狭間 1 (1/3)
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誰かを、ずっと前から捜している気がする――
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まず、猫が鳴いた。実にか細い声だ。
「起きろ、若造」
「う、うーん……」
寝ぼけまなこを乱雑に擦りながら、少年は言われるままにムクリと起き上がる。なぜかズキンとする後頭部にそっと触れ、すると舌打ちがひとつ出てしまった。指先が触れたのは、たんこぶのような突起。どうやら撲られたらしいと瞬時に理解する。
「っテェなぁ。なんな――」
目を開けるとそこは、ただ闇のみが広がる空間であった。前も後ろも左も右も奥行きすらもわからない。不思議なことに、少年自身の身体だけは薄ぼんやりと光って見えている。
「――ここ、どこだ?」
まばたきを重ね眉を寄せ、少年は掠れた声で闇へ問う。
「はざまじゃ」
再度、猫がそう鳴いた。言葉の真意がわからないまま「はァ?」とその鳴き声を振り返る。
ポツンと一匹、線の細い黒猫が居た。暗闇に黒猫など何も見えなくてもおかしくはないのに、その黒猫は彼同様に薄ぼんやりと不可思議に発光している。
ビロードのように短く滑らかな毛艶。
まるでアメジストのように美しい薄紫色の双眸。
尖った三角形の耳。
ほんのりとピンク色の小さな鼻に、一本一本がピンとしたアンテナのように長い髭。
眉の辺りからも長く真っ直ぐな毛が二本ずつ飛び出していることまではっきりと見える。
「ヌシの力を、儂に貸せ」
「猫。ヒトの言葉、喋ってる」
少年はボソリと低い声で呟いたが、黒猫はわずかに両の目を細めたあとで同じことを繰り返した。
「若造、ヌシの力を儂に貸せ」
「あ……あぁ、あははっ。あぁこれアレか。流行りのAIの猫か! なるほどなっ」
「…………」
「へぇー、すげー高性能だなぁ。いやー、この技術の進歩はさすが日本人っつーかな。すげーリアル、マジで生きてるみたいに造るなぁ!」
自己解釈を進める少年。「あっはっは」とあぐら座りのみずからの左膝をバシバシと平手で打つ。
「ンなワケねンだよっ」
一転、少年は再度声を低くし笑みを消した。膝を打つのをやめ、眉頭と瞼を限りなく近付ける。
「なんなんだよマジで! ここどこだ、テメー何なんだっ!」
「儂はヌシに力を貸せと言っておるのじゃ。その返事を待っておる」
変わらず目を据え、淡々と言葉を投げる黒猫。その態度が少年にはひどく冷ややかに映り、言葉の数だけ少年の神経を逆撫でした。
「あのなっ、いきなり意味わかんねぇんだよ全部がわかんねぇ。万人がわかるように最初から説明しろ」
「簡単な話じゃて。儂にヌシの力を貸せと言うとろう」
「しかもそれな、人にモノ頼む態度じゃねぇかんな。頼むんならせめて頭下げたり下手に出――」
「――だめだよ、夜さまぁ」
少年の頭ごなしの文句を遮るようにして、黒猫の後方からひとつの人像が滲むように現れた。
「やっぱりさぁ。ちゃぁんと説明してあげなくっちゃ、話進まないよぉ」
「ガっ、ガキもいんのかよ!」
「ああーっ、ヒドイ! くぅ、ガキじゃないもぉん!」
ひたいの中央で分けた色素の薄い髪の毛をフワリと散らし、練りたてのパン生地のように柔らかそうな頬を両方ぷっくりと膨らませる少女。彼女は明らかに幼女であり、大人に見積もっても五歳程度だろう、と少年は推察した。
「いーい? まず、落ち着くためにも自己紹介からするね。あたしは『くぅ』。こっちは『夜さま』。王様と同じイントネーションじゃないと、夜さま怒っちゃうから。気をつけてねぇ」
幼女――くぅは、そうして夜さまと呼ばれた黒猫の小さな小さな肩に、それぞれ手を置いた。
くぅは、淡く薄い栗色の瞳をしている。
アイボリーのセーターはぼったりと膝下まで着てワンピース様にし、小さなその足にはつつじ色とたんぽぽ色の派手なボーダー柄靴下を履いている。その先端の真っ赤なエナメルの靴が、少年の印象に強く残った。
「それでぇ、おにーさんは?」
「え」
「おにーさんも自己紹介してよう」
今にもこぼれ落ちそうなまあるい瞳で彼を見上げる、くぅ。甘く首を傾げ、肉厚な頬をみずみずしく持ち上げた。
その笑みにどこか既視感を覚えた少年は、意固地に食ってかかる自身を冷静に省み、渋々と小声で名乗り出ることに決める。
「俺は、蘇芳。道端に倒れてたそいつを助けたら、なんか、急に気ィ失って」
顎でグイと夜さまを指す。同時に両手を広げ肩を竦め、「それで、こんなザマ」という言葉を含ませた。
「やはりな」
「は?」
しかし夜さまは「自分のせいで」ときまりが悪そうにすることなく、むしろ意地悪そうにその双眸をスイと細めた。
「のう、くぅ。アタリじゃったろ?」
「ええっ?! じゃあ夜さまぁ、ホントにこのおにーさんがぁ?!」
「ああ、まことじゃ」
「わぁい、やったぁ! よろしくねぇ!」
「なぁ、話がまったく見えねーんだけど」
「じゃあおにーさんは、今から『すぅちゃん』ねっ!」
「なあ――って。はぁっ?!」