1-17 髪を操る姿
武のための錠と赤松による部屋の紹介が終わり、今度は武を寮内に案内することになった。
売店に立ち寄りながら連絡棟を紹介する予定だったが、途中で職員室から錠と赤松を呼ぶ放送が流れた。
職員室に呼ばれたことで予定を変更し、それぞれ用事を済ませてから連絡棟の屋上で落ち合うことになった。
武は自分の部屋から連絡棟の方へ廊下を進み、エレベーターを越えてそのまま行くと屋外へ出られるドアに辿り着いた。
外へ出ると、目の前には連絡棟の屋上が広がっていた。
辺りを見回すと、海の方向の手すりに見覚えのある後ろ姿があった。
長い黒髪を背に流したその姿を、武は来栖瑛理子だと思った。
声をかけようと近づいていく。
やはりその女子生徒の髪型は、瑛理子と同じだった。
「来栖さん?」
その声に驚いたのか、女子生徒は両肩を一度すくめてから、ゆっくりと振り返った。
──え? 瑛理子さんじゃない?
その女子生徒は別人だった。
だが、髪型は確かに、さきほど見た瑛理子と同じだった。
二人は言葉を失い、驚いた顔のまま固まってしまった。
「あ、あの私」
「す、すみません。てっきり来栖 瑛理子さんかと思って」
慌てて謝ったその瞬間、武は胸を強く叩かれるような感覚を覚えた。
一目見て、この少女を可愛いと思ってしまった。
「いえ、大丈夫です。この髪ですしね」
気遣うように言われたが、武は恥ずかしさから言葉が出なかった。
「転入してきた物部君だよね?」
この少女は、武のことを知っていた。
一方で武は、瑛理子と同じ髪型の生徒をクラスで見た記憶がなかった。
──まずい。名前がわからない。
「あら、物部君?」
背後から声がした。
窮地に立たされた武を救うような一言だったが、声の主は瑛理子だった。
「え、来栖さん?」
振り返った武は、思わず目を見張った。
あれほど長かった瑛理子の髪は、肩にかかるほどの長さになっていた。
瑛理子は、硬直した二人の様子を見てすぐに状況を理解した。
「ふふ。物部君。
わたしと瑛美を間違えて声をかけたのね」
その言葉に武は顔が赤くなり、隣の少女も頬を染めた。
「ごめんなさい、物部君。驚かせてしまって」
「いや、俺こそ驚かせてしまってごめん」
武は続けて言った。
「でも、さっき教室では来栖さんだけがしている髪型だったと思ったんだけど。
それに、なんで今はそんなに髪が短くて……」
瑛理子は微笑み、瑛美の隣へ回ると肩に手を置いた。
「わたしたちは、同じ能力を持っているのよ」
瑛理子はそう言って、瑛美の肩から手を離した。
「さっきと髪型が違う理由ね。
わたしたちは、自分の髪の長さを自由に伸ばしたり、短くしたりできる能力を持っているの」
瑛理子は左手を後ろ髪に回し、髪を掴んで腕を伸ばした。
耳の後ろほどしかなかった黒髪は、波を描くように横へと伸びる。
光を反射しながら一本一本が輝き、やがて重力に引かれて下へと流れていった。
さらに両手で後ろへ回し、重くなった髪を弾ませると、黒髪は両肩の前へと流れ落ちる。
武は思わず、その美しい流れに見惚れてしまった。
「瑛美は、まだ自己紹介していなかったわね」
前髪を整えながら言われて、瑛美は恥ずかしそうに口を開いた。
「橘 瑛美です。
よろしくお願いします」
瑛美が一度軽く頭を下げてから、瑛理子が言葉を付け足す。
「瑛美とは名前が似てるでしょ。それに、ずっと前からの友達なの。
瑛美ったら、さっきは恥ずかしがって物部君に質問しなかったのよね」
「ちょ、ちょっと瑛理子」
やはり瑛美は恥ずかしそうで、それを瑛理子は楽しんでいるようだった。
「瑛美、本当は物部君に聞きたかったでしょ?
高天原はどんな所だったのか」
「う、うん」
「高天原には十日ほどしかいなかったけど、聞いてくれれば答えるよ」
「は、はい。
ありがとう。物部君」
瑛美の瞳と視線が重なった。
白目に濁りのない深い黒が、中心から放射状に光を放っているように見えた。
その瞳に見入ってしまい、今度は武の方が恥ずかしくなった。
「おーい、武ー!」
校舎の出入り口の方から、錠の声が聞こえてきた。
その隣には赤松もいる。
「錠ったら、もう馴れ馴れしくして……」
「いや、俺がそう呼んでくれって言ったんだ」
「だから、みんなもそう呼んでもらえたら嬉しいよ」
「じゃあ、武君でいいのかしら」
「うん。それで大丈夫」
「わたしも、そう呼んでいい?」
「もちろん」
「それなら、わたしたちにも下の名前で呼んでほしいわ。ね、瑛美」
「う、うん。そうね」
「な、慣れたらでもいいかな」
「ええ、もちろん」
瑛理子は、こちらへ近づいてくる錠と赤松との距離を確かめてから言った。
「せっかくだから教えてあげるわ。
あまり人には言っていないけど、わたしたちには、もう一つ同じ能力があるのよ」
「もう一つ?」
「ええ。それは、愛よ」
「……愛?」
「瑛美に声をかけてくれたお礼。
だから、内緒にしてね」
人間であれば、誰もが愛を持っている。
それをもったいぶって言う瑛理子に、武は唖然としてしまった。
その隙に錠が元気よく近づいてきて、続いて赤松も合流する。
瑛理子は、瑛美が武に自分と間違えられて恥ずかしがっていた話をした。
その話に瑛美はまた顔を赤くし、武も間違えて声をかけてしまったことを思い出して恥ずかしくなった。
笑い声に合わせて弾む瑛美と瑛理子の美しい黒髪は、輝きながら潮風に流れていた。
※登場人物名の表記を整理し、「瑛美子」を「瑛美」に統一しました。




