬貼ったり塗ったりした? っていう」
「い、いや、特になにもしていないが……」
「えーっ、ちゃんとしたほうがいいって。外からは何もなってねーかもしんないけど、内側で痛んでくっかもしんねーですよ?」
「わか、わかった。わかったから。後ほど処置しておく」
蘇芳がグイグイと押したことは計算的な行動ではないが、その押され方にその人は焦った声を出し身を捩った。蘇芳はその声色に聞き覚えがあるような気がするも、しかしすぐには明瞭にならず。詰まるようなみずからの胸あたりを一度小突き、「で?」と話を戻す。
「道の端っこでなにしてたんスか、ずっと地面ばっか見て?」
「探しものだ。どうも昨日落としてしまったようで」
「もしかして、俺とぶつかったとき?」
「わからぬ。そのとき既になかったやもしれぬし、そのときやもしれぬし……ゆえに、こうして広域を探している」
今更ながらな、とその人は苦笑に混ぜた。
「なに落としたわけ? よかったら探すの手伝うけど」
「まことか! あ、いやしかし、そなたには『他に役割』が……」
そこまで言ってしまってから口を噤めども、時すでに遅く。蘇芳は親切を貼り付けていた笑顔を外し、「やっぱりか」とその人の被っている小袖を無遠慮に持ち上げた。
「アンタだったんか、オヒメサマ」
砥粉色の小袖の中に隠れていたのは、先程米を届けた際に出逢った城の姫・撫子だった。
「か、返さぬか無礼者っ!」
頭上から小袖をすぐに取り返し、再度深く被り直す撫子。白く透けるような頬を真っ赤に染め羞恥の感情をあらわにしていた。
「私だと知られたくないがゆえにこのような被りものをしているのだっ。なのに白昼堂々、それも往来の激しいこの道でわざわざ被りものを剥がすなど無神経極まりない!」
「ハァ? 無神経ってなんだ。こっちは怪我さしてワリーなと思って話しかけたっつーのに」
「それはもうよいというにっ、いずれ治ろうぞ」
「あーあーわかりましたっ、今後俺は姫さまに怪我を負わせた大罪を背負って生きていきますゥ」
「なにィ? なんとネチネチとくどい男だ。加えて斯様に粗暴な性分とは。これでは私の頼みごとはおろか銀次郎の頼みごとも果たせんやもしれん」
「果たしましたァー。さっきさっそく一件片付けましたァー。んでアンタが不審案件二件目だったんですゥー」
「わたっ、私のどこが不審と申すか!」
「おもっクソ怪しい動きしてただろーがっ。こんなに深く被りもんしてる上に地面キョロッキョロしてよ」
「それは探しものをしていたがゆえにっ」
不意にハッと冷静になる二人。周囲の視線の多くが、二人の『痴話喧嘩』に突き刺さっているように感じるのは気のせいではないらしい。それぞれに自覚し、刺さる視線を背に建物の壁を向き、コソコソと改めて蘇芳から話を続けた。
「ま、まぁひとまず、アンタの探しもん探しながら話さね?」
「いたしかたない、一時休戦だ」
ジロジロと突き刺さる視線から逃れるように、その場を急ぎ足で離れる二人。何気なく撫子を壁際に寄せ、蘇芳は道側を行った。
撫子の痛めた足の歩幅に合わせて速度を調整していると、蘇芳はまるで幼子の手を引いて歩いているような気がした。小国とはいえ、彼女は一国一城の姫君である。「もっときっちり丁重に扱うべきだった」と冷静さを取り戻し、蘇芳は喧嘩腰の口調を改めた。
「あの」
「なんだ」
「なに落としたのか、聞いといていい、デスカ?」
砥粉色の小袖を手の甲でひたい高まで持ち上げ、撫子は驚いた表情で右隣を見上ぐ。
「そうであった。すっかり忘れていた」
「危ねぇ。俺だけなに探してんのかわかんねーまま地面眺めて、町中徘徊するとこだった」
「ふふっ! なんだその言い回しは」
城で見たときよりも『愛想笑い』から遠のいたような、自然と思える笑み。それは照れたときと同様に『年相応』らしく蘇芳に映り、肩肘の張っていない本来の彼女を垣間見た気がした。
「探しているのは、母の扇だ」
「扇?」
「形見ゆえ、常に肌身離さず持ち歩いていた。このくらいで木肌色の……というかすべて木材で出来ているものでな」
このくらい、と撫子は手で高さや厚みを表して蘇芳へ見せる。
「薫りのいい薄い木材で、年月が経てど変わらぬあの薫りをもっとも大切にしている。もちろん、扇自体が大切なものなのだがな」
「変わらない、薫り」
「扇ぐたびに母の在りし日を思い出すゆえ」
被っている小袖の隙間から、この時代の澄んだ青空を遠く眺める撫子。思い馳せているのだろうかと覗き見つつ、蘇芳は「えーっと……」と懐から例のものをゆっくりと取り出す。
「それってさ。もしかしなくても、これ、だよな?」
立ち止まり、撫子と対面になる。優しく差し出すと、撫子は真っ黒な両目をまんまるにした。
「そうだこれだ! あぁ、よかった!」
蘇芳の手に乗せられていたのは檜扇。道端で尻もちをついた撫子と別れてから見つけた、まさにそれである。
「どこでこれを?」
「転んだとこで、デス。アンタがすっかり行っちまってから見つけたんだ、デス。土に巻かれて、もしかしたら蹴られたりしてたかもしんない、デス」
撫子の手中へ返却しながら、当時の状況の説明も怠らない。ただし、その言葉尻はなんともぎこちない。
「一応一回広げて確認してな、クダサイ。俺の見た限りだと平気そうだったけど、持ち主にしかわかんねー部分もあると思うし、デス」
「ああ、わかった」
「べ、別に、アンタのものだってわかったから拾って預かってたわけじゃねぇんだけどね、でゴザイマス。いろんな脚に蹴られたり踏まれたりしてんのが、見てられなかっただけデスので」
「ふふっ!」
檜扇を左手に握ったまま、撫子は被りもので顔を隠し、吹き出して笑い始めた。キョトンの蘇芳。まばたきをふたつ重ね、撫子を覗く。
「ククク……蘇芳、耐えられぬわ。ふふふっ、どうか先のように、自然に話してはくれまいか」
「え?」
「急にぎこちなくなり、無理矢理言葉遣いを選びながらなど……くふふふ、思わず笑ってしまう、んふふふ」
「わ、悪かったなっ。敬語ヘタクソでっ!」
「まぁ、そう怒るな、ふふふ。悪かった、無遠慮に笑って」
腕組みをし口を尖らせそっぽを向いていた蘇芳。腕を胸の前で組むと、再度気持ちが詰まるような感覚を認識してそこを擦る。
「じゃあこれで、お互いさまってことで、無理くり丁寧に喋んなくてもいい?」
「ふふっ、ああよい。ただし大っぴらにはせぬようにな」
子どものように拗ねたその態度すらも可笑しくて、撫子は更に笑顔を崩した。
「そういえば、さっき城ではべらせてた付き人みたいな人たち、いまは付けてねーの?」
「ああ。なにせ秘密で抜け出してきているからな」
「はっ? おいおい、いくらなんでもルーズすぎるだろ」
「るう、ず?」
「や、違う違う、あー……ルーズってなんて訳すんだっけ、えー……ゆ、緩い! 緩いんだって、認識が」
「そうか? しかし、常にキリキリと気を張っていては身が持たん」
「いやいや。ヒメサマがそんなことしてちゃ危ねーって、普通に考えて」
「大事ない。城下の誰も私だと気が付いてはおらん」
「だからそういう話じゃ……つーか、さっき城で物盗りだとか物騒だとかの話したばっかじゃねーかよ」
「ゆえにこうして被りものをし、眩ませている。それに――」
撫子は砥粉色の隙間から、まるで何事も見透しているかのようなまるく黒い双眸を覗かせた。
「――そなたが見廻っている城下は、安全であろう?」
真横に引き伸びていたはずの血色のいい唇が、スイと緩やかな弧を描いた。目の当たりにした蘇芳はたちまちに心臓を跳ね上げ、そして気持ちが詰まり、いなすために生唾を呑む。
視線を伏せて一度切った撫子は、檜扇を広げて傷や欠損の確認を始める。広げたときのジャッという音は耳障りがよく、「何回も閉じ広げを繰り返したくなる音だな」と蘇芳は口元が緩んだ。
「うん。そなたの言うとおり、こちらも大事ないようだ」
「よかった。俺じゃわかんねーとこ壊れてたらどうしようって思ってた」
閉じた扇を、撫子は誰よりも大切そうに懐へしまう。収まるべきところに収まったことで安堵のひと息となり、顔を上げた。
「ありがとう、蘇芳。これに気が付き預かっていてくれたのがそなたで、本当によかった」
血色と形のよい唇。濃く長く真横に伸びる凛とした眉。黒真珠のようにまるい彼女の双眸にまっすぐ見つめられたとき、蘇芳の『気持ちが詰まっていたところ』でなにかがカチリと嵌る音が聴こえた。
「べ、別に、どうってことねぇし……」
蘇芳を見上げ柔く笑む撫子の頭から小袖が滑り、後ろへ後ろへとずり落ちていく。
「ほら。ちゃんと被ってねぇと誰かにバレるぞ」
慌てて右手で捕まえ、そっと被せ直す。すると、数拍遅れて襟ぐりを掴み直した撫子の右手と、わずかに触れ合った。
「だっ、ごめん」
「いやこちらこそすまないっ」
互いに小さく驚き合い慌てて手を離すも、触れた箇所だけがじんわりと熱を帯びたかのように残る。互いにどこへ視線をやればいいのかがわからず、明後日の方向をそれぞれ向いた。
「さ、ささ、探しもの、こんだけ?」
「ああ、い、一応、これで用は済んだ」
「そっ、そっか」
保ちたい笑顔は酷くぎこちない。「なにやってるんだ」と思えば思うほどブリキのようなぎこちなさが増していく。
「こ、これから、どーすんの?」
「そう、だな。もう少し城下を周ろうかとは考えていたが」
「もしかして、一人で?」
「え?」
渇く目、噴き出す汗。耳の奥で鳴る心臓の鼓動。身体の芯から熱くなるこの感情へ、蘇芳は向き合おうとを決める。
「なんか、付き人がいねぇアンタをこのままひとりで歩かせんの、俺が嫌だ。だから――」
繰り返し見つめてくる彼女のまなざしを、浅い深呼吸で見つめ返す。
「――だから城下にいる間、俺がアンタの警護もやるってのどう?」
照れを纏った蘇芳の善意には不器用さが残っている。
「なるほど」
頭上に風が吹き、ザアザアと唸っていた。被りものの裾がはためく。それを押さえる手が汗ばむ。砥粉色の隙間から見えた甘い笑みは、やはり蘇芳の心臓を握るように絞めつける。
「随分とおひとよしなのだな、蘇芳は」
しばしの逡巡を挟み「よろしく頼む」と付け加えられて、蘇芳の口元が緩まないわけがなかった。