愛のためなら3
「い……いや……」
「ははっ、そんな顔するなよ。過去の女どもには評判良いんだぜ?」
「来ないで!」
ナデクロシは服を脱ぎながらイルージュに迫る。
逃げようにも椅子に縛られているイルージュにはわずかに身じろぎすることしかできない。
「ハハッ……抵抗されるのもまた燃えるな」
上半身裸になったナデクロシはナイフを取り出した。
縛られたままでもいいかもしれないがそれでは面白みに欠ける。
ナデクロシはニヤニヤと笑いながらイルージュを縛り付けているロープをナイフで切った。
「……!」
「ふふふ、見た目より気が強いようだな」
「気持ち悪い……!」
自由になったイルージュはビンタしようとした。
ナデクロシはそれが分かっていたようにイルージュの手首を掴んで手のひらをベロリと舐めた。
イルージュが手を振り払おうとしてもナデクロシの力が強い。
このままではナデクロシの言葉が現実になってしまう。
何とかせねばとイルージュは思うけれどイルージュには武術の心得もない。
力だって一般的な令嬢程度のものしかない。
ナデクロシはクズ野郎ではあるけれど日頃から鍛えてはいる。
令嬢に負ける道理がない。
「楽しもうぜ。家に返されたら俺がもらってやるから」
「誰か……助けて! キルアン様!」
「チッ、俺の前でその名前を呼ぶな!」
「キャッ!」
「俺は昔からあいつが嫌いなんだよ」
ナデクロシは一瞬で不機嫌になるとイルージュの頬を叩いた。
イルージュは椅子から転げ落ちて床に倒れる。
「何もかも上手くいかない……兄を越えようとした愚かな弟を消したところまではよかったのだがお前の母親の暗殺には失敗するし、結局お前は俺のものにならなかった。だが今日全てが上手くいく」
「暗殺……まさか、オレイオスを……」
「あっ? ああ、死んだのはそんな名前のやつだったな。今日は気分がいい。お前の顔が絶望に歪むのも面白いから少し話をしてやろう。どうせ誰も来ないしな」
イルージュの頭に幼くして亡くなった弟の顔が浮かんだ。
「全ての始まりは……俺の弟が悪いんだよ。あいつは俺より優秀だった。父は俺よりもあいつのことを可愛がり、後継者にしようと考えていた。だが兄より優秀な弟などいてはならないんだ! だから俺はあいつを蹴落とそうと細工をした。少し地図に手を加えてやったら面白いように越境してくれた。そのまま死ねばよかったんだけどな……帰ってきやがった」
ナデクロシの目は暗い色を放っていた。
イルージュはナデクロシの様子に恐怖を感じてゆっくりと後ろに下がる。
「だから俺が直接手を下してやった! 魔物に襲われたように偽装してあいつの胸に剣を突き立ててやったのさ!」
笑うナデクロシは正気じゃないとイルージュは思った。
「親父は何も言わなかった。上手く騙せたのか、それも気づいてて何も言わなかったのかは知らない」
「どうしてこちらを暗殺者を……」
上手くいったのならイクレイのことなど放っておけばいいのにどうして殺し屋など送ったのだろうか。
「それはお前を俺に寄越さなかったからさ!」
「……なんですって?」
「後継者の座は俺に物になった。ならば次に必要なのは相応しい相手だろう? 当時からお前は美しかった。まだ若かったがそれでもよかった。だから同盟と引き換えにお前のことを寄越せと言ったのさ」
ナデクロシの執着は今に始まったことではなかった。
昔からナデクロシはイルージュに目をつけていた。
ギャルチビーの後継者たる自分に相応しい相手は見た目もさることながら将来的にはイクレイの掌握も視野に入るイルージュではないかと考えていたのである。
「だがお前の母親はそれを頑なに拒否した。だから緊張状態を理由にしてお前の母親を殺そうとした」
「な、なんてことを……」
「結果的に死んだのは取るに足らないガキだったらしいがな」
イルージュの目から涙が流れる。
「この人間のクズ! 人でなし!」
自分のせいでオレイオスが死んだ。
直接の原因ではなくかなりの遠因ではあるもののイルージュも大切な弟の死の一つの原因であったのだ。
「お前の母親が死んでいれば今頃婚姻はお前と俺で成り立っていたかもしれないな。残念な話だ」
イルージュの罵倒も意に介さずナデクロシは笑う。
「さて……そろそろお楽しみといこうか……」
「そうはさせない!」
「なっ……ぐっ!」
窓が割れて怒りの表情を浮かべたミツナが飛び込んできた。
驚きの顔をするナデクロシの腹に蹴りを決める。
「イルージュさん、大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫……」
少し放心状態のイルージュに駆け寄って状態を確かめる。
頬が赤く腫れているものの他に外傷はない。
ミツナはとりあえずイルージュの無事に安心する。
「あっ、後ろ!」
「このクソ獣人!」
イルージュの声で何とかミツナは後ろから振られたナイフをかわした。
「外の奴らはどうした!」
「あんなの倒したに決まってるでしょ!」
「どうやってここが……」
「匂いだよ」
「匂いだと?」
「逃げられた時のためにフリアン草ってものの粉をイルージュにかけたんだ」
「フリアン草……?」
さらわれたイルージュに小袋を投げつけた。
中身の粉がフリアン草という草を粉末にしたものであった。
ほんのりと甘い独特の香りがする。
薬屋をやろうと思っていたエイルが持っていた薬草の一つでこんな時のために用意していた作戦だった。
ミツナは獣人としての鼻の良さも持ち合わせている。
フリアン草の独特の香りなら離れていても追跡することができる。
まさか本当に使うとは思わなかったが用意をしていてよかった。




