第6話 成長の兆し
二年が経った。
あの日、奴隷市場で衝動的にリィナを買ったのがまるで昨日のことのように思えるが、実際にはずいぶんと時間が流れていた。
最初の頃は、正直どうなることかと思った。あいつは無口で、感情も読めない。ただ黙って俺の指示に従うだけの、どこにでもいる奴隷だった。
だけど――
今、俺の目の前にいるリィナは、あの日の少女とは別人に見える。
この二年で、リィナの外見は自然と整ってきた。
最初は俺が無理に身なりを整えさせようとしていたが、今では自分から髪を梳かし、服も丁寧に着こなしている。
市場で安物の布を買ってきたときも、リィナは器用にそれを縫い直して、自分に似合うように仕立てた。見違えるほど清潔感があって、俺ですら驚いた。
ある日、ふと彼女が窓辺に立っている姿を見たとき、思わず目を奪われた。
黒く艶やかな髪が肩に流れ、薄く微笑むその表情は、どこか貴族の令嬢を思わせるような気品があった。
――まさか、ここまで育つとはな。
内心、驚きと満足感が入り混じっていた。だが、口ではそんなことは絶対に言わない。
「……ま、まだまだだな。」
わざとらしくそう呟くと、リィナは静かに微笑んだだけだった。
言葉遣いも、この二年でゆっくりと成長していった。
最初は一言二言が精一杯だったリィナが、今では必要最低限の会話をするようになっている。
朝起きると、彼女は必ずこう言う。
「おはようございます、カイルさん。」
その声は穏やかで、どこか柔らかさが混じっていた。だが、それ以上の会話はあまりない。リィナは多くを語らないが、その分、表情や仕草で気持ちを伝えてくる。
ある晩、俺が仕事で遅くなって帰宅したときのことだ。
疲れ果てて部屋に戻ると、テーブルの上に温かいスープが置かれていた。
「……これ、お前が?」
俺がそう尋ねると、リィナは静かに頷いた。
「お疲れさまです。」
それだけ言って、また静かに座り直した。
その一言が、妙に胸に染みた。
――なんだこれ。売り物のくせに、妙な気遣いしやがって。
だが、文句を言う気にはなれなかった。スプーンを握る手が、少しだけ震えていることに自分でも気づいていたからだ。
リィナの仕草も、気づけば上品なものへと変わっていた。
歩くときは背筋を伸ばし、食事の際は静かにナイフとフォークを使う。最初の頃、俺がしつこく指摘していたマナーも、今では自然に身についている。
だが、それは決して無理やり覚えさせたものではない。リィナは自分のペースで、少しずつ身につけていったのだ。
ある日、町の市場に一緒に出かけたときのこと。
リィナが店主に礼儀正しく挨拶し、落ち着いた態度で品物を選んでいるのを見て、周囲の人間が彼女を奴隷とは思わなかっただろう。
「ごきげんよう。」
帰り際にそう言って微笑むリィナを見て、俺は思わず吹き出しそうになった。
「お前、どこの貴族だよ。」
皮肉交じりにそう言うと、リィナは肩をすくめるだけだった。その仕草がまた、妙に洗練されていて腹立たしい。
リィナが成長するにつれ、俺の中には新たな葛藤が生まれていた。
――本当に、こいつを売るのか?
最初はただの金目当てだった。上品に育てて、高値で売り飛ばす。それが計画だったはずだ。
だが、今のリィナを見ていると、どうしてもその決断ができない。彼女はただの奴隷ではなく、俺の生活の一部になっていた。
朝の挨拶。
静かな食卓。
帰宅したときの温かなスープ。
それらすべてが、俺にとって当たり前になっていた。
ある晩、リィナが珍しく自分から話しかけてきた。
「……カイルさん。」
「ん?」
「私、……このままずっとここにいてもいいんでしょうか?」
その言葉に、俺は言葉を失った。
何か適当な返事をしようとしたが、喉の奥が詰まって声が出なかった。
――売るんだろ?高く売るって、決めたんだろ?
「……お前が俺の奴隷でいるうちはな。」
それを聞いたリィナは、ほんのわずかに微笑んだ。
二年の時間が、俺とリィナの距離をここまで近づけた。
この先、俺はどんな決断を下すのだろう。
高く売るのか、それとも――このまま手元に置いておくのか。
その答えは、まだ見つからない。
だが一つだけ確かなことがある。
リィナがこの家にいる限り、俺の生活は今より少しだけマシになるだろう。
そして、もしかしたら――俺の心も。
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