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ドア  作者: 佑佳
戦乱編
10/43

二日目 (4/5)

 撫子の歩行速度に合わせ町を見廻る。いつでも蘇芳は通り側に立ち、彼女に害のないよう気を配っていた。


「蘇芳は、なぜ旅を?」

「えっ」


 何気なくかけたであろう問いは、答えるには易くない。『ドア』に関する一連のことを説明するわけにもいかず、かといって(てい)のいい嘘も(はばか)られる。


「えーっと、そうだな。どっから話せばいいかな……」


 足を止めずに眉を寄せ、腕組みをし、真剣に悩む蘇芳の横顔を見上ぐ撫子。くす、と笑んで言葉を挟む。


「ふふっ、斯様に難しく考えずともよいのに。では切り口を変えよう。そなたが旅をし故郷を離れ、見えた異国はどう感じる?」

「どう、感じるか」

「私は未だ想像を超えぬが、旅行けば見えしものも変わろう。良いもの、悪しきもの、各所の人々の関心や、新たにわかり得た故郷の良さなどな。そういうものがやはりあるのか、とな」

「ああ、そういうやつか。ここは俺の地元に比べて、格段に空気が美味いよ」


 澄み、高く抜けている空へ鼻先を向ける。


「俺の地元、鉄造ってるんだ。具体的にどんなもん作ってんのかは知らねーんだけど、街中とにかく身体に悪い臭いがしててさ。けどそれで儲けてっから、空気のことなんて誰も良くしようとしねぇの」

「そこまで違うか。故郷の空気と」

「うん。呼吸のたびに、いままで汚されてた身体ン中が綺麗になってく気がするくらいには」

「蘇芳は、故郷を好いてはいないか」

「んー、ムズいね。大事な人たちがいるから大事な場所だけど、あの空気のせいで俺のじいちゃん、肺が悪くなったから。だから住民になんもしてくれねーオエライサンたちは嫌いかも」


 視線を感じ、蘇芳は左隣へ視線を移す。


「その点、ここはアンタと殿さまがちゃんとしてくれるんだろ? 羨ましいな、マジでさ」

「そう、だろうか」

「……違うの?」

「わからない」


 通りへ視線を向ける撫子。声色がより中性的なものになる。


「私は駒だから、いずれ意志など不要になる」

「駒……って」

「いや、余計な話をした。すまない。それで、蘇芳は故郷を良くするために旅をしている、ということか」

「え、あ、それとこれとはちょっと別。ややこしい話だけど」

「別? 別の理由があるのか」

「う、うん。あ、探しものっ。俺も探しものしてる」

「探しもの? そなたも形見を失くしたのか?」

「くふっ、それはアンタだろ」

「い、言うな」

「アハハ。昨日から町中探して歩いてたんだけどなかなか見つかんなかったわけ。で、数日留まってじっくり探してみよっかなー的な」

「ふむ、つまり探しているものは『小物』ではないのだな?」

「そうだな、まぁ、一応」


 ふと「そういえば」とよぎる。

 昨日初めて城を遠くに見たとき、あの中に『ドア』があった場合のことを蘇芳は考えていた。いままさに、家主に直接訊ねられる千載一遇の機会である。城の中まではさすがの夜さまでも探せていないだろう。つまり、結果次第では蘇芳が夜さまに一泡吹かせることも可能となる。

 思い至った蘇芳は、心の中でニッタァと悪い顔をした。


「姫さまならさぁ、城ン中で見たことねーかな。襖大の茶色い風変わりな一枚板」


 立ち止まる蘇芳。被りものの小袖を手の甲で押し上げ、蘇芳を見上ぐ撫子。眉間を詰め、蘇芳の指したそれの容姿を言いなぞる。


「そなたの故郷の鉄で出来ているものか?」

「いや、そういうわけじゃねーよ。厚みある木の板だしな。しかも襖と違うから、見たらマジで『なんか変だな』ってなるやつなんだよ。この辺に丸い飾りがついてて」


 ドアノブをジェスチャーで示すも、見当がついていない様子の撫子は小さく首を振った。


「すまない。そのようなもの、城で見た覚えがない」

「ま、そうだよなぁ。ごめん、あんがと。ひとまず無さそうってわかっただけでも収穫だわ」


 とは言いながらも、蘇芳はあからさまに肩を落とし苦い顔をした。夜さまへ一泡吹かせる計画は白紙に戻る。


「それが何なのか検討もつかぬが、そなたの大切なものとあらば城の者に探させてみるか?」

「あ、いやいや、大丈夫! そこまで大事(おおごと)にしなくていいし」

「遠慮は不要だ。そなたには私の形見を預かり受けてくれていた恩がある。探しものの協力は、対価としては同等だ」


 そこまで言い切り、撫子は改めて蘇芳の表情を見上ぐ。回避の言葉を懸命に探しているような蘇芳の横顔に、撫子は思うところがあったらしい。蘇芳がなにか言い出すよりも早く「では」と意見を変えた。


「まず一度、私が一人で探してみるのはどうか」

「え、マジで?」

「ああ。侍女らも入れぬ場所を見て廻る程度にはなろうが、それでも?」

「そりゃかなり助かるけど、さすがに姫さまを顎で使うってのは畏れ多いっつーか……」

「顎で使われてなどいない。私みずからの意志で私が勝手に動くだけだ。その一枚板とやらが気になるからな。ゆえに――」


 左腕にそっと触れた撫子は、グイと引蘇芳を引き寄せる。


「――これも二人だけの秘密だ。よいな」


 蘇芳の左耳が撫子の鼻先に寄った。そうして耳うちで告げられ、蘇芳は全身が沸騰するかに思えた。

 近い顔と顔、ぬるくかかる吐息、そして背徳感満載の秘匿的単語。それらが一気に押し寄せたことで緊張を助長する。やっとのことで「ふた、りだけの、秘密」となぞるも、意味など微塵も頭に入ってこない。首肯と共に腕を放され、すると被りものの奥で撫子が淡く笑んでいた。

 その笑みを見て、蘇芳はまた『気持ち』が締めつけられた。胸の中央の奥深くがまるで渦を巻くように苦しい。彼女の透けるような白い頬に彼女の艷やかな黒髪がサラリと触ると、なぜかそれだけで背筋がぞくぞくとした。


「一枚板が見つかれば、そなたは故郷へ戻るのか?」


 見つめてくる黒真珠のような双眸に吸い込まれそうな錯覚をして、慌てて視線を向こうへやる。首の後ろへ手をやった蘇芳は、「う、うーん……どう、なんだろう」と曖昧な返事をした。


「俺のために探してるのもあるけど、俺よりもあれを必要としてるやつがいるんだ。俺は、そいつの手伝いさせられてるんだよ」

「ふふっ、また手伝いか。顔に似合わず随分とお優しいのだな」

「う、ウルセー。ちょっとのっぴきならねー状況だったの。強制的ってやつ」


 ゆっくりと角を曲がる。クスクス笑んでいる撫子を、蘇芳は心地よく思っていた。


「そろそろ戻らねば。ひと周りしたしな」

「じゃあ城の近くまで送る」

「ここでよい。あとは戻れる」

「けど『直々に護衛の任を仰せつかっておりますがゆえに』」

「ふふっ、だがまことによい。私しか知らぬ裏から帰るのだが、そこへはもう近いのだ」


 城にいたときよりも俄然年相応に笑んでいる撫子を眺めていると、蘇芳はそれだけで従順に(かしず)いてしまうのではと思えた。力でなく、思い遣る姿勢で言葉を交わす撫子との時間は、蘇芳自身の知らない傷の多くを癒やした。


「ひととおり城内を調べたら、また城下に来よう」

「マジ? そしたら俺、アンタのこと城まで迎えに行くけど」

「実際に抜け出せるかが約束はできぬゆえ、そうだな……ではまた明日もし抜け出せたなら、私はこの場でそなたを待とう」

「わかった。んじゃ姫さまがここに来なかったら『抜け出せなかったんだなー』って思うことにする。ダイジョブ?」

「ああ、それでよい」

「なるべく夕方までは待ってるようにするけど、暗くなるようならその次の日にまわそうな。姫さま一人で暗がりの裏路地とかうろうろすんのなんて、そもそもとして危ねーし」

「ふふ、心遣い痛み入る。そ、それと――」


 視線を足元へ向ける撫子。被りものの襟ぐりをきゅんと掴み、肩を縮める。


「――城下にいるときは、ひ、姫ではない、から」

「……ん?」

「あのっだから……ひ、『姫』でなく、名で、その」


 小さく小さくなっていく撫子の声、身、態度。照れながら伝えてきたその意味に気が付いたとき、真顔の蘇芳の脳内で『ズギュン』と大きな音が鳴った。

 え、なに? 町にいるときだけ姫さまって呼ばれたくないの? けど町にいるのを知ってるの、俺だけじゃん。てことは、町で俺と話すときだけ姫って呼ばれたくないってことで、それって俺だけは名前で呼んでもいいよって言いたかったの? けど照れちゃって「姫でなく名で」までしか言えなかったの?


「えぇ……かわいいかよ」


 思わず漏れ出てしまった一人言を、自身の耳で聴いてようやく我に返る。口を押さえども、時すでに遅く。これでは先程の撫子と同じだ。


「い、いま、何――」

「なっ、なでな、撫子っ」


 誤魔化しを図り慌てて呼ぶも、火に油状態。照れ恥じらいの赤面が増し、互いに身の置き場に困ってしまった。


「あの、き、聞いた感じちげーと思ったら、姫さまに戻すし」

「よ、よい! 嬉しい!」


 バチンと視線がかち合って、赤面の互いを目の当たりにする。ブッと腹の底から笑いが噴き出して、するとようやく肩肘張らないみずからの精神状態に気が付いた。


「遅くなると騒ぎになるから、ちゃんと周りに気ィ付けんだぞ」

「あぁ、わかっている」

「今日楽しかった。撫子とたくさん話せてよかった」

「わ、私もだっ。蘇芳、本当にありがとう」


 一歩、一歩と通りの向こうへ後ずさる撫子。「危ねーから前向け」とかければ、砥粉色の被りものから白く細い腕が伸び、蘇芳へ向けて大きく振られた。


「またな!」


 応えるべく、蘇芳も高く上げた右腕を大きく振る。周囲の視線など気にならなかった。

 砥粉色の小袖がすっかり見えなくなるまで、じっとそこに立ち見送りをする。人と人の間から砥粉色が見えると、転ばないだろうかと目を見張った。


「ハァー……」


 頭を垂れ下げ、道の真ん中であるのにしゃがみこむ。道行く数名がじろじろと蘇芳を見下ろし去って行く。


「もームリ」


 そう呟くと、眉間は再びきゅっと詰まった。


「スゲェ好き」




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