第5話 上品への第一歩
「お前を育てて、高く売る。」
その言葉を口にしてから、一か月が経った。
正直、最初の数日は自分でも何を考えているのか分からなかった。酔っ払いの戯言で済ませるには、もう遅すぎる。俺はこの少女――リィナを買ってしまったのだ。
だけど、ただの奴隷としてこき使うつもりはなかった。どうせ買ったなら、最高の状態で売り飛ばしてやる。
それが一番の得策だ。
最初に気づいたのは、リィナ自身の無関心さだった。
俺が何を言おうが、何をしようが、彼女の表情はほとんど変わらない。飯を出しても、掃除をさせても、ただ黙々とこなすだけ。
ある日、少しでも見た目を整えさせようと、町の市場で安物の櫛と、それなりに見える服を買ってきた。
「ほら、これ使え。」
櫛を差し出すと、リィナは一瞬だけ俺を見上げた。何か言いたげな目だったが、結局何も言わずにそれを受け取った。
翌朝、俺はひそかに期待していた。髪を梳かして、少しは見栄えが良くなっているだろうと。だが――
「……全然、変わってねぇじゃねぇか。」
相変わらず、ボサボサの髪。昨日と同じ表情。
まるで俺の努力が無意味だったと言わんばかりだ。
「お前な……少しは身だしなみを気にしろよ。」
そう言っても、リィナは微動だにしない。ただ、静かに座っているだけだった。
――こりゃ、時間がかかりそうだ。
俺は深いため息をついた。
数週間後、俺は言葉遣いにも口を出すことにした。
どうせ育てるなら、品のある女性に仕立て上げなければ高くは売れない。外見だけじゃなく、内面も磨く必要がある。
「おい、リィナ。『おはようございます』って言ってみろ。」
彼女はしばらく俺の顔をじっと見つめた後、ほんのわずかに口を開いた。
「……おはよう……ご……ざいます。」
その声はかすかで、聞き取れるかどうかのギリギリだった。罵ることは簡単だ。罵ることで改善するなら、そうする事に越したことはない。だが、それをするより、少しでも肯定する。認めてあげる。この過程こそが重要と判断した。品のある女性としての道のりは険しそうだ。でも、確かな進歩だ。
「よし、よく言った。」
内心は小さくガッツポーズをしたい気分だったが、そんなことを見せるのは癪だった。俺は無表情を装いながらも、どこか嬉しかった。
でも、それはほんの小さな一歩に過ぎなかった。
翌日からも、リィナはほとんど喋らなかった。「おはようございます」さえも、なかなか口にしない。俺が何度促しても、彼女はただ静かに俺を見つめるだけだった。
――まぁ、焦ることはねぇか。
何しろ、時間はたっぷりある。
半年が経った。
リィナはまだ無口だったが、ほんの少しだけ生活に変化が現れ始めた。
朝、俺が起きると、リィナは既に起きていて、部屋の隅を掃除していることが増えた。
食事の準備を手伝おうとする姿も見せるようになった。
だが、言葉はほとんどない。たまに短く返事をする程度。
「飯、うまいか?」
「……うん。」
それだけだ。俺はそれでも構わなかった。彼女のペースで少しずつ変わっていくのが、今はなんとなく心地よかった。
ある晩、仕事から帰ってきたときのことだ。
机の上には、整理された魔法具と、ピカピカに磨かれた工具が並べられていた。
俺は驚いてリィナを見た。
「お前……これ、やったのか?」
リィナは静かに頷くだけだった。
その時、俺は気づいた。
彼女は言葉よりも行動で応えようとしているのだ。無理に喋らせる必要はない。彼女は彼女なりの方法で、この生活に馴染もうとしている。
そして、それが上品さへの第一歩なのかもしれない。
リィナを本当に高く売るためには、年単位の準備がかかる。
でも、それでいい。焦らず、ゆっくりと育てれば、きっと彼女は最高の値打ちを持つ存在になる。
俺はそう信じていた。少なくとも、このままじゃ終わらない。
彼女はもっと輝く。そして俺は、その結果を手に入れる。
……だが、心のどこかで、俺は薄々気づいていたのかもしれない。
――本当に売ることができるのか?
その答えは、まだ分からない。
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