表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

閑話 名前を呼ぶ理由

過去


「……ご主人様」


 か細い声が、薄暗い部屋に響く。


 カイルは酒瓶を片手に、面倒くさそうに振り返った。

 そこに立っていたのは、買ったばかりの奴隷──リィナ。


 怯えた瞳と、擦り切れた服。

 震える指先。


 ──まぁ、こんなもんか。


 カイルは大して気にも留めず、適当に酒をあおった。


「……お前、今なんて言った?」


「え……? あの……ご主人様……と」


 リィナは不安げにうつむく。

 自分の言葉に何か間違いがあったのだろうか、と怯えた様子でカイルを窺っていた。


 カイルは舌打ちして、ぐいっと酒を飲み干す。


「その呼び方はやめろ」


 リィナは目を瞬かせた。何か不手際でもあっただろうか。そう疑問を持った。


「……ですが、私は奴隷で、あなたは私の主人ですから……」


「だからって、『ご主人様』はないだろ。なんかこう、背中というか体全体がこう、ぞわっとする」


 カイルは肩をすくめた。


 沈黙が流れる。


 リィナは少し考えてから、改めて口を開いた。


「……では、『カイル様』とお呼びしても?」


 カイルは少しだけ眉をひそめた。


 ──それが普通だろうな。


 奴隷が主人を呼ぶときの、最も一般的な敬称。

 むしろ、この状況なら自然すぎる選択だ。


 だが、カイルは少し考えてから、わずかに笑った。


「……いや、様もいらねぇ。そんな柄じゃない」


 リィナはまた困惑したような顔をした。


「では……何と?」


「そのままカイルさんとかでいい」


 リィナは意外そうに目を丸くする。


 それは、まるで主人と奴隷ではなく、対等な関係の呼び方だった。


 しかし、カイルは特に気にした様子もなく、酒瓶を置くと欠伸をした。


「覚えとけよ」


 リィナは少し戸惑いながらも、静かに頷いた。


「……はい、カイルさん」


 カイルはその言葉を聞いて、微かに目を伏せた。


 煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐く。


 ──この呼び方なら、何も思い出さずに済む。



現在


「カイルさん、それ、そこに置くと邪魔ですよ」


 リィナが軽やかに笑いながら、机の上の書類を片付ける。


 カイルは煙草をくゆらせながら、適当に肩をすくめた。


「お前、俺の仕事場を仕切るようになったな」


「だって、カイルさん、片付け苦手じゃないですか」


「俺の自由だろ」


「……そのせいで、大事な書類を何度失くしました?」


 リィナはじとっとした目で見つめる。


 カイルは少し気まずそうに目を逸らした。


「……まぁ、多少はな」


「多少、じゃないですよ」


「細けぇな……」


 そんな軽いやり取りの後、リィナはふと手を止めた。


「そういえば、カイルさん」


「ん?」


「私がカイルさんのことを『カイルさん』って呼ぶようになったのって……」


 リィナは、遠い記憶を探るように言葉を紡ぐ。


「……カイルさんが、そう言ったから、ですよね」


 カイルは、少しだけ目を細めた。


「そうだったか?」


「えぇ。『様はいらねぇ』って言いましたよ」


「……そんなこともあったか」


 カイルは煙を吐き出しながら、なんでもないように流す。


 リィナは小さく笑う。


「なんだか不思議です」


「何がだ?」


「最初は、とても呼びにくかったのに、今では『カイルさん』って呼ぶのが一番しっくりきてるんです」


 リィナは、どこか懐かしそうに笑った。


「……変ですね」


 カイルは何も言わず、ただ煙草の火を消した。


「……そうだな」


 そう呟いた彼の声は、やけに静かだった。


 だが、その意味にリィナが気づくことはなかった。


 ──カイルは、この呼び方なら何も思い出さずに済むと思っていた。


 しかし、実際は違った。


“カイルさん”と呼ばれるたび、

 心の奥底に沈めたはずの声が、かすかに蘇る。


“カイル”


 ──そう呼んだ、誰かの声が。

「面白かった」など思ってくださりましたら、ブックマークや☆☆☆☆☆の評価頂けると大変励みになりますのでお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ