一日目 (3/4)
蘇芳らが軟禁されている収監室は目視感覚でもまま広い。シングルベッド大の寝台が二台あることや、猫足の白い丸テーブルがひとつと白い椅子が二脚あることから、それなりにきちんとした寝食が可能である。
加えて、目に見える空調設備があるわけではないのにひんやりと涼しい。白色や赤土色の石造りであることから、それらが関係しているのではと蘇芳は勘ぐった。
壁に備え付けてあるシンプルな燭台に刺した蝋が燈となり、絶えずチラチラと揺れている。それは等間隔のため、室内全体をまんべんなくほのかに照らす。
室内の天井付近には小窓がひとつあるが、フィックス窓らしく開閉出来そうにない。そこから昼であるか夜であるかの最低限な時間帯がわかるため、かろうじて体内時計が狂わず済みそうだと思った。
セピアとの対面を終えた蘇芳は、処方された鎮痛剤を飲まずにそのまま眠ってしまった。それはふて寝に近い。気が付くと小窓の外はすっかり暗くなっており、暇だったらしいくぅは蘇芳の足元にて椅子に腰かけたまま背を丸め、突っ伏すように眠っていた。寝台脇の籠に丸まる夜さまも変わらず眠っている。
「くぅが寝ちまう気持ちもわかるな」
小声でわざと呟くと、セピアと話をしていたときよりも痛みが引いているような気がしたためそっと身を起こしていく。
「いだァッ! あだだだだ……」
やっぱまだダメかと天井を仰ぐ。左半身の痛みは相変わらずである。
蘇芳がそうしてモゾモゾと動いたことで、足元のくぅも目を覚ました。フニャフニャとした声で「らいじょーぶ、すぅちゃん?」と訊いてきたかと思えば、三秒後には目をランランさせて鎮痛剤と飲み水を持ってきた。
そこからくぅの介助を得て、上半身を四五度の角度で起こす。手渡されたのは金装飾のゴブレットと、白い粉末状の鎮痛剤である。
「なんか、無駄に高そうな、グラスだな」
「ほんとねー。砦の壁も金色っぽかったし、金資源が豊富でしょっちゅう使えるようなものなのかなぁ?」
さぁ? と肩を竦め鎮痛剤を口に含む。更に二杯のおかわりを貰い、「満たされたー」とようやく表情が緩んだ。
「セピアだ。入るぞ」
鬱金染めの長暖簾をバサと掻き分け、セピアが颯爽と入ってきた。初対面時と変わらず、伸びた背筋と大きく静かな歩幅である。
嬉々としたくぅが「セピアさま!」と姿勢を正す反面、怪訝に眉を寄せた蘇芳は敵意をあらわにしていた。
「なんの用だ。勝手にしょっちゅう出入りされっと腹立つんだけど」
「食事を持ってきただけだ。そう目くじらを立てるな」
セピアはやはりにこりともせず、スルリと蘇芳の睨みをかわす。問答無用で「さ、ここへ並べて」と促せば、長暖簾の向こうから使用人の女性が三人、盆に乗せた食事を運び入れた。未だ白い湯気が立っており、収監されている身ながらも「食いもんも手厚いのか」と蘇芳はその真意に首を捻る。
「まず、これはくぅの食事だ。冷めないうちに食べるといい」
「わあい! ありがとうございますセピアさまっ」
「うむ。蘇芳の分はそちらに頼む。左半身を傷つけているから、いつものように配慮してくれ」
「かしこまりました、セピアさま」
使用人の女性のうち、二人は丸テーブルへ食事を向かい合わせに並べた。残る一人は蘇芳の膝上に文机のような板を起き、そこへ食事を静かに置いた。いくつかの椀に入れられた量の少ない食事は、見事に粥状の品ばかり。「ご立派にした流動食かよ」と頬を引きつらせて胸中でひとりごちる。
「あれ? セピアさま、ひとつお食事が多いですよ? さすがに夜さまもこんなに食べられないです」
「いや、それは私の分なんだ」
「えっ、もしかして一緒にお食事ですか?! くぅと?!」
「あぁ。どうかな、くぅ」
「もっちろん大丈夫ぅ! ねっ、いいよねすぅちゃん!」
「――なにが目的だ」
くるりと顔を向け喜び跳ねるように言葉を投げてきたくぅと目が合うも、しかし蘇芳は堂々と不機嫌をセピアへ向ける。
「さっきまで尋問だの死罪だのって突きつけてきたくせに、一緒に飯だ? どういうつもりだ」
「言っただろう、尋問については保留だと。命のやりとりや身分などは一度伏せおいて、軽い身の上話などをしてみないかと誘いにきたんだ。単純に互いを知る時間を取るべきだと考えたにすぎない」
「ハッ、どうだか」
「いまは怪我をしたただの旅人のお前と、その家族のくぅと、ラグエルの民のひとりである私。本当にそれだけだ。それに知りたがっていただろう、この近辺のことについて。考古学研究をしているのなら、見聞は広めておいて然るべきではないか?」
視線をセピアから小窓へ逸らす。
「そうだな……たとえばくぅについて、私は気になっている」
「ええっ? くぅ?!」
「あぁ。お前はまだ幼く、しかし聡い。ここへ来たときからなぜか私を慕ってくれているね。そのことについても訊きたいんだ」
「セピアさまが、すぅちゃんに泣いてしがみついて離れなかったあたしに、優しくしてくれたからですっ。あのときは慌ててたし、それに不安で不安でたまらなくて」
そうだったのか、とわずかに目尻を細めたセピア。一方で、その場を想像し記憶補填する蘇芳。
「このようにお前とも話がしたいと思ったのだ。ただ、互いに教えられんことについては話さないようにしよう。ラグエルの政について話すことはできないが、ただひとりの人間として隠しごとはしないと約束する。それではダメか?」
冷静に丁寧にそう問われたものの、蘇芳の渋い表情は崩れない。
「くぅは? やはり兄者の許しがないとダメかな」
「ね、ねぇすぅちゃん。食事の間のお話くらい……」
小窓へ向けている視線に割り込み蘇芳の視線を浚うくぅ。またあの色素の薄い眉をハの字に下げ、今度は捨て猫のようなまなざしを向けてきた。
見つめ合うも蘇芳は言葉に詰まり、徐々にほだされ、やがて情に負け、大袈裟に深く長い溜め息をひとつ吐き出し「わーったよ」と視線を切った。
「マジで身の上話だけだぞ。俺が不快に思ったらすぐ出てけ。いいな」
再び、釘を刺すようにセピアを鋭く睨む蘇芳。
「アンタが言うように、言いたくねぇことは言わない。それが、話をする上での『尋問とは違う』っつー条件だ」
「もちろんだ。蘇芳、感謝する」
初めて見た、爽やかなセピアの微笑。蘇芳は口を尖らせ「フン」と悪態で照れをごまかした。
「よかったぁ、すぅちゃんありがとう! じゃあセピアさま、いただきますしましょー!」
「うむ、そうだな」
妙に仲のいい二人は、部屋の丸テーブルに並ぶ椅子へ嬉々として腰かけパチンと手を合わせた。使用人の女性らはそれを見届け、長暖簾の前で一礼をして退出する。
セピアの「では、戴こう」を合図に「いっただっきまぁーす!」と声を弾ませるくぅ。蘇芳は自力で九〇度の角度まで上体を起こし、手を合わせ静かに目を瞑った。そんな蘇芳の姿を目撃したセピアは、誰にも気が付かれないようにそっと頬を緩めた。
蘇芳に配膳された内容物は、潰した豆類と細切れの葉物を和えた香草かぐわしい粥状料理と、ミルクベースのスープの二品である。材料の詳細を探ろうと舌で味わえども、予測立てがままならない。しかし味も香りもよく、そして空腹も相まって、行儀そっちのけでガツガツと食べ進めてしまっていた。
「で、ひとくちに考古学と言えど多様にあるが、お前は具体的にどういった研究調査をしてるんだ?」
「えっ」
次に口へ運ぼうとした匙を、開け構えていた口の手前で皿へと戻す。急に振るなよと目線を泳がせつつも、続く言葉が見つからない。言いかけては止めを繰り返すため口元が忙しなくなっていく。
「じっ、地面掘ったり地層見たりして、時代研究してるんですっ。ねっ!」
見かねたくぅがすかさず口を挟んだ。慌てた目配せでくぅの配慮を汲み取る蘇芳。
「そっ、そそそそうそう、そゆことやってる!」
ガクガクと頷く蘇芳を不審に思わなかったらしいセピアは、案外簡単に「へぇ!」と口角を上げた。
「地面を掘る、か。親近感が湧くな」
「ここでもそういう研究してるんですかぁ?」
「いや、そうではないんだ。この土地は六〇年程前に、掘削技術者によって救われた過去がある。だから地質調査と聞くとつい興味深く感じてしまうんだ」
「なにか特別なことがあったの?」
「おい、くぅ。ずけずけ訊くなよ」
「構わない。政にまったく関係ないわけではないが、主だった内容ではないからな。それに、くぅのような幼子にこの国の過去について興味を持たれることは、純粋に嬉しい」
言われてぽっと頬を赤らめるくぅ。なにかを懐かしむように笑んだセピアは、チャリと小さな音を立てて匙を置いた。
「約六〇年前、この界隈の地表は酷い干ばつが進行していた。知っているだろうが、過去より続く環境破壊で年々気温は高くなるし、緑地は激減。草木がないからより乾燥が進む。するとやがて雨が降らなくなって、作物もみるみる育たなくなり、生き物の飢餓も一気に進んだ。病気も蔓延したし、空気も淀んだ」
穏やかなセピアの語り口に、二人は吸い込まれるように聞き入る。くぅも静かに匙を置く。
「そんな折に、一人の旅人がやってきたそうだ。その人はまだ子どもだったんだが、出会い頭に『ここには大きな水源がある』と言った」
言葉をなぞった蘇芳は右眉をひそめる。あんなに乾ききった砂地のどこに水を見出したのやらと疑問がつのる。
「水源なんて、と当然先祖たちは半信半疑だった。だが当時の頭首はその身も蓋もない話に興味を持った。ただちに男手を集めて、旅人が指定した場所を数日かけて掘った。当然疑心もあったが、藁にも縋る想いで掘削を始めた。そうして、本当に水泉を掘り当てた」
「水泉?」
「あぁ。それを中心にして、居住を構え直した。ラグエルはその水泉があるから無事に作物も育つし、こんな風に当たり前に食べていける」
誇らしげに笑みを深めるセピア。つられて、くぅも表情が和らぐ。
「命が繋がるようになったということは革命だ。その水泉がそのままこのラグエルに現存していることも、いまなおラグエルの皆に大切に守られていることもとても幸福なことだ。掘削技術は継承されて、発展している。水泉から水路を延ばし、新たな水脈と繋がることもし始めている。だが――」
卓上の手を固く握るセピア。表情も途端に険しくなる。
「――周辺の連中は、ここで湧いている水を独占しようと画策し、常に狙っている」
声は低く小さくなり、どこか疲れた様子さえ窺える。
「特にチャオツの奴ら。あの土地には永年充分な水がない。そして水と交換できるものが、もうあの領地には残っていないんだ」
「それでか。だから俺らが水を狙って砦に近付いたと思ったんだな」
「そうだ」
「なら、アンタらが受け継いだその掘削技術とやらをソイツらにも教えてやりゃいいじゃん。やつらの国からも水が出るかもしんねぇだろ?」
「とっくにやったさ。だがチャオツの水源は三〇年前に干上がってしまった。恐らくあの土地にはもう水脈が伸びていない」
「じゃあ、他に手はねぇわけ? こうやって優雅に飯食ってる間にも、向こうの国じゃ、くぅくらいのガキが水求めて苦しんでるかもしんねーってことだろ? なのにアンタは、自国の人間だけが生き残れればそれでいいのかよ?」
「そうではない、そんなこと思っていないっ。だが、私個人の考えだけで他国民を自由に受け入れることはできないし、資源も国も好きに動かせるわけではないんだ」
「でも殺し合い以外で問題解決してかねぇと、どんどん死人ばっかが増えてくことになるだろーが」
「悪いがすぐに答えなど出ない。これはすごく繊細な問題なんだ。ラグエルの水だっていつ枯れてしまうか知れないのだからな」
「だからって、誰彼構わず攻撃する体制とかを頭が許しちまってんのはおかしくねぇ? そういうおかしくなっちまったとこから正してかねーと、この国だって終わるぞ」
熱くなってしまった蘇芳には思うところがあった。
先の、撫子のいた城下町。あの小国の、ささやかながらも安定した物資、そして人々の恩情と敬愛。治安はさておき、交易で商業を上手くまわせる国があるのだから、ここでだって可能なのではないだろうか――そんな考えから焦れた結果だった。
「なんのために、たくさんの水がこの国に在る? なんのために、アンタらの先祖は水源だの掘削だのを教わって遺したわけ? そゆこと、いまのこの国の大人たちは一人も考えねぇの?」
「お前の言わんとすることはわかる。だが事は、国の民でもないお前が考えるよりもずっと複雑なんだっ」
「じゃああれか。アンタは『頭』のくせに自分の国の大人たちを纏められねぇし、水を盾にして周りの国と殺し合いがしてぇだけっつーことなんか」
「そんなわけないだろ!」
焚きつけるような蘇芳の言葉に、ガタンと音をたてて立ち上がったセピア。目の前でくぅがびくと肩を震わせる。蘇芳もハタと我に返り、ついつい踏み込んでしまったと慌てた。
「わ、悪ィ。政治的な話は禁止だっつってんのに……」
「あ、いや、その。私こそ、すまない」
冷静さを取り戻したか、静かに椅子へかけ直すセピア。心配そうに見つめているくぅと視線を再度絡ませ、やがて力なく頬の緊張を解いた。
「蘇芳、お前は間違ってない。ラグエルだってチャオツだって、誰もが本当は、ただ家族を護りたいだけなんだ。それは私もわかっている。だが――」
言いながら、くしゃりとセピアは表情を歪めた。
「――たとえば水泉が無限だったなら、救える命がきっとたくさんある。たとえば頭首の技量が充分だったなら、他国の脅威に怯えず、武器に頼らないやり方を考案し、敢然と立ち向かえるに違いない」
左掌で自身の前髪をくしゃりと握るセピア。まるでみずからの非力さを噛み締めているような苦悶が滲んでいる。その脆く崩れてしまいそうなセピアの姿に、ふと撫子が重なって見えた。
「本当はもう、武器で命をいたずらに奪うことは、したくない。が、やはりチャオツの民の中に許せないやつがいるから、どうしても武器をとってしまうし、そいつが生きている限り、他国の者をこの国に迎え入れるなど……」
「特定の誰かに恨みを持ってるから、そのひとの国は助けたくないってこと?」
小さく問うくぅの声に、ハッとセピアは顔を上げた。齢のわりに『聡い』と評したくぅの真眼に身震いをして、震える唇で「そうだな」と首肯した。
「先代の命を奪ったやつ……チャオツの頭を、私はずっと憎んでいる。だからどうしても、あの民が皆そうなのではと、思ってしまうのかもしれないな」
絞り出すような告白は、セピアが公私の間で揺れていることを容易く覚らせた。悩みの原因が似ていることからセピアと撫子が重なって見えたのだ、と蘇芳は考え至る。
「綺麗事かもしんねぇけどさ――」
彼女に説いたときのような声色で、かつて自身にかけられた言葉をなぞる蘇芳。
「――恨んでるやつをたとえば殺したとして、けど、死んじまってるアンタの大切な人間は、絶対に還ってこねぇよ」
それまでの苦悶の表情に、蘇芳への疑心が混じるセピア。
「『そんなことしても喜ばねぇ』だとか、『仇討ちしなきゃ浮かばれねぇ』とか。そんなのは生きてる人間が『殺しを正当化』するための言葉で、他人を殺っていい理由なんかじゃねんだよ。絶対に」
「…………」
「どんだけハラワタ煮えくり返ることされたって、同じことをやり返していいわけじゃねぇ。なんでもそうだけど、やり返してスカッとすんのは一瞬だ。アンタはその一瞬の快感のために争いに応じてるわけ?」
ややあってから、セピアは静かに小さく首を振る。
「お頭として、他の国から攻撃されんのを全力で護るアンタは間違ってねぇと、俺は思う。けど、恨みつらみで攻撃を『仕掛け』んのは、確実に間違ってるとも思う」
かつて、強制的に拳の交わし合いに巻き込まれ、太刀打ちに明け暮れる日々の中で『先生』にかけられた言葉。一度しかかけられていないこの言葉を鮮明に思い出せ紡げるのは、それだけ蘇芳の心に沁みたがため。
セピアの耳飾りの残響に気が付き、すると蘇芳の集中がぷつりと切れた。羞恥心が一気に押し寄せ「ま、まぁ、なんだ」と右手で前髪をグシャグシャに乱す。
「こっ、これは俺の正義感、だから、アンタとは違って当たり前だしさ。押し付けるつもりも受け入れてほしいとも言わねぇ。忘れるなら、忘れて」
それから再び手を合わせ、食事へと集中を向け直す。
「頭首だっつーアンタの意見だけがあっても、それでもどうにもなんねぇことがあんのは、一応わかってるつもり。変に熱くなって焚きつけて、悪かったよ」
匙を握り直し、蘇芳は一心不乱に粥を口へ詰め込みゆく。ドロドロで噛む必要もないが、それでもきちんと三〇を数え終えるまで顎を動かした。
眉尻を下げすっかり肩を落としたセピアは、溜め息のように「そう、だな」と瞼を伏せる。それは肩肘張った頭首の意見ではなく、ただの一人の人間の感情であった。




