1-11 門出
康彦からの指導も仕上げを終え、武は稽古の疲れを癒すために眠りについた。
そして人間の世界の時間にして、十日目を迎えた。
今日、いよいよ武が葦原の国。
元いた人間社会へと帰る日が来た。
武は和装から制服へと着替え、康彦から与えられた品を荷にまとめた。
見送りのために集まったのは、康彦、白狼、影康の三人だった。
四人は並んで屋敷を出る。
「あれ、武坊。
お前、荷物はそれだけか?」
「白狼。
武にはすでにシェクラカゴーの使い方を教えてある」
シェクラカゴーとは、ククリの力によって作られる収納空間である。
「この通りです、白狼さん」
武はそう言って、両手を上げた。
「ははっ。
覚えるのが早えな」
康彦は、武に連れて行く場所があると言い、屋敷から続く別の道へと案内した。
しばらく歩くと、左手に石段が現れる。
四人は、その階段を登った。
石段の先には、康彦の屋敷と似た造りではあるが、規模は明らかに大きい建物があった。
周囲には樹々の群れがあり、正面には巨大な鳥居がそびえ立っている。
武は直感的に、ここが康彦よりもさらに位の高い神の領域なのだと悟った。
「ここが、雷を司る武神。
タケミカヅチノカミの御座所だ」
「ここが……タケミカヅチノカミの……」
「火の神ホノカグツチノミコトが討たれた際、その血から生まれた神だ。
武神にして雷神。
数多の神話を残した存在だ」
康彦は静かに続ける。
「今は、その御姿はこの場にはない。
だが。
力は残されている」
四人は社殿の前に立ち、足を止めた。
「さあ、手を合わせるのだ」
促される前に、武は胸の前で両手を差し出した。
意識を集中すると、掌から細かなエメラルド色の雫が溢れ出す。
ククリの力が穢れを祓い、参拝前の行水に相当する所作だった。
「いい制御だ」
武は二礼二拍手一礼を行い、目を閉じた。
すると、社殿の奥から柔らかな風が吹き抜けてきた。
その風は武を包み込み、胸の奥に温かな感覚を残していく。
武は、ゆっくりと目を開いた。
康彦は、懐から小さな勾玉を取り出した。
淡く雷光のような文様が宿る、美しい勾玉だった。
「これは、タケミカヅチノカミの力を宿した勾玉だ。
今のお前には、まだこの力を解放することはできん」
康彦は、武の手にその勾玉をそっと置いた。
「一郎を救う時、この力は目を覚ますだろう」
武は、勾玉を強く握りしめた。
「そして、これもお前に渡しておこう」
康彦はそう言って、腰に下げていた刀を武の前へ差し出した。
「これは……ご先祖様のものでは?」
「いや。
お前に渡そうと思っていたものだ。
気にすることはない」
武は深く礼をして、刀を受け取った。
金の装飾が施されたその刀は、見た目には重厚だが、手に取ると意外なほど軽い。
「これもまた、ヒイロガネで造られた刀だ」
ヒイロガネは、ククリの力によって生成される金属である。
鉄の何倍もの強度を持ち、ヒイロガネで造られた装甲はククリの力を防ぐ。
だが、同じヒイロガネで造られた武器なら、それを破壊できた。
武はこれまで、ヒイロガネ製の武具を用いて康彦の訓練を受けてきた。
社殿を後にし、四人は来た道を引き返した。
やがて、高天原と葦原の国を結ぶ鳥居の前へと辿り着く。
武が最初に高天原へ導かれた場所だった。
「ここが、高天原と人間の世界を繋ぐ門だ」
「神社にある鳥居と同じ……」
「鳥居とは、本来この二つの世界を繋ぐ印なのだ」
「武坊。
今度来た時は、高天原をちゃんと案内してやるからな」
「ありがとうございました、白狼さん」
「武殿。
念のため、もう一度言うにゃ。
竹中というヤマト機関の男が待っておる。
相手から我の名が出るまでは、決して油断するでないにゃ。
我は康彦様の神使として、またヤマト機関に顔を出す。
その時は声をかけるにゃ」
「ありがとうございます、影康さん」
武は三人に深く頭を下げ、康彦と向き合った。
「それでは、行って参ります。
ご先祖様」
「芦原の国へ戻ったら、しっかり生きるのだぞ」
康彦は、武をまっすぐに見つめた。
「宿命に戸惑うかと思ったが、
お前はすでに受け入れているようだな」
「五年前から、自分の中で答えの出ない疑問がありました。
ここで世界の真実を知り。
納得できました。
だから、ここに来たのだと思います」
「うむ。
よい心意気だ」
康彦は静かに言った。
「ゆけ、武よ。
この先には、さらなる新世界が待っている。
何があろうとも、己の良心に従え。
良心とは、神と人とを繋ぐ道だ」
「はい……!」
武は鳥居をくぐり、葦原の国へと歩み出した。
その背中は、やがて夕暮れの空の向こうへと溶けていく。
「武坊……うまくやれるといいな」
「頑張るにゃ。
我らで見守るにゃ」
「ああ。
立ち向かうのだ、武」
三人は、武の姿が完全に消えるまで見送っていた。
そして武を見送ったその後。
高天原の陽は、ゆっくりと沈んでいった。




