プロローグ
酒場のざわめきが、耳の奥で鈍く反響していた。木製のカウンターに肘をつき、カイルは、ほとんど空になったジョッキをぼんやりと眺めていた。安酒のくせに喉は焼けるし、頭はぐらぐらする。だが、それがいい。どうせ、明日の仕事も大した稼ぎにはならない。こんな日には、酒に沈むのが一番だ。
「……おい、もう一杯だ」
重たい声で頼むと、店主が渋い顔をしながら薄めの酒を注いで寄越した。カイルは気づいていたが、文句を言う気力もない。
ジョッキを口に運びながら、ふと視界の隅に妙な賑わいが映った。酔いのせいで足元も覚束ないまま、なんとなく流れに身を任せて外へ出る。
夜の空気が冷たく肌を刺すが、それすらも心地よい。目の前には、ぼんやりと明かりに照らされた一角――奴隷市場が広がっていた。
「……なんだよ、やってんのか」
カイルは鼻で笑いながら、人だかりに紛れ込んだ。酔っ払った頭には、この異様な光景すら滑稽に映る。
売られているのは、年老いた労働奴隷、戦争捕虜、家事奴隷……その中に、一人の少女がぽつんと立っていた。
薄汚れた麻布をまとい、顔を伏せたまま微動だにしない。その華奢な肩が月明かりに照らされ、妙に印象的だった。
「こいつは訳アリだ。黙って言うことは聞くが、愛想も働きもない。……だから安くしてやる」
商人の声が耳に入るが、カイルはそれを深く考えもしなかった。気がつけば、財布に手を伸ばしていた。
「買った。」
自分でも驚くほど、簡単に口からその言葉が出た。商人はニヤリと笑い、少女の鎖を解いた。カイルは無意識のまま、少女の手を引いて歩き出す。
何を考えていたのか、何も考えていなかったのか――その時のカイルには、分かるはずもなかった。
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