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ドア  作者: 佑佳
戦乱編
8/41

二日目 (2/5)

 朝食を終え、間もなく蘇芳が銀次郎に手伝いを申し出ると、彼は満面の笑みで「助かる」と快諾した。さっそく店先に置いてあった荷車に米俵を積む作業を任され、その作業の影に隠れながらくぅと夜さまは静かに町へ駆けていった。

「あれぇ? 兄さん、見ねぇ顔だの」

 麻縄で荷車に米俵をくくっていると、町民らしき男性に声をかけられた。

「こんちは。短期のバイ――じゃねぇや。『手伝い』さしてもらうことになった、蘇芳です」

「ほーん。しっかり手伝ってやってくれな。そいで、おやっさんは?」

「奥に居るっスよ。呼びます?」

「あぁ、頼まぁ」

「ハイ。おやっさーん、お客だぞー」

 すれ違いざまに、「いまの彼は『会遇』ではない」と蘇芳はなぜか心の底でわかった。直感や引力のようなものが働いているのだろうか。それとも夜さまにそう言われたことで過剰に気にしているだけなのだろうか。雑念のような考えを巡らせながら、再び麻縄で米俵を荷車へくくりつけていく。

「マジで会えたとして、どんなふうに俺の『重要』になんのかな」

 それは『ドア』を見つけ出すことよりも重要なのであろうか。ならばなぜ、それが『この時代で』出逢う人物なのだろうか。夜さまに作られたきっかけは、着実に蘇芳の思考をジワジワと侵食していた。

「ダッハッハ! 蘇芳や、そんなに硬くしては米を傷めてしまうぞ!」

「ぶわぁあっ」

 真横から突如かけられた銀次郎の声に、全身をビクッと跳ね上げる。手元を見やれば、確かに米俵にくびれが出来るほどになってしまっている。

「あっ、す、すんません! めっちゃボーッとしてた……」

「ダハハハ、よいよい。いま一度結び直せばよい」

 銀次郎の寛容さには頭が上がらない。みずから作った結び目をほどくことに苦戦していると、銀次郎は笑みを貼ったまま蘇芳の顔面を覗き込む。

「それが終わったら出立するでな。荷運びも引き続き手伝ってくれるか」

「もちろん。けど、出立ってどこに?」

「あれじゃ」

 銀次郎が目線をやる方向を、蘇芳も真似て追う。

 米屋からまっすぐ伸びた道の先に、小さな門が見える。あれは、|昨日さくじつ蘇芳が見つけていた城の門である。

「え、城? この米、城に運ぶんスか?!」

「そうじゃ。よいか、かしこまってまいるのだぞ? まかり間違っても城内の者の腕を捩じ上げてはならん。なぁんてなっ! ダッハッハ!」

「は、はは……ハイ」

 荷車には、両腕で円を作れる程の俵を計四個積んだ。相当な重さであることは想像に易い。もちろんそれを引く仕事は蘇芳が買って出た。銀次郎は道案内も兼ね、後ろへ廻り荷車を支える。

 荷車は想定よりもズッシリと重い。「おやっさんが一人で引くには大変だろうな」と察する蘇芳のひたいからは、すぐに汗が流れはじめた。加えて、土や砂利の感覚が草鞋を通じて足の裏に伝わる。地面に足が沈むような、逆に土が足に吸い付くような感触は、靴を通してではわかり得なかったものである。

「んぬっ、結構足、持ってかれるんだな。そこそこ、疲れる……ハァ」

 一歩、一歩と進む度にこぼれる言葉も、荷車の前後の位置では届き得ない。壮大な独り言になってしまったことを苦々しく笑んで、空を仰いでみた。

「はあー、すげぇ!」

 広く抜けるような青い空、澄んだ空気、白すぎる雲。それらは、蘇芳の地元の薄汚れた科学物質混じりの空気とはまったく違う。

「蘇芳や、なにかあったかぁ?」

「いーえ! なんとなく清々しくて、爽快だなって思っただけっス!」

「ダッハハハ! 確かに、たまに汗を流すことはよきことじゃな!」

 城門が見えてくると、今度は止まることに注力していかねばならない。そちらのほうがひと苦労で、足裏全体で踏ん張るものの簡単に蘇芳の方が押されてしまい、思うように止まれない。武骨な二人の門番の前でどうにか止まると、蘇芳の汗は滝のように滴った。

「やあやあ、おはようさん」

「おお、銀のおやっさんか。朝からご苦労だな」

 門番らと銀次郎は顔馴染みなのであろう、以上の短い会話であっさりと城門が開けられた。あまりの簡易さに蘇芳は肩たすかしをくらったが、同時に『城』に対する仰々しさが薄まったことでひっそりと胸を撫で下ろしている。

 観音開きの城門は分厚い木製で、ギギイーと軋む重厚な音を立てて蘇芳と銀次郎を迎え入れた。汗を拭った蘇芳は再び踏ん張りを利かせ荷車を引き、「失礼しゃーす」と門番らを横切りながら一礼する。そのときにも再び「これも違うか」と『会遇』ではないことを覚っていた。

「このまま倉までゆくからな。もう少し気張れよ」

「ウス!」

 荷車は石畳に沿って城の脇を進む。しばらく行けば道は石畳から砂利になり、荷車が一層重くなったように感じた。

「正面に見えるのが倉ぞ! あと少しじゃ」

「ゼハ、ゼハ、ウーッス!」

「――何者か」

 城の通路からふと硬い声をかけられた。驚きで荷車を引く脚を止めてしまった蘇芳と、それにつられて歩みを止めた銀次郎は、それぞれに声の方向を見上げる。城の床部分は蘇芳の腹部ほどの高さがあり、まるで上空から呼び止められたような感覚になった。

 呼び止めたらしいのは、城の侍女らしき女性。三人いるのうちの一人が声をかけたようで、それぞれ高い位置から二人をジロジロと眺めている。

「へ、へぇ! 城下の銀次郎にございます。米を運び入れにまいりやした」

「銀次郎?」

 侍女らの合間から、澄んだ声がトンとひとつ上がった。その声は中性的で、先の侍女のそれとは毛色がまるで違う。蘇芳は声の主を確認すべく目を見張る。

「ああ、久しいな銀次郎。息災そうでなによりだ」

 侍女らを柔く掻き分け現れ()でたのは、一人の若い女性であった。彼女は鮮やかな紅梅色の長い羽織を引き摺り、その中に浅い撫子色の無地の着物を纏っている。艷やかで長い黒髪は美しく整えられており、その背の中腹でひとつに結えられている。

 この格好や雰囲気から総括して、彼女の身分がいかようなものかは想像に易い。

「姫さま……撫子(ナデシコ)さまではございませぬか!」

「ふふ、相変わらずよく通る声だ」

「ダッハハハ、確かにこの声は変わっとりませんわ!」

 嬉々とした様子で銀次郎が荷車から手を離したがために、分けていたはずの荷車の重みがすべて蘇芳へのしかかった。渋面と共に歯を食いしばりながらも彼女が『姫』と呼ばれたことにだけは注意深くなってしまう。

「しばらく見ぬ間に、そなたは頭がいくらか白くなったな」

「そういう姫さまは、より一層のお美しさにございますれば」

「世辞など、よいというに……」

「いンやいやいや、なァにを仰りますか。斯様にご謙遜なさらずともまことのことでございますがゆえに」

 撫子と呼ばれた姫は、可愛らしく頬を染めてその小さな顎を引いていた。

 その佇まいから、彼女が聡明で凛としている印象を抱くが、無垢で純粋な照れ恥じらいには未だ幼さも残っている。とはいえそれは年相応に違わないものであり、自身の年齢とごく近しいのではと蘇芳は淡く期待をし、グンと興味を惹かれた。

「此度は何用で城へ?」

「へぇ、米をお持ちいたしました。これから倉にお運びしようと向かっておりましたところで」

「そうか、かたじけない。引き続き荷運び頼みます。ところで銀次郎」

「へぇ」

「随分負荷がかかっている彼の者は、そなたの店の新たな下働きか?」

「え」

 銀次郎から蘇芳へ視線を移す姫。その言い回しにクスクスと肩を小さく揺らす侍女たちを見て、銀次郎はようやく蘇芳の現状に気がついてくれた。

「ダア! すまない、蘇芳! いま支えるでな。よっ、おいしょっ」

「た、助かりました。腰バキ折れるかと思った……」

「姫さまや、この者は旅の者でしてな。昨日城下にて物盗りの捕縛騒動がございまして、それを捕まえたのがこの蘇芳なんでさァ」

「物盗り……捕縛騒動」

「ワシの店のものが狙われたんですがね、蘇芳がとっ捕まえてくれたってわけです。その縁で少しの間旅の足を止め、店の手伝いをしてもらうことになりましてな」

「そうか。銀次郎にとってよき出逢いだったのだな」

「へぇ!」

 張った銀次郎の声は喜々としている。蘇芳は喜びでジンと胸を熱くした。

 一方で、薄い笑みを浮かべていた姫はスイと視線を外し、「そうであったか」と小さくひとりごちる。

「つまりは日々の生活に苦しんでいる者が城下にはまだいる、ということでもあるな」

 その物思いに耽る姫の表情は、明らかに心を痛めているものであった。濃く長く真横に引かれた眉がきゅんと寄っており、小さな顎に当てられた手は白く小さい。

「蘇芳とやら」

「えっ。は、ハイ」

「旅の足を止めているその数日間、この城下の治安も見ていてはいただけぬか」

 薄く柔い笑みを頬に戻した姫。蘇芳は「数日?」と首を傾ぐ。

「流浪の者を引き留めることほど野暮なこともない。それは承知だが、いまの城下や城内にそなたほどの手練れの者がいないのが、嘆かわしき我が国の実状なのだ」

「姫さま、斯様なことを流浪者にやすやすと――」

「銀次郎の信頼をかった者ぞ」

 侍女の忠告に、姫は言葉を低く大きく重ねて遮った。まるで掻き消さんとするかのようで、口を挟んだ侍女は深々と頭を下げて二歩下がる。

 一連の過程に生唾を呑んだ蘇芳。姫の薄く柔い笑みは、優しさのみでできているわけではないことを痛感する。先程垣間見た幼さの残る照れ笑いとの乖離性に身震いをした。

「いかがだろうか、蘇芳どの。これも『手伝い』と思ってくれてよいのだ」

 名を呼ばれると、蘇芳はますますドキリとした。なぜだか彼女の声を聴いていると、気持ちが苦しくなってくる。『胸』が苦しくなるのではない、どこにあるかもわからない『自身の気持ち』が徐々にじわじわと締めつけられていく感覚になっていくのである。

「お、俺でよければ、そんくらい、別に……」

 理由不明の締めつけから逃れたい一心で、蘇芳は呼吸とともに承諾の返事をした。姫は「そうか」と更に笑んで、銀次郎へ視線を移す。

「その間の屋根と床の用意は頼むぞ、銀次郎」

「へぇ、もちろんです撫子さま!」

「蘇芳どの。数日の後に私が必ずや城下の安泰を約束してみせよう。それまでどうか頼まれてくれ」

「ひ、『オヒメサマ』が町の安泰を保証する、っつーのかよ?」

「ふふっ、ああ。こう見えても私は頑固者でな。ひとたび決めことは何であれ必ず決行してきたのだ。なぁ」

 同意を求められた侍女らは、苦笑いで幾度も首肯した。少しでも否定すると先程のように冷たくあしらわれるのだろうか――蘇芳は「怖ぁ……」と声にならない声で吐き出した。

「すっかり引き留めてしまってすまなかったな。では銀次郎、蘇芳どの。諸々頼みましたよ」

 威勢のいい「へぇ!」の返事をした銀次郎は、荷車を支えながらも深々とその白髪頭を下げた。目の端にそれを見留めた蘇芳もそそくさと銀次郎を真似る。

 二人の返事を見届けて、姫は鮮やかな紅梅色の長い羽織の左側を一度バサリと翻し、侍女らを置いて廊下の先へ先へと歩み進んでいった。慌てた侍女らは彼女を小走りに追う。その後ろ姿を眺めようと恐る恐る頭を上げた蘇芳は「あれ?」と表情をしかめた。

 姫が、わずかに左足を引きずっているように見える。歩行速度のせいか、着物の重みのせいかと勘ぐるが、しかしそれにしては不自然な律動である。

「おやっさん。あの姫さまって、足不自由なんスか?」

「いンや? 特に目立ったご病気もなさらず、健やかなるままに成長なさったと聞いとるがなぁ」

「……そうスか」

「引きずっておられたか?」

「えっ、あ、いや。俺の勘違いかも! アハハ……」

 誤魔化しつつ笑い飛ばしながら、蘇芳は姫の去り行く背をしばらく眺めていた。



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